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まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

ブリュッセルのホテルLe Meridien

2008-05-28 23:49:37 | 旅行

空港についてから、私は伯父と一緒だからタクシーで移動するかなと思いきや、伯父は電車でホテルまで行こうと言い出しました。大荷物を抱えながら参ったなと思いつつ、渋々、空港の下にある駅へ移動。切符売り場で英語が通じるか不安でしたが、空港ということもあり、難なく、チケットをゲットでき、乗るべき電車も直ぐわかりました。空港からは3つ目の中央駅(上記の写真)の目の前に我々の泊まるべくLe Meridienホテルはあり、思った程、移動は大変ではありませんでした。

 

海外は日本のビジネスホテルのようなシングルルームはなく(私が行ったことのある場所だけかもしれませんが…)、大体、ツインやダブルルームのシングルユースなので、ゆったりしています。

お部屋のミニバーも充実していました。

流石ヨーロッパ、冷蔵庫の横にはワインがありました。

ワインの横にある小便小僧は栓抜きです。

部屋の窓の景色はやはりヨーロッパらしい建築物が見えました。


やっと戻ってきました…

2008-05-27 22:36:37 | 旅行

5月27日の晩に東京の羽田空港より関西空港に旅立ってから9泊10日の旅から漸く帰ってきました。長旅のようで、帰ってきてしまうとアッという間のような…

帰国後、デジカメのUSBケーブルは今だ見つからず、今日、思わず、カードリーダを購入し、いよいよ写真つきブログの再開です。大した写真ではありませんが、やはり、文章力のない私は写真の力を借りないと…

5月27日は一日、家の仕事をしてから20時過ぎの便で関西空港に入り、伯父と落ち合ってから、その日は一泊関西空港内のホテルに1泊しました。

翌28日は午前中の便でヘルシンキ経由で、ベルギーへと飛び立ちました。

日本を出る日は快晴

今回の旅で初めて関西空港デビューです

ヘルシンキまではムーミンが描かれた飛行機でした

9時間程のフライトの後は小型機でまた更に1時間半飛行機に乗って、ベルギーのブリュッセルまで行きました。

ブリュッセルの空港内にはビールが飲めるスタンドバーが沢山ありました。

しかし、家を出てから、目的地まで、本当に長かったです。


富士登山 その⑤ 下山

2006-09-12 23:58:31 | 旅行

トップの写真は8合目から見た頂上です。頂上は直ぐそこのように見えるのですが…

(8合目の眼下に雲。飛行機の中からみる雲みたい。)

(正面の雲はテディーベアみたい)

休憩後、(そんな余裕はないはずなのに…)「さて次は頂上へ行くのかしら?」と言うと、Aはこのペースだと5合目まで下山する前に暗くなると言います。

 やった!後は降りるだけ!\(^◇^)/

  でもそんなにあまくなかった!

(>_<。)HelpMe!!

こんな所を降りなければならない

(;゜Д゜)マジ?

岩や砂利の山を降りるのは登り以上に至難の業です。なんで、ここまで登ってきてしまったんだろう!とひたすら後悔するばかり。富士山なんて、最初から登るもんじゃない。こんなことわかっていたら登らなかったのに!こんなところ世界遺産には値しない!とまた腹が立ってきます。帰りも相変わらずの八つ当たり。嫌味を言うか、無言でひたすら足を引きづります。

そしてヘロヘロになりながらも漸く6合目から5合目に降りる時に、

A「この後どうする?あまり俺が決めると迷惑みたいだから。」

私「ご飯食べて、温泉入って帰るという当初の予定でいいよ。」

A「でも俺が全部勝手に引っ張りまわすの迷惑だろうからどうしたい?」

今までの八つ当たりで、奴は怒ってます。

私「私は最初に言っていた予定をこなすつもりだけど…」

A「でも俺が無理やり連れてきたみたいでお前に悪いから」と嫌味な返事。

私は今まで彼に当たっていたので、すねたのだろうなと思いながらも、会話どころではない状態でさえも一生懸命、会話をしたのに…男のくせにウジウジとしつこくすねやがって!とまた腹が立ってきて、

