まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

桑田真澄氏の体罰反対論

2013-01-12 07:49:50 | 教育のエチカ
元ジャイアンツの桑田真澄氏が、大阪のバスケ部キャプテンが体罰により自殺した問題を受け、
取材に対し、自らの体罰反対論を展開していました。
NHKと朝日新聞のものを見つけましたが、重なる部分もありつつ、
別の論点にも触れているので、それぞれ引用しておきます。
まずはNHKから。


桑田真澄さん 体罰は安易な指導 (NHK NEWS WEB 1月11日 20時15分)

大阪の市立高校でバスケットボール部の顧問の教師から体罰を受けていた男子生徒が自殺した問題について、元プロ野球選手の桑田真澄さんがインタビューに応じました。
桑田さんは、高校野球で2度の全国優勝を果たし、プロ野球の巨人などで活躍したあと、大学院でスポーツの精神主義の問題点などについて学びました。現在は、かつて自分も体罰を受けた経験を踏まえて、体罰による指導への反対を訴えながら全国で講演活動や子どもたちの指導に当たっています。
インタビューの中で、桑田さんは「体罰は安易な指導方法で決して強くならない」としたうえで、「今の時代にあった指導方法に変えていくべきだ」と訴えました。

“体罰には猛反対”
Q:大阪の市立高校で起きた体罰についてどう思いますか?

桑田:まず心が痛いです。ご両親や身内の方のことを思うと、本当に心が痛いとしか言いようがないです。残念な出来事です。

Q:体罰によって命が奪われる事態はあってはならない?

桑田:僕も当然(小中学生時代は)体罰を受けてきましたし、グラウンドに行って殴られない日がない、そういう時代でした。毎日、何発か殴られて、ほっぺたに手の跡をつけて帰ったり。ケツバットされてお尻にバットの跡が3本も5本もついて、自転車に乗って帰るんですけど、サドルに座れないぐらい腫れ上がったこともありました。
よく体罰は愛情だと言いますが、僕は殴られて愛情だと感じることはなかったですね。
僕は体罰には猛反対なんです。あるべきではないと思っています。体罰をすることで指導する方法って、僕はいちばん簡単だと思うんです。「なぜ、できないんだ」「気合を入れろよ」と体罰をするのではなくて、もう少し話をして、できなければできるように、いろんな角度から説明をする指導方法のほうがもっと難しいんですね。
手っ取り早い指導方法が体罰だと僕は思っています。いろんな考えがあるとは思いますけど、僕は体罰には反対ですね。

体罰を生む背景は
Q:桑田さん自身、厳しい指導があったから一流になれたという見方もありますが?

桑田:当時、体罰を受けていた選手が、全員、プロ野球選手になったかと言ったら、ならなかったわけじゃないですか。今は体罰は少なくなっているけど、プロ野球選手が出ていないかというと、出ているわけじゃないですか。
僕は高校1年生のときに3年生の試合とかに出ていましたので、上級生からプレーできないような体罰を受けたりとかしましたけど、どうしてそんな卑怯なことをするんだろう、スポーツマンがそんな卑怯なことをしたらだめじゃないかとずっと思っていました。
何だ偉そうに言っているなと思う人もいるかも知れないですけれど、僕は体罰をやられて嫌だったので、体罰はしなかったです。人がやっているのを見るのも嫌ですし、当然、自分はしたくないと思っています。

Q:体罰を生む背景は?

桑田:勝利ですね。「チームが勝ちたい」「自分が勝ちたい」ということですね。例えばチーム内であれば、自分がレギュラーになるために後輩をつぶしていかないと自分がレギュラーになれないとか、指導者は優勝しないと周りに対しての示しがつかないとか、首になるとかですね、勝利至上主義になってしまっているということですね。
本来、誰もが、子どもを育てる、選手を育てるという育成を目的にしているのにもかかわらず、実際にスポーツの現場で行われているのは勝利至上主義ですよね。僕はプロ野球は勝利至上主義でいいと思っているんです。でも、アマチュアは勝利至上主義よりも人材育成主義、育成主義ではないとダメだと思っています。

