あぁ、湘南の夜は更けて

腱鞘炎やら靭帯断裂やら鎖骨骨折やら…忙しいッス。
自転車通勤往復100kmは、そんなこんなで自粛してました。

『ビーチゾーリ』 印度旅行記-その9

2005年01月03日 | 印度旅行記
旅行中はビーチゾーリを履いていた。

ビーチゾーリ@ブータン王国寺の宿坊

日本を発つときはスニーカーを履いていたのだけれど、
インドに着いてからはもっぱらビーチゾーリを履いていた。
スニーカーは荷物になるので宿のボーイにあげてしまった。
日本製のビーチゾーリは優秀で、
あまり磨耗もせずに2ヵ月半、旅の終盤ブッダガヤーまで辿りついた。
所どころネズミが喰い千切ったように欠けてしまったけれど…。

何度もまだ暖かい牛のウンコを踏んでしまった。

陸路バスで入ったネパール、
朝夕吐く息も真っ白で寒かったけれど他に履くものもなかった僕は
ポカラで買ったウールセーターにビーチゾーリという妙な姿で旅を続けた。

靴下を履いてビーチゾーリは、なかなか難しい@NEPAL

僕と一緒に旅を続けたこのビーチゾーリには愛着があった。

そのビーチゾーリ、ブッダガヤーに着いた途端、かかとの部分が裂けてしまった。
妻は「新しいサンダルを買いなさい」と言うが、
僕は日本までこのゾーリを履いて帰りたかった。
いずれにしても履くものがない。

翌日、僕はブッダガヤーのマーケットに行った。
そこには4~5人の靴の修理屋が路傍に座り仕事をしていた。
いくつかの道具と板ゴムがあるだけだった。
人々は壊れた靴やサンダルを持ってきて修理してもらっていた。
破れた革靴、切れたチャパル(皮サンダル)…。
僕らの国ではそれ以前に「ゴミ箱直行!」というようなものばかり。

僕は1人のオヤジに裂けたビーチゾーリを見せて、修理できるかという仕草。
さすがにビーチゾーリは初めてのようで、手に取り少し考えたが、
「4Rs(当時40円)でやるよ」と言う。
インドでは4Rsは400円くらいの価値がある。
オヤジはまず裂けた部分をタコ糸で縫い合わせた。
2本の針を巧みに使い、上糸に下糸を絡ませながら…。
次に靴を直すのと同じ要領で底に板ゴムを縫い付けた。
底には切れ込みを入れ、裏から糸が見えないようにした。

最後に真ん中に釘を打ちつけて、オシマイ。
細かい作業の一つ一つが職人だった。僕はちょっと感激してしまった。

オヤジは「新しいものを買ったほうがいいよ」なんて言わず(商売だから当たり前か)、
これほどまでに汚れたビーチゾーリを見事に直してしまった。
物が溢れる国、使えるものまで捨ててしまう国ニッポンから来た僕に、
何か忘れていたことを思い出させてくれたようだった。

インドでは、ほとんどどんなものでも直して使う。

車もラジオも机もベッドも…。
町のオヤジたちがトンカントンカンやっている。
物質的には相当貧しい。けれど今の日本よりはるかに救われている。
裂けて修理したビーチゾーリは僕の宝物だ。
別の部分が裂けたとき、僕は布団屋から太い針と糸を買ってきて、
オヤジのやり方を思い出しながら修理した。
Tシャツも下着も端布を買って継ぎをあてた。

伸びきったセミビキニ

インドにいたら物を捨てるなんてできなくなる。

12月も終わりに近づいた厳寒の日本、
僕は素足に世界でたった1つの「修理したビーチゾーリ」を履いて帰ってきた。
縫いあてだらけのビーチゾーリだったけれど、僕の誇りだった。
綺麗なスニーカーや真新しい革靴の行き交う成田のロビーで、
きっと僕はみすぼらしかっただろう…。
ネパールのセーターにジーンズ、素足にビーチゾーリ、寝袋を括りつけたアタックザック。
だけど、僕は大声で笑いたいくらいだった。
このゾーリを自慢したいくらいだった。
修理したビーチゾーリ、今は大切に下駄箱の中。
3ヶ月、インド・ネパールの大地を踏んで、
インドの歴史と牛のウンコの温かさを感じてきたのだ。

(引越しを重ねていくうちにいつの間にかなくなってしまった)

(wrote in 1990)

TO INDEX


Blogランキングに参加してます~お嫌でなければお一つ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