まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

やらかした…

2024-02-21 08:32:33 | Weblog
疲れとメンタルからか昨日38度の発熱。今朝は38.8度消炎鎮痛剤を打って、熱が上がるってどういうこっちゃ(-_-;)

とりあえずワン子たちのことが気になるので、一度、帰宅。

おちおち緊急入院もしてられない。

やはり独居で動物飼うのは無理がある…ってかチビたちがかわいそうだなぁ~と最近思う


7回忌だった!?

2024-02-08 22:05:30 | Weblog
一週間前、そういえば6年前の今日は同じ木曜日で、ママはまだ普通に会話してたよなぁーと、家で書類を探しをしながら、ママのことばかりを考えていた。
次の日、2月2日は命日で、ママが死んだ時も寒かったなぁ。
やっぱりお墓参り行くかな?とか考えながらも、その数日前に税理士の先輩にコテンパンにディスられて、いや意地でもやることやって、今年は会社の決算の書類や自分の確定申告を確定申告が始まる前に送ってやる!と思い、家でイライラしながら書類と格闘。
先輩からディスられたと言うも、きっと私のことを気にして敢えて厳しい言い方をしてくれたのだとは思いますが、その言われ方と言ったら撃沈だった…
ママの命日ともあり、その日の私と言ったら、かなり心も沈み、良からぬことを考えては、いやいや、チビたちの為にも頑張ろう!そんなこれしきの事でへこむなんて私らしくないと気持ちを切り替えようとしながら作業。
でも全然進まないし、あまりの寒さで体中が痛い…完璧、負のループと思っていたら、お昼過ぎにインターホンがなり、友人から天井に届くほどの立派なお花が届いた。
そこで気づいた…前日に6年前の今日はと書いていたからどうしても6年という意識しかしていなかったけど、友人のあまりにも立派な花を見て「あっ!7回忌だ!」と気づく💦
7回忌の法要しないと母の友人たちはもう年だから13回忌の時はもう集まれないじゃん!ちーん!とまた落ち込む。
でももう寒い中人を呼んでも母は喜ばないし、「お金と時間は死んだ人の為ではなく、生きている人の為に有効に使いなさい」とよく言っていたし、今さら遅いから、心の中でごめんねとつぶやく
しかし、花を送ってくれた友人には感謝しかない。私が忘れていた7回忌を彼は覚えていてくれて素敵なお花を送ってくださり、彼の気遣いには涙が出た。
母が居た頃はいつも「頂きものだけど、これママと行って来て!」と歌舞伎の物凄い良いお席をいつもプレゼントして下さった。彼のお陰で、母はどれだけ喜び、観劇中だけでも少しは治療の苦しみを紛らわすことができ、私は親孝行ができただろうかと思いながら、母の遺影の横にお花を飾ったら、彼からのお花は天井に届かんばかり、挙句の果てには私の買った左側の胡蝶蘭がちっちぇぇー!と笑えた。
このお花の一件で少し、気持ちが落ち着き、書類捜索に力を入れたら、午後8時近くに、近所に住む友人が「だんながお風呂でおぼれかけてる!どうしよう!」と電話が入る。
「とりあえず、お風呂の水抜いて、救急車呼んで、バスタオルとかで、体拭いて!」と言って電話を切ってすぐに、私ジャージの上にジャケットを羽織り、タクシーに乗って、現場へ向かった。(自分がへこんでるのに、何故かまたおせっかいな私…)
タクシーを丁度、知人のマンションの前で降りたと同時に救急車も到着したので、私、その家の家族構成やら、旦那さんの持病などをエレベータの中で隊員に説明しながら上へあがって行った。そこから友達に状況を説明させるも、慌てふためいているから隊員の方に「奥さんの言っていることがわからないから、あなたも一緒に救急車に乗って!」と同乗することになった。
本当はウチのチビたちのお兄ちゃん犬がいるから、私は、そのわんこをウチで預かるつもりで行ったのだが、否応なく救急隊にらちられる
幸い、命に別状はないが持病のこともあり、ご主人はその後、入院することになり、私が家に帰宅したのは午前二時過ぎΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
想定外のタイムロスだが、この場合、しょうがない(-_-;)
でも帰ってきてから、書類探しで家の中はぐちゃぐちゃになっているし、寒いし、もう目も当てられねぇー、本当にやってられねぇー人のことよりも自分の生活や体のことを考えろよぉー!と腹が立ち、その内に胃が痛くなり寝られなくなったが、頓服で痛みはやり過ごす。
そして週が明けて、再び、去年、手術した病院の通院日は雪予報。
しょうがないから新車で行くのは諦めタクシーで行った。交通費で6,000円の出費!あぁ"-懐も、体も痛い!と先生に大騒ぎをして、痛み止めを打ってもらって、病院を出たところで、友人から「今日病院でしょ?雪だから車で行ってないよね?僕の車スタッドレスだから迎えに行くよ」と連絡が入った。
なかなか心の凹みからは立ち直れないけど、あぁこうやって、少しでも私を気にかけてくれる人がいるから、もう少し人生頑張ってみないといかんなと思ったこの一週間でした。
病院の帰りに車の中では「私に何かあったら、F君に連絡行くようにメモ残してあるから、お願いだから誰にも知らせないで、火葬だけして、パパとママのいる都営霊園に遺骨だけ運んでくれる?」とお願いしたのでありました。これで死後のことはやってくれる人を確保できて少し安心
まぁ、チビたちがいるからまだ死なないけどね(笑)


