この穏やかな海がつながっているとは…

あらためて、東北地方太平洋沖地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
また、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
「海を見に行こうよ」とママチャリで茅ヶ崎漁港まで

書かなくちゃ、と思いながら最初の2日くらいはブログに向き合う気持ちになれなかった。
14日に通勤路線の相模線が動かなくなってからは自宅PCに向かう時間がなくなってしまった。
14日はとりあえずママチャリで片道47kmを自転車通勤した。
被災地を思えば仕方ないよな、このために自転車を漕いできたんだ、なんて思いながらね。
15日から小田急線が動いたので厚木駅までの9.5kmをママチャリ。雨や雪もね、感受しましょう。
仕事が忙しくて、家には寝に帰るという日々。まったくPCの電源も入れてない。
とりあえず生きています。
13日に携帯で打ち込んでPCに送ったブログの下書き、そのメールを今確認した。
「あぁ、これ僕が書いたんだっけ」
ということで2週前のエントリーです。
ブログに向き合う気持ちになれなかったのですがとりあえずの報告を…
金曜日、千葉県の産地の総会に出席していて地震に遭い、そのまま足止めとなった。
成田の生産者宅に泊めてもらい夜をしのぎ、電車が動きはじめた千葉まで送ってもらった。
千葉駅は帰宅できない人であふれていた。
土曜日はそのまま職場に出勤し、取引先の情報収集。
いくつかの産地とは事務所、携帯とも連絡不能。
ここからはブルーな話になりますが…
気仙沼の高台に住む義父と義母の安全は確認できたが、魚町の義妹には連絡がつかない。
女房の妹は家族3人で気仙沼港の魚町に住み、美容院を開業している。
前夜に総会会場のロビーでテレビに映った三陸の様子。津波に飲まれている映像。
明け方に生産者のお宅のテレビで、日本という国がどうなってしまったのかを知った。
そこで気仙沼の大火災も知った。
美容院は1Fが店舗兼の3F住宅。まさか3Fに逃げてないよな…、と信じたいです。
未だに連絡は取れていない。(その後、家族3名の消息が確認された)
たまたま先月工場点検に訪れた土地が石巻と陸前高田だった。
その津波の惨状を伝える映像。
金曜日の午前中に「改善計画報告書」がメールで届いたばかりなのに…
報告書に添えられた前向きなメール文章。
「資材庫は悩みの種です。来年度、手始めに整理を付けたいと計画しております。」
街が壊滅するってどういうことと思いました。
僕がお話をしてきた人たちや働く手を休めずに会釈を返してきてくれた従業員たち。
というか…街そのものがなくなってしまうなんて。
僕が気持ちよくランニングしてきた2月16日と17日のブログエントリーです。
陸前高田という、ゆっくりとした時間が流れている過疎の街はどこにあるのだろう。
僕の記憶の中にだけ? そんな喪失感につつまれています。
平安や平凡、日常、普通の生活…そんな言葉がどれだけ大切で、どれだけ脆いか…
退屈って言葉だって貴重ですよ。
「その人を知っている」ということは人の想像力を強くしますね。
どんな小さなことでも「その人を知っている」って。
無事でいてくれたらいい、そう思う。
そう思うと同時に
「無事に生きていたらそれだけでいい」と僕らが言うのはあまりに簡単な話だな、
とも思った。
見慣れた街を、生きてきた風景をすべて失うことへの想像力を僕は持っていないや…、と。
日曜日の今日も出勤してきました。
食品部による加工食品の取引先集約報告。三陸のメーカーが並ぶ。
株式会社●● :事務所への連絡取れず。被害に遭った可能性が高い。
株式会社●● :出荷済みの商品が行方不明。
●●株式会社 :製造工場との連絡が取れていないとのこと。状況不明。
そして、僕が訪ねた工場…
株式会社●● :事務所への連絡取れず。被害にあった可能性が高い。
株式会社●● :連絡が取れない状況、陸前高田市のため被害の可能性あり。
やっぱ無事で生きてくれていたらいい。 (3.13 小田急線車中にて)

物流の寸断で行き場を失った産直産地の農産物の応援を求められた。
先週は北海道に行く予定だったトマトを5トン、
そして今週は関東の受け入れ先施設の倒壊で行き場を失ったリンゴ15トン。
これを通常の仕入価格で産地から仕入れ、多少特価で消費者に引き売りをする計画を立てた。
販売額の中から産地とうちがそれぞれ被災地支援金を出すという企画。
計画では支援金は200万円になる。
行き場を失った農産物を買い叩くことはせずに、適切な仕入価格で購入し産地を支援。
産地とうちと消費者がそれぞれ負担して被災地支援をすることになるのかな。
今週のリンゴの15トンは厳しいけど、みんな頑張ってくれるでしょう!
さて明日はまたママチャリを漕ぐのだ。
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[20日ぶりの休暇、茅ヶ崎の海に]
あらためて、東北地方太平洋沖地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
また、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
「海を見に行こうよ」とママチャリで茅ヶ崎漁港まで

