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まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

旅行3日目 (香港2日目)

2006-08-06 14:39:37 | 旅行

香港2日目は前日、私のホテルの部屋に泊まった杉ちゃんと皆で深圳へ。

香港へ行く前に伯父に一日だけ別行動で、深圳に行かせて下さいとお願いしたら「そんな所に行ったって、しょうがない!」と良い顔をしなかったから、深圳に行くのはあきらめて、わざわざ杉ちゃんに香港迄会いに来て貰ったのに、前日の晩に杉ちゃんが伯父の話を一生懸命聞いてくれたのが嬉しかったのか、伯父は突然、深圳を見てみたいと言うのです。その上、Mrs. Nも一緒に行くと言うのです。

香港から深圳は電車で40分。香港が中国に返還されてもパスポートが入ります。

 

深圳は中国の特定区で経済発展の著しい所。深圳についたら今までの中国のイメージとは大分違いました。でも平均月収は7、8万円だそうです。

(住宅)

(とてもモダンな町なのに、街中で軽トラの荷台に載った労働者を発見)

着いてから直ぐに足裏マッサージを受けました。こちらでは皆、医学部みたいな所で学んでからマッサージ師になるらしくとても上手かったです。その後は中国民族文化村へ。

 

民族舞踊も見ました。

最初はバカにしていましたが、火薬は使うし、馬や牛が出てくるし、京劇みたいなものも組み込まれていてとても面白かったです。

その後、文化村内で夕飯を。観光客相手でまずかった。こんなにまずい中華は初めてです。

香港に帰る前に、レストランでお手洗いに入りました。日本の金隠しがない!


旅行2日目 香港の夜

2006-08-04 22:51:34 | 旅行

夕方5時に、深圳に住んでいる友人、杉ちゃんがホテルに訪ねてきたので、伯父、Mrs. Nと私の4人で夕飯へ。夕飯はMrs. Nがガイドブックに載っている海鮮中華に行こうと提案します。「エーッ!勘弁してぇ~ワタシャ、海鮮でアレルギーのあるものが結構ある~ぅ!」と心の中で叫ぶ。口ではやんわりと「ガイドブックに載っているのって、美味しいところないですよ~。」と言う。しかし、不機嫌なMrs. Nは「絶対ここ!」と聞く耳を持ってくれないので、Mrs. Nに従う。

 

レストランで伯父が紹興酒を選んでいると、Mrs. Nが弾丸のごとく中国語で注文。何を注文したのか聞いてみる。

Mrs. N「テキトォーに!」

私「そんなことおっしゃらずに教えて下さいよ~ぉ。」

Mrs. N不機嫌そうに「イロイロ!」

ここで私ブチギレる。Mrs. Nは渋々と教えてくれるが案の定、食べられない物ばかり。

 

 

 

Mrs. N.は嫌味にも前菜のザァサイ、ラッキョウや豚の皮等「これは全部あなたどうぞ!」と言う。皆がおいしそうに食事をしている時、私はザーサイをつまみに紹興酒をグイグイ。段々腹が立ってくる。でも初日から嫌な雰囲気を作ってはならぬと我慢…ふと伯父の話に耳を傾けると伯父は初対面の杉ちゃんにいつもの度が過ぎる自慢話。私は心の中で「あっ!また始まった。頼むからあまり大きなことは言わないでくれぇ~」と祈るが、その祈りは通じない。杉ちゃんが愛想よく聞いてくれるものだから、伯父は調子に乗って大暴走…私は徐々に口数が少なくなり不機嫌に…しらけたムードで食事を済ませ、帰ろうかと思いきやまたもやMrs. Nガイドブックを指差して「さぁ、今度はデザートよ!」と言って店を出て行く!嫌なムードの食事もなんのその、オバタリアンパワーには負けます。香港初日から思いやられます。


旅行2日目~香港へ~(21日)

2006-08-03 09:44:13 | 旅行

台北で乗り継いでから香港迄は1時間ちょっと。福岡から台北迄は1時間半くらいで、乗り継ぎ時間が1時間。乗り継いだ分ちょっと疲れるフライトでした。成田から行っても疲れ方は変わらなかったかも…10年振りの香港。空港も変わっていました。 

香港に着いてからホテルへ直行。ホテルは昔のリージェント、現インターコンチネンタルです。 

チェックインしてからとりあえず部屋で一休み。福岡でのホテルが安ホテルだったので、部屋に入ったら嬉しくなりました。

 

 

洗面所も広いです。

(部屋の窓からの見晴らし)


旅行2日目(21日、前半)

2006-08-02 21:37:35 | 旅行

前日20日は留学時代の友達と中洲で飲んで、ホテルに帰りついたのは午前2時半過ぎ。21日は福岡空港で9時に伯父と伯父の知り合いのMrs. Nと待ち合わせだったので、睡眠時間は4時間弱。20日は5時起きで一日移動していたため、21日は起きるのがつらかった…

朝、空港に着くと私が一番乗り。次に伯父、そしてMrs. N.

