あぁ、湘南の夜は更けて

腱鞘炎やら靭帯断裂やら鎖骨骨折やら…忙しいッス。
自転車通勤往復100kmは、そんなこんなで自粛してました。

Nilgiri Hotel in Patna

2005年01月03日 | 印度旅行記
こんにちは、旅の終盤パトナーという街にいます。
そちらはどんな日々でしょうね。

インドの街っていいよ。
地上10cmから見るインドも。
地上10mから見るインドも。
寝っ転がって斜めに見るインドも。
股の間から逆さまに見るインドも。
いつまで見ていてもいい。
真剣に見るインドも。
ボンヤリ見るインドも。
ナチュラルハイで見るインドも。
ガンジャ吸いながら見るインドも。
いつまでだって見てられる。

見る人の気持ち次第で無限の表情を見せてくれる。
恐いと思えば強烈なパワーで迫ってくる。
貧しいと思えば悲しいくらい貧しい。
のどかだと思えば死ぬほど退屈そう。
幸せだと思えば羨ましいくらい笑っている。
愚かだと思えば見ちゃいられない。
過去を探せばそのものが過去。
未来を探せばそのものが未来。

インドの見方を教えてあげる。
世界の見方を教えてあげる。
一番最初に諦めてしまうこと。
インドを諦める。考えることを諦める。
自分を諦める。日本人であることも諦める。
二番目に認めてしまうこと。
インドを認める。インドの全てを認める。
自分を認める。日本人であることを認める。
怖さも貧しさものどかさも幸せも愚かさも、
過去も未来も、自分も自分の身体も、
全て諦めること。次に全て認めること。

よくなっていくよ。

自分がね、大地の大法輪、宇宙の大法輪の中で
まわっているのが感覚的に分ってくるんだ。

僕ね、Calucattaで赤痢らしいものに罹った。
高熱と下痢と嘔吐で。
一生懸命熱を下げよう、下痢を止めようとしていたときは、
大法輪の回る音が聴こえなかった。
ある日ふと諦めちゃったのね。自分の身体に。
同じ日ふと認めちゃったのね。自分の身体を。
そしたら聴こえたよ。再び良いものが見え始めた。

自分の置かれた状況、状態って
宇宙の大きなBalanceの中では悲しいくらいつまらない。
認めてしまったとき、僕は謙虚になれたよ。
世界が優しく見え始めた。
ふらつく身体に荷物を背負って僕は旅を再開した。
その頃から高熱が下がった。
下痢は相変わらず続いているけどね。
まぁ、死にはしないだろう。
成り行きまかせ。
僕のカルマ(業)、捨の精神で行こう。

でもね、諦めるっていいよ。精神の休養。
アイスキャンディも食える。生水も飲める。
沐浴場の水だって飲めるんだよ。
それで余計に身体が悪くなったら?
その悪くなった自分をそれなりに楽しむさ。
実験みたいでいいじゃん。人生なんてそんなもんかな。
警戒している間は駄目。
何も理解できないし、何も聴こえない。
素敵なことをたくさん見落としているだろうね。
ただ疲れるだけさ。

今はいいよ。とにかくいい。
インドの流れに乗っているから。
時間に乗っているから。大地のリズム。
鼓動にあっているんだろうかね。

僕らは型圧しで作られたスクエアなケーキみたいなもん。
良かれとされ作られた。
何が良かれなんだろうね。
比較するってなんだろうね。
みんな同じ顔してるじゃん。
日本って貧しい国だと思うな。悲しい国だとも思うな。
もっと風に吹かれなくちゃね。
僕も22年間スクエアに生きてきた。
今、頭の中で思い出す日本って人形劇場みたい。
誰もがゼンマイ仕掛けでコトコト動いている。

社会復帰できるかなぁ。

君が通っていいる「****」は君に目隠しをしてないか?
 ****は彼女の通っていた新興宗教
君の耳を閉ざしていないか?
そして盲導犬よろしく
 良いところへ行く道はただ一つ、
 それは私が知っている。
 私のあとに疑うことなくついてきなさい。
という。
目隠しを外せば、君には盲導犬が要らないって分るはず。
耳の覆いを取り除こうよ。
もっと感覚を大切にした方がいい。
良いところなんてどこにもないし、
探す気になればどこにだって見つけられる。
何がよいか悪いかは君が判断すること。
執着を捨てて、諦め、認め、赦すこと。
地獄の中に天国が見えるかもしれない。

ガンガーの流れは悠大で時間を超えることができたよ。
Nilgiri Hotel in Patna

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