まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

必殺大掃除!

2012-12-31 17:30:45 | Weblog

母の入院、そしてボルネオに行ったりして10月から殆ど麻布の家にいなかった為、ちらかり放題で、掃除すらできなかった我が家。でも、昨夜は私もマジで死ぬと思い、マッサージを呼んだ。マッサージに行くと今流行りの菌やウィルスをもらいそうで怖く、ものすごい勢いで、居間のものを部屋に押し込み、マッサージの人に来てもらいました。お陰で二部屋全く、踏み込めない状態。

そして今日も朝、祖母の様子を見に行き、帰宅後、居間のカーテンを洗い、居間とお勝手をざぁ~っと掃除。でも数ヶ月、散らかしていたお陰で、綺麗な状態にするのは到底、今日一日では無理。そこで必殺、私の大掃除の技。

老眼鏡をかけずに掃除!つまり裸眼で見えるひどい汚れのみを落とし、後は見えてないことにした。

今日はこれからまた祖母の就寝迄、病室に行ってきます。帰宅後はお風呂と洗濯機の掃除をして、年賀状を少し書いて、夜中は仕事です一人恵比寿で寝ている胃腸炎の母さん大丈夫かなぁ~と思うも、色んな意味で行けない

ごめんねぇ、ママm( __ __ )m


一年

2012-12-31 06:00:00 | Weblog

今年一年を振り返るとあっという間だったような、一年間に色んなことがあり過ぎて、母のガン宣告がとてつもなく昔のような気もする。この一年間、目の前のことをこなすだけで、とにかく一日一日必死でした。

年明けに一気に痩せた母、そして調子の悪くなった愛車のイプサム。春に母が宣告を受け、抗がん剤を始め、体も心もボロボロになり、そこへ来てファンドで数千万の損失を受け、一気に年をとってしまった母。そして10年以上乗っていたイプサムもどんどん壊れていき、看取る時期がきてしまった。上半期は本当に家族が崩壊すると思っていましたが、秋に祖母が無事、百歳を迎えることができ、その日に新車のプリウスαがウチに来てくれて、喜んだのも束の間、抗がん剤を数ヶ月続けても、母の癌には効かずにリンパにも飛んでいて、急遽、手術することになり、10月の終わりに入院し、11月に入って直ぐに手術。

病院からとりあえず退院してきた母の様態が安定していることを確認して、私は現実から逃避するかのようにボルネオへ行き、人生で一番素敵な夕日に出会え、これからも祖母と母のことを頑張れる!と思って帰国したら、まもなく祖母の様態が悪くなり、往診の先生からはもうダメだから病院へ運びましょうというようなことを言われ、運び込んだ病院には45、000円の部屋しか空いてなくて、撃沈する私百歳という年齢から、いつも頭の中では、「いつ何があってもおかしくない」とか、「明日の朝、冷たくなっていたらどうしよう」ということは考え、心の準備をしていたつもりだけど、実際に祖母の死を目前にすると、オロオロ

ところが…

日赤ではO先生という人格者の先生に出会え、祖母の生命力もあるものの、このO先生のお陰で、祖母、この2週間で、2回の肺炎から見事に回復しつつある

ボルネオの夕焼け、O先生という素晴らしい人物に出会えたこと、そして何よりもまた祖母と、母と共にお正月を迎えられることに感謝。もうこれだけで私の人生、得した気持ちです。

これは今まで、私を励まして、勇気づけてくれた周りの方々、そして何よりもボルネオに行かせてくれる機会を与えてくれた友人、そして祖母や母をいつも見守り、サポートしてくれた周りの皆さんがいてくれたお陰です。本当に皆さん、有難うございました。そしてこれからも親子三代よろしくお願いします。

さぁ、今年も後一日、頑張って行こう\(*⌒0⌒)♪

とはいえ、昨日の朝、看護師さんが車椅子に祖母を移動させる際、祖母、転倒。両足の膝小僧を打撲した(°д°)でも不幸中の幸いで骨折はまぬがれたけど<`~´> 百年物の管理は慎重にお願いします!と言いとどまるだけにしておきましたが、病院に入っていても、安心できないとつくづく思う。

そして、夜中には母が胃腸炎で七転八倒し、今日は一日母に「ママタンにも、私にも近寄らないで!外出禁止!」と隔離。母のことも心配ですが、今、私が倒れることはできないし、せっかくO先生とN先生が助けてくださった祖母の大事な命をまた危険に晒すことはできない…

とにかく、今年一年、今日一日が無事、終えられますように(^人^)

今年はきっと、「精神を、そして心臓を鍛えなさい」という私へ試練だったのでしょう(´∀`)


