新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語の問題点の考察

2023-10-16 07:55:13 | コラム
何故、英単語をカタカナ語にして使おうとするのだろう:

昭和30年(1955年)に新卒で就職した頃に、既に上司の中には「ドラスティックにやらなければ」などというカタカナ語を駆使する人がおられた。東京商大(現一橋大学)から旧三井物産経由の取締役営業部長は、それ以上に英単語を交ぜて部下に語りかけておられて、如何にも知性的なようで一寸だけ格好が良いかのようだった。という具合で、カタカナ語の普及には想像以上に長い歴史があるのだ。

だが、カタカナ語排斥論者の私には未だに「英語の言葉をカタカナで表記してまで使おうとする意図は解らないし、必然性がないように思えてならない」のだ。往年はカタカナ語を使って「自分が言いたい事を強めよう」とでもされるのかと解釈していたが、今や「猫も杓子も」のような次元の話ではなく、粗製濫造の時代になってしまって、当方を憂鬱にさせている。

そこで、今回は「カタカナ語って何だろう」を考えてみようと思うのだ。手始めに先頃2回取り上げた「元の英語とは異なる発音になってしまう表記を17語ほど分析したので、その辺りから考えてみよう」と思うのだ。

先ず現れたのが「ローマ字読み」だった。私はローマ字の効用は「幼少の事からアルファベットに慣れ親しませる」と認めてある。だが、それは誰がそうしようと考えたのか知らないが、英語の単語をローマ字式に表記して英語とは異なる代物に仕立て上げたのは宜しくないのではないかと考えている。

私が声を大にして言いたい事は「最初から原語と同じように読み且つ発音するようにしておいて、何か失うものがあったのか」なのである。小学校から英語を教えて、国際人を養成しようなど言うのであれば、おかしなカタカナ表記などを許さないような教育方針が立てられなかったのが不可思議なのだ。

先日、取り上げた大谷君のAngelsなどは最初から「エインジェルス」としておいたら良かったのだと思っている。「エンゼルス」では原語と違うし、ローマ字読みにすらなっていないのだ。また、「オアシス」もoasisを「オウエイシス」とするのが原語に近く、”award”などは最初から「アウオード」か「アゥオード」としてあれば「英語には不規則な例が多く、特に”a”の発音と読み方は要注意」と教えておけたではないかと思うのだ。

私は2回の発表で17語を取り上げたが、その中で日常生活でも業務上でも自分から使ったか、聞いた記憶があったのはcasual, energyとmajorだけだった。要するに非日常的な言葉を拾ってきてしかもカタカナ表記にしているのだ。皮肉を言えば「それほど単語重視の英語教育の効果が上がっている事」になるのかも知れない。

他の例も挙げておくとSeattleは「シアトル」ではないのだ。フランス語だが、嘗ての日本代表のトルシエ監督はTroussierだったので「トゥルシエ」が最も原語に近いかも。

「読み方」と「発音」でも思いついただけでも17語あったし、未だ未だあると思う。私が繰り返して疑問にした事は「こういう言葉を使おうとした方々は、カタカナ語化する前に、英和辞典で発音記号くらい確かめなかったのか」なのだ。乃至はnative speakerにでも「アメリカやUKではどのように発音するのか」と確認する作業くらい出来なかったのかという事。

次の機会にどの分野を取り上げるかは、これから考えようと思う。だが、容易に理解できない事がある。それは「20年以上もアメリカの会社で過ごし、アメリカにいようと東京にいようと1年365日社内の公用語である英語で過ごしてきても、社内で聞いた事も自分から使おうとも考えた事もない難しい専門語までカタカナ語化されて、マスメディアが当たり前のように使う事だ。

例えば、「ガバナンス」だの「ガバナビリティー」なんて聞いた事がなかったし、「コンプラ」だの「コラボ」だの略語まで作られてしまったcomplianceやcollaborationなどは「そういう言葉があるとは承知しているが、滅多に使う機会など訪れないのに、あれほど普及している事など」は単語重視の教育の輝かしくない成果ではと疑っている。

ここで何が言いたいかだが、「日本語と漢字の文化を等閑にしないでくれ」なのだ。どうしても英語の言葉や表現をカタカナ語にしたいのならば、単語などを覚えるのに加えて「流れの中でどういう意味に使われているか」を把握する事を優先すると共に「音読・暗記・暗唱」に励んだら如何かという事なのだ。いや、カタカナ語を使うのは極力回避しましょうと主張する。