体罰をなくすためには
桑田:僕は体罰を受けたからといって、その人を恨んでいるかと言ったら、全く恨んでいないです。なぜかというと、その時代はそれが当たり前だったんですね。みんなが、それが正解だと思っていた時代なんですよ。当然、運動中には水を飲んではいけない時代でしたけど、今は水を飲みなさいという時代です。まったく反対ですよね。僕の時代、水を飲んだらばてるし、上手くならないと言われていたんですよね。ところが、今は15分か20分おきに水分を補給しなさいと言われる時代です。じゃあ、僕たちのあの時代は何だったのかと。それはスポーツ医科学がまだまだ解明されていなくて、その時代はそれが正解だったんですね。
指導方法も体罰は当たり前の時代だったんです。でも今は時代が違うということです。いろんなことが解明されてきて、指導するに当たってもビデオを使ったり、いろんな角度から指導できるわけじゃないですか。ですから指導方法も変わっていかないといけない。時代にあわせて指導方法も変えていかないといけないということを、みんなで共有して取り組んでいかないといけない時期に来ていると僕は思います。

Q:体罰をなくすために指導者には何が必要ですか?

桑田:われわれ指導者の勉強ですね。やっぱり、勉強が足りないと思います。
ちょっと指導者講習会に行ってライセンスを取ったのだけれど、俺は俺のやり方でという人が結構多いと思うんです。また、これは統計をとったわけではないですけれど、往々にして昔ながらの指導をしている人が結果を出しやすいのがスポーツ界なんです。
でも、勇気を持って今の時代にあった新しい指導方法を現場で実践する指導者が1人でも多く出てきてもらいたいです。そのために、僕も全国で指導者講習会を一回でも多く開いて、みんなに伝えていきたいと思います。
(引用終わり)


NHKのインタビューでは体罰を生む背景としての勝利至上主義について触れられていました。
そのなかで現状、体罰をする指導者のほうが手っ取り早く結果を出せているかもしれないが、
体罰というのは安易な指導法であり、今はもっと合理的な指導法がすでに開発されており、
時代に合わせて指導法も変えていく必要があることを論じています。
続いて朝日新聞です。


「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」 桑田真澄さん経験踏まえ (朝日新聞デジタル 1月11日(金)20時51分配信)

【岡雄一郎】 体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。

 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。

 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。

 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。

 ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。

 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。

 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。

 今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。

 「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。

 体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
(引用終わり)


朝日新聞のほうではもう少し原理的に、なぜ体罰がいけないのか、
その根拠がいくつか指摘されていました。
第1に、体罰によって選手生命を失う人が出る可能性。
勝利の陰で多くの人がそのスポーツから離れていってしまったとしたらそれは大きな損失です。
ましてや今回のように生命そのものが失われてしまうなんてけっしてあってはならないことです。
第2に、絶対に仕返しされないという上下関係のなかで起きる卑怯な行為であるということ。
采配ミスをした監督が殴られることはないじゃないか、という喩えは絶妙でした。
体罰肯定論者は自分の主張が普遍化できるかどうかを考えてみる必要があるでしょう。
最後に最も重要なのは、体罰では自分で判断してプレーできるよい選手を育てられない、ということ。
何をしたら殴られないですむかという後ろ向きな思考ではいいプレーをできるようにはなりません。
今ではコミュニケーションを大事にした新たな指導法が開発され、
それはもうあらゆる分野で大きな成果を収めています。
先日紹介した伝説の名コーチ高畠導宏氏などはすでに30年以上前から、
その新しい指導方法を用いてプロの世界で多くの一流選手を育ててきました。
そうした別の選択肢があることをわかった上で、
第1や第2の問題を抱えている旧態依然とした指導法に頼るのは、
指導者の怠慢以外のなにものでもありません。
今日、今この瞬間から、すべての体罰は悪である、と教育者は胸に刻みつけましょう。
桑田真澄氏の体罰反対論、ひじょうに整理されていてとても感銘を受けました。

私の涙

2013-01-11 22:14:31 | 生老病死の倫理学
私の涙はどうなっているんだろう?

「劇的ビフォーアフター」 を見たり、「SLAM DUNK」 を何度読み返しても、

そのたびに泣いちゃえるくらい、むちゃくちゃ涙もろい私。

なのに、リアルの世界で、大学時代の後輩の訃報に触れたり、

ものすごくお世話になった伯母が急に亡くなったりしても、

まったく一滴の涙も流れてこない。

目が涙で潤むことすらない。

父が亡くなったときもそうだった。

第一報から、葬儀を経て九州に納骨に行くまでまったく泣くことはなかった。

なぜなんだろう?