霞む…

2012-12-30 12:05:08 | Weblog

日赤での祖母の主治医のことは何度かブログにも書きましたが、非の打ち所が全く見当たらないO先生

祖母は本当にこの先生が救急の担当をしている時に担ぎ込まれて、ラッキーとしか言い様がない。

そんなO先生はN先生という好青年の先生とペアを組んでいて、N先生も小まめに祖母の部屋に様子を見に来てくれています。

本来、このN先生も育ちの良さそうな、優しく格好の良い申し分の全くない先生なのですが、O先生が素敵すぎて、霞んでしまうかわいそうに

そんなN先生が、昨晩、祖母の様子を見に来てくれた際、「年末年始はお休みされるんですか?」と聞いたら、

「どうしようかなぁ~と思っているんですが、千恵子さん(祖母)が待っていてくれるから、お正月も出てこようと思ってます」と言ってくれたので、

「祖母だけではなく、親子三代で待ってますからね」と答える私

 今年は今までにない年末年始を過ごすことになりそうです。

O先生はお正月はいつもどおりに自宅で祖母を迎えさせてあげたいと仰ってくださいましたが、このクソ寒い中、祖母を家と病院の行き来を肺炎が治り切る前に移動させるのはやはり不安があると言ったら快く承諾してくださったO先生とN先生。本当に感謝。ということで今回は病院で三世代今までに経験したことのないお正月を祝うことにしました。

さて、私…今日もまたこれから祖母の寝巻きをアイロンかけて病院へ行ってきます。別に寝たらシワシワになるんだからアイロンかけなくてもいいじゃない!?と私は思うのですが、母としては「病院で粗末な扱いを受けさせたくないから」という基準でアイロンがけは譲れないらしい…

という訳で、この年末のクソ忙しい中、家政婦になった気分でこちらを聞きながら、ラストスパートをかけて今日もこれから思い切り動き回ります。体調不良はあまりの忙しさに体が麻痺してきた(゜∀゜)


死にそっ…

2012-12-28 22:09:46 | Weblog

といっても、祖母のことではない…私のことである…

今日は朝から洗車に行き、一旦、家に戻って、先日トイレのタオル掛けが壊れてしまったのを、お隣の内装に来ているリフォーム屋さんにただで直してもらい(写真をアップする元気すらない)、午後は数件、挨拶回りに行き、帰宅後は少し片付けようと思っていたら、お腹が痛くなり、ホットカーペットの上でまた固まる。

少ししてから腹痛が収まったので、祖母のところに行こうと思っていたら、今度は吐き気に襲われる。でも今日は朝、トーストを一枚かじり、お昼は納豆キムチでご飯を一膳食べただけで、もったいないから、必死で吐き気を我慢する。

これってもしや!?ノロでは(~ω~;)))

いやいや、今の段階でもまだ下痢はしてないし、吐き気も我慢すれば吐かずにいられる。

ということはノロではなく、また私の持病の胃腸不良か?と思いながらビニール袋を数枚持って、祖母の病院へ行く。

本当はあまりの体調の悪さに洗濯した寝巻きだけをおいて帰ろうと思ったのですが、ヘルパーのHさんが今日もお見舞いに来ていて下さり、絶好調の祖母。

祖母があまりにも面白い反応をするので、ついついおしゃべりをしていたら、夕飯を介助しにきてくれた看護師さんが祖母を起こすと、今までなかった排便があり、ちと寝巻きが汚れてしまっていた。(今日は汚い話でごめんなさい。)

で、祖母を着替えさせてもらってから汚れた寝巻きを持ち帰り、とりあえずまた洗濯。しかも今回は洗濯機ではなく、入念な手洗い

そして、今お風呂にお湯を貯めていると、先月の旅行の反省会を知人の会社が開きたいので、旅行参加者に是非、出席してもらい、ご意見を聞きたいとのメールが入っている。

いやぁ~知人の会社は本当に気の利いた旅行を皆に提供してくれた

反省すべきはおばちゃんたちでしょ!と思っていたら、また再び吐き気を催し、この度は我慢をせずに素直にお手洗いへと駆け込む。

さて、これからとりあえずお風呂に入って、ちょっとだけ、仕事頑張ろう


諦める…

2012-12-27 21:29:29 | Weblog

昨日の午後、O先生と母を交えての三者面談をした後は、病室で、祖母の歌う長唄に合わせて、お見舞いに来てくれたまさこさんがあいの手を入れ、母が踊り、楽しいプチ宴会。その後6時頃、3人で軽い夕飯を食べ、母を送り、一日空けていた家にたどり着いたら、疲れたし(o´Д`)=з、寒いし((((;゜Д゜))))、またホットカーペットの上で固まる私。

あぁ~固まっている場合ではな!、仕事や、大掃除、片付け、そして年賀状など、年の瀬にやらなければいけないことが何一つ手付かずだ(´д`)と思うも、昨日はお風呂に入って、就寝zzz

今朝は8時半頃家を出てウォーキングしがてらから病院へGO!