「じゃぁ、もうどうでもいいから帰ろう!」とブチギレます。

A「そうやって開き直ることねぇだろ!」

私、無視です。(というか喧嘩する元気が全くない。)

(`ヘ´ι) ムムム‥

結局、下山してからご飯だけ食べて東京へ直行しました。

***

帰りの車の中で、Aは普通に「明日は体が痛くて動けないよ。膝も笑うから」と言っていました。しかし、翌日、起きても体は疲れだけ…痛みは全くありません。

私は40代のAに「体は全然痛くありません。やっぱ30代!」とメールをします。

そしたら直ぐに「痛くなるようなペースでの登山ではなかったもんなぁ~」とのレスポンス。

( ̄△ ̄;)ガーン

***

さて、富士登山について最初に記事を投稿した時には「もう2度と登らない!」と書きましたが、何日か経って心境の変化が…8合目迄しか登らなかったことが無念というか、非常に悔しく感じ始めました。来年こそは絶対頂上目指してやる!という反面、あの大変さを思うと果たして実現するかどうか…

そして今夜、元彼と食事をした際、富士登山の話をしたら「何だ、8合目までしか登らなかったの?情けねぇ~なぁ~!」と言われて、私は心に誓いました。

今度は絶対、頂上、目指します。30代の内に!つうか、火口の周りも一周してやる!

(火口一周は大げさかな…火口の周りは自信がない…今の内に撤回しておきます。)30代であってもヒィ~ヒィ~言ったのだから、40代になって登ったら、きっと死ぬんじゃないかと思います。

今回の富士登山でのAに対する態度といい、元彼に「情けねぇ~」と言われ、意地になる私…いい年超えて大人気ない…

***

何はともあれ、怪我もせず、天候にも恵まれ、富士登山ができたことは貴重な体験でした。文句は言いつつも、Aのお陰。ありがとねっ。


富士登山 その④ 限界

2006-09-11 17:12:27 | 旅行

(7合目の山小屋)

私は7合目でもうあきらめモードですが、Aは8合目迄、行かなきゃ意味がないと言うため、ここでの休憩は長めに取らせてもらいました。

(;´Д`) ハァハァ


肉体的・精神的に少し落ち着いてから「富士山の花ってどんなの?」と聞いてみると「色々あるから、8合目に行く間に見つけたら教えてあげるよ」との返答です。

いざ8合目(標高3100m)へと出発です。歩き始めて間もなくAが「そこにあんな小さな花が咲いている」と教えてくれます。

休憩直後だったので、写真を撮る余裕があります。そしてまた歩き出すと直ぐにまたAが「あそこにも花がある」と言うので、また写真を撮り、また上に向けて出発。

そしてまた何度も「花があるよ」と言います。私は「もういいよ。」と思いながらも相槌をうち、彼の後を一生懸命付いて行きます。でも彼は一生懸命、花を見つけては私に教えてくれます。 

また息が上がり始めて、写真どころではないのに~。その内に、また相槌を打つのさえつらくなってきた。でも彼は「あそこに花がある。」「ここに花がある。」と何度も何度も教えてくれます。段々、腹が立ってきます。最終的に、私は「もうわかったよ!しつこいな!」と言ってしまいます。

A「おまえが花のこと言ったんだろうに!しつこいとは何だよ!失礼だな!」

私「だって、相槌が打てない状態なのは見てわかるでしょ!こんな状態なんだから、花の写真なんてもう撮れっこないのに、何度も何度もうるさい!」と怒り爆発です。

7合目から8合目は岩だらけの登山路で今迄以上に困難です。

 

私は何で富士山になんか来ちゃったんだろうかと後悔。とうとうAに、

「安易に富士山に行きたいなんて言わなきゃ良かった。」とか、

「チョロイだろうと舐めていた私が悪かった」とか、

「私や(一番最初に富士山に登りたいと言い出した)Kは別に今年、富士山に登らないで良かったのに、なんで、誘ってくれちゃったの?」などと言ってしまいます。

挙句の果てには「登りたいと言いだしたKがなんで来ないんだろう!」と殆ど八つ当たりです。 

8合目に着いたのは12時半。初心者の中でも物凄く遅いペース。この頃になると息がゼーゼーではなくヒィーヒィーです。なのに8合目で休憩中Aは相変わらずしゃべりっぱなし。

A:風の音しか聞こえないだろう?