[大震災の前日に大学に合格した息子、複雑な気持ちだろうな]
書かなくちゃ、と思いながら最初の2日くらいはブログに向き合う気持ちになれなかった。
14日に通勤路線の相模線が動かなくなってからは自宅PCに向かう時間がなくなってしまった。
14日はとりあえずママチャリで片道47kmを自転車通勤した。
被災地を思えば仕方ないよな、このために自転車を漕いできたんだ、なんて思いながらね。
15日から小田急線が動いたので厚木駅までの9.5kmをママチャリ。雨や雪もね、感受しましょう。
仕事が忙しくて、家には寝に帰るという日々。まったくPCの電源も入れてない。
とりあえず生きています。
13日に携帯で打ち込んでPCに送ったブログの下書き、そのメールを今確認した。
「あぁ、これ僕が書いたんだっけ」
ということで2週前のエントリーです。
ブログに向き合う気持ちになれなかったのですがとりあえずの報告を…
金曜日、千葉県の産地の総会に出席していて地震に遭い、そのまま足止めとなった。
成田の生産者宅に泊めてもらい夜をしのぎ、電車が動きはじめた千葉まで送ってもらった。
千葉駅は帰宅できない人であふれていた。
土曜日はそのまま職場に出勤し、取引先の情報収集。
いくつかの産地とは事務所、携帯とも連絡不能。
ここからはブルーな話になりますが…
気仙沼の高台に住む義父と義母の安全は確認できたが、魚町の義妹には連絡がつかない。
女房の妹は家族3人で気仙沼港の魚町に住み、美容院を開業している。
前夜に総会会場のロビーでテレビに映った三陸の様子。津波に飲まれている映像。
明け方に生産者のお宅のテレビで、日本という国がどうなってしまったのかを知った。
そこで気仙沼の大火災も知った。
美容院は1Fが店舗兼の3F住宅。まさか3Fに逃げてないよな…、と信じたいです。
未だに連絡は取れていない。(その後、家族3名の消息が確認された)
たまたま先月工場点検に訪れた土地が石巻と陸前高田だった。
その津波の惨状を伝える映像。
金曜日の午前中に「改善計画報告書」がメールで届いたばかりなのに…
報告書に添えられた前向きなメール文章。
「資材庫は悩みの種です。来年度、手始めに整理を付けたいと計画しております。」
街が壊滅するってどういうことと思いました。
僕がお話をしてきた人たちや働く手を休めずに会釈を返してきてくれた従業員たち。
というか…街そのものがなくなってしまうなんて。
僕が気持ちよくランニングしてきた2月16日と17日のブログエントリーです。
陸前高田という、ゆっくりとした時間が流れている過疎の街はどこにあるのだろう。
僕の記憶の中にだけ? そんな喪失感につつまれています。
平安や平凡、日常、普通の生活…そんな言葉がどれだけ大切で、どれだけ脆いか…
退屈って言葉だって貴重ですよ。
「その人を知っている」ということは人の想像力を強くしますね。
どんな小さなことでも「その人を知っている」って。
無事でいてくれたらいい、そう思う。
そう思うと同時に
「無事に生きていたらそれだけでいい」と僕らが言うのはあまりに簡単な話だな、
とも思った。
見慣れた街を、生きてきた風景をすべて失うことへの想像力を僕は持っていないや…、と。
日曜日の今日も出勤してきました。
食品部による加工食品の取引先集約報告。三陸のメーカーが並ぶ。
株式会社●● :事務所への連絡取れず。被害に遭った可能性が高い。
株式会社●● :出荷済みの商品が行方不明。
●●株式会社 :製造工場との連絡が取れていないとのこと。状況不明。
そして、僕が訪ねた工場…
株式会社●● :事務所への連絡取れず。被害にあった可能性が高い。
株式会社●● :連絡が取れない状況、陸前高田市のため被害の可能性あり。
やっぱ無事で生きてくれていたらいい。 (3.13 小田急線車中にて)

[久しぶりにゆっくりできた、久しぶりに息子とギターを弾いた]
物流の寸断で行き場を失った産直産地の農産物の応援を求められた。
先週は北海道に行く予定だったトマトを5トン、
そして今週は関東の受け入れ先施設の倒壊で行き場を失ったリンゴ15トン。
これを通常の仕入価格で産地から仕入れ、多少特価で消費者に引き売りをする計画を立てた。
販売額の中から産地とうちがそれぞれ被災地支援金を出すという企画。
計画では支援金は200万円になる。
行き場を失った農産物を買い叩くことはせずに、適切な仕入価格で購入し産地を支援。
産地とうちと消費者がそれぞれ負担して被災地支援をすることになるのかな。
今週のリンゴの15トンは厳しいけど、みんな頑張ってくれるでしょう!
さて明日はまたママチャリを漕ぐのだ。
