青木やよひ先生追悼コンサート に寄せて
寺本倫子
平成22年9月17日、私の前職である株式会社法学館伊藤塾で、新司法試験合格者の祝賀会が開催され、私は来賓として招待されました。東京湾1周のクルージングで恒例行事となっております。
そこへ、元最高裁裁判官・現弁護士でいらっしゃる園部逸夫先生も来賓として来られておりましたので、再度、懐かしく、青木先生のコンサートを思い出しました。
青木先生追悼コンサートは、6月13日津田ホールにて行われたのですが、私は受付担当として、来られたお客様にチケットをお渡ししたり、料金を頂いたりしておりました。事前に予約をされたお客様にはお名前を言っていただき、チェックもしておりました。
その中で、事前予約者として園部先生が来られ、名簿をチェックしてチケットをお渡ししましたので、大変に感激したものでした。このときは、面識がありませんでしたし-本当は、面識はあるのですが、恐らく園部先生は覚えておられないだろういう思いと、私も受付として慌ただしい中でしたので、声をお掛けすることはありませんでした。
それが、昨日の祝賀会にて、またお会いすることができ、「あのとき、私は受付をしておりましたよ。」などとお話した次第です。『ディアベリ変奏曲』は、なかなか生で演奏されない作品だなあなどと話しが弾みました。元最高裁裁判官にベートーヴェンの話しをするというのも、珍しい弁護士だと思われたことでしょう。もちろん、園部先生と言えば、外形標準課税東京都条例無効訴訟の代理人弁護士の1人ですから、そのお話もしましたが。
追悼コンサートですが、非常に内容の濃い、充実したコンサートだったと思います。
西村先生の、『悲愴ソナタ』についてのお話で、「ベートーヴェンというと、中期、後期を経て、あまりにもものすごい作品がありますが、初期の作品である、『悲愴ソナタ』1つとっても、当時として、こんなものすごいものはありません。」ということを言っておられたのをよく覚えております。あれだけ壮大な序奏を持っているとう点についてのご指摘で、不朽不滅の作品だ、というわけです。そして、「不朽の名作という言葉がありますが、もちろん、メロディーが美しものでも不朽と言えるのでしょうが、しかし、ベートーヴェンというのは、形で、ものすごいものを示してしまった人です。」という言葉が忘れられません。
ベートーヴェンの凄さというのは、単に、メロディーが美しいとか、聞いてて心地よいとかいった類のものではありません。形式的な強固さ、構成の緻密さ、厳格さであり、これは、「好き嫌い」のレベルでは語りきれないものでしょう。好き嫌いはおいといても、「凄い!」というしかないというのが、ベートーヴェンの音楽の特徴であり、説得させられてします。当の本人であるベートーヴェンが、そういう音楽でなければ書かない人だった、つまり、誰にでも説得できるものであることが、ベートーヴェンの音楽の信条であったと思われます。現に、ベートーヴェン自身、「ソナタ形式というものが、音楽を伝えるのに最高の形式である」と言っていたはずです。
もちろん、ベートーヴェンであっても、不朽のメロディーと言ってもよい美しいメロディーがいくらでもあります。バイオリン協奏曲など、甘い美しいメロディーのメドレーと言ってもいいような作品ですし(もちろん、形式的にもしっかりしています。)、ピアノ・ソナタでもとくに、作品110の第1楽章の第1主題の美しさは、もう「美しい」という言葉自体が色あせてしまうような味わい深いものです。また、追悼コンサートで演奏された、『ディアベリ変奏曲』の第33変奏(最後の変奏)などは、この世から遙かに遠く、究極の音楽ではありませんか!さらに極めつけは、ミサ・ソレムニスの『サンクトゥス・ベネディクトス』のうちの『ベネディクトス』ではなかろうかと思います。
さて、追悼コンサートでは、また、こうも言われておられました。「ベートーヴェンの後期の作品についてのすべてが傑作ということを強調することはない。」と。壊れかかっている音楽もあるではないかということです。確かに、私の大好きな作品132の終楽章などは、もう限界ぎりぎりの音の使い方で、壊れかけ寸前と言ってもいいと思います。しかし、また、その壊れかかり方が、病に苦しみ、ひしひしと死が迫っている巨匠から絞り出されるような声として聞かれるのです。
両先生の、大変に貴重なお話を聞くことができた、充実したコンサートだったと思います。
高橋アキさんの演奏ですが、『悲愴ソナタ』については、なかなか普通では聞かれない、柔らかい、優しいベートーヴェンだったと感じた方が多かったのではないでしょうか。こんなベートーヴェンがあってもいいんだろな、と思いながら聞いておりました。第3楽章も非常に華麗で美しかったです。私は、『悲愴ソナタ』の演奏を聴きながら、これなら、恐らくは、『ディアベリ変奏曲』には合っているだろうなあ、ベートーヴェンの後期の作品にはいいだろうなあ、と期待したものです。
それにしても、これだけの大作を生で聞ける機会があったことは、本当に幸せであり、貴重な体験でした。
青木先生もさぞや喜んでおられるに違いありません。