私:さっきから(君がうるさいから)Aの声しか聞こえない。

A:ここ気持ちいいから、少し昼寝すれば?

私:昼寝するから頼むからしゃべるの辞めて。うるさい。

とにかく疲れ切っている私はAに対して腹が立ちっぱなしです。

(続く)


富士登山 その③ いよいよ出発!

2006-09-10 23:20:55 | 旅行

起きてから、5合目の辺りを少し散歩し、景色を楽しんでから、朝ごはんを食べ、用意をして(日焼け防止のための厚化粧も必須)、いよいよ出発です。

まず、5合目(標高2,400m)から6合目(標高2700m)を目指します。Aは、「5合目から6合目迄は平坦だよ。」と言いますが、一睡もしていない私は6合目に行くまでに心臓が口から飛び出そうな状態になります

フーフー言いながら、漸く6合目の山小屋に着き、コーラを1杯飲みながら休憩。そして杖を買ってから間もなく7合目(3010m)へ出発。

前にも言ったようにAは年に何回か富士に登山しているのですが、6合目で既にバテて休憩を取った知り合いは初めてだ!と言います。私は内心「だって寝てないもん!誰のせいで寝られなかったと思ってんの?」と毒づきますが、口には出しません。

 

6合目から7合目に登りながら、富士山は想像していた山登りと違うと感じます。普通の山道ではないのです。6合目から7合目にかけては砂利と石ばかり、歩きにくいです。

私が初登山で、6合目迄に既にバテ気味だったのでAは、いろいろと説明をしたり、励ましてくれます。最初の内は相槌を打っていたのですが、直ぐに相槌さえ打てない状態になります。それでもAは弾丸のごとく話し続けます。

段々、心に余裕がなくなってきている私は、

「相槌するのも大変だから、頼むから何も話しかけないで!」

A「俺は勝手にしゃべっているんだから無視すればいいじゃん」としつこく話し続ける。

私「うるさいから、少し黙っていて!」と喧嘩ごしです。

なのにAは「仮眠してから登ると楽だね。」などとぬかします。

私「あなたは寝てるからいいけど、私はいびきがうるさくて一睡もしてないよ!」ととうとう口にしてしまいます。

***

登っていると、後ろから「おはようございます!」と声をかけられながら他の登山客にバシバシ追い越されました。最初は私も他の人たちに「おはようございます」と挨拶していたのですが、徐々に挨拶さえできないくらいの息切れ。

そして、上からは今時の茶髪の男の子三人が下山してきました。先を歩いていたAに彼らはまず挨拶をしました。そしてAの後ろにいる私とすれ違う時に、彼らはさわやかに「頑張ってくださいね!」と声をかけてくれました。私はゼーゼー息を切らしながら、聞き取れぬような声で「頑張れないかも~ぅ」と答えると、彼らは声を上げて笑いながら通り過ぎます。そして一言、後ろの方で

まだ7合目にも着いてないのに~ぃ」と言っているのが聞こえました。

さわやかな青年たちよ!大きなお世話なのだ!と心の中で思いますが、声になりません。

途中、何度か休みながら漸く7合目に到着。息は上がり、心臓はバクバクです。登る前は頂上に行く気マンキチでしたが、7合目で、もういいって感じです。っていうか無理!

