とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

Windows10の「気に入りましたか?」

2016-07-26 10:45:52 | 社会
 windows10を起動すると風景の絵が出てきて「気に入りましたか?」と問われるのです。これが気になってしょうがない。かつて出てきて「気に入らない」とした画面がまた出てきたり、「気に入った」と回答した画面が2度と出てこなかったり。「気に入らない」画像が2度と出てこないならわかるし、「気に入った」画像が何度も出てくるのなら変に思わないのですが、その逆なのでこれは何でなのだろうと不思議に感じます。

 こうなるといつもの悪い癖が出てきます。これは何か裏があるのではないか。画像による心理テストが行われているのではないか。それとも何か画像に仕掛けがしれあり、その画像を見せることによって行動をコントロールしているのではないか。

 windows10のその画像はどれも不自然な感じがします。どれもどことなくきつい感じがして、もっと単純な自然の感覚に近い風景であればなあといつも思っています。ちょうど日本のアニメが好きなのに、アメリカのアニメを見せられているような感覚です。ここでもアメリカ化が潜在的に進行させているのではないかという気もするのです。

 まあ、考えすぎなのはわかっていますが、最近いろんなものが信じられなくなっているので困っています。

 それにしても不思議であることは事実です。その意味を誰か教えてくれないかと思います。
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Jリーグの秋冬制について

2016-07-25 11:25:16 | スポーツ
 Jリーグの秋冬制が議論されている。秋冬制はヨーロッパリーグと同じになり、選手の移籍等がスムーズに行われる。また、ACLなどでもチームが出来ている状態での参加になるので今以上の活躍が期待される。一方では雪国のチームがホームゲームができないという大きな欠点がある。私は雪国のモンテディオ山形のファンであるが、秋冬制に賛成したい。

 一番の理由は一番期待の高まる開幕前が、現状では選手が地元にいないということである。開幕前はみんなが期待し、新戦力の選手はどういう人なのか、今年はどういう試合をしてくれるのかという話題で盛り上がる時期である。しかし現状はその時期は雪のない場所でのキャンプになってしまい、盛り上がりに欠いてしまう。しかも開幕戦と最終戦がいつも寒い中での試合になってしまう。なんとなく始まってなんとなく終わっていく、毎年、そんな感じになってしまっているのだ。

 ロシアプレミアリーグは7月末に始まり、12月~2月の間、約3か月のウィンターブレイクがあり、5月末に終わるという日程のようである。日本もそれに倣えばなんとか可能なのではないだろうか。もちろんチーム数も日本の場合多く、ロシアリーグのやり方をそのままするのは無理だという記事も読んだ。しかし、ここから先は工夫次第である。太平洋側のチームは12月や2月も十分試合が可能なのだから、試合日程の組み方で解消できる問題なのではないかと思うのだ。

 秋冬制に関して、もっと目に見える形での議論をしていただければと思う。
 
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自己責任

2016-07-24 08:13:38 | 社会
 「ポケモンGO」が配信された。さまざまな危険性が話題になりながらみんなが大騒ぎしている。かつての日本ならばもっと反対意見が大きく出て規制すべきだという声があがっていたと思う。しかし、ほとんどそんな声は上がらない。昔と何が変わったのか。「自己責任」という言葉がうごめき始めたのである。

 自己責任。これは「『ポケモンGO』で何か事故、事件があった場合でもそれで遊んでいた人が悪いのである。その人が損害賠償をする。それでいいじゃないか。企業も、政府や自治体も責任はとりません。取り扱い説明書にすべて書いているから私たちは悪くありません。」という発想である。こういう自己責任の発想はとてもアメリカ的なものと考える。何か問題が生じたときは裁判をすればいい。とても合理的な考え方ではある。

 しかしアメリカと違い日本は地域とのつながりによって成立する社会である。だから裁判になるだけでも白い目で見られ地域社会の中からは排除される危険性が高い。「ポケモンGO」で事件事故が起きてしまえば、当然任天堂に対するものすごいバッシングが生じるだろう。都知事選における鳥越候補に対する週刊文春の報道も疑惑であるだけでも大きなダメージを与えることになる。

 言葉は社会の中でほとんどの人がほとんど同じ意味で使うということはない。しかし、ある程度の定位置にいなければコミュニケーションは成立しない。まあここまで定着すればいいかなという程度で辞書にのることになる。「自己責任」という言葉はいまのところみんなが同じような意味合いで同じような感覚で使われてはいない。まだ揺れている段階である。定位置を占めていなかった言葉が、まだ落としどころがないまま居場所を求めているところである。

 言葉は一部の権力者の思惑の通りにしてはいけないし、そうはならないはずである。アメリカ的な「自己責任」が日本では成立しないだろうし、成立させてはならない。
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現代文の参考書シリーズ こども論6

2016-07-23 15:21:30 | 現代文の参考書
4.経済的に豊かであるからこそのこころの豊かさなのではないか。
 近代合理主義が、経済優先主義を生み、競争社会が生まれ、が人間の心を貧しくしているというポストモダン主義の考え方はおそらく誰もが否定はしないでしょう。しかし、だからと言って、経済を切り捨てていいのかというと、だれもが賛成するとは思えません。

 確かに、競争社会によって生じてきた学歴社会、詰め込み教育などのような近代的な教育を簡単に肯定するわけにはいきません。もっと子どもがのびのびと成長できるような社会に変革しなければならないはずです。

 しかし、そのようなことを言っていられるのは、日本が比較的裕福な国だからではないでしょうか。余裕があるときは、だれでも優しい気持ちになることができます。しかし、余裕を失った瞬間、その偽善者の顔の下から本性が現れる。バブル経済の時はみんな平和で優しい気持ちになり、(多少の反対もありましたが)「ゆとり教育」が受け入れられました。しかし、バブルが崩壊し、韓国や中国の経済的な躍進が顕著になるやいなや、だれもがこころの豊かさを失ってしまいました。日本の経済的な優位性が揺らいできた瞬間に、「ゆとり教育」は戦犯となり、「ゆとり教育」を推進した人は、日本社会特有の集団いじめのターゲットとなってしまったのです。

 経済的に豊かであり、なおかつ競争社会でない、助け合う社会でありつづけることは可能なのかどうか。そこが今我々に問われているのではないかと感じるのです。
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ポケモンgo

2016-07-22 14:44:13 | ニュース
誰もが危険性を危惧するのに、規制せよという言葉が聞こえて来ない。時代の変化とは恐ろしいことだ。

ダメなものをダメと言えない雰囲気を作り出し、空気の支配が始まる。かつてこうして戦争が始まったのだ。

だったら私1人でも嫌われものでいい。

ワイドショーよ、ゲームごときで大騒ぎするな。ゲームごときで死亡事故が起きたら任天堂は責任をとって倒産しなさい。
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