今朝も寒かっただけに、病室から綺麗に富士山が拝めました。残念なことに望遠レンズを持っていかなかったので、写真ではあまりわかりませんが…

病院の後は11時に美容院で、ヘナカラーをして、一旦、帰宅してから、祖母の寝巻きの洗濯とアイロンがけ。そしてテニスに行って、今年の打ち納テニスの後は打ち合わせが一つあり、その後また病院。祖母が寝付くまで、足をマッサージし、病院を出てから、また打ち合わせが1件。

帰宅するとメールでまた仕事が入ってるし

きゃーぁ(≧∇≦*)倒れそうだ私

でも、祖母の個室代を少しでも稼がないといけないから仕事は断れない

今年はまだ4日残っているものの、もうこれは今年も年末の大掃除は旧暦でやるしかないと潔く大掃除は諦めることにしました


マジ惚れ(*´ω`*)

2012-12-26 21:02:09 | Weblog

O先生は本当に素敵だ…

昨日の夜、祖母のところから帰ろうと思い、エレベーターを待っていたら、

「なかなかご家族がいらっしゃる時に顔を出せずにすみません。明日の面談でお母様とゆっくりお話したいと思います。お孫さんも今日は気をつけてお帰りになって、ゆっくり休んでくださいね。」とわざわざ私を見送りに出てきてくれた。この気遣いで、寒い心が和みます。

そして今日の面談でも、あくまでも祖母が幸せな方法で生活できるように体調を整えて家に返してあげたいと言ってくれたO先生。

私や母は、日赤にかつぎ込んだ時点でもうダメだと思っていたし、2度目の肺炎をお越した時も、もう家に帰ることはできないかも…これから胃瘻、もしくは他の病院への転院を考えたりして、色々な決断をくださなければいけないと考えていたのですが…

O先生はあくまでもママタンを元気な状態で返すことが目標だという…それには「もう大丈夫」と太鼓判を押せる状態になるまで、責任を持って対処したいとまで言ってくれた挙句、「お正月はちょっとだけでもおウチに帰られるように外泊許可をだしましょうか?お正月をおうちで過ごして、また治療に戻ってきてもらうことも考えられますけど…」と言ってくれます。

お正月を家族と共にと考えてくれるだけでも嬉しかったのに、一時帰宅してから、また日赤に戻っても良いとの度量の広さ、マジでうっとりする私達親子。

救急病院だからユキねぇではないけれど「病院はホテルではない!」と言われてもしょうがない年齢の祖母。

O先生は年齢等の線引きをせずに真摯に命を救おうとしてくれて、本当に感謝。

家に帰ることを目標にし、明日からまた食事を上手く食べられるようにリハビリを再開してくれる。そして退院しても、今までの往診の先生と連携を組んで祖母のことを看てくれるとのこと。その上、万が一、肺炎が再発したり、何かあった時は、病室さえあいていればいつでも引き受けるし、いつでも相談には乗ってくれると言う頼もしい先生。

本当に素敵だぁ~


理不尽

2012-12-25 20:34:26 | Weblog

世の中の全ての医療従事者や病院がそうだとは思いませんが9割方、理不尽な世界だと思う。

今回の祖母の先生は後光が指すくらいの人格者だけど、今日、末期ガンのお母さんを抱えたユキネェーが病院から言われたことに愕然としました。

「病院はホテルではありませんから!」

そんなこと言われなくてもわかってるよォー

人のことながら本当に腹が立つ

私ならそんなこと言われた瞬間、先生の胸ぐら掴んでる、絶対に

お正月まで持つかどうか微妙な家族がいる周囲に対して、信じられない言葉を平気で浴びせる無神経さ…あぁ~ムカつく…

せっかくのクリスマス、どうやって、この腹立たしさを収めようか!?

祖母は今日も元気に、一日中「メリークリスマス!」と連発してました。

昨夜は消灯間際に祖母の顔を見に行ったら、「新橋、銀座、銀座3丁目、京橋、日本橋、田原町、浅草、上野」と銀座線の駅名をひたすら言っていた祖母流石、日本橋生まれの祖母はすごいヽ〔゜Д゜〕丿と皆、びっくり…病院の後はギリギリイブ礼拝に間に合ったので、お祈りして、賛美歌歌って、聖なる夜を過ごすことができました。


メリークリスマス(*≧∀≦*)

2012-12-24 19:16:32 | Weblog

ただでさえ慌ただしい年末…家のことやりたいけど、全く時間がない今年は夏のご挨拶に行けなかったので、母方のお寺に今日はご挨拶に行ってきました。途中、上野駅前で

人を救い、人の手本となり、正しい道へと人を導かなければならないはずなのに如何にもいかがわしい宗教団体が交差点にこんな立て看板を縛り付けている光景に遭遇

あんたたち、そんなことしていいのかと怒鳴ってやろうかと思ったけど、それも大人気ないのでスルー

そしてお寺に向かうと

自転車の上に布団が干されている珍百景に遭遇

その後、ご住職にご挨拶をし、近況などを報告していると、次のお参りの方が見えたので、私は村田家のお墓へ行き、お参りにとりあえず、ウチのお墓のお隣の「ゴホンと言ったら○角散」で有名な藤○家のお墓の前に荷物を置いて掃除していると、先ほどご住職のところに私の後にいらした素敵なご夫婦が、やってきて、「すみません。藤○です。」とおっしゃるので