ママに会いたいなぁ~

2024-02-01 12:40:37 | Weblog
あっという間に1月も終わってしまった…

今日から2月…

6年前の今日、まだ今の時間は母の意識もあり、ヘルパーさんとも普通にベッド上で会話したりして笑っていたよなぁ~

夕方4時半頃になって、母の調子が良さそうだったので、私は2時間程仕事の為に家を空けた。

帰ってきても、母、普通に会話できる状態で「今日は誰に英語教えてきたの?」と聞いたりしていた。そしてこの頃はもう殆ど食事はとらなかったけどおかゆさんとスープを一口飲んで、お薬も飲んで、ヘルパーさんが寝支度をしてくれて、私が最後にたんの吸引をしたところで8時過ぎに突然意識をなくした。

訪問医に電話するもつながらない、ヘルパーさんは途中でもうこれ以上居ることができないと言われ帰ってしまう…どうしようと思いながら薬剤師の子に「先生に連絡つかないの!」と電話を入れたら、彼女だけが飛んできてくれた。

結局、色んな方法で先生にどうにか連絡はついたのだが、へべれけに酔っぱらっていて来ないという、携帯も壊れているとのこと…あぁー最後の最後までこのくそ医者最悪だった。

とはいえ、母は家で安らかに眠りたいだろうから救急車も呼ばず…薬剤師の女の子、N子ちゃんは泊まってくれることになった。

私はこの一週間くらい前から母の真横に添い寝をしていたので、この日も横に体を並べるが、寝付けない。

母の呼吸は荒く、段々、間隔があいて来て、日付をまたいだ午前2時半頃、正宗が母の様子を見に来た。

この2~3日、チビたちは母が永くないことを感じていたのか、私に最後の時間を譲ってくれたのかあまり、母のベッドにもぐりこむことはしなかったのに、普段、こんな真夜中は爆睡しているはずの正宗が突然、母の所に来て寝顔を覗き込んで、直ぐに自分の寝床に戻ってしまった。

その2~3分後、母、最後の息を吐いた。

意識をなくしてから約6時間のこと。きっと私を疲れさせてはいけないと思っての母らしい、亡くなり方だった。

そして、酔っぱらいの訪問医に電話をするも、雪降っているから行くのに時間がかかるという。いやいや、車で10分かからないところだし、歩いても30分はかからないだろ!と思うも、もう母は息を吹き返すことはないだろうからと思いながら、直ぐに葬儀屋の友達H君に連絡。

板橋に住んでいるH君は3時にたたき起こしたにも関わらず「今からすぐ行きます!」と言ってくれた。

訪問医とH君を待つ間、N子ちゃんと母の体に貼ってあったシップや、おき針をとったりしているとN子ちゃんしくしくと泣いてる。その傍らで私、母の顎の下にタオルを挟んだり、顎の下から更にタオルをかけ、頭の上でぎゅっと縛って「なんか桂由美さんみたい」とぼそっと言うと、

N子ちゃん「何してるんですか?」
私「口、開いたままだと、変な顔で、かわいそうだから」
N子ちゃん「まりっぺ、冷静ですね」
私「いやいや、祖母も看取ってるしね」

というやりとりをしていたらやっと4時過ぎにくそ医者登場。死亡確認をした後、3人でテーブルに座っていたら、正宗がまた起きてきて、私の膝の上に乗って、ガタガタと震えている。その横でやぶ医者は死亡診断書書いて、「昨日、まりっぺが居ない時に往診に来た時に、まりっぺのことは僕もちゃんと見守るからもう無理せずに楽な世界に行っていいですよ、って言ったからきっと安心したんだね、お母さん」と言って帰っていった。あんた、普通に意識のある人に早くあの世へ行けとは何ちゅうことを面と向かっていったんだよ(# ゚Д゚)