(明日に続く)


富士登山 その② - 7日の夜

2006-09-10 21:00:45 | 旅行
7日の夜、10時近くにAが迎えに来てくれました。ちなみにAは私が子供の頃、毎年、行っていた東京プリンスホテルのプールで監視員のバイトをしていて知り合いました。当時、彼は大学生、私は中学生で、腐れ縁です。母も昔から彼のことを知っているので、Aに富士山に連れて行ってもらうと言っても、何も言いません。

さぁ、富士登山の小さな旅の始まりです。まずは、車に乗って直ぐの会話

A「高速の乗り口はどこ?」
私「どこに行くの?」
A「どこに行くのって決まってるだろう、富士山だよ。」

出ました!彼お得意のいつものあげ足取りです。本当にいつもあげ足を取るので毎回ムカついているのですが、初っ端からけんかしてもしょうがないので、

私「それはわかっているけど、どっち方面に行くの?」
A「渋谷の方」
私「じゃぁ、飯倉」
A「一の橋から溜池に向かって、新一の橋のちょっと先で合流する首都高速だよ。あっちの方向に行くんだからね。」
私「あっち方向は入口が飯倉にはないから、じゃぁ天現寺」
A「天現寺は渋谷方面に行かないだろう。でもおまえがそう言うなら天現寺の方に行くけど違うと思うから、最終的には俺のわかる行き方で行くよ。」

本当に感じ悪い奴です。飯倉の方へ向かって合流する方向というから天現寺の入口と言うと、そうじゃないけど、お前が言う方にとりあえず行くが、最終的には俺の知っている道で行くと言い、訳がわからん!怒りのゲージはかなり高くなりますが、どうせここで文句を言っても、奴はいつものごとくへ理屈ばかり言うでしょう。私は内心「最初から聞かなきゃいいじゃん!全く!勝手にすれば!」と思いながら、会話を放棄。

***

12時くらいに富士山の5合目に到着。車を止めて、星や夜景を見ながら寝る用意をします。私は5合目に上がって行く山道で、かなり眠気を催していましたが、Aは運転の緊張感からか目がさえた様子。「寝れないな~。おまえは寝れない時どんなこと考える?」と話しかけてきます。その内、おなかすいて寝れないと言うので、お菓子を出して、二人で食べます。

そしてまた寝ようと思い、私はシートを倒して毛布をかけていると、彼は明日登山するのに私が風邪をひくといけないからと言って毛布を私の肩までかけてくれます。私は「ありがとう。子供じゃないから自分でそれくらいできるから。気にしないで。」と言うのですが、寝返りをうつ度に毛布をかけなおしてくれます。そしてウトウトしそうになるとまた毛布をなおしてくれる。その度に、私は目が覚めるので「有難う。本当に自分でできるから…」とやんわりと言うのですが、何度もやってくれるので段々、腹が立ってきます。気を使ってくれるのはありがたいことですが、しつこいくらいに気を使われるとこちらも気になるので、ほっといてくれた方が気が楽ってものです。

最終的には強い口調で「自分でできるからほっといてって言ってるでしょ!」と言うと「あ~わかりました。もう絶対にやりません!」と怒って、さっさといびきをかいて寝てしまいました。

私は眠いところに話しかけられ、ウトウトしているところを起こされ、気が立ってしまい、なかなか寝付けない。漸く、ウトウトしそうになったら今度は急に「なんか言った?」と大きな声でAが言います。
私「何も言ってないよ。」
彼「あっそう。グーグー」とまたいびきをかいて寝てしまいました。どうやら寝言だったようです。(勘弁してくれぇ~!!!)

そして明け方5時に目覚ましがなります。結局、私は一睡もできませんでした。そして、これからが本当の悪夢(!?)の始まりです。
(明日に続く)

富士登山 その①

2006-09-09 00:23:41 | 旅行

今年の6月頃、女医の友人Kとランチを食べていた時に、何故か富士山の話になったので、「私の友達で、年に何回か富士山に登っている人がいるのよ。」と話したら、彼女は「一度、登ってみたい。」と言います。「じゃぁ今度その友人にいろいろ聞いてみるわ。」と言ってその会話は終了。

私はその日、早速、友人A(男性)に女医の友達と今度、富士山に登りたいので、いろいろと教えて!という趣旨のメールを送った。そしたらすぐに、山開きはいつからいつまでで、個人で登る場合はどうするのがいいとか、いつが良いとか、ツアーもある等々というレスポンスが返ってきたのです。私はそのレスポンスをそのまま女医のKに転送しました。

