新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月13日(金) その2 「アレッ」と思った事

2023-10-13 14:19:23 | コラム
この世には思いがけない事があるもの:

ブリンケン国務長官(Antony Blinken):
イスラエルがハマスに急襲されて、密接な間柄であるアメリカからブリンケン国務長官がイスラエルを急遽訪問して、ネタニヤフ首相と懇談したと報じられていた。その会見のニュースでは音声は流れていなかったが、字幕にはブリンケン国務長官が「会談の為の訪問はユダヤ人として当然の事」と述べたと出ていた。

正直な事を言えば、このニュースを見た瞬間は「ブリンケン国務長官がカミングアウトしたのか」と思ってしまった。「また英語か」と言われそうだが「カミングアウト」は正確には”coming out of the closet”なのであり、カタカナ語では短縮形が使われているようだ。

確かにアメリカでは上層に行くほどというか、政府でも教育界でも何処でも主要な地位にユダヤ人(Jewish)かユダヤ系の人を屡々見かける。だが、その人物が自らユダヤ人であると名乗るとか、誰それはユダヤ人であるという類いの報道に接した記憶はなかった。微妙な事だと受け止めていた。それだけに、重要な公開の席で国務長官が自らユダヤ人と語られたのは、やや衝撃的だった。

私はブリンケン国務長官とは、その名字からしてユダヤ系の人であろうとは見ていたので、Wikipediaで確認はしてあった。従って、今回の語り方はそれ故に衝撃的でもなかった。だが、日本のテレビ局のニュースでその通りに流したのは意外だった。因みに、ブリンケン氏はハーバード大学卒で、コロンビア大学で法学博士号を取得している。

因みに、ウエアーハウザーは経営陣にユダヤ人がゼロか非常に少ないという点でアメリカ国内でも異色の方だとは聞かされていた。また、私個人としては20数年間でユダヤ人と承知で語り合った人は2人しかいなかった。その1人は研究所の博士号を持つ研究員で、皆がそのファミリーネームの綴りが珍しいと指摘したら「Russian Jewだ」と名乗って、皆を納得させた事があった。

余談にはなるが、嘗て元通産省の課長だった方が著された小説では、8代目CEOのジョージ・ウエアーハウザーをユダヤ人だと言わんばかりの描写がされていた。その点を上司に確かめたところ「ジョージは私と同じプロテスタントの教会に来ているというのか返事だ」と言われて、疑問は一瞬に解けた。

世界平和統一家庭聯合会に解散命令が:
この件のニュースに接していた限りでは、「文部科学省が地裁に解散命令を請求し受理された時点で直ちにこの会は解散となり、宗教活動は続けられても、従来通りの税制面での優遇措置は受けられなくなる」となるかのような印象だった。それは結構な事だなと危うく受け止めるところだったし、そう思われた方はおられるのではないか。。

だが、実際には地方裁判所には世界平和統一家庭聯合会からも出廷の上で審議され「解散」の判決が出るとして、上級審に控訴され、さらに最高裁までも争われる事になるだろうと、昨日辺りから報道され始めた。実は、このような法律に全く疎い私でも「地裁が受理しただけで解散になるのかな。そんな簡単な事かな」とは疑問に感じていた。

今朝の各局の報道では「最高裁まで上がっていったとすれば、決着が付くまでには3年は要するだろう」という事で、野党は「その間に世界平和統一家庭聯合会が資産を散らさないような法整備を」という立法の準備を急いでいる事も併せて報じられていた。正直な感想は「今頃になって報道するなよ。糠喜びされている方もおられただろうに」なのである。

「貴殿や視聴者の方々の早とちりでは」と反論されそうだが、中途半端な報道の仕方にも問題があったのではと言いたくなるのだ。


我が国とアメリカとのスポーツの世界における文化を比較すれば

2023-10-13 08:20:30 | コラム
ジャイアンツの阿部慎之助新監督の如何なる指揮・指導法で臨むのか:

昨日は花巻東高校の佐々木麟太郎君がアメリカの大学の問題を取り上げたが、今回は、我が国とアメリカとのスポーツ界の文化の相違点を論じてみようと思う。

要点は「阿部慎之助新監督がこれまで通りに古き良き時代の精神主義に基づいた指揮・指導法で臨むか、アメリカ式の合理的且つ科学的な指導法を採用するか」が焦点なのだ。

私が知る限り、アメリカ式では監督とは言わずに”head coach”であり、その下に野球では攻撃、投手、守備、走塁とうに役割を分担したコーチたちがそれぞれの分野を任されているのだ、フットボールではオフェンス、ディフェンス、QB、WR、DB等々に細分化されたコーチがいて、ヘッドコーチはそれぞれのコーチに試合の進行計画を任せて、決断と責任を負っているのだ。佐々木君がこういう世界に入っていけば戸惑う事は請け合いだ。

阿部慎之助新監督については、彼がジャイアンツの二軍監督に任命された際に、選手たちを俗に言われている「千本ノック」式の苛酷な練習方法で指導し、失敗した者たちには罰走を課すという、敢えて言うが「古き良き時代の精神主義」に基づいた思想で臨んだ事を批判してあった。即ち、時代遅れではとの疑義を呈したのだった。換言すれば、アメリカ式と対極を為す指導法なのである。

その阿部慎之助はこの度、原辰徳前監督から後事を託されて新監督に就任の運びとなった。すると、週刊新潮が早速「昭和スポ根臭に心配の声」との見出しを打って、疑問であると言い出した。言わせて貰えば私の見解と同様な指摘だった。また、我が国では監督が全権を掌握しているのだが、屡々越権行為だと思う善意から監督が打撃や守備の指導をしている場合がある。この辺りに「コーチ」と分業制になっている事への理解と認識が欠けているように見える。

ジャイアンツ嫌いの当方はそこまで彼らの歴史に明るくないが、長嶋茂雄監督はかの「伊東キャンプでの猛連練習で若手を鍛え上げ強いジャイアンツを再建した」歴史があるので、その頃に在籍していた訳でもない阿部慎之助はその方式を二軍の強化策に用いたのであろう。長嶋監督は立教大学で砂押監督の猛練習で育てられたので、その手法を踏襲してプロであるジャイアンツをも指導されたのであろう。当時は野球界にはウエイトトレーニングのような訓練の方式は導入されていなかったと記憶する。

だが、時代は急速に変化し進歩した。東京都内でも至る所にジムがあり、多くの人が歯を食いしばってトレッドミル(カタカナ語では「ランニングマシン」)に挑んでいる光景が見えているし、晴雨に拘わらずジョギングをする無数の老若男女に出会う。要するに「根性」や「倒れるまで練習して鍛え上げる」時代ではなくなり、科学的な練習法が普及したのだ。

その時代に阿部慎之助新監督の登場となって、その精神主義を危ぶむ記事を週刊新潮が発表したのだった。昭和20年(1945年)に蹴球部に入った私は勿論精神主義の時代に育ったのだが、最早そこには執着する気もないし、精神主義を全面的に否定するほどの勇気の持ち合わせもない。

私の興味と関心事は、この時代にあって「阿部慎之助新監督は自分が育った古き良き時代の厳しさを全面的に掲げる練習法に執着して『常勝ジャイアンツ』を再建する固い決意であるのか否か」なのだ。

私は寧ろ現代の近代的且つ科学的なトレーニングの時代のアンチテーゼである「厳しく鍛え上げる精神主義尊重の指揮・指導と訓練法でやって見せて貰いたい」とすら考えている。最大の興味と関心は「そこにどのような結果が生じるか」なのである。我が国には矢張り精神主義は根付いているか否かである。

要するに、阿部新監督が時代とその変化と進歩に妥協して、二軍監督時代の指導方針を捨てて、時代に相応しいジャイアンツに志向するような指揮を執るか否かに興味も関心もあるのだ。原前監督時代のコーチ陣を見ていると、長嶋茂雄氏の薫陶を受けたか、その伝統?の影響下にある者たちが主体だ。その環境下で阿部慎之助が近代的且つアメリカ式な指導法に接している時間と機会があったのだろうか。

何れにせよ、阿部慎之助新監督が来シーズンに如何なる思想信条に基づいて「常勝ジャイアン」を再建するかどうかには少しだけ関心があるという事。監督さんが打撃コーチを差し置いて一軍の選手の打撃指導をするような事が起きれば、原前監督時代からは脱却できないと思うのだが。この意味は「監督の役割」と「コーチは何の為にいるのか」を監督が認識できているのかという事。