一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

青木やよひさんの思い出

2009-12-27 11:51:18 | 青木やよひ先生追悼

    吉 田 乙 恵


 青木やよひさんに私がお会いしたのは約15年前、レディース専門の鍼灸治療室を開業していたときです。「伊豆高原ゆうゆうの里」に入所されていたお母様の訪問の帰りに看板を見て、突然、予約なしでフラーと立ち寄られたのが最初でした。

 その初診での事、まず、いつも通りに問診から入りました。問診から治療まで、一人に約1時間の時間をとっていますが、やよひさんは、腸に憩室があり時々出血があるという持病の事、農薬による水質汚染で身体が侵された事など、たんたんと静かに、強く、そして怒りを込め、話し始められました。

 しっかりメモを取りながらお聞きしていたのですが、気が付けば、すでに1時間が過ぎていました。やよひさんはほぼ全て話し終えられたようで、満足された様子でしたが、私は問診に長く時間を取りすぎて、少々慌てました

 
続けて、東洋医学で行う切診の1つ、脈診に入りました。脈状は、沈・緊・遅――漢方でいう裏証・寒証・虚証でした。腹診は、全体に力なく心下(みぞおち)に少々緊張あり。  望診では、細身、目の力はあり、全体的に黒っぽいが顔色良し。他、若干、力の無い声、気の不足、お血(オケツ)あり(私の診るところ、完全に虚証です)、という印象でした。

 15年程前の事で、その時の一番の主訴は何だったのかは忘れてしまってはいるのですが、問診が長かったこともあり、初診の日の様子はとても印象深く心に残っております。特に脈は、私が診た患者さんの中では一番弱い脈だったので、今でも指先は覚えております。

 私の治療と相性が良かったのか、それからも都合のつく時は、1週間に1度の間隔で通院してくださいました。大腸の表裏関係でもある肺経で気の巡りをよくし、脾経・胃経の気を補う、基本的な治療を中心に行いました。治療後の脈は緩脈(病状の回復)となられ、憩室の出血がひどい時もありましたが、確か2~3年過ぎた頃からは、ほぼ安定した良好な状態になられたようです

 当時から、虚証体質であられるのに秘めたるパワーをお持ちで、精神力の強さには感心しきりでした。治療中は、お母様との関係や仕事の話などもされ、ある時は、女性誌にご夫婦で載られた記事を見せて下さいました

 夫婦別姓のことや旦那様のお話もされました。「彼は生き字引。聞けば何でもすぐに答えてくれるんです」とか、「彼の料理は凝り性で、本格的なんですよ」など、控えめに誇らしげに……。私にとって、羨ましい話ばかりでした

 余談ですが、ある年の、我が家の恒例である地元八幡野神社への初詣の日のことです。少し離れた所から、お話ばかり伺っていたご主人を初めてお見かけしたのですが、腕を組み、にこにこと楽しそうな会話をされておられる幸せそうなお二人に、お声をかけそびれてしまったことなども思い出します。

 それから数年後、体調を崩してしまった私は閉院せざるをえなくなり、情けないことに自分が療養生活に入りました。それからも気に掛けてくださり、復帰を期待してくださっていたやよひさんの脈をまた診る事無く、お別れとなってしまい心残りです。

 ただ、10月、最後になってしまったセミナーの欠席を手紙でお伝えした折に、「女性として、人としての生き方をとても尊敬しています」と書いた私の言葉を受け止めてくださり、後悔なく良かったと思っております。

 患者さんと鍼灸師という関係でしたが、逆に私の心に沢山の刺激をくださり、やよひさんとお会い出来たことは、私の誇りです。ありがとうございました。感謝を込めて心からご冥福をお祈りいたします。

  文中では「やよひさん」と呼ばせていただきました。

                       


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