その後、Kは夏休みにドバイに旅行に行き、私は香港へ行ったりで、富士登山の話はうやむやに…。つい先日、十番でKとランチをした際には、「富士登山は来年にでも」なんて話をしていたのですが…

先日、富士山の情報をくれたAが「今週の天気を見て、富士山に登ろうと思うんだけど、7日~9日いずれかの晩に東京を出て、5合目まで車で行き、仮眠を取って、翌日(8日から10日のいずれかの日)に登るのはどう?」と連絡がありました。

一応Kにメールで都合を聞いたものの彼女は急すぎて、行けないと言います。私もそれはそうだよなぁ~と思いつつ、Aは先週末、下見登山までして来てくれたと言います。その上、今週くらいに登らないと寒くなるし、今週が初心者にとっては今年、最後のチャンスだと言うのです。

私は前々から一度、登ってみたいと思っていたけれど、まさかそんな計画をAがたててくれたとは思ってもいませんでした。でもまぁ、せっかく企画してくれたことだから断るのも悪いし、熟知している人が案内してくれるならいい機会だから私一人でも行って来ようと思い、参加。私が唯一行けるのは7日の晩に出て、8日に登る日程だけだったため、富士登山なんてチョロイだろうと安易な考えもあり、Aと2人で7日の晩に東京を出発したのです。でもチョロイなんてことは後に大誤算であることに気がつきました。

今日、さっき帰って来ての感想…あんな大変な山登りはもう二度と行かない!詳細は明日以降に…今日は疲れてもう死にそうなので…

追伸:トップの写真は今朝方、明るくなった空に浮かぶお月様です。

(5合目駐車場からの朝景色)

画面右側に富士の地面があるのですが、写真中央の山みたいな形の物は朝、日が出た時の富士山の影です。珍しいというか、気候とか特定の条件が見合わないと富士山の影は滅多に見られないのでラッキーでした。


旅行最終日(最終章)

2006-08-28 19:32:25 | 旅行

櫛田神社を出てから今度はどこに行こうかと、櫛田神社付近をうろうろしていたら万行寺というお寺を発見。

1529年に七里隼人が蓮如上人の命により建てたもので、明治時代の住職七里恒順は真宗の名僧と言われた。また信心深かった遊女名月の墓から初七日に蓮花の花が咲いたという伝説があるそうです。

万行寺から駅の方へ向かおうとしたら今度は東京の浅草にある母方の先祖のお寺と同じ名前のお寺を発見。

駅についたら猛烈におなかがすいていることに気づき、とりあえず、駅でうどんをすすりました。それもそのはず、時計は午後4時をさしていました。

ご飯を食べたら前日の4時まで飲んでいたのがたたり、歩き回る元気がなくなってしまい、駅ビルでお茶したり、お土産の購入をし、観光はここで終わり。


旅行最終日(福岡 櫛田神社)

2006-08-27 17:47:14 | 旅行

東長寺を出ると通りを挟んで鳥居が見えます。これは櫛田神社への鳥居です。その鳥居を潜って直進すると右手に博多町家ふるさと館が見えてきます。

その直ぐ先にもう一つ小さな鳥居が見えてきます。

ここが創建が757年と言われたり、686年頃という説もあるような古い神社、櫛田神社です。

ここは古来から博多の鎮守神として崇敬を集めている神社で7月には福岡の有名なお祭り、山笠がこの神社への奉納行事として行なわれており、境内にも山笠が展示されています。

 


旅行最終日(福岡 東長寺)

2006-08-25 11:20:50 | 旅行

次に向かったのは東長寺、正式には南岳山東長寺といい、806年に真言宗の寺として弘法大師が創建した日本で一番古い霊場。弘法大師が修行の後、帰国して博多に滞在した際に密教が東に長く伝わるように祈願されたお寺。

ここには重要文化財の木造千手観音立像や日本一の木造大仏座像がある。この大仏は昭和63年から4年の歳月をかけて彫刻され、大きさは高さ10.8m、重さ30トン、光背の高さ16.1と、とにかく巨大。残念ながら大仏は撮影禁止。

