おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

畑田天眞如さんの瀬戸内海精霊供養祭と勉強会その3

2014-09-04 | 山伏修行

昨日の続きです。

部屋から見た夜景です。

造船所の明かりが見えます。

    

31日の供養祭の祭壇の準備に行きました。

車で10分ほどの下電ホテルの砂浜です。

朝食は、バイキング。僕は、大抵洋食です。

    

    

    

海岸の砂を上げて祭壇の場所を均しました。

丁度この下に排水管(30cm位)が埋まっていました。

その排水管の上に祭壇を設置すると霊が封じ込められて仕舞うそうです。

    

    

    

    

    

あとは当日、雨が降らないように祈るだけです。

天気予報では、雨模様で心配。

誰かが「先生がついているから晴れ!」

8月は、中国地方は梅雨に戻ったのかと思うほど

雨が降ったそうです。

でも供養祭は、晴天の夏の暑さが戻りました。

準備が終わってホテルへの帰り道です。

    

    

瀬戸大橋の下をくぐります。

丁度、線路の保線なのでしょう人が歩いていました。

    

     

9時半から2日目の勉強が始まりました。

   

先生の81才の時に

81番札所に行かれました。崇徳天皇を供養をされたそうです。

祈りの話です。

ハ-バ-ド大学や村上和雄先生の祈りの研究の話。

印象に残ったことのひとつ。

今に生きること。

過去の恨みや悔しさを引きずらない。

「今」その瞬間は、そのときしか無いのだから

その今を大切に生きなければならないと。

先生の話を聞いていて

アドラ-心理学の「嫌われる勇気」を思い出しました。

 

古事記のなかの命の話。「こじつけ」と「こじき」の二つがある。

また伊勢神宮の話や竹内文書の話など

何とか付いて行くのがやっとでした。

 

かみには二つある。

幽身(かみ)と神(かみ)があり、ほんとうのかみは、幽身だそうです。

神は、自分の欲が深い我が出てしまう。

仏像の中から出てこられるかみは、幽身(かみ)であるとのこと。

でも言葉一つを大切にしなければと思いました。

 

先生の体験談のひとつ。

足を骨折したときに骨膜をつなげたら

その場で歩いて帰ることができました。

よく不思議な話で、杖をついていた人が

見ても貰ったら杖無しで歩いて帰った話は、骨膜を治したことかも。

昼食は、うどんでした。

    

お昼休みに、ホロトロの仲間二人を誘って

部屋から見た古い港町の散策。

静かな港町です。

    

    

海岸の外れにお地蔵さんが祀ってありました。

    

    

岸壁で釣り人が、チヌとあじを釣っていました。

    

美味しそうですね。あじは血抜きをしてありました。

    

    

    

午後の勉強会は、1時半から

仏教は易しいけど、神道はきびいしい。

幽体と霊体の話。

幽体は心の目でしか見えない。

 

三種の器のかがみがあるのか。

「かがみ」のが(我)を取ると「かみ」なる。

我をとる修行すると神になる。それが日本人の姿である。

 

八方塞がりと言うけどどこかに抜け道はあるのです。

話が途中でごめんなさい。

明日は、僕が始めて見た神さまの話です。

 

これから新横浜駅6時の新幹線で京都まで行きます。

その日のうちに東京に戻ります。

ありがとうございました。

 

コメント (2)
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