私は冷たい人間なのだろうか?

たぶんそうだと思う。

でもだったらなぜマンガやドラマや映画では泣けるのだろう?

基本的に二次元の人間なのか?

うーん、なんかそういうようなことではない気がする。

なんだかよくわからない…。

福大生ホールボディカウンター検査!

2013-01-10 20:31:12 | 教育のエチカ
福大生はホールボディカウンター (WBC) 検査を受けられることになりましたっ!

素晴らしいっ。

行政政策学類の塩谷先生と大黒先生が 「CMRS市民放射能測定所 福島」 と連携して、

この話を取りまとめてくださいました ()。

大学全体としての取り組みではないので、大学からの公式なお知らせとかは出ません。

ですが、福大生なら誰でもOKですから、この機会にぜひ受けてみるとともに、

友だちにもどんどんこの情報をシェアしてあげてください。

WBC検査を希望する方、興味がある方は、事前研修会に参加してください。



○ 事前研修会

 放射線被ばくの現状、WBC検査の仕組み、方法などを説明し、検査の受付も行います。

  第1回研修会   (終了)

  第2回研修会   1月12日(土)  13時~14時30分   M-24教室

  第3回研修会   1月16日(水)  13時~14時30分   M-21教室

   ※ 内容はいずれも同じです。都合の良い日に参加してくだい。事前申し込みは不要です。


○ WBC検査の実施

 集中検査期間は、2月12日 (火)~ 28日 (木) を予定しています。

   ※上記期間に検査を受けることができない場合は、ご相談に応じます。



事前研修会にどうしても参加できない場合は、

「CMRS市民放射能測定所福島」 に直接連絡して、「福大生です」 と言えば対応してもらえますが、

特に教員志望の人であれば、放射線防護教育というのはこれからの福島にとって必須ですから、

できるかぎりこの事前研修会にも出ておいたほうがいいと思います。

国も東電も私たちを守ってくれません。

自分で自分の現状を把握し、自分で自分を守るようにしてください。

私だけのための広告?

2013-01-09 04:43:05 | お仕事のオキテ
最近、facebook の広告欄にこんな宣伝が出るんですよ。

「51歳の今だから90日間でムダな脂肪をすべて燃焼!」

で、思わずクリックしちゃうとこういうページに連れて行かれるんです。

「中性脂肪が気になる男性に朗報です」

この 「男性」 のところに吹き出しが付いてて 「51歳」 と特定されています。

これって何?

私だけのために作られた広告なんですか?

いやいや私だけってことはないですよね。

それにしても、51歳の男性だけのために作られた広告なんですか?

それとも facebook 経由で個人情報を得ていて、

50歳の人には50歳向け、52歳の人には52歳向けの広告を見せるようになってるんでしょうか?

でもぼくは51歳になったばっかりだけど、50歳のときにこの手の広告を見た覚えはないなあ。

まあぼくの場合は、たまたま51歳になる直前の健康診断で、

中性脂肪の値が大幅に改善されていたので (特に何をしたという記憶はないのだけれど)、

この手の広告にグラッとくることはありませんでしたが、

もしもまた要精検みたいなヤバイ数値だったらちょっと魅かれていたかもしれません。

それにしてもこの広告、どういう仕組みになってるんだろう?

私と同い年の facebook 友達の皆さん、同じ広告を見てますか?

50歳のときには50歳向けの広告が出ていましたか?

52歳になったばっかりの facebook 友達の皆さん、

52歳になったとたんにこの広告は表示されなくなりましたか?

それとも52歳バージョンの広告に変わりましたか?

