9/23日 保江先生の稽古と誕生会のまえに
上野駅から会場の文京総合体育館まで歩きました。
最初は、国立西洋美術館のロダンの彫刻。
今回は、顔と足に注目して写真を撮りました。
雲をちょっと気にして。
地獄の門は焦点が絞り難いですね。
動物愛護ふれあいフェスティバルを開催中。
ラジオ体操の記念碑
野生化した猫は大変ですね。
共存はむずかしいのですね。
僕もそうですが大部分の人たちがこの展示で知ったようです。
手乗りです。
可愛いですね。
動物園は賑やかそうでした。
時間があまりないので中には入りませんでした。
ありがとうございました。
上野公園の散歩でした。
でも沢山の人で楽しい一時でした。
26日 魚谷佳代さんの「淡路ユダヤのシオンの山が7度目
地球大立て替えのメイン舞台になる」の本が来ました。
序文で、千賀一生さんが書いている文章に大切ことが書かれています。
少し長くなりますが、引用します。
良く味わって見て下さい。
ところが神業というものにすがる心は、これとは似て非なる依存という心理が潜みやすいものです。
依存によるものは、〈自力〉を主張する人たちが批判するマイナスの意味での他力本願です。
両者は同じように見えるかもしれませんが、まったく別世界への道となります。
依存の宗教心理は必ず外界にも歪みをもたらします。
私か神業的なことに言及しないのもそのためです。
この本を読まれる時には、ぜひその点を大切にしていただけたらと思います。
魚谷さんの人生経歴を読んでも、そこに見えざる導きが働いているのがわかると思います。
何ゆえにそれが働いたのかをぜひ読みとっていただけたらと思うのです。
135度は、安易にそこに行けば運が開かれるようなものでは決してありません。
それは、依存心理のある人間にとってはむしろ大きなマイナスにも作用する諸刃の剣的な意味を持ちます。
日本人は、元来聖地というものに実につつましい態度を示してきました。
たとえば古い文化の残る沖縄の人たちは、沖縄人にとって神の島とされる久高島に滅多なことでは立ち入るうとはせず、
今も遠方から拝することを大切にしています。
それは、パワースポット日本最古の聖地とも言える135度の意味を明らかにした人間の責任として、
私は多くの人にそのようなつつましい態度で135度に関わっていただきたいと思っています。
依存ではなく、真のくゆだね>の生き方に至るためには、
まず、白身の存在がいかにあるかからすべてが始まります。
真のくゆだね>に至る時、どこにいようとも、そこは天国へと至ります。
そして、そのような人は至る所を聖地としてゆくものであります。
今日はやりのパワースポット的感覚ではなく、
真に聖地を敬する古来の心で135度を敬していただけたらと思います。
そして、それ以上に、各人が今そこにいる所のご縁ある大地と、
白身を育んでくれた母なる産土の大地を貴んでいただけたらと思っております。
幸せは常に足元から始まります。この本が、読者一人ひとりの足元をみつめるきっかけとして役立ちますよう祈ります。
僕も以前 千賀一生さんのガイアの法則を読みました。
それから東経135度線に注意しています。
天外伺朗さんの聖なるパイプの祈りで、
大地に感謝することを長老から言われています。
畑田天眞如さんの「ありがとう」の一言に尽きます。