「あぁ~大変失礼しました。」と誤って、荷物をどける私。

両家、永いお付き合いですねぇ~これからもよろしくお願いします。しかし、お宅のおばあちゃま百歳ってすごいですねぇ~

なんて、とても気さくに話しかけてくださるご夫妻。大会社のお宅の方とは思えないというか、やはり育ちがいいんだわと気分よくお墓参り終了。余談ですが、昨日は昨日で、祖母と母がお世話になっている日赤の院長先生にお目にかかることができて、やはり何とも言えない人柄と品の良さに感激した私。今日の藤○ご夫妻といい、やはり育ちの良さって大事だわ

さて、お参りの後は祖母の病院へ行こうかと思ったのですが、ここまで来たら、やはり浅草にある大叔父(祖母の弟)のお参りもしてしまおうか?でもお寺の場所が定かではないし、ついで参りは良くないというのでどうしようか?と悩みながら、車に乗って、大叔父の眠るお寺がある方向へ車を走らせるも、今日は休日浅草周辺は大混雑の上、やっぱり、迷ってしまったので、スカイツリーの下辺りで、「おじちゃん、ごめん、やっぱりついで参りをするなということなので、近くまで来たけど帰ります。とにかく、ママタンを見守っていてあげてね。」と心の中で念じて、都心へと向かう

さぁ~今度は本当にママタンの顔を見に行こうと車を走らせると、日本橋の少し手前で、昔よく行ったお店がまだあることを発見!近くの駐車場に車を止めて

クリスマスイブの日に、一人、豪華に個室ですき焼きランチ

ランチの後、母に「これからママタンのところに向かいます。」と連絡を入れると「私も行きたい。」と言います。

しょーがないから浅草から母を迎えに行き、日赤へ

祖母、今日もご飯を抜いているのに、元気で皆に「メリークリスマス」と大はしゃぎしていました。

小一時間程、祖母の体をマッサージしたり、話し相手になってから、母を送り、一旦、麻布へ帰宅したのですが、ホットカーペットの上に座ったら睡魔に襲われ、気がつけば、こんな時間。

あぁ~今日はイブ礼拝に行きたいけど、家のこともしないといけないし、疲れたからどーしようかなぁ~と悩むところですが、とりあえず、消灯前にもう一度祖母の顔を見に行ってこよう


大人気ない…

2012-12-23 16:49:37 | Weblog

昨日、祖母の病室で、祖母との団欒を過ごしていたら、いきなり一人のおばちゃん看護師が入ってきて、ものすごい剣幕で

「ペーパー・タオルは無駄にばかばかと使わないでくださいそれにメモがわりに使うのはやめてください」と偉く怒られた。

あまりの怖さに「あぁ~すみません。気をつけます。」と謝りました。

確かに体力の弱った祖母への感染症が怖く、神経質なくらい手洗いをしてはペーパータオルをばかばかと使っていたし、祖母が入院した時に、部屋にメモ用紙がなかったから、祖母に何かを伝える際

 

こうやって、ペーパータオルに単語を書いて祖母に見せていました。入院して直ぐに書いた、数枚のこれらの「カンペ」は毎日、同じものを使い回していたのですが、それを発見した看護師の一人に今頃、大目玉を食らったのです。

別に無駄に使ったつもりはなかったのですが、確かにメモ用紙ではない用途に使い、悪かったなぁ~とその時は誤ったものの帰宅後は

「物凄く高い個室なのにペーパータオルくらいであんな言わないでいいのに…」と凹む私。夜、。床に入ってもあの言い方に腹が立ってきた。

そこで朝一番で

 

ペーパータオルを買いに行き、今朝、祖母に会いに行った際、ナースステーションに看護師長がいる時間を見計らって一つ持って行き

「ペーパータオルの件すみませんでした無駄に使ってしまった分、これを買ってきましたので…本当に申し訳ありませんでした」と笑顔で差し入れると

看護師長「何のことですか?」と言うので、

「昨日の夕方4時頃、ペーパータオルを無駄に使わないでください、メモぢゃないんだからと怒られちゃったもので…本当にごめんなさい。」と敢えて夕方4時頃と入れて、その看護師を特定できるように言って、深々と頭を下げた私。

看護師長、偉く恐縮するも「それはごめんなさい。これは受け取れませんから…」と繕う

私「確かにメモ用紙ではありませんし、個室だからというおごりが私たちの間にあったんです。本当にごめんなさい。それにこんなものタダみたいな値段ですから、どうぞお収めください。」と言ってもう一度頭を下げて、最後はにっこり微笑んで、帰ってきてやった

私って本当に大人気ないよなぁ


気分を落ち着けようヽ(;▽;)ノ

2012-12-22 21:56:55 | Weblog

今朝、疲れた体に嬉しい贈り物が届きました。

立派なゴディバ(*≧∀≦*)