ああ、気になって夜も眠れない。

早く52歳になりた~い。

BROOKS IS HERE

2013-01-08 10:58:51 | 教育のエチカ
映画 『ショーシャンクの空に』 は私のお気に入りのひとつです。
原作はスティーヴン・キングの中編小説 『刑務所のリタ・ヘイワース』 で、
映画よりも原作のほうが好きですが、しかしなかなかうまく映画化されています。
映画化されるよりも前に小説を読んでいたのですが、
この順番で見て幻滅せずにすんだ数少ない映画のひとつと言っていいでしょう。

この小説と映画、脇役の描写がいいんです。
第2の主人公といってもいいレッドはもちろんのことですが、
悪役である刑務所長や刑務主任まで、ひとりひとりみんな魅力的に描かれています。
そのなかでも囚人のひとりブルックスがとてもいいんです。
彼はショーシャンク刑務所のなかでも一番の長老ですが、
別にリーダー的な存在というわけではなく、みんなから愛されるキャラクターです。
彼は50年近く入所しており、すっかり刑務所の生活に適応してしまっています。
ある日突然、仮釈放されることになりますが、
仲間を刺して仮釈放を取り消してもらおうとするほどです。
けっきょく仮釈放されることになり、それが悲劇につながるのですが、
それは今日論じたいことではありません。
収監中、ブルックスは長年、図書係をつとめていました。
図書室といっても所蔵数は少なく大した本は置いていないのですが、
彼は毎晩、荷車に本を積んで刑務所内をめぐり、みんなに本を貸して回るのです。
その姿が可愛らしいんだなあ。

そのブルックスが福島大学にいるんですよ。
荷車に本を積んで学内を押して歩いている人がっ!
名前は明かさないという条件つきで写真の掲載を許可していただきましたので、
その姿をここに大公開してしまいますっ。
ジャン、こちらです。



おおっ、ブルックスだあ。
可愛すぎるっ
福大生の皆さんはときどき見かけたことがあるでしょう。
毎週決まった時間にこうやって学内を押して歩いていらっしゃいます。
この光景を見るたびに標題の 「BROOKS IS HERE」 という言葉が頭に浮かびます。
これは仮釈放されたブルックスが、部屋の壁に彫った言葉です。
小説や映画では IS ではなく WAS と過去形になっているんですが、
(「ブルックスここにありき」)
こうやって現物を目の当たりにしてしまったら、そりゃあやっぱり現在形でしょう。
まさに 「ブルックスここにあり」、ブルックスは福島大学にいるのです。
映画ですらもう20年近く前に放映されたものですが、
DVD化されてから話題になった映画ですし、テレビでも何度も放映されていますから、
高校生でも 『ショーシャンクの空に』 のファンだという人はけっこういるのではないでしょうか。
リアル・ブルックスを見てみたいという人はぜひ、福島大学に入学してみてください。

元には戻らない

2013-01-07 16:53:06 | グローバル・エシックス
福島に戻ってまいりました。
元日に買い損ねた新聞、やっと読みました。
写真うつりはまあ、元がこんなもんなのであれ以上修正することはできなかったでしょう。
座談会の内容も、私の取りとめもない話をみごとにまとめてくださっていたと思います。
特にこの部分 ↓ はカットされるだろうなあと思いながら喋っていたので、
カットされずにすんでむしろビックリしています。

「ちょっと厳しいことをいうと 『復興』 で元に戻すことはあり得ない。
 昔に戻すことはできない。
 除染しても放射性物質を集めるだけで、なくなることはない。
 福島の復興はそれを踏まえた上で先に行くこと。」

年末にこんな話をしたなあと思っていたら、
新年早々の放射線関係の最初のニュースは 「手抜き除染」 の話題でしたね。
ニュース記事はあとからはどんどん見られなくなってしまいますので、
ここにコピペしておきましょう。


「手抜き除染」横行 回収した土、川に投棄 (朝日新聞デジタル 1月4日(金)5時46分配信)

【青木美希、鬼原民幸】東京電力福島第一原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水の一部を現場周辺の川などに捨てる「手抜き除染」が横行していることが、朝日新聞の取材でわかった。元請けゼネコンの現場監督が指示して投棄した例もある。発注元の環境省は契約違反とみて調査を始めた。汚染廃棄物の扱いを定めた特別措置法に違反する可能性がある。

【動画】除染作業手抜きの実態

■福島第一周辺、環境省が調査へ

 環境省は昨夏以降、福島県内の11市町村を除染特別地域に指定し、建物や道路、農地などから20メートル内の本格除染を始めた。それ以外に広げるかどうかは今後の課題だ。これまで4市町村の本格除染をゼネコンの共同企業体(JV)に発注した。楢葉町が前田建設工業や大日本土木など(受注金額188億円)、飯舘村が大成建設など(77億円)、川内村が大林組など(43億円)、田村市が鹿島など(33億円)。