入れ替わりに葬儀屋のH君が来てくれる。

ん?同じ麻布に住んでいるくそ医者と板橋に住んでいるH君が来る時間あまり変わらないってどういうこと?と最後まで腹立たしい、医者だった。

そして、H君には「お願いだから、可及的速やかに火葬して。火葬場があいたと同時に取れるおかまで焼いちゃって」と言ったらN子ちゃんはびっくりした顔をしたので「だってここに置いておくと辛いんだもん。」と説明。

N子ちゃん「色々、今後の打ち合わせがあると思うので、私、帰ります。」
私「申し訳ないけど、打ち合わせも後30分から1時間で終わると思うから、もう少しいてくれない?雪降っているからH君に送ってもらった方がいいよ。」
H君、えぇー!俺、板橋、N子さんまったく逆方向!という表情をする
私「何、嫌なの?」
私には逆らえないH君「いや、大丈夫です…で、まりっぺ、火葬なんですが、中一日置かないと火葬できないんです。それとご葬儀はどうされます?」
私「葬儀はしない。それにこの寒い時に人を呼んで煩わせるのはママも嫌がるから、誰も呼ばない。私とH君だけで十分」
H君「わかりました。とりあえず死亡診断書を区役所に提出して、また午後にもう少し詰めた打ち合わせをしにきますから、まりっぺさんとりあえず、寝て下さい」と言って、N子ちゃんとH君が6時頃帰って言った。

さぁ、少し寝ようと思うも、急に母が亡骸になった横で寝る気になれず、落ち着かない。正宗は私の膝の上で相変わらずガタガタ震えて、離れない…

寝られない、どうしよう…と思って、母のことを慕ってくれていた私の親友3名にメールを書く。

とりあえず私の知り合いにはこの時点でそれ以上は知らせないつもりであった。

さぁーどうしようかなぁ~手持無沙汰だなぁ~昨日までは8時からママの朝支度だったけど、午後、H君がくるまでどうしよう…

「まぁー君、君の大好きなママ、とうとう死んじゃったからこれから兄弟三人で頑張らないとね」と正宗に話しかけているとピンポーンとインターホンがなった。

三田に住んでいる友達がメール見て飛んできてくれた

気持ち的に助かった

こんな流れの一日を、今日はずぅっと6年前のこの時間は…って考えるんだろうなぁ~憂鬱だなぁ~
どこか出かけようかなぁ~
何なら前倒しで、パパとママのお墓参り、行こうかなぁ~
と、思うも、そうはいかない事情がありまして…

今月、会社の決算なので、領収証やら、銀行の通帳の資料をごみ屋敷から捜索しないと、いけない!
1週間後にはそれらの資料を税理士さんに送らないといけないのです。
はい、毎年来年こそは!と思っていますが、1年前に肩の手術をして、家の中のごみ屋敷化はバージョンアップしました。
でも、夏くらいまでは、領収証は一つの箱にいれることを実践していたのですが、ある時、人が訪ねてくるので、居間の体裁を作った際、その箱を私の部屋に押し込んだ。大体、あの山のふもとにあると、思っていたのですが、昨日、山を崩したら、そこには箱が無かった。
さぁー困った!大捜索しなきゃ!と焦りつつも時計を見ながら、この時間はママのお昼だったよなぁ~とか思い出してしまう。

ママの願うような生活をあれから私はできていない。
ママ、そしてママタン(祖母)、会いたいよ。
ママやママタンを介護していた頃、皆に「大変だったわね」と言われるけど、あの頃は全然大変じゃなかったよ。笑いの多い毎日だったよ
今の方がよっぽど、体もメンタルもつらいよ。





今さらながら新年明けちゃいまして、おめでとうございます

2024-01-30 12:05:18 | Weblog
昨年は2月に手術をし、術後の経過が芳しくなく、夏に再び手術。

そこにきて年も重なり、今迄できていたことがますますできなくなり、色々なことも重なり心が折れている、というか心も体も死んでいる。
6月には母がとてもかわいがっていた同年代の父方の親戚が突然、あの世に旅立ってしまった。

ほんの30分前迄、元気で仕事頑張っていたのに…別に持病を持っていたわけでもないのに、どうして…何故?と装具を付けた状態で、とりあえず九州へ飛んで行った…

なんか普通に寝ているような安らかな顔…未だにH君(享年57歳)が旅立ったことは半年経っても信じられないし、受け入れられない。葬儀に参列したけれど、あの光景は未だに夢だったんじゃないか、夢であってほしいと思う