今日は母が寝込み、病院では物凄く感じの悪い看護師さんが祖母の担当で、病院でムカッ(ーー゛)っとするも、祖母の今後を考え、低姿勢に接し、夕方帰宅。

ただでさえ気が張っているんだから、本当にこういう医療従事者がいると家族は凹むなぁ~

と思いながら、今朝頂いたゴディバを2つほおばり、芝公園まで知人に会いに行く。帰りにタワーを見上げると

今日も病院には徒歩で行き、芝公園にも歩いて行き、帰りも歩き、帰宅すると

1万歩を超えていました。

今日はこれでぐっすり寝られるかな 


一進一退

2012-12-21 23:59:59 | Weblog

肺炎がほぼ完治しそうだから、嚥下能力が衰える前に食事を再開ということで、昨日から食事を再開した祖母。

昨日は朝、様子を見に行き、私は一旦麻布へ帰り、お昼は母が付き添い、私はテニスへ行き、その後軽く食事をしてから、祖母の消灯の頃、様子をまた見に戻ったら、

「あらぁ~どうしたの?」と元気な祖母。

「様子を見に来たのよ。元気そうでよかった」と言うと

「元気よ」と答え、そこに入ってきた看護師さんに「お元気?」と聞くくらい頭がしっかりしている祖母。

その後、O先生が部屋に入ってきて「千恵子さん元気なんですけど、熱が出てしまいました明日、またレントゲンと採血しましょう。」と言われ、一瞬、嫌な予感が頭をよぎります。

とりあえず、祖母に「熱があるからもうおやすみなさい。また明日来るからね」と声をかけると

「おやすみ。また明日。」と答える祖母。

これだけ頭がしっかりしているなら大丈夫と思いながら、家に帰り、いつもなら母に夜、一度電話をいれるのですが、その日は連絡を入れずに、寝た私。

今日は検査のはずだから、昼食に間に合うように、祖母の部屋に行くと朝から殆ど昼寝ならぬ朝寝をせずに起きていたらしい祖母ですが、それでも元気で、昼食もしっかり食べてくれたので、昨日の発熱はたまたまではないかと素人判断する私。

そこへ午後から診察予定の母が一瞬、祖母の様子を見に来ました。そして直ぐに診察へ行った母。診察が終わった頃には祖母は昼寝タイムだったので、母と十番に食事に抜けました。その帰り、洋服をウチに取りに帰りたいというので、「ウッ…ウチ、ゴミ屋敷だから、タンスに近づけない」と言うと

「それは何度も聞いているから心の準備ができている」というので、

家に上げると絶句する母

「人間性を疑うわ。この状態をみるとあなたの将来が心配だわ。それにタバコ臭い!」と一気にぐったりするも、直ぐに部屋中に散乱した洋服を片付け始める。

この時点で5時…今日の昼間、祖母の担当医に検査結果を聞けなかったので夕方、先生に会いに行こうと思っていたので、片付けに夢中になる母に

私「夕飯に間に合うようにママタンのところに行きたいから、そろそろママを送って行くわ。」

母「今日はここに泊まって、片付ける。あまりにひどすぎる

母がいると私のストレス解消の一服ができないため、必死で

「いや、自分で徐々にやりますから、とにかく恵比寿に帰ろう。」

母「ここは私の家です!」と、頑なに恵比寿へ帰ろうとしない

私「実はね、昨夜ママタン熱を出して、先生が食事を再開して発熱するということは誤嚥性の肺炎の疑いがあるから今日も検査したのよ。その結果を私は聞きに行きたいから、ママは恵比寿で待機せよ!」と言うと、顔色が変わる母。

「とにかく私が話を聞いてくるからママは恵比寿で今日はもう休んでちょうだい」と母を強引に恵比寿に送って行き、その足で、私は祖母の部屋へ戻る

そこへ夕飯が配膳され、また目を輝かせる祖母。そして介食してくださる担当の看護師さんを待っているところへO先生が現れ、「ちょっとお話してよろしいですか?」と言われ、先生と二人きりの面談室でドキドキする私そして祖母の心配ではないドキドキを感じていた私、祖母のレントゲンを見てがっくり…

血液検査の数値はいいのに、レントゲンでは明らかに誤嚥で肺炎再発

また食事をすると今回の肺炎を悪化させることになり、祖母の年からしたら非常に危険な為、また絶食をした方が良いとのこと。つい先日、肺炎がほぼ完治に近い状態になったので、絶食すればまた回復はするであろうが、その後の生活環境の話になり、先生も「ご本人があれほど食べたがっているのに、食べることで命が危ぶまれるというのが、一番困ることで、どうしたらいいかなぁ~」と一緒に悩んでくれるO先生。