本堂前にある六角堂は1842年に博多で薬や油を扱っていた豊後屋栄蔵(万歳桜袖彦)が名古屋以西の商人から財を募り、名古屋の堂宮大工、伊藤平左衛門に建立させ寄進したもので、弘法大師像など6体の仏像が置かれていて、市の指定建造物。正面が広く、変形の六角で、礼拝しやすくされたそうです。中の六角型の厨子扉には当時の日本を代表する文人墨客の書画が彫刻されている。毎月28日に開帳される。

 

(左端が六角堂)

 

ここは黒田家の菩提寺でもある。

 


旅行最終日(福岡 聖福寺)

2006-08-24 15:31:28 | 旅行

いよいよ東京に帰る日です。この日は友達とお昼を食べて、ゆっくりとお土産などを買って午後20時代の遅い便で帰ろうと思っていましたが、予定していた友達に急な仕事が入ってしまい、日中は丸々あいてしまいました。

しょうがないからホテルを午前中にチェックアウトした際、フロントに荷物だけを預けて夜まで時間を潰すことに…夜まであるから電車に乗って郊外の温泉にでも行こうかと思ったのですが、何せ、前日は午前四時まで飲んで、殆ど寝ていない状態、電車に飛び乗ったら寝てしまい、乗り過ごしそうな上、温泉になんて入ったら、帰りの電車で爆睡し、鹿児島まで行ってしまいそうな勢いです。

かと言ってホテルはチェックアウトしてしまったし、寝るところもない…しょうがないから博多駅の観光協会に行き、市内の観光マップをもらって市内をブラブラしました。

まずは聖福寺。ここは禅宗の始祖であり、日本にお茶を伝えた栄西禅師が1195年に創建した、日本最古の禅寺で、境内全域が国の指定史跡となっています。

これは山門。この山門には後鳥羽天皇から贈られた「扶桑最初禅窟(ふようさいしょぜんくつ)」という、日本最初の禅寺という意の額がかけられているそうです。

聖福寺

地下鉄「祇園駅」

福岡市博多区御供所町6-1


旅行5日目 (後半 福岡)

2006-08-22 15:54:53 | 旅行

夜20:40分に台北経由で香港から福岡へ到着!ちょっと怖いMrs. Nおよび手のかかる伯父とここで別れられると思うと自然と笑みがこぼれてきます。しかし!

Mrs. N「今日はどうぞ私の福岡のマンションに泊まって」と今頃、親切なことを言ってくれます。

私「いえいえ、お気持ちだけで…」と低調にお断りしようとする間もなく…

伯父「いやいや、今日は田主丸に泊まらんか?」と言います。

私「福岡駅前にホテルも取ってあるし、今晩は市内の友達と約束があるから…」と必死で断ります。

伯父「何だこれからまた遊びに行くのか!」とまた怒られます。

また遊びに行くのか!って…この4日間はジジババのボランティア・ツアコンで遊んでないでしょ!

伯父「じゃぁ、また明日、田主丸で」

えっ!田主丸でってどういうこと?翌日は東京で酒屋をしている友人が福岡に出張で来るから、もう1人バーを経営している東京の友達と3名で合流し、田主丸の紅乙女の工場見学に一緒に行きたいんだけど、って香港に行く前に言ったら、旅行から帰ってきた翌日は残務処理もあるし、迷惑だ!くらいの勢いで言っていたじゃん…だから酒屋の友達にもまた改めて福岡ツアーを企画しましょうとやんわり断ったのにぃ~(深圳と同じパターンです!)

私「明日は田主丸には寄らずに市内の友達と遊んでから東京に帰るから」

伯父「東京の酒屋さんはどうした?」

私「えっ?帰国した翌日に行くの迷惑そうだったから断ったって言ったじゃん。」

伯父「俺は迷惑だなんてことは一言も言っていない。」と最後の最後に喧嘩が勃発寸前!しかし私は早く友達の待つ中洲へ行きたくて気もそぞろ…どうにか伯父やMrs. Nを振り切って市内のホテルに荷物を置きに行きます。

この日の宿は初日とは違う駅から徒歩1分のホテル、サンルートでしたが、初日同様、狭っ!