そして私はその翌月に再手術をして、一からリハビリの再スタート。未だにリハビリ継続中。先が見えない…その間も他にも色々あって、もう自分の気持ちをどこにどう向けていいのかわからない…

しかし、こんなんじゃいかん!私なら乗り切れる!私ならできる!私なら頑張れる!と気持ちを奮い立たせるも、どうも、もう無理なような気がする…一日の内、何度かもう私、無理だという思いがこみ上げてくる。

その度に、チビ達に「ダメな姉さんでごめん」と話しかける。
そしてチビ達が不安そうに私を見つめる顔を見ては「あぁ、この子達を最後までしっかり面倒見てから、自分の行く末を考えよう」と思い直す。
そして、今後の、私たち三人の老後資金をねん出すべく策を立てながら毎日少しづつ、リハビリの傍ら、動いているのですが…あぁ、やっぱり無理…もうこんな状態なら…とまた良からぬ思いと不安が襲ってくる。

本来なら、体を完ぺきに完治させてから自分の生活を立て直したいところですが、幸か不幸か、今はそんな流暢なことを考えている場合ではなく、とにかく不自由な体でも動かなくっちゃですね(-_-;)

何もできねぇーーーっ!!!

2023-03-07 12:14:12 | Weblog
もうこんな病院二度と来るか!と毒づいて、出てきてしまった〇大〇橋病院🏥

ではあるが、抜糸はしてもらわなくちゃこまるので、嫌々ながら昨日行って来た。

あまりにも退院を早くさせられて、身の回りのことが何一つ一人暮らしでできないなりに、唯一使える左手を頼りに、トイレ行ったり、パンツやズボンを下ろしたり、上げたり必要最低限のことをしたこの一週間

パンツをはくのでも右側のゴムの部分が寄れたりすると気持ち悪いので、物凄く頑張ってパンツやズボンを上げたり、ペットボトルを開けたり、レトルトパックの封を切ったり、チンしたり、普通の何気ないことがものすごく大変で、物の一週間で、一昨年手術した左肩に異状が😨

ちなみに洗濯や食器洗いは自分でできなかろうと友達から、リハパンと紙皿などの差し入れがあった
          


さて昨日の診察ではまず、右肩の抜糸をしてから、左肩と左手首にブロック注射してから左手首にも装具をはめる羽目になってしまった(涙)

         
再来週、右肩のMRIを撮ったら、念のため、その次の週位に今度は左肩を再びMRIを取るという。

頼むから再来週の右肩のMRIではちゃんと腱がつながっていますように🥺
そして、その次の左肩のMRIでは左肩には何も起こっていませんようにとひたすら、何もせずに当分じっとしておこうと祈るも、両腕の痛さとの闘い

何もできないイライラ💣

         

先生よ、処方箋の一つにドンペリドンと書いてあるが、この地獄の底にいる私に液体の美味しい淡々のドンペリを処方するくらいの行きなはからいはできないのかね…
        

あれれ?冬眠?

2023-01-23 20:26:08 | Weblog

金曜日に友人宅で、今年の味噌作りに参加。とはいえ、少し動いてはすぐに疲れてしまう私、ほぼほぼ座って、口で指示するだけ。

翌日は、代官山での、とある商品販売の打ち合わせに行って来た。コレステロールが高い私、意地でも代官山まで往復歩いて行って来た

往復しただけあって

歩けるときは、なるべく歩くようにしてこの1か月で4キロ落ちた。

だけど、このところの体調の悪さと疲れからか、昨夜は夕方6時にもうベッドに倒れこみ、夜中2時頃一度トイレへ起きた。そして、また爆睡。次に目を覚ましたのはチビたちの「キュンキュン」と言う耳元での鳴き声。時計を見たらなんと午後2時半( ゚Д゚)