Mrs. Nと私は初対面。Mrs. Nが着いた時に伯父も、私もそれぞれ携帯電話で話していた。それが気に入らなかったのか、電話が終わってから挨拶しても、返事をしてくれないし、チェックインしてイミグレーションの方へさっさと一人で行ってしまう。途中、伯父が保険に入ろうとAIUの機械の前で操作していると、私たちの所に戻ってきて、いきなり「そんなもの入った時に限って、死にますよ!」と感じ悪い一言。2日間寝不足のためここで私はキレそうになるが、伯父の顔をつぶしてはならぬと、彼女の発言を無視。

それからゲートの所についたのは出発1時間前。私はのどが渇いたので、飲み物を買いに行った。一人飲み物を持って伯父やMrs. Nの所に戻ったらヒンシュクを買うだろうなと思い、3人分のお茶を買って、皆に渡すも誰一人とお礼を言ってくれない。ムッとしたものの飛行機の中では伯父とMrs. Nは私の席の一つ前の列だったので、少し気分を落ち着ける。

離陸後まもなく機内食。鰻丼若しく鳥丼のチョイスがあったので、私は鰻丼。Cxxxxx Pxxxxxx航空の機内食は最悪…私は一口で残す。そうこうしている内に台北に着陸(そう、福岡から香港に行くのは台北経由だったのです!)台北に降り立ち再び伯父たちとお茶。その時の伯父との会話:

私 「あぁ~おなかすいた!機内食最悪だったねぇ~」

伯父「おまえはどっちにした?鰻丼か?俺のキッチンはなかなかだったぞ!」

私は思わず「えっ?」と聞き返す。

伯父「俺のキッチンはなかなかだった。」

一口しか食べることのできなかった機内食をなかなかだったと言われ、私は呆然とし、チキンのことをキッチンと繰り返し言う伯父に唖然としてしまった。機嫌の悪いMrs. Nと天然の伯父と果たして3泊4日の旅を無事過ごせるのだろうかと、不安になります。


旅行1日目(7月20日)

2006-07-27 22:49:38 | 旅行

今回は伯父の仕事にボランティア通訳として香港に同行しました。伯父は福岡に住んでいるので、まずは7月20日に福岡に入り、1泊してから香港へ行きます。

7月20日は午前7時半の飛行機で福岡へ。9時15分に福岡着。福岡は生憎の雨。

まずは博多駅前のサンライフ2・3というホテルに荷物を置きに行きました。福岡にはJTBの出張応援パックで行ったため、羽田⇔福岡の往復飛行機代とホテル1泊分がついて30,800円。飛行機のチケットを正規料金で取ると往復7万円近いので、大変お得。でもやはり安いだけあって部屋やトイレがとても狭く、ベッドの上でしかスーツケースは開けられません。窓の外は目前に隣のビルの外壁が…

 

 

ホテルの良かった点は博多駅から地下道でつながっているため、雨にぬれることなくチェックインできること。それからフロントの方がとても感じよく、私が荷物を預けて外出しようと思ったら、傘を貸して下さいました。

そしてまずは久留米に父のお墓参りに行こうと思い、電車に飛び乗りました。久留米に着いたら、バケツをひっくり返したような雨。

(久留米駅前) 

父のお墓は久留米駅から歩いて5分強の梅林寺にあるのですが、豪雨で、駅から出られません。しょうがないから、田主丸という町に住んでいる伯父や大伯母にまず挨拶に行こうと思い、電車の切符を購入しようと窓口に行くと、大雨で田主丸に行く電車が止まっているというのです。しょうがないからタクシーに乗って田主丸へ。4,600円程もかかってしまいました。

田主丸で大伯母と父の思い出話を2、3時間して、再びタクシーで久留米に向かいました。でも相変わらず、バケツをひっくり返したような雨。お墓参りはあきらめようかとタクシーの中で悩んでいると、駅の側まで来たら小降りになり、少し晴れ間が見えました。慌ててタクシーに梅林寺に行ってもらいお参りを済ませます。

お墓参りの後は市内に戻り、友達と午前2時過ぎ迄、中洲で飲みました。


熊野・高野山・伊勢を巡る旅

2006-03-28 00:57:40 | 旅行

今まで、ずぅっと行ってみたかった熊野。でもちょっと遠い熊野、それになかなか熊野に行きたいという友達も見つからず…今回は友人Kの大学の先輩が熊野に戻られ開業されているというので、Kにくっついて連れて行ってもらいました。感激の三泊四日の旅でしたが、超ハードスケジュールでした。