 環境省が元請けと契約した作業ルールでは、はぎ取った土や落ち葉はすべて袋に入れて回収し、飛散しないように管理しなければいけない。住宅の屋根や壁は手で拭き取るかブラシでこする。高圧洗浄機の使用は汚染水が飛び散るため雨どいなどごく一部でしか認めていない。洗浄に使った水は回収する決まりだ。
(引用終わり)


続報のなかでも除染作業員の証言がそりゃそうだよなあと思わされました。
こちらもコピペしておきます。


<除染作業員証言>枝葉「その辺に」 洗浄「流しっぱなし」 (毎日新聞 1月5日(土)15時4分配信)

東京電力福島第1原発事故を受けた国の直轄除染で集めた枝葉や汚染水を川などに捨てる不適切処理が明らかになり、環境省が実態調査に乗り出した問題で、現場の男性作業員が毎日新聞の取材に応じた。作業員は「そもそも仮置き場が足りない。『置くところがないから仕方ないべ』と捨てることが日常茶飯事になっている」などと証言した。

 作業員は昨年秋から福島県川内村などで除染作業に従事し、放射線のモニタリングなどを担当。元請けは大手ゼネコンで、工区ごとに下請けがあり、さらに2次、3次下請けとして中小の事業主や地元業者で作る組合などが入っているという。

 作業員によると、集めた枝葉は本来なら「フレキシブルコンテナバッグ」と呼ばれるブルーの袋などに入れて仮置きする。「でも仮置き場の場所がなくなっていて、枝葉を袋に回収しないでその辺に捨てることもある。日常茶飯事です。早い話が『もう置くところがないから仕方ないべ』となる」と話す。

 洗浄後の汚染水も本来は回収する必要がある。作業員によると、建物などを水で洗浄する場合は通常、下にブルーシートを敷いて汚染した水を受け、ポンプでくみ取りタンクに入れ、浄化装置で処理する。しかし、「回収するのは環境省が管轄し、なおかつ環境省が見に来るモデル地区だけ。普段はそんなことやっていない。(汚染水は)流しっぱなし」という。

 さらに「『今ここでマスコミなんかが見に来たら大変なことになるね』といつも同僚と話している。以前、国の要人が来た時には、いいところだけをきちんと見せたが、普段はずさんもずさん。道路縁の刈った草などは片付けもせず、そのままにして帰ることもある」と打ち明ける。

 こうしたことから、除染後に空間線量を測っても、除染前とあまり変わらないケースも多いという。「実際、大した効果は出ていない。僕たちから言わせたら税金の無駄遣い。でも国は『予算がないからやめる』というわけにもいかない。大手(元請け)にしてみれば、こんなにおいしい(もうけ)話はない。作業をすればするほどお金が入ってくる」と作業員は指摘する。

 その上で「(明らかになった)ここで何とかしないと、大変なことになる。税金なんかいくらあっても足りないですよ」と訴えた。【袴田貴行】
(引用終わり)


けっきょく 「除染」 といっても放射性物質を除去してるわけではなく集めてるだけなんです。
集めたものをどこかにもっていかなければなりません。
そんなもの誰も受け入れたくはありません。
「仮置き場」 も 「仮」 と名づけているから置かせてもらえるわけですが、
仮りに置いておいたあとどこか最終的に引き受けてくれるところが現れるわけではありません。
(「中間貯蔵施設」 の 「中間」 とまったく同じことです)
ですから、その 「仮置き場」 もすぐに足りなくなってしまうでしょう。
それだけの放射性物資を東京電力はばらまいたのですし、今もばらまき続けているのです。
するとけっきょく、置くところがないからそこいらに捨てるのは仕方ないべ、になるわけです。
カネもらってるくせにそんなことされたらたまりませんが、
そもそも置いていい場所がないというのが放射性物資 (や放射性廃棄物) の特性なんですから、
問題は作業員レベルの話ではなくて、これはまさに政治の問題です。
環境省が対策を検討してくれるそうなので、政治のお手並みを拝見したいと思います。
「復興」 かあ。
遠い道のりだなあ。