チビたちに餌をやり、水分補強してからもまた爆睡。夕方、明日の打ち合わせのための資料を用意するために一度起き、またいまから寝ます。

なんでこんなに寝られるんだろう。
明日の打ち合わせさえこなせば2月半ばの手術までは体調を壊さないようにひたすら引きこもるつもりです。


チ~ン

2023-01-17 18:26:19 | Weblog

その内、穴埋めはしていきますが、去年の投稿はまだ詳細に書いていませんが、まぁ~相変わらず色々ありまして、FBでは楽しい画像を満載

でも人生楽しいことばかりではない…特に秋からへこむことも多く、へこむだけではなく、怒ることも多く、年末はとある人物とやるかやられるかのバトルがありまして「私が地獄へ埋めてやる!」とほざいたら、周りの人たちにまぁまぁ落ち着いて!となだめられるも気が治まらず、あぁいうチンピラは「地獄に落としても這い上がってくるからぼっこぼこにして地獄に埋める。何なら私も一緒に地獄へ落ちてやる!」と怒鳴り散らすも、「喧嘩はいつでもできるし、今は昭和じゃないので、まずは弁護士と警察から攻めるべし!」と、皆に売られた喧嘩を買わせてもらえなかった。

そのストレスから先月、みぞおちと背中に激痛。119番に電話かけても1時間つながらず、タクシーで病院に行こうと思うも、コロナとインフルでひっ迫だから無理ですと断られ、挙句の果てには過換気症候群で手足が硬直。死ぬ一歩手前で漸く病院へ近所の麻布消防署ではなく代々木から来た救急車で運ばれた。

結局病院到着まで3時間…これ心筋梗塞や脳梗塞だったらアウトだった。

その背中とみぞおちの症状、未だに治らず、今日は胃カメラ

明日は2月に行う手術の術前検査。

もう年始早々チ~ンです。


母が亡くなってからのご近所付き合い

2023-01-16 16:48:35 | Weblog

我がマンションは前々からブログに書いていたように昔ながらの長屋みたいなご近所づきあいで安心なような、居心地悪いような…それは母が亡くなってから少し変わりつつありますが、それでもやはり濃厚なご近所付き合いが健在です。

 

まず、我がマンションの最上階にお住まいだったご高齢のご夫婦。親切だったけど親切すぎて、距離感を保つのが大変でした。母が亡くなってから、奥様の方は母が亡くなったショックからか痴呆がひどくなり、毎日のようにご主人の姿を見ると「家に知らない男の人がいる!まりっぺ助けて!」と連絡が入るようになりました。

同じ階に住んでいる方々のお宅には朝7時くらいから「おなかすいた」とピンポン攻撃。段々、皆に居留守をつかわれるようになり、最後の方は毎日、我が家のある階を徘徊し、「まりっぺ!まりっぺ!」と私を探し回っていました。ご主人のことは認識できなくなっても、私のことだけは最後まで記憶に残る程、かわいがってくださっていたのです。

そんな奥様の介護で疲れ切ったご主人、早く一人息子に連絡を取れば良いのに、何故か頑なに息子には頼りたくないと言い張っていたのですが、2020年の夏に体調を崩し、緊急入院。そこでやっと息子さんに連絡を取り、久々に親から連絡あった息子さんが家に帰ってみるといきなりお母さんは痴呆で、お父さんは緊急入院、家の中はごみ屋敷(人の家のことは言えない、我が家ですが💦)

そこから私は息子さんが同年代で独身ということもあり、お母さまの施設入居の用意を手伝ったりして、お父様のことは病院に任せていました。ご夫婦の手続きをした後は、コロナ禍で両者には面会できず数か月がたちました。そして11月に入ってすぐに息子さんから「親父が今、亡くなったらしい。今病院に向かっている。」と電話がかかってきたので、そこまでは踏み込んではならないと思いつつも「私も病院行こうか?こういう時、あまり踏み込まれたくなければいかないけど、一緒に行ってほしければすぐ駆けつけるけど?」と申し出ると「お願いします」ということだったので、私も病院に駆け付け、息子さんと合流。

二人ともあまりにも痩せこけたお父さんを数か月ぶりに見て呆然とするも、ぼーっとしている訳にもいかず、私は息子さんに了承を得て、友人の葬儀屋さんを手配。「とりあえず、お家に連れて帰ろう!」と言うと、息子さん「えっ、あのごみ屋敷に?」と言う
「じゃぁ、お金かかるけど斎場に安置してもらう?」と聞くと

「葬儀の日程が決まる迄病院においてくれないの?」と息子

何故か、私が「それは無理!」と否応なしに家にご遺体を運ぶ段取りを取り、昔よくペリーと書いていたおしゃべりな管理人さんに電話を入れ「今から最上階の〇〇さんのご遺体を連れて帰るから、エレベーターにストレッチャー載せられるようにしてもらえますか?」と聞くと

ペリー「この2~3日〇〇〇号室の内装をしているのでエレベーターの養生をしているから、無理」となんとも失礼な対応。

ムッとした私「わかった、じゃぁ、とりあえずご遺体連れて帰るけど、1階のロビーに安置するしかないわね」と脅したら「わかりました。すぐ対処します」ということになり、お家へ連れて帰った。(やればできるじゃん!)

