まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

ママに会いたいなぁ~

2024-02-01 12:40:37 | Weblog
あっという間に1月も終わってしまった…

今日から2月…

6年前の今日、まだ今の時間は母の意識もあり、ヘルパーさんとも普通にベッド上で会話したりして笑っていたよなぁ~

夕方4時半頃になって、母の調子が良さそうだったので、私は2時間程仕事の為に家を空けた。

帰ってきても、母、普通に会話できる状態で「今日は誰に英語教えてきたの?」と聞いたりしていた。そしてこの頃はもう殆ど食事はとらなかったけどおかゆさんとスープを一口飲んで、お薬も飲んで、ヘルパーさんが寝支度をしてくれて、私が最後にたんの吸引をしたところで8時過ぎに突然意識をなくした。

訪問医に電話するもつながらない、ヘルパーさんは途中でもうこれ以上居ることができないと言われ帰ってしまう…どうしようと思いながら薬剤師の子に「先生に連絡つかないの!」と電話を入れたら、彼女だけが飛んできてくれた。

結局、色んな方法で先生にどうにか連絡はついたのだが、へべれけに酔っぱらっていて来ないという、携帯も壊れているとのこと…あぁー最後の最後までこのくそ医者最悪だった。

とはいえ、母は家で安らかに眠りたいだろうから救急車も呼ばず…薬剤師の女の子、N子ちゃんは泊まってくれることになった。

私はこの一週間くらい前から母の真横に添い寝をしていたので、この日も横に体を並べるが、寝付けない。

母の呼吸は荒く、段々、間隔があいて来て、日付をまたいだ午前2時半頃、正宗が母の様子を見に来た。

この2~3日、チビたちは母が永くないことを感じていたのか、私に最後の時間を譲ってくれたのかあまり、母のベッドにもぐりこむことはしなかったのに、普段、こんな真夜中は爆睡しているはずの正宗が突然、母の所に来て寝顔を覗き込んで、直ぐに自分の寝床に戻ってしまった。

その2~3分後、母、最後の息を吐いた。

意識をなくしてから約6時間のこと。きっと私を疲れさせてはいけないと思っての母らしい、亡くなり方だった。

そして、酔っぱらいの訪問医に電話をするも、雪降っているから行くのに時間がかかるという。いやいや、車で10分かからないところだし、歩いても30分はかからないだろ!と思うも、もう母は息を吹き返すことはないだろうからと思いながら、直ぐに葬儀屋の友達H君に連絡。

板橋に住んでいるH君は3時にたたき起こしたにも関わらず「今からすぐ行きます!」と言ってくれた。

訪問医とH君を待つ間、N子ちゃんと母の体に貼ってあったシップや、おき針をとったりしているとN子ちゃんしくしくと泣いてる。その傍らで私、母の顎の下にタオルを挟んだり、顎の下から更にタオルをかけ、頭の上でぎゅっと縛って「なんか桂由美さんみたい」とぼそっと言うと、

N子ちゃん「何してるんですか?」
私「口、開いたままだと、変な顔で、かわいそうだから」
N子ちゃん「まりっぺ、冷静ですね」
私「いやいや、祖母も看取ってるしね」

というやりとりをしていたらやっと4時過ぎにくそ医者登場。死亡確認をした後、3人でテーブルに座っていたら、正宗がまた起きてきて、私の膝の上に乗って、ガタガタと震えている。その横でやぶ医者は死亡診断書書いて、「昨日、まりっぺが居ない時に往診に来た時に、まりっぺのことは僕もちゃんと見守るからもう無理せずに楽な世界に行っていいですよ、って言ったからきっと安心したんだね、お母さん」と言って帰っていった。あんた、普通に意識のある人に早くあの世へ行けとは何ちゅうことを面と向かっていったんだよ(# ゚Д゚)

入れ替わりに葬儀屋のH君が来てくれる。

ん?同じ麻布に住んでいるくそ医者と板橋に住んでいるH君が来る時間あまり変わらないってどういうこと?と最後まで腹立たしい、医者だった。

そして、H君には「お願いだから、可及的速やかに火葬して。火葬場があいたと同時に取れるおかまで焼いちゃって」と言ったらN子ちゃんはびっくりした顔をしたので「だってここに置いておくと辛いんだもん。」と説明。

N子ちゃん「色々、今後の打ち合わせがあると思うので、私、帰ります。」
私「申し訳ないけど、打ち合わせも後30分から1時間で終わると思うから、もう少しいてくれない?雪降っているからH君に送ってもらった方がいいよ。」
H君、えぇー!俺、板橋、N子さんまったく逆方向!という表情をする
私「何、嫌なの?」
私には逆らえないH君「いや、大丈夫です…で、まりっぺ、火葬なんですが、中一日置かないと火葬できないんです。それとご葬儀はどうされます?」
私「葬儀はしない。それにこの寒い時に人を呼んで煩わせるのはママも嫌がるから、誰も呼ばない。私とH君だけで十分」
H君「わかりました。とりあえず死亡診断書を区役所に提出して、また午後にもう少し詰めた打ち合わせをしにきますから、まりっぺさんとりあえず、寝て下さい」と言って、N子ちゃんとH君が6時頃帰って言った。

さぁ、少し寝ようと思うも、急に母が亡骸になった横で寝る気になれず、落ち着かない。正宗は私の膝の上で相変わらずガタガタ震えて、離れない…

寝られない、どうしよう…と思って、母のことを慕ってくれていた私の親友3名にメールを書く。

とりあえず私の知り合いにはこの時点でそれ以上は知らせないつもりであった。

さぁーどうしようかなぁ~手持無沙汰だなぁ~昨日までは8時からママの朝支度だったけど、午後、H君がくるまでどうしよう…

「まぁー君、君の大好きなママ、とうとう死んじゃったからこれから兄弟三人で頑張らないとね」と正宗に話しかけているとピンポーンとインターホンがなった。

三田に住んでいる友達がメール見て飛んできてくれた

気持ち的に助かった

こんな流れの一日を、今日はずぅっと6年前のこの時間は…って考えるんだろうなぁ~憂鬱だなぁ~
どこか出かけようかなぁ~
何なら前倒しで、パパとママのお墓参り、行こうかなぁ~
と、思うも、そうはいかない事情がありまして…

今月、会社の決算なので、領収証やら、銀行の通帳の資料をごみ屋敷から捜索しないと、いけない!
1週間後にはそれらの資料を税理士さんに送らないといけないのです。
はい、毎年来年こそは!と思っていますが、1年前に肩の手術をして、家の中のごみ屋敷化はバージョンアップしました。
でも、夏くらいまでは、領収証は一つの箱にいれることを実践していたのですが、ある時、人が訪ねてくるので、居間の体裁を作った際、その箱を私の部屋に押し込んだ。大体、あの山のふもとにあると、思っていたのですが、昨日、山を崩したら、そこには箱が無かった。
さぁー困った!大捜索しなきゃ!と焦りつつも時計を見ながら、この時間はママのお昼だったよなぁ~とか思い出してしまう。

ママの願うような生活をあれから私はできていない。
ママ、そしてママタン(祖母)、会いたいよ。
ママやママタンを介護していた頃、皆に「大変だったわね」と言われるけど、あの頃は全然大変じゃなかったよ。笑いの多い毎日だったよ
今の方がよっぽど、体もメンタルもつらいよ。





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