「祖母にとって一番幸せな方法で生活をさせたいと思うので、祖母を第一に考えたいと思います。そして母が一番祖母の面倒をみているので、母の意思を第二に考えたいと思うんですが、何せ、母も年明けからまた1年以上かけての治療が待っているんです。病院にはいつまでも置いていただけないことはわかっているのですが、今日、帰ってから母には私が状況を説明しますので、少し考える時間を頂けますか?」というと

「勿論です。肺炎が再発したこの状況では私たちも千恵子さんを帰す訳にはいきません。とりあえずは今回の肺炎を治すことが一番ですから、来週、一度お母様も交えてお話できればと思います。とりあえず、今日の夕飯から千恵子さんには悪いですけど、食事を止めていいですか?」と仰るO先生

私「勿論、先生のご判断に全て任せます」

「では食事、下げに行きましょう」と二人で急いで祖母の部屋に戻ると既に看護師さんが介食を始めており、美味しそうにご飯を食べている祖母。それを見て

「こんなに美味しそうに食べているのに、食事を下げるのはかわいそうだから、絶食は明日からにしましょう。それにしてもこんなに食べることが好きな千恵子さんにまた絶食って酷だよなぁ」と真剣に悩んでくれるO先生

本当にいい人だっ

でも命には変えられないからなぁ~

人生、本当に上手くいかないものなのねぇ~となんだか涙が出そうになりました。

そんな私たちの気持ちを知らずに、祖母、夕食を食べたら満足そうにテレビを見入る。

ちょうど1週間前はぐったりと寝ていたのに、今日は夕食後も小一時間椅子に座って、こんなに元気なのにねぇ~

今日のレントゲンの肺の状態から、普通ならもっと苦しいはずと先生も仰っていましたが、祖母の顔はすっきりしていて、今日も元気でした。恐るべし百歳、頑張れ( ゜ー゜)ノ)"


普通の生活に…

2012-12-20 12:29:01 | Weblog

昨日は思いがけずにアレルギー物質を摂取してしまったので、病院の後は夕飯を抜き、22時頃就寝

早く寝たお陰で今朝は気分爽快トーストをかじってから念のため昨日、処方された薬を飲んで、ウォーキングへ行こうと思い立つ。

本来なら木曜日はテニスなので、ウォーキングは行かないのですが、今日から祖母が3食食事を出してもらえるというので、運動がてら日赤まで様子を見に行こう天気もいいので祖母の部屋から今朝はさぞ富士山がきれいに見えるだろうと一眼を首からぶら下げてでかけました。

ウチを出て、久々にレオ君にも会いたいわぁ~と思いながら公園の中を抜けていくことにしたのですが、いつもより少し時間が遅いせいか、いつもお目にかかれる場所にはワンちゃん軍団はいなかった…

残念と思いながら、出口へ向かうと

ハンサムボーイに会えたぁ~

レオ君も元気になって本当によかった(*^_^*)レオ君のママと少し立ち話をしてから、祖母もレオ君についで元気に普段通りの生活に戻れますようにと願いながら、日赤へと急ぐ私。

部屋に入ると祖母爆睡ちゅう。

あれ?ご飯の後、1時間くらいは座っていないと誤嚥のリスクがあるはずなのに…と一瞬思ったのですが、舌上や口内がきれいになっているから、食事を済ませ、口腔ケアをしっかりしてもらってから寝たのだろうか?と思いながら、ベッドの柵に当たっている祖母の足の位置を直したら、祖母が目覚める。当然、昨日、O先生が今日から3食と言っていたから朝食は食べているものだと思い

「おはよう。ご飯美味しかった?」と声をかけると、首を横に振る、祖母。そして、むにゃむにゃと口を動かす。

「あぁ~まだお腹すいてるの?今日はお昼も食べられるからね。生憎、今日は富士山に雲がかかって見られないねぇ~でも恵比寿の家は見えるねぇ~来週、退院できるっていうし、皆待っているから早く完治してね。」と一人で祖母に話しかけていたら、

「人が寝ているのにうるさい」と怒る祖母

「あぁ~そりゃ悪かった。とりあえず私は散歩の途中なので、麻布に一度帰ります。お昼はママが来るし、私はまた夕方来るからねぇ~」と病室を後にした私。

念のためナースステーションに「今日の朝食、順調でしたか?」と先日、私が大人気なく当たってしまった看護師のIちゃんに声をかけると

「それが…私たちが昨日、指示を出すのが遅かったから朝食、出せなかったんです。本当にごめんなさいお昼と夜は必ず食事出しますから」とひたすら謝る

エェーっ!そんなぁ~と、祖母の代わりに怒りたくなるが、考えてみたらずぅっと絶食し、昨日のお昼に少しご飯を食べた百歳が今日いきなり、3食食べるのも負担が大きいであろうから絶食1食2食3食と段階を踏むのがいいのかも…と思うようにして、病院を後にしました。

帰宅すると午前10時。さて、今日は夏冬物の入れ替えでもしようかしら?

