あぁ、湘南の夜は更けて

腱鞘炎やら靭帯断裂やら鎖骨骨折やら…忙しいッス。
自転車通勤往復100kmは、そんなこんなで自粛してました。

『Possible on the road』 印度旅行記-その17

2005年01月03日 | 印度旅行記

インドで僕が触れた動物、
・牛、馬、犬、山羊、象、ラクダ、熊(公園で芸をしていた)
半径1m以内に出会った動物、
・猿、羊、リス、バッファロー、などなど

ジャイプールという街は乾燥していた。砂と岩の町。
そこで初めてラクダを見た。
想像していたよりずっと背が高くて驚いた。のんびり優雅に草を食べていた。
僕らはスィン少年と一緒に歩いていた。
スィク教徒の名前はほとんどスィン。だからターバンを巻いている多くはスィンさんだね。
僕と妻はラクダに駆け寄り、尻をポンポン叩きながら嬉しくなってしまった。

「おー!ラクダだよ、ラクダ!」
スィン少年が言う。
「Yeah , Camel. Camel is possible on the road in your country?
(そうさ、ラクダさ。お前の国ではラクダは路上に可能か?―直訳)」
「日本にはラクダはいないよ。」と何気なく答えると、
スィン少年の興味を惹いてしまったのか、「Possible on the road」攻撃が始まった。
牛は? 豚は? 猿は? 象は?
僕は「No」としか答えられない。
辛うじて「繋がれた犬(Banded dog)がいる」と言えただけ。
スィン少年は目を丸くして「ヒュー!」と言った。

日本では猫と、鎖に繋がれた犬は見ることができても、
放されている動物はいない。
時々山から野生の動物が降りてくると、ニュースになったり、
捕獲されたり、撃ち殺されたり…。
それは日常の出来事じゃない。
街には車かバイクか自転車か…。
それは当たり前のこととして考えたこともなかった。
小さなスィン少年にとって「普通」だったのは、
車や自転車の走る同じ路上に動物たちが生きている世界だった。
動物と共存できる世界、共存する社会なんだ。

ヴァラナシのモンキーテンプルにはたくさんの猿がいて、参拝者に悪戯をする。

猿は街中にいても野生なのだ。
誰も観光の目玉にしようなんて考えないし、
猿がいることが観光の目玉になんてなり得ない。
ある人は猿と並んで腰掛け、一緒にチャパティ(ふすま粉の薄焼きパン)を食う。
というか取り合いをしている。
縁台の上で並んで寝ている。

猿は猿神ハヌマーンの象徴なので無下にはできないのだが、
猿に神様も地位を与えちゃうところがエライと思う。
馬はクリシュナ神の化身だし、
虎や牛や白鳥は神様の乗り物として崇められている。
動物愛護(保護)という言葉には人間の驕りが隠れているが、
インド人は端っから神様と人間の間に動物を入れちゃった。

道路(細かろうが太かろうが)の上には「牛様」がいる。

人や車は避けて通る。
細い路地では「牛様」が通過するのをこちらが壁にへばりついて待つのだ。
クラクションを鳴らした車の目の前の牛は、面倒臭そうに立ち上がり、
「けっ!」という視線とウンコを残して移動し、やっぱり路上に座り込む。
渋滞の大元が牛なんだよ。
野菜バザール(市場)では人々が金を払い買っている野菜を、
牛がフラフラと何の気ない素振りでやってきて、サッとくわえて食べちゃう。
せいぜい「ダッ!」と脅して追っ払うくらいだ。

動物は人間に何をしてくれるか?
プラスティック文化が入ってくる前はエコロジー、循環の大役を担っていたのだ。
牛の糞は藁に混ぜ乾燥させれば燃料になる。
また、それ自体が家を磨く磨き粉になる。
山羊や牛の乳は、そのまま、あるいはバター、ヨーグルトになって蛋白源に。
家庭から出るゴミは彼らの食料になる。彼らは街の清掃人。
列車の窓からバナナの皮を捨てると、ホームにいる牛が食べる。
で、駅は清潔。街も清潔だったのだ。

本当にありがたい動物だから、
昔のインド人は動物に人間よりエライ地位を与えていたのかも。
インドにプラスティック文化が入ってきた。
昔は列車などで飲むチャイ(紅茶)は素焼きのカップに入っていて、
窓から投げ捨てると土に還った。
インド人の感覚は今も変わらないから、
プラスチックカップも食べ物を入れるビニル袋も同じように窓から投げ捨てちゃう。
街にも捨てちゃう。
で、自然や動物はそこまで面倒を見てくれないから街はゴミだらけ。

動物と共存していた社会は、化学工業製品と大量消費文化が入ってきて、
相当ひどく壊れかけていた。
日本はその点でも末期的様相を呈している。
誰もが気付いてるはずなのに誰もやめようとしない。
自然は日本に見切りをつけている。

