2007年02月04日記載
掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下の通り。
「■体調悪いのですね
体調が回復することを願っています。
傷の痛み、障害の辛さどれも辛い事ですが私が一番辛いと思った時は手術の翌日、腸閉塞になった時でした。ご飯も水も飲めなくてお腹の痛い数日間、傷の痛みは完全に忘れてました。
12歳で骨肉腫になったお嬢さん、闘病の詳細は分からないですが1年10ヶ月もの間お嬢さんもお母さんも本当に頑張りましたね、と思います。
私も19歳のとき骨肉腫の手術をして私自身も頑張ったとは思いますが毎日のように遠くから面会に来てくれた母は相当頑張っていたと思います。手術から3ヶ月が経った頃、母は疲れからくるストレス性大腸炎で入院してしまいました。
一番辛い時、側にいてくれた母に感謝しています。」
私は腸閉塞にはならなかったが、ご存知かと思うが、全身麻酔下での手術の後は全身の機能が低下していて、腸も動きを止めている。腸が動くようになるまでは水すら口に出来ない。水を口に出来ないことがこんなに辛いものだとは思わなかった、と私も当時思ったものである。
私も母には大変感謝している。大変な苦労をかけて申し訳ないとも思っている。母と呼ばれる人はほとんどの人がそうだと思うが、子供を愛している。我が家もごたぶんに漏れず、多分息子(私)を愛している。私が病気になってからずっと「○○(私の名前)が死んだら私も死ぬ。」と妙なプレッシャーを掛け続けている。これが、私が病と闘うのを頑張るようにとの叱咤激励であれば問題ないのだが、私が死んだら本当に後を追ってきそうな勢いがある(笑)。自分のために病と闘ったと同時に母のためにも闘った感じである。有難いやら有難くないやら、今も判断がつきかねている(笑)
掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下の通り。
「■体調悪いのですね
体調が回復することを願っています。
傷の痛み、障害の辛さどれも辛い事ですが私が一番辛いと思った時は手術の翌日、腸閉塞になった時でした。ご飯も水も飲めなくてお腹の痛い数日間、傷の痛みは完全に忘れてました。
12歳で骨肉腫になったお嬢さん、闘病の詳細は分からないですが1年10ヶ月もの間お嬢さんもお母さんも本当に頑張りましたね、と思います。
私も19歳のとき骨肉腫の手術をして私自身も頑張ったとは思いますが毎日のように遠くから面会に来てくれた母は相当頑張っていたと思います。手術から3ヶ月が経った頃、母は疲れからくるストレス性大腸炎で入院してしまいました。
一番辛い時、側にいてくれた母に感謝しています。」
私は腸閉塞にはならなかったが、ご存知かと思うが、全身麻酔下での手術の後は全身の機能が低下していて、腸も動きを止めている。腸が動くようになるまでは水すら口に出来ない。水を口に出来ないことがこんなに辛いものだとは思わなかった、と私も当時思ったものである。
私も母には大変感謝している。大変な苦労をかけて申し訳ないとも思っている。母と呼ばれる人はほとんどの人がそうだと思うが、子供を愛している。我が家もごたぶんに漏れず、多分息子(私)を愛している。私が病気になってからずっと「○○(私の名前)が死んだら私も死ぬ。」と妙なプレッシャーを掛け続けている。これが、私が病と闘うのを頑張るようにとの叱咤激励であれば問題ないのだが、私が死んだら本当に後を追ってきそうな勢いがある(笑)。自分のために病と闘ったと同時に母のためにも闘った感じである。有難いやら有難くないやら、今も判断がつきかねている(笑)