えっ!?今頃?と思われるでしょうが…ボルネオに行くまで夏物が必要だから、入れ替えは帰国後と思っていたのですが、帰国したら仕事が立て込み、そして祖母の体調不良で、今までできてなかったんです。

というわけで、午前中に少しだけ冬物は出したのですが、途中で休憩と思い、ホットカーペットの上に座ったら、もう働く気が起きずにうだうだ

午後はこのところの運動不足を解消しに、3週間ぶりのテニスにでも行って、その足で、祖母の夕飯をチェックしに行ってこよう


嬉しい(((o(*゜▽゜*)o)))だけど不安だらけ…

2012-12-19 18:13:38 | Weblog

今朝、母から電話があり、安い個室(といっても1泊3万円)が空いたからそちらに祖母を移すからというので、午後、祖母の引越しに立会うために病院へ行ってきました。45、000円の部屋は無駄に広いと思っていたものの、実際3万円の部屋に移るとしょぼく見える(´;ω;`)そして一息ついてから母と私は近くの中華料理店にお昼を食べに行きましたた。

私、メニューを見て水餃子湯麺がおいしそうだったので、「これ、貝類は入っていますか?」と聞いたら「入ってません」と言うバイト君。

私はそのバイト君の言葉を信じ、水餃子湯麺を頼みました。

そして水餃子が5個入ったお料理が運ばれてきて、お腹がすいていたものだから、がっついて食べ始めた私。最後の水餃子を口に入れて噛んでいると、貝柱らしき食感を口内で感じたので、お行儀が悪いけれど、口の中のものを出してから、念のため「ねぇ、本当にこれには貝類入ってないよね?」と店長らしき人に聞いたら

「貝柱、入ってますよ。」とあっさり答える

「えぇーっ!私、貝アレルギーだから頼む前に聞いたら、入ってないって言うから頼んだのにぃ~!!!」と言っているそばから私の顔色が青ざめ、脂汗がたらたらと流れ出し、結局、私も今日は点滴をする羽目に。

それを見ていた母、更にオロオロするから「私は大丈夫だからママはママタンについててあげて」と祖母の部屋に追い返した。

そして2時間後、私、祖母の部屋に母を迎えに行ったらちょうど、祖母の素敵な主治医O先生がいて「今日は更に血液の数値が良くなっているから、明日から食事は3食にしましょう!抗生剤は週末くらいで終わらせることができそうなので、後はおうちに来週後半に帰れるように、リハビリを頑張りましょう!」と言ってくれるも、私、自分の体調の悪さ、そして今後の介護生活が不安で、思わず無言になってしまったら、先生がその空気を察し、「何か、不都合でも?」というので、

「元気に退院できると今回は思っていなかったから、嬉しいんですが、不安もいっぱいで…」と言うと

「年末年始は楽しくおうちで過ごせますよ」と言ってくれたました。

恐るべし回復力の祖母。本当に嬉しい(*≧∀≦*)けど、やっぱりこれからの不安もてんこ盛りであります。

とりあえず、今夜はアレルギー症状があるので、私も絶食して、早めに寝よっ


ガックシ(ーー゛)

2012-12-18 23:13:54 | Weblog

入院する前の水曜日くらいから全く食べられなくなった祖母、とうとう肺炎を引き起こし金曜日に緊急入院。この段階で誤嚥が命取りになるため、週末も絶食という先生の判断で、ひたすら点滴で命を繋いだ祖母。

それでも、普段とは違う環境に何事かと思った祖母は意識もはっきりしており、月曜の朝、レントゲンと採血した後に、お昼から嚥下の評価をしながら、食事を開始してみようという先生の判断で、昨日のお昼に私の立会の元食事をさせることになったのです。

それで、私は昨日は朝から母の検査の為、恵比寿に迎えに行き、その足で母を検査室に送り込み、祖母の部屋へ直行。(本当に家族が同じ病院というのは、こういう時、楽チンなのだっ

そして「今日のお昼からご飯が食べられるよ!」と話しかけると嬉しそうに笑う祖母。

午前中はとにかく祖母に「ご飯を食べて早く良くなって!」と暗示をかけていると看護師さんが「今日はお天気がいいから洗髪しましょう!」と言ってくれたので、私は検査が終わった母を恵比寿に送り届け、私はまた12時に祖母の元へ戻りました。

私が部屋に入って間もなく祖母の食事が届けられる。

お膳を見て、目を輝かせる祖母。

早く食べさせてあげたいと思いつつも、嚥下の評価をしてくださる審査員が来ないことには食べ始めてはダメ!と看護師のIちゃんが度々チェックに来る。しかし、審査員は待てど暮らせど来ない。

そして待つこと1時間、「前の嚥下の評価が押しているから1時半過ぎになります。」と言いに来て、私ついイラッとしてしまい、

「さっきからもう少し待ってと何度も来ているのに後30分も待てって、祖母は1週間近くな~んにも食べてないのに、目の前に食事をおいて、それは酷というものでしょ!おかずだって冷めちゃうじゃない!1日45、000円も取っておいてサービス悪すぎ!」とついついIちゃんに当たってしまいました。