3月18日、品川11:21発の新幹線に乗り、まずは名古屋へ。名古屋から乗り換えた南紀線でゆられること約3時間。16時頃やっと熊野に到着。駅にはロマンスグレーの素敵なKの先輩O先生が出迎えてくださいました。駅からまず先生のお宅に荷物を置かせて頂き、すぐに温泉に行き、その後は熊野の町の小料理屋さんで地元の方々などとお食事。そして隣のスナックへ。12時頃、O先生のご自宅に戻り、その日はKも私もバタンキューこの日はすっかり写真を撮ることを忘れていました。

翌日は世界遺産である熊野古道へ。まずは那智の滝。この滝は高さ133メートルで毎秒1トンの水量が絶壁から落下するそうです。(トップの写真)

那智山は黒い石が取れることで有名で、お土産屋さんにも那智石で作った硯や置物が沢山ありました。また那智黒飴も有名です。

 

(これは那智山青岸渡寺近くから撮った写真で、正面が那智の滝)

那智山青岸渡寺は西国三十三ところ観音霊場の第一番札所として知られていて、古くは如意輪堂と呼ばれていたそうです。この建物は天正18年に豊臣秀吉が創建されたもの。 

那智山青岸渡寺の隣に熊野那智大社があります。ここは熊野速玉大社、熊野本宮大社と共に熊野三山の一つで、滝を神とする原始信仰からおこった社。社殿は元々、滝の側にあったそうです。主祭神は夫須美大神(イザナミノミコト)、万物の生成を育成をつかさどる神とされています。また国造りの神であるオオクニムシノミコトを鎮守にいただくそうです。

 

大社にお参りした後は大門坂という熊野古道の一区間を降りました。マイナスイオンがいっぱい出ていそうで、この日は天気予報に反し、とてもお天気もよく気持ちの良い森林浴ができました。

熊野古道を出てからは、和歌山県の串本・潮岬へと向かいました。

串本に行く途中に見える橋杭岩は、串本側の海岸から紀伊大島に向けて大小40余りの奇岩が850mにわたって一直線に並び、弘法大師が橋の杭を造ったという伝説があるものです。1400万年前地層の割れ目に沿ってマグマが上昇し火成岩となり、その後全体が隆起し黒潮で回りの泥岩が流され硬い火成岩が残ものらしいです。

串本・潮岬は本州最南端です。こちらでは以前トルコの船が座礁し、地元の人々がその船を助けてあげたので、今でもトルコとは大変友好的な関係があるとか。 

  

やはり東京の空や海とは青さが違いました。

翌日の20日は熊野から片道3時間半をかけて高野山へ行ってきました。私は20年近く前に東京・上野の博物館で弘法大師の書を見て以来、弘法大師が祭られている高野山にずぅっと行きたいと思っていましたが、まさかこの旅で実現するとは思ってもいませんでした。

これらの写真は金剛峯寺。1593年に豊臣秀吉が亡き母の菩提のために建立したお寺です。お寺の中の襖絵は狩野探幽等の素晴らしい絵がありました。お寺を拝観し、精進料理をお昼に頂き、奥の院という弘法大師の祭られているところをお参りし、また3時間半かけて熊野へと戻りました。

帰りは帰り道にある龍神温泉にも入ってきました。こちらの温泉は、島根県の湯の川温泉、群馬県の川中温泉と並び、日本三美人の湯として有名だそうです。その昔、役の行者小角によって発見され、その後、弘法大師が難陀龍王の夢のお告げによって浴場を開いたと伝えられているそうです。

 21日最終日は伊勢に向かい、東京へ戻る日ですが、熊野を見きれなかったので、5時半に起きて浜辺まで日の出を観に行きました。

 (上)写真の左中央は獅子岩として有名だそうです。

浜辺での日の出を見てから松本峠を上りました。

 

(峠を上がり切ったら、熊野が一望できました。) 

松本峠は熊野市の大泊と木本を結ぶ熊野古道で、名勝・鬼ヶ城の山手に位置する峠。竹林に囲まれた峠には、鉄砲で撃たれたと伝わる地蔵が立っており、途中の梅林からは七里御浜が一望できます。ここを下れば古道はなだらかな浜街道となり、イザナミノミコトの御陵・花の窟を経て新宮までは峠越えはないそうです。

朝の熊野市を見てからO先生のお宅に荷物を取り、Kと私は伊勢へと向かいました。

 (O先生のご自宅のお庭です。やはり地方のお宅は広くて、お庭も立派でした。)

 熊野だけでもかなりの長さになったので、伊勢の旅は次回に掲載しようと思います。 


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