(wrote in 1990)


ここで終わってますねぇ。終わり方も恥ずかしいなぁ。
1990年、16年前。この後きっちりとバブルが崩壊してくれた。
つまりバブル絶頂期の異常な時代だったという理由はあるにせよ、嫌だなぁ。
「ヴァラナシ」や「KAYA」については、
当時の自分は随分真面目だったなぁと読み返しましたね。
この後の文章はないんですよね。下書きみたいな殴り書きはあるんですけどね。
今の感覚じゃ続きを書いたらインチキになっちゃう。
こんな題名で続きを書こうとしてたんですよね。

「マリアホテル、屋上で星を見ながら1泊5Rs」
  
~安宿旅行、どんなところにどんな風に泊まっていきたかの紹介的内容
「自転車を走らせた日、村はずれのクリシュナ寺院」
  
~宿で借りた自転車で村はずれを訪ね、そこでの素朴な生活についてを
   書こうとしてますね
「田舎町でガンジーが生きている、Long Live」
  
~Long Live(長生きしてください!)などの落書き、町のいたるところで
   見られるガンジーの偉大さが内容
「6本指の彼」
  
~ラージギールからのバスの中で出会った青年は指が片手に6本ずつ。
   それは何の意味もなかった。
「地獄へ行くのか天国へ行くのか~夜行列車」
  
~物乞い、宗教的な歌、煙草の煙、夜行列車はくすんだライトの小宇宙。
   チケット購入や座席確保のための闘いを書きかけてます。


今回の旅行記アップに際して、いろいろガサゴソと探していたら、
当時新興宗教に嵌っていた女の子にインドから宛てた手紙の下書きが出てきた。
年中僕を誘うわけね、○○先生の話を聞きに来て、と。
今もそうだけど、異常な時代だったこの頃、怪しげな宗教がたくさんあって、
そこに誘われる危なっかしい子がたくさんいた。まじめな子が多かったね。
余計なお世話なんだけど、どうにかしたくて書いた手紙がこっちです。
Nirgili HOTEL in Patna

まぁ、いずれにしても印度旅行記、ジャマイカ旅行記ともおしまいです。
読んでくれた人がいることを思って。
THE END

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4 コメント

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面白かった (sugaken)
2006-02-20 18:38:39
22歳のmasaさんと、お別れするのが寂しい。

もっと沢山、話をして頂きたかったのですが、続きは自転車海苔のmasaさんから、いずれ。^^



紙でケツを拭く奴を、不潔そうな目で見る。

う~ん、そう言われてみると、急にそんな気がしてきました。

実体験って、素晴らしい。
そっか22歳のmasaさんなのね (masa)
2006-02-20 20:51:22
読んでいただいていたとは、感激です。

旅行中の日記や殴り書き見たいのはたくさんあるんですけどね。

で、意外とそっちの方が面白いッス。

日記には何を幾らで買ったかも書いてあって。



とにかく、もう20年も前の話なんだよなぁ、と。
masaさんの原点? (yuzito70)
2006-07-17 17:31:44
印度旅行記、読了です。



masaさんのエントリーを読みながらいつも、浮遊感のような気持ちの良さを感じていたんですけど、そうした感覚の原点はこれらの印度の旅にあったのかもしれませんね。



ものごとにとらわれず、あるがままを受け入れて楽しげにふわふわと漂うような感覚。たびたび見舞われるトラブルの数々(失礼!)を笑える心持ち。masaさんから伝わるそんな雰囲気がなんだかストンと理解できた気がしました。



しかし印度での体験はほんとに強烈ですね。そしてそれをしっかりと自分の頭と感性と体で受け入れていこうとする若き日のmasaさんに感銘しちゃいました。自転車の場合それ自体が目的になってしまい、少なくとも僕の場合はこんなに精神的な旅にすることができませんでした。



焼かれる死体のこと、麻痺と痙攣のために歩くことすらできない少女の話などなど、数え切れないくらい心に残り、考えさせられた話がたくさんあったんですけど、不思議に印象深かったのが、無口な青年の旅に感化されて印度に心が向かうところ。こういう気持ちってすごくよくわかります。
もう自分にとっても遠い感性なんですけど (masa)
2006-07-18 00:33:10
◇yuzito70さん

おぉ、いまさらながらに読んでくれた、感謝。



あの頃は感性や感覚が鋭かったんだと思います。

強烈過ぎる現実が目の前にあったにせよ

受け入れる準備や柔軟な思考が備わっていた。



もし、インド放浪をしていなくて、

今あの現実が目の前に来たら、…逃げ出していたかも。



>浮遊感

ですか。いまいち自分では良く分からないッス。

勉強してみます。

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