あぁ、湘南の夜は更けて

腱鞘炎やら靭帯断裂やら鎖骨骨折やら…忙しいッス。
自転車通勤往復100kmは、そんなこんなで自粛してました。

『聖なる地・ヴァラナシ 火葬(3)』 印度旅行記-その15

2005年01月03日 | 印度旅行記
ヴァラナシ滞在中の僕の日課は、マニカルニカで人が焼かれるのをひたすら見ること。

煩悩を断つ音が聞こえる @ NEPAL

死ぬということを心の奥で理解するために、
運び込まれる死体が焼かれ、灰とガスと水蒸気になり、やがてガンジスに流される、
その様子を毎日見続けた。
執着が消えていく様子を飽きもせずに見続けた。
去っていく者、そして残された者から1つの煩悩が消えていく。

跡には何もない。

焼かれた人の灰と炭になった薪が
ほうきで河に流されるときに立てる「ジュッ」という音は、鎖を絶つ音。
解放されている。遺族に涙は既にない。

2度目のインドの旅。
僕は妻とカトマンドゥ(ネパール)のはずれの小さな村で火葬を見た。
ヒンドゥ寺院の前を南北に流れる小さな川。
両側は石段の沐浴場。西岸の中ほどにその火葬場はあった。
この川もやがてガンジスに流れ込む。聖なる河の小さな支流。
そこで見たものは良かった。


僕らがここにやってきたとき、1人の男の火葬が始まっていた。
そして、その対岸、ほんの10mほどの向こう側では
村の女たちがサリーを洗濯し、髪を洗っていた。

「生活」と「死」は隔てられていなかった。

男の体から水蒸気が昇り始めると、
村の女たちの姿が蒸気の向こうでゆらゆらと揺れだす。

約1時間、男が灰になっていく。
石段に広げたサリーが強い陽射しで乾くと、女たちは村へ帰っていく。
そして、別の女たちがやってくる。
子供の身体を石けんで洗う女たち。洗濯をする女たち。沐浴する女たち。

ヴァラナシで見たのと同じように、
焼き場の男が焼き方を均すために長い棒でかたまりを叩き割り、火を動かす。

原型のあった男の体は、今ではほとんど炭と灰になってしまった。

約2時間…。
炎が消え、白い煙が燻りはじめると、長い棒で火葬台の上の炭と灰を川に流す。
水煙とジュッという一瞬の音。

火葬が終わった。

焼き場の男たちが立ち去る。
そこには何もなかった。
そして、その向こうでは相も変わらず女たちの生活。談笑の声。

「死ぬってこんなものなのかなあ。」

彼女はこれが死を見る3度目だった。
1度目はアーグラという街での葬列。
布にくるまれた遺体を高々と担ぎ上げ、
おもちゃのような飾りをつけた30人ほどの少年たちが歌い踊る。
ガンジス河の支流、ヤムナー川の火葬場までのパレード。
そのメロディと陽射しの強烈さに悲しみは感じられなかった。
死者がガンジスに帰るのを祝うようだった。
2度目はヴァラナシ、マニカルニカガート。
僕が1度目の旅でそうしたように、彼女もいつまでも人の焼ける様を見ていた。
そして、このカトマンドゥの小さな村で3度目。
僕が死ぬことに対して感じたように彼女も感じていた。
「残された者は死者を解放してあげているんだ」

墓にも縛りつけず、この世界だけの記号である「漢字」で書かれた戒名もつけない。
お盆とかいって死者をこの世に引き戻す、そんなこともしない。
死はネガティブじゃないんだ。
生に対立することもないんだ。
生は死と共にあってトータルなんだ。
生きている者が死んだ者を思い煩う。何て不遜な考えだろう。
死んだ者の「死」は残された者の所有者じゃないんだ。
遺灰は所有物じゃない。

ガンジス河のこの聖なる地で死ぬために、インド各地から人々が集まる。
至福の土地での至福の死。
自分の心を解放するためにこのヴァラナシへやってくる。
死ぬための土地…、何となく羨ましく感じた。

3度目、妻とヴァラナシに来たときは、ちょうど祭り(プージャ)の時期だった。
ガートは真っ黒になるほどの人で埋め尽くされ、
笛とラッパとマントラ(真言)がヴァラナシの街に響き渡っていた。
笛とラッパとマントラは夜を通して街を包み、
僕らが目覚めたとき、祭りは歓喜の絶頂を迎えていた。


窓を開けるとガンジスの対岸に朝日が昇り始めていた。
(wrote in 1990)

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