そして、葬儀の準備を友人の葬儀屋さんを交えてしていると息子はあまりのショックに「色々準備があるから10日後くらいに葬儀をしたい」というので、何故か私が「お別れ会を落ち着いてからすればいいけど、ご遺体を10日間もお家に置いておくのはダメ!今週中に火葬!」と断言し、日程を決める。

葬儀屋の友達「棺はどうする?」

息子「一番高いの」

私「納棺してすぐ燃やすから、一番高い棺は必要ない!」と親戚でもないのに何故か主導権を握る私(-_-;)

そこから、自分の家はかたづけられないのに弔問に来ていただけるように○○家の家の中を片付け、どうにか身内だけで火葬。そして、49日を迎える頃には香典返し迄付き合う私。最後に「あのね。何故か私は葬儀場でパパのご兄弟がいるのに私が遺影を持ったり、香典返し迄やっているけど、あんたの嫁じゃないのに、その辺、しっかりしなさいよね!」と息子に説教したら「でもしょうがないじゃん、まりっぺはこのマンションでそういう役回りなんだから!」とほざく息子

未だにここのお家とはつながっており、去年の暮れにはやっとコロナの規制が少し緩み、息子と一緒にママにも面会に行って来た。そしたら、息子のことはやはり認識できないのに「あっ!まりっぺ!」と笑顔を見せてくれました。本当の娘ではないのに何故、私はここまでこのお宅には愛されているんだ!とちょっと嬉しかった💓

その後も他の階に住むおば様の施設入居の手配もした。そして、昨日は6階に住むおば様から「7階に住む○○さんが元気ないんだけど、どうしよう?」と連絡が入る。

「あの!私ここの管理人ではありません!」とは言えず、速攻、7階のおば様をチェックしに行き、息子さんに連絡し「たまにはお母さんの顔を見に来てあげて」とおせっかいをやく私。

こんなマンション今時ないよねぇ~全く面倒くせぇから!とたまに思うも、母が亡くなってから、肩の手術をした時には7階のおば様が退院後、毎日、ご飯を届けて下さったり、去年、2か月程、北海道旅行に出た時に「まりっぺを最近みかけない!」とマンション中が大騒ぎになったりして、有難いマンションではあります。


2021年

2023-01-15 10:39:09 | Weblog

2020年は肩がが痛くて、皆に「それは五十肩でしょ!動かせ!」と言われ続け、母も祖母もいないので、思い切り旅行行って、温泉入って、テニス三昧。

それでも肩の痛みは増すばかりで、ある日、テニスのコーチに「僕もずぅっと肩痛かったけど、この間、日大のスポーツ整形行って、注射打ったら嘘みたいに痛みが取れた」と言われたので、帰宅後、早速、日大病院を調べてみた。

ここは世間を騒がした問題のある病院だけど、コーチが薦めたのはお茶の水の日大病院。

そして、日大はフットボールやら、お相撲が強いからスポーツ整形が良いとの評判だったので、早速2020年11月に受診。

何と、検査をしていくにつれ、両肩の腱板断裂。しかも、利き手の左は骨が石灰化している。とりあえず、注射を打って、翌年2022年1月に左肩の手術の予約を入れました。

従って、2020年の忘年会と2021年の新年会はコロナにだけはかかってはならぬ。この痛みを取る為に、とりあえず家に引きこもろうと思って静かにしていたのですが、なんと、2021年年明けに主治医がコロナにかかり、私の手術は一か月延期😨
おい!私じゃなくて、先生がコロナかよ!
否応なくその後1か月も風邪などひかぬように引きこもり。

引きこもっている間もどんどんコロナ数が増え、入院の際、迷ったのは病室でした。

今まで祖母も、母も、いつも個室で入院。勿論、私も個室を希望。コロナのこともあるし、他人のいびきやカーテンで仕切られる空間が耐えられないだろうから個室にしたいと考えてはいたけれど、先生が「3週間程の入院」と言われた挙句、病室の値段をみたら個室は一泊39、600円( ;∀;)

悩みに悩んだ挙句、3週間のカーテン仕切りの大部屋はギブアップし、個室を選んだ

個室でよかったと思うものの、コロナ渦での入院、痛いし、三週間もつまらなかった。

コロナ渦の為、面会謝絶。唯一の楽しみは質素な食事

↑左下のお皿、これがとんかつと言われた時はショック!