5本指ソックス

2013-01-06 11:08:02 | 人間文化論
5本指ソックスが健康にいいという話を聞きまして、何足か買ってみました。

こういうやつですね。



うーん、まあ悪くはないんですが、

私は手の指と同様、足の指も若干短いため、

よく見るとわかると思いますが、小指や薬指の先っぽが余ってしまっています。

手袋をはめても指の先が余ってしまうのと同様です。

ちゃんと履いてこんな感じですが、しばらく歩いたり生活しているとさらにひどくなって、

こんなふうに ↓ なっちゃいます。



見た目もカッチョ悪いですが、履いている本人もこの余ってヒラヒラしているのがヤな感じです。

それに比してうちの妻は、手の指と同様、足の指も長いんです。

で、5本指ソックスって男用と女用では1本1本の指の部分の長さが違うんですね。

男物のほうが指の部分が長く、女物のほうが短く作られているんです。

すると、私のほうはソックスの先っぽが余って困っているのに比して、

妻は指のほうが長いので、指の股 (?) のところまでソックスが届かず、

つっぱってる感じがしてイヤなんだそうです。

人それぞれいろいろな悩みがあるものです。

私たちは足のサイズがだいたい同じくらいなので、最近では男物と女物を取り替えて履いています。

ただやはりデザインによっては何でもかんでも取り替えるというわけにもいかないので、

妻は最近こんな暴挙に出ました。



先っぽを切っちゃったんですね。

指の部分を短く切ったのではなく、先端部分だけを裂くように切り開いたと言っていましたから、

足の指の先がこれくらいソックスよりも長かったということなのでしょう。

そりゃあ履いていて気色悪かっただろうと思います。

この先っぽを切ったソックスはたいへん履き心地がよいらしくたいそうお気に入りで、

これに倣ってさらに最近ではこんなこともしています。



わかりにくいかもしれませんが、これは足袋でした。

足袋の先っぽも切り落としてしまったんですね。

私から見ると、これを履くくらいなら裸足のほうがよほどスッキリするのではないかと思うのですが、

本人はこれを履いているのが心地いいらしいです。

好みも人それぞれですね。

妻の要求はこの方式で満たされましたが、私としてはやはり、

5本指ソックスも手袋と同様、サイズに合わせて指の長さをもっとよく研究してもらい、

できればいろんな指の長さのバリエーションを用意してもらって、

ひとりひとりの足の指の長さに合ったものを開発してもらいたいと思います。

『幸福の習慣』

2013-01-04 15:28:49 | 幸せの倫理学
トム・ラスとジム・ハーターの共著 『幸福の習慣』 を読みました。
原題はシンプルに 『WELLBEING』 ですから、ただの 『幸福』 だけでもよかったくらいです。
副題は 「世界150カ国調査でわかった人生を価値あるものにする5つの要素」 です。
ギャラップという調査会社が長年にわたり行ってきた調査にもとづく本です。
以前にご紹介した 『さあ、才能に目覚めよう』 の姉妹編に当たります。

本書によると、「ウェル・ビーイング (=幸福・人生の満足)」 とは、

①仕事に情熱を持って取り組んでいる (仕事の幸福)
②よい人間関係を築いている (人間関係の幸福)
③経済的に安定している (経済的な幸福)
④心身共に健康で活き活きしている (身体的な幸福)
⑤地域社会に貢献している (地域社会の幸福)

これら5つの要素が一体となっている状態だそうです。
哲学や倫理学のように 「幸福とは何か」 と概念だけで考えていくのではなく、
アンケートやインタビューによる莫大な調査に基づく立論ですので、
小難しいところはなく、一般の人にとって納得できる部分も多いのではないでしょうか。
例えばこの①~⑤というのはたんに並列的に並んでいるのではなく、
①に近いほうがより優先順位が高いのだそうです。
大切な人を失う苦しみはとても大きなものですが (②の喪失)、
失業状態が続いた苦しみ (①の喪失) に比べると、
数年後に幸福度が回復している可能性は高いのだそうです。
その他、興味深いデータを少しだけ紹介しましょう。