荷物をおいてから直ぐ、友達が指定した「中洲のトッペンにあるナガエ寿司の2階のツキ」というバーで友達と落ち合います。(トッペンとは方言で尖った方という意味らしいです。)

友達と合流し、ビールを1杯飲み、今度は中洲の街中にご飯を食べに行きました。この時、既に時間は23時を回っています。2軒目も飲み屋系でしたが、そこでは暑いのに何故か鍋を食べました。

少しおなかを満たしたら、もう1軒飲みに行こうと友人は言います。香港での鬱憤が溜まっていた私は勿論、友達について行きます。3軒目は中洲にある居酒屋です。(この時、既に出来上がっていた私は写真を撮ることすっかり忘れていた模様)ここではとりあえず、ウーロン茶で小休止を取りました。ウーロン茶を飲み干すと最初に落ち合ったバーにもう一回戻ると友達は言い出します。

中洲のトッペンにあるツキでは造り酒屋の御曹司という方と合流し、友達やマスターと4人で盛り上がってしまいます。実は私、仕事関連の人がいない席で飲めば飲むほどテンションが上がり、元気になって行くのです!普通は飲めば眠くなるのに私は逆に目がさえてしまうのです。4時頃になって私が絶好調!と思ってはしゃいでいると、友達は既に居眠りしているので、泣く泣くお開きにして、ホテルに戻りましたが、その日は目が冴えるばかりでなかなか寝付けずに朝を迎えてしまいました。(っていうかホテルに帰ったのは午前4時を回っていて既に朝だと言う話ですが…)


旅行5日目(前半 - 香港最終日)

2006-08-21 17:00:24 | 旅行

やっとジジババのツアコン最終日です。とりあえず朝食を済ませてからお昼過ぎにホテルを出発するまでは自由時間ということで、私は一人、ホテルの側を散策します。

  

お昼過ぎにホテルをチェックアウトして、JTBのガイドさんが迎えに来た車で空港へ行く途中、ドライバー以外の全員がシートベルトをしていなかったので、白バイにつかまりました

帰りも台北経由です。

 


旅行4日目(後半)

2006-08-17 16:37:17 | 旅行

ジャスコでの展示会を視察した後は伯父と町中を少し散歩。夕飯はアフタヌーン・ティーで有名なペニンシュラホテルで中華。さすがにペニンシュラ内のレストランではブログ用の写真をパシャパシャ撮ることはできませんでした。

ホテルに帰ってからはただただ部屋で一人ボォーッと夜景を眺めてました。

 


旅行4日目(前半)

2006-08-14 16:48:05 | 旅行

この日は本来の伯父の香港旅行の目的が漸く達成されました。伯父の会社の胡麻祥酎紅乙女を香港のジャスコで催されている九州物産展に出店しているので、視察が目的です。実は初日に夕飯を食べに行く前に、現場をちょっとだけ視察したのですが、あまりにも閑散としていて伯父は一瞬見ただけで「何だ、香港の市場はこんなものか。香港は無理だな。」とやる気をなくした模様。

しかし香港3日目は日曜日だったので、初回に視察した時よりも朝から大賑わいです。伯父は嬉しくなったのか、従業員そっちのけで、自分でお客さんに「お味見をどうぞ」と紅乙女をコップに注いで手渡します。

そして、伯父は「当分ここで、売込みをするからお前は店内を観て回って来ていいぞ。」と言います。「どこか観光してきて良いぞ」ではなく、「店内を観て回って来ていいぞ」なのです。

こうなったら、ジャスコでお土産を意地でも探してやるぞぉ!と意気込んでいると意外といろんなものが揃いました。調味料、ピータンや何故かディズニーのティッシュー等々。ある程度、買い物をしてから伯父の元に戻ると「何だお前は買い物のためにわざわざ香港に来たのか。しょうもないものばっか沢山、買って!」と何故か怒られます。別に伯父のお財布からお金出したわけじゃないし、店内を見てきていいって言ったくせに!それに本職の通訳にギャラもださないで、偉そうに言ってくれるなよ、爺さん!と心の中で叫びますが、我慢、我慢!

今回の旅行のお土産の数々


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