2月の入院のことはわんこを預けた友人と、緊急連絡先に書いた葬儀屋の友人にしか伝えていなかったけれど、このとんかつがあまりのショックで、フェイスブックに上げたら、入院を知ってびっくりした友達が翌日すぐに差し入れをしてくれた

もうこの時は、涙が出る程嬉しかったなぁ~そして、入院すると言った時に入院を含めその前後2か月間チビたちを預かってくれた友人にも本当に感謝

退院してからも、装具は3か月つけっぱななし、包丁も握るなと言われ、リハビリしながら地獄のような年が2021年でした。だから、右肩は大事に使って、痛いなりに手術をせずに上手く付き合っていこうと思うほど肩の手術はつらかった
(ようやく、少しづつブログの写真掲載の仕方が戻って来た!)


2020 コロナの混乱の中での一年

2023-01-14 20:13:47 | Weblog

2019年の終わり頃から武漢で未知の疫病が発症していたものの、正か、世の中が激変するとはその頃は思いもせずに2020年2月には知人のおばさまに誘われるがまま、2週間ポルトガルとバルセロナに行ってきました。

ポルトガルではなんと8ヘクタールもあるそのおばさまの知り合いのお宅に滞在させていただき、その方に観光案内やら、外食は勿論、ポルトガルの家庭料理をふるまって頂きました。しかも、その家主、フランス人ジャーナリストのバツイチのおじ様で、私は思わず、そこに嫁ぎたいとまで思ってしまった💓

ポルトガルで行った世界最古の書店。おかれている書籍は初版本ばかり

 

なんだかのどかな街にもぶらっと行きました

 
ご一緒したおば様ともう一名の方は食品関係のお仕事をされているのでソーセージ工場に行ったり

 

美味しいものもいっぱい食べた

     

   

ジャーナリストの方のお食事も美味しく胃袋捕まれた

 

ポルトガルで目いっぱい観光し、美味しいものを食べて楽しかったのですが、やはり旅先で知らない人様のお宅に滞在したので気疲れからか、翌週、マドリッドに移動したらすぐに風邪ひいてダウン。ご一緒した二名の方々はサグラダファミリアに行かれたり、ダリ博物館に行かれたりする中、私は初めてのマドリッドで一人ひたすらホテルで、薬局で購入した薬を飲んで寝てたzzz

でもちょっと調子が良い時はお昼間の暖かい時に食べ物を買いに町に出たけど

   

旅の最後の頃はあまり記憶がなく、ビルバオ経由で帰ったのは覚えている

旅の後半は完ぺきチ~ンという感じでしたが、それよりも何よりも、羽田に着いてからがドキドキ💓声は出ないわ、咳ゴホゴホ、熱っぽいわ。帰国した頃が丁度コロナが大騒ぎになりはじめており、入国制限をし始めた正にその時。幸いにも、どうにか入国もすり抜けられ、無事、家に到着。家に帰ってからテレビをつけると、病院が大変だから風邪症状の人はまず保健所等に電話をという呼びかけをしていたけど、電話はつながらないし、私、死にそうだったので、電話も何もせず、広尾にあるかかりつけの先生の所に駆け込んだ。その先生には今も足を向けて寝られないのですが、直ぐに血液検査とレントゲンを撮って下さったら、ガビーン!「肺炎です!」との診察結果😨

でも先生の見立てでは細菌性の市中感染でおそらくコロナではないので、その日から朝晩、点滴を打ちに通うことになりました。しかし、5日通っても、数値は下がらず、肺の白さも消えずに水が溜まりはじめ、先生もさすがに後2~3日この状況が続くようであれば「保健所に通報し、日赤に入院ね。」と言われてしまった。そこで私が胸を痛めたのは「私が先生のところに飛び込んでしまったから万が一コロナだったら、先生の所2週間閉院になってしまうこと」と自分の浅はかさに涙がこぼれた。でも先生は「それはしょうがないよ。僕はあくまでも細菌性の市中感染だと思っているし、医師として当然の診療をしているだけだから」と仰ってくださって、本当に助かった。

そして、それから3日程点滴を続けたら、ようやくレントゲンの白い影も消え始め、血液検査の数値も下がり、点滴は無事終了。本当に、本当に先生には感謝。

しかし、その後、数週間はすっかり体力が落ち、夏くらいまでは毎日家でぐったりという状況が続き、周りの人たちからは「実はまりっぺはコロナなんじゃないか疑惑」が浮上。夏になってから高原検査を受けてその汚名は晴らしましたが、とにかく広尾にあるKクリニックの先生は名医で今も感謝しても感謝しきれません。

