9/28日友人のMさんが、龍起さんに行きたいと言われて
10時半に石川町駅で待ち合わせて行きました。
最近、龍起さんで提供を始めたアイテムがあります。
家の四隅と中央に設置すると、その家の邪気を取り除き
良い気を生み出すパワ-アイテムです。
それを買いたいとのことで行きました。
待ち合わせの石川町駅まえに門がありました。
明治時代に、この吉浜町一帯は船舶の修理と洋式工業の伝習を目的とした
官営工場「横浜製鉄所」がありました。
龍起さんは朝10時半からです。電話で時間を約束して行きました。
翡翠は、見ていても心が洗われますね。
早速、龍起さんのご主人が、黒い布の上で「気」を彼に見せて、
気の話を解説してくれました。
「気」は、誰でも見えますよ。
この独鈷は、体に気を送る道具です。
僕の廻りにいろいろな不思議なことが起こります。
保江家元の「神様につながった電話」の本には、家元が遭遇した
不思議な話が沢山出てきます。僕とは、関係ないと思っていたのですが、
今、龍起さんで目の前に見せて頂きました。
彼は、今の仕事場(部屋)に良い「気」を入れたいとの希望です。
来られる患者さん?に少しでも役に立てばとの気持ちからです。
龍起さんのAさんは、特別な能力をお持ちになっています。
紙に、住所と大体のレイアウトを書きます。
その紙をAさんの両手で挟んでその部屋を見透します。
その結果は、
「この建物には神様がおられないのですね。」と
彼は、びっくり。
普通なら信じないでしょうね。
昨年、ホロトロピックネット-ワ-クの清水義久先生の講演会の
あとの懇親会で、縦書きで書いた名前の紙を手に挟み、
その人の体の状態を適格に指摘していました。
その場にいた皆さんはびっくり。
先日も清水先生は、オ-ラ-が広がり宇宙と繋がっていることを話されました。
それに、最近空海の本を読み直しています。
似たような話がありますが、戦後の教育で合理主義的な考えが支配しているので
このような話は、眉唾としてしか見られていません。
でも僕は、信じられるようになりました。
新しいアイテムは、一箇所3万円で4隅と中央の5箇所に同じ高さに置きます。
このアイテムは、その人に合ったものを作成しますので一度作成すれば一生ものです。
その場所にあったもので5箇所全てが必要でないこともあります。
彼の場合は、仏像を置いた方が良いのではとのアドバイスでしたが、
患者さんのこともあり、気のアイテムにしました。
龍起さんのAさんが祈って作成するので時間が掛かります。
いろいろとアドバイスをいただき、最終的に2つの気のアイテムをお願いしました。
龍起さんでは、パワ-スト-ンを選ぶにも、Aさんがその方に
あったものを選びます。何でもよいものではありません。
雑談からです。
僕は、畑田天眞如さんの勉強会で畑田先生と話していたときに
先生の言葉に潜んでいた沢山のことが伝わってきたことをAさんに話ました。
「普通は、2次元の会話だけれど、畑田さんとは4次元の
心と心の対話だったのではないでしょうか」とAさん。
また、煙と香りが邪気を払い、良い気が入ってくるそうです。
龍起さんに何種類かのお香の乾燥した草が売っています。
セ-ジは安価でいいですよ。
ホロトロピックの断食会では、セ-ジをくゆらします。
密教の護摩炊きは、まさにそのために儀式ですね。
中国の高僧の方は、日本に来られた時、龍起さんのお店に寄られます。
そのときの写真です。
「気」を使って痛い所を治すことを時々見ますが、注意が必要です。
施術者が、患者さんの治療でその方邪気を貰って自分が調子が悪くなったり、
他の患者さんにその邪気を移したりすることがあるそうです。
注意が必要ですね。
僕の好きな像です。
丁度、お昼時なので、どこか良いところはないかと尋ねました。
昔、懇意にしていたお店は閉店してしまい、今はほとんど中華街で食事をしません。
裏側を見ているので躊躇します。
Aさんが教えて下さいましたのは、「華正楼 新館」でした。
他のお店では、食べ放題の値段で、華正楼さんでは、一品料理の値段です。
その差は何なのでしょうか。ご想像にお任せします。
彼のお陰で貴重な体験をさせて頂きました。
でも面白いですね。
魚谷佳代さんの本にありましたが、「神の世界」の勉強は還暦を過ぎてからとのこと。
僕は、修験道を学んで何とか入り口に差し掛かりましたが、
廻りに起こっていることが、宇宙の一部であることを感じられるようになりました。
「感謝の祈り」の大切さをつくづく感じているこの頃です。
身も心も綺麗にすると神様がそっと背中にすり寄ってきます。
魚谷佳代さんの本の前書きに千賀一生さんが書いていますが、
まさにその通りだと感じています。
「依存ではなく、真のくゆだね>の生き方に至るためには、
まず、白身の存在がいかにあるかからすべてが始まります。
真のくゆだね>に至る時、どこにいようとも、
そこは天国へと至ります。
そして、そのような人は至る所を聖地としてゆくものであります。
ありがとうございました。
関帝廟です。