・95歳以上まで長生きできた人は平均80歳まで働いていた人たちである。
・日々の生活に幸せを感じている友人が1人増えるごとに幸せになる確率は9%高まる、
 日々の生活が不幸だと感じている友人が1人増えるごとに幸せでいられる確率は7%下がる。
・年収や資産が少なくても、自分の収入と支出を自分で決めてコントロールし、
 欲しいものは買えるしやりたいことはできると感じている人は幸福度が高い。
・1日20分間、朝のうちに体を動かすと、そのあと12時間は脂肪の燃焼率が上がり、
 しかも1日中いい気分で過ごせる。
・ボランティアで人の役に立つことをすると10人中9人が気持ちが高揚する。

他にも手っ取り早く幸福になるための簡単な秘訣がいろいろと紹介されています。
幸せになりたい人には一読をお勧めします。

夢のマスオサマ生活

2013-01-03 13:31:40 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日ちらっと書きましたが、妻がお母さんと一緒に暮らすことになったということは、

私は東京の家では 「マスオさん」 になるということです。

結婚以来、自分の親とも一緒に暮らしたことはありませんでしたが、

たまに上京したときだけとはいえ、お義母さんと一緒に住むというのはどういう感じでしょうか?

特にこの新年の滞在が最長の同居生活になると思いますので、

今回がちょうどいいシミュレーションになるものと思います。

私とお義母さんはもともと仲が良かったので、

今回の 「マスオさん」 プロジェクトに対して何の抵抗もありませんでしたが、

ただこれがずーっと一緒に生活するとかいうのだと、

やはり私もこんなにすんなりと受け入れられなかったのではないかと思います。

ていうか、福島のうちに妻の母ではなく自分の母が同居するなんていう話が持ち上がったとしても、

おそらく私は全力で抵抗するでしょう。

ましてやお義母さんとずーっと一緒なんて、ちょっと考えられない。

それは仲がいいの悪いのという話とはまた別次元の問題なんだろうと思います。

妻自身も久しぶりのお母さんとの同居生活に若干ビビっているようです。

はたしてどうなることやら。

私に関して言うと、まだほんの数日暮らしただけですが、

今のところ特に何の問題もなくやっていっております。

というか、お義母さんがいると料理とかは全面的にお任せできるのでヒジョーに楽です。

朝など目覚めてリビングに出てくると、すでにキッチンからお出汁のいい香りがしてきます。

昨日、今日と朝食はお雑煮でした。

まるでお正月の朝のようです。

私が 「朝だけ断食」 派だということは伝えてあるのですが、

朝はしっかり食べる派のお義母さんはちゃんと食べないと許してくれませんし、

あれだけ出汁のにおいを嗅がされてはお雑煮に手を出さないわけにはいきません。

この正月休みで一気に太っちゃうだろうなあ。

さて本日は妻の家族がうちに集まってきてこれから新年会です。

お義母さんは何日も前から今日のための仕込みに命をかけていらっしゃいます。

私の福島で磨いた料理の腕を披露するスキはまったくなさそうです。

今日は食べるほう飲むほうに徹して、アウェイの新年会を楽しみたいと思います。

というわけでこれからは 「マスオサマ」 とお呼びっ!



P.S.

自分の義母のことを、ブログのような公の場で 「お義母さん」 と呼ぶのは、

敬語の使い方として間違っているということは重々承知の上ですが、

「お義父さん」 同様、お義母さんのことを 「義母」 と呼ぶことなんてできませんので、

あしからずご了承ください。

夢のWトイレ生活

2013-01-02 07:51:08 | 幸せの倫理学
上京して先月引っ越したばかりの新居にやってきました。

前回上京したときはまだどこも段ボール箱だらけで引っ越しは終了していませんでしたが、

今回はすっかり片づいてみごとに整えられていました。

このところそうなんですが、今回の引っ越しもまったく手伝うことができなかったので、

申しわけなさと感謝の念で胸がいっぱいになります。

例のカリモクの 「座り心地研究」 もリビングのしかるべきところにその場所を確保していました。



IKEAで5000円で買ってきたソファテーブルともみごとにマッチングしています。

同じリビングのダイニングテーブルあたりからソファを望むとこんな感じです。



リビングがけっこう広いということがおわかりいただけるでしょうか。

今回、妻は今までで一番広いところに引っ越しました。

お義母さんと一緒に暮らすことになったということもありますし、

仕事でミーティングやワークショップに使ったりもするということもあっての決断です。

私は1円も貢献していないので誠に心苦しいのですが、

今回の引っ越しで一番の特典を得たのは私でした。

なんとこの家にはトイレが2つもあるのです。

ひとつはお客様用のメインのトイレ。



もうひとつは洗面所についている家人用のトイレ。



私はトイレに通う頻度がフツーの人よりも高いです。

大きな用事だけでも、平均して1日に3回くらい足していると思われます。

しかも1回の滞在時間が長いです。

そうするとどうなるか?