こんな大変な思いをしたのに実は私、それでもタバコをやめていませんでした。しかし、ようやく緊急事態宣言が明け、友達と夏にご飯を食べに行こうということになり、日比谷のミッドタウンに行ったら、喫煙所は封鎖。街中の喫煙所も封鎖。飲食店はオリンピックの開催もあり、ほぼほぼ禁煙。とにかくタバコを吸うのに苦労した夏に嫌気がさし、そうだ!思い切って禁煙外来に行ってみよう!と思い、6月に麻布十番の禁煙外来に行ってみました。禁煙外来にさえ行けば楽に禁煙できると思っていたのですが、先生に処方してもらうパッチを張っても、張り替える時に吸っちゃったり、その内パッチも効がなくなり、パッチを張っていても吸ってしまう始末。

そりゃそうだ、三十数年一日2~3箱吸っていたんだもの、パッチを張ったら本数は減っても、どうしても習慣でタバコに手が伸びる、まっ、しょうがないか。パッチを張っていればその内、辞められるだろうと漠然と考えていたら、ある日、禁煙外来の先生が「やめる気がないなら、もう来るな!あんたの金の無駄で、僕の時間の無駄です!」と怒鳴られた(# ゚Д゚)

私、その怒鳴られたことにむかついた「金払ってるのはこっちだよ!」と心の中で大激怒!でもそれを言われたおかげで「意地でも辞めてやる!」とその日から一本もタバコを吸わずにいます。

というか今のところ吸っていない

その内吸うかもしれない。

でも今年の夏がくれば3年禁煙したことになる

しかし、未だに吸いたくてしょうがなくて夢の中ではしょっちゅうタバコ吸っています。

というわけで、2020年はコロナが流行り始めた頃、スペインで風邪ひいて、肺炎になって、夏に禁煙したことが私の重大ニュースでありました。


謹賀新年2023

2023-01-12 21:30:01 | Weblog

皆さま大変、ご無沙汰しております。
最近はひたすらFBばかりの投稿で、もうこちらを見て下さる方はいないと思いつつ、今日、ご近所のわんちゃんが亡くなったと知人から聞き、それを確認するためにまみみさんのブログを見て、久々に投稿しようと思いまして…

 

さようならじゃなくて・・ありがとう | まみみ暮らし

さようならじゃなくて・・ありがとう | まみみ暮らし

るいが我が家にやってきて慌ただしくも賑やかに過ごした年末年始でしたがその一方で、とてもとても悲しい年末年始でもありました。十三年の長きにわたり、ずっとずっ...

まみみ暮らし

 

サルコーとても残念…正面の顔もかわいいけど、後ろから見るとお尻もお顔のような模様に見えて、いつもふわふわでもこもこだったサルコー。寂しいなぁ~それよりもサルコーママが心配

動物を飼うととても助けられるものの、最後まで責任もって飼わなければいけないのが一番つらい

それを承知で最初は飼い始めるものの、居なくなられると本当につらいよなぁ~

うちの子たちも今年は9歳になります。年老いていくことはあまり考えたくないなぁ~

去年は、私の体もそうですが、チビたちの体力も考え、夏に思い切って二か月チビたち連れて北海道に行ってきました。北海道では乗馬と温泉に明け暮れ、とても良い一年を終えられそうだったのですが、9月、10月と友人を立て続けに亡くしまして、それ以降、バタバタと色々な事件が起こって、年末には背中の激痛で救急車で病院に運ばれ、来週は胃カメラ検査、二月には外科手術をする予定で、ありまして…

とだらだらとくだらないことを書きましたが、今年は、また再びブログを再開してみようかな…とりあえず、すっかりブログの掲載方法をすっかり忘れてしまったので、新年のご挨拶がてら慣らしアップでした

            

 


一人ぼっちの夜

2018-12-19 23:59:59 | Weblog

母が亡くなってから初めての一人ぼっちの夜です。

明日から一晩、水上温泉に行くことになりました。

宿はペット不可の為、チビ達は元々のおウチに預かってもらうことになり、明朝の新幹線に乗るために、今夜の内にチビ達をさっき預かり先に送ってきた。

チビ達も母が亡くなってから初めて、数日間私と離れるのを察して不安そう。

私も送り届けて帰宅後、チビ達も、母もいない我が家でなんか落ち着かない。

居るべき人が居ないって本当に寂しいものですね

ところで正宗、君は歯を磨いているつもりかもしれないけど、そりゃ反対だよ!


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