その自分の態度に、自己嫌悪

そしてやっと審査員の人たちが数人2時近くにやってきて、祖母の口に冷めたおかずを押し込んだら、祖母、見知らぬ人にいきなりおかずを口に入れられびっくりして、口をあんぐり開けたまま…

それを見た審査員が直ぐに「咀嚼もしないし、飲み込まないから、誤嚥の危険度が物凄く高いから食事はやめましょう。」と言い、お膳を持って部屋を出ていこうとするから、私は慌てて

「ちょっと待ったぁ~!」と言って、彼らを引き止め、私がいつものように「これはお芋の潰したのよ」とお皿を見せてからスプーンで祖母の口に一口運ぶと

ムニャムニャ…ごっくん…

と飲み込んだ「ほらね!ちゃんと食べられるから食事を再開してあげて」と必死で拝み倒すも

「それは主治医が判断することで、私たちは今の状況を先生に報告するだけですから…とにかくおばあ様の状態では誤嚥の可能性が大きいので、今日の昼食もこれで下げます」と食事を完食させることなく、ご飯と共に審査員たちが去っていってしまった

そして待つこと数時間…祖母のイケメン主治医に別室に呼ばれた私…今後も絶食かぁ~と頭をうなだれていたら

「まず、今日の検査結果からご報告しますと、血液検査では腎臓、肝臓、そして白血球はまだ数字が少し高いですが、入院当日よりかは遥かに良くなっていて、肺の写真も心臓の輪郭が見えてくるほどに回復していました。故に、お薬がちゃんと効いているようです。だから肺炎は回復できそうですが…しかし、次の問題は嚥下で、能力がかなり低下しています。ここで無理に食事をさせると、誤嚥性の肺炎で悪化する危険性があります。体力のある年齢なら肺炎が完治するまで絶食にしたいところですが、おばあ様の年齢からすると、食べさせないと体力や嚥下能力、そして意識も低下することは明らかなので、中間の選択をしたいと思います。明日からお昼の1食だけ、少しづつ食べてもらい、様子を見ながら、徐々にお正月を楽しくおうちで迎えられるようリハビリを頑張りましょう。」と仰って下さり、ますますO先生が頼もしくて、素敵に見えてきた私

先生との面談の後は祖母が寝付くまで病室で過ごし、病院を出た後、一日の報告を母にしにいくと、母、ただでさえ具合の悪いところに今回の祖母の一件でそうとう疲れ果て、良くなってくれているのは嬉しいけれど、良くなったらなったで1日45、000円の個室代という現実を考えたり、退院後の介護を考えたりしている内に、パニックというか、ヒステリックになっていたので、昨夜は祖母のことで疲れきっていた後に母を落ち着かせなければならなくなり、麻布に帰宅した時には、私ももうぐったりでした

でも、今日は祖母、かなりお昼を上手に食べてくれたので、このまま回復してくれるなら、一日45、000円の個室代は祖母の命に変えられないから、これからも仕事を頑張ろうと思った一日でした。


ダウン(+。+)

2012-12-16 16:37:39 | Weblog

ボルネオから帰ってきたら、日本が物凄く寒く、そして今までの疲労から、油断したら風邪をひきそうだと思いながらも、今日に至ったのですが、とうとうダウン

今朝はやっとの思いで、電話を手にして、母に「今日は一日、寝ます。」と連絡をいれようと思ったのですが、

母の「もしもし…」という第一声で、彼女の体調の悪さを感じ取った私

思わず「今日は私がママタンに付き添っているからママは一日寝てて」と言ってしまいました。

で、祖母の病室に行ってみるとこの4日間、全く飲まず食わずで、点滴だけで生きている祖母は今まで以上にげっそりし、唇も真っ黒…

あちゃー(´△`)これ、やっぱりマジで、やばいんぢゃないの?と思い、とりあえず、看護師さんに痰の吸引をしてもらい、様子を見ていたら母が病室に入ってきた。

ここでただ寝ているだけの祖母に二人が着いていてもしょうがないから、とりあえず私は一足先に帰らせてもらうことになり、エレベーターホールでエレベーターを待っていると、あのイケメンO医師が私のところに来たので、私はとうとう宣告を受けるのではないかと思い、身構えたのですが…

「今日の血液検査の数値がとてもいいので、おばあ様、回復傾向にあるみたいです。明日から食事を徐々に再開できそうですよ。今は風邪やノロが流行っているからとにかくお孫さんも無理のないように、今日は早く帰って、ゆっくりお休みください」と言うO医師

ママタンすごすぎるヽ〔゜Д゜〕丿そして、O先生は素敵すぎるこれは私がダウンしている場合ではないわぁ~と思いながら、帰りに投票して、洗車して、今、帰宅。今日はもうこれで寝ます。

しかし、祖母の部屋からの景色は目の前に富士山が見えて最高ですが、やはり1晩45、000円は高いと思うが、祖母の命には変えられないのよねぇ~


Ranking