他の人とバッティングする確率がむちゃくちゃ高くなってしまうのです。

相手が先に入っていることもありますし、自分が入っていて急かされることも多いです。

これは 「小野原家のトイレ問題」 と呼ばれ、

結婚初期の頃からなかなか解決できずにいた大きな政治的課題でした。

その大問題が結婚23年目にしてとうとう最終的解決へと導かれたのです。

誰に気兼ねすることもなく好きな本を読みながらいつまででものんびり用を足していられる幸せ。

この有り難みを噛み締めながら2013年を生きていきたいと思います。

福島民友新聞 「新春座談会」

2013-01-01 21:48:56 | グローバル・エシックス
あけましておめでとうございます。

2013年ですね。

たぶん正念場の年です。

いろいろな意味でキツイ年になるかと思いますが、ムリにがんばることなく、

かといってあきらめることもなく、適当に乗り切っていきたいと思います。

(いつもの 「テキトー」 ではない)

さて、新年最初のブログネタは冒頭の話題にしようと、

12月の中旬くらいから予定していたのですが、

なんと痛恨なことに、上京する際、新聞を買ってくるのを忘れてしまいました。

福島民友新聞の元日掲載の 「新春座談会」 で、

佐藤雄平知事と高校生や大学生らが対談するのにアドバイザーとして臨席してください、

との依頼を受けたのが12月初旬のこと。

よく意味もわからずに引き受けて、座談会が開催されたのが12月21日。

そして、記事や写真の事前チェックもないまま (特に求めもしませんでしたが)、

元日の今日、掲載されていたはずなんですが、それを確かめもせずに上京してしまいました。

福島民友新聞のホームページを見てみると、1面に掲載された写真と解説文だけは閲覧できましたが、



肝心の記事の内容は読むことができませんでした。

そのことをfacebookでつぶやいたところ、知り合いや卒業生の皆さんが、

ちゃんと載ってましたよぉといろいろ情報を寄せてくださいました。





皆さん、どうもありがとうございました。

写真うつりはそんなに悪くはなかったようなのでホッと一安心です。

記事の内容はもともと、私の発言はただの付け足しみたいなもので、

若い皆さんや知事の言葉のほうがどう考えても大事なのですから、

編集の方には、私のところはいくらでもカットしてもらっていいし、

載せる場合も、好きなように書き換えていただいてかまいません、と伝えてはありました。

とはいえ、言論人として自分の言葉がどう伝わるかというのは興味がありますから、

いちおう読んでみてブログネタにはしてやろうと目論んでいたわけです。

というわけで、けっきょくまだ読んでいないのですが、

皆さんがアップしてくださった写真から察するに、

「福島はあんなことがあったけれど、しかし、あんなことがあったからこそ、

 これからエネルギーや人間の安全保障など様々な部門で、

 世界をリードしていくような存在になってほしい、いやなれるはずだっ!」

という私の脳天気な前向きの発言は採用していただけたのだろうと推測します。

もともと民友新聞さんは私のブログか何かを見て、

ポジティブな発言をしてくれそうな人だと踏んで依頼をしてくださったようなので、

その期待に応えることができたならよかったのですが…。

私の場合ただたんにポジティブなだけでなく、

「復興、復興っていうけれど、福島はもう元に戻ることはできません」 など、

知事が一瞬顔を曇らせるくらいダークな発言もしてきたんですが、

でも、記事的にはポジティブな発言さえ取り上げてもらえれば本望です。

どんなふうに掲載されたのかは福島に戻ってからきちんと確認したいと思いますが、

正念場の年の出発点にふさわしいお仕事になったのではないかと期待しております。