まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

今更ながら韓流!?

2005-10-31 00:27:23 | Weblog
数年前に火がついた韓流ブーム。私は全く興味がわかなかった。世の中が「冬ソナ」・「ヨン様」ブームの頃、「生ヨン」を1メートル程の至近距離で見たけれど、それでも興味はわかなかった。こんなブーム直ぐになくなると高をくくっていたが、未だに人気があるのはどうしてだろうと、思った。

そして、今年の春頃、韓流にはまっていたSさんに、「冬ソナ」と「猟奇的な彼女」のDVDを頂いた。「冬ソナ」は最初の10話くらいは一気に見入ったけれど、途中から昼メロの世界で、段々見るのがしんどくなってきた。それでもせっかく見始めたものだからと思って最後まで頑張って見たけれど、やっぱり最後まで見るまでもないと感じた。何故、あれほどに騒がれたのだろうか、未だに謎。

「冬ソナ」を観ただけで韓流もあの程度のものかと思いつつ、「猟奇的な彼女」を見てみたら、これは面白かった。ストーリーは面白く、エンディングはうまいと思った。

その後、仕事などが立て込み、私の中の韓流もストップしていたが、先日、Sさんの家に遊びに行った時に、何か面白いものはない?と「八月のクリスマス」、「OLD BOY」、「J.S.A.」、「永遠の片思い」、「Samaria」、「空き家」と「私の頭の中の消しゴム」をお借りした。

まだ2本しか見ていません。「八月のクリスマス」は「ふ~んこんなものか」程度にしか思わなかった。「OLD BOY」は展開が速く、痛そうなシーンも多く、話についていくだけで疲れました。ここでDVDはちょっと休憩。

先週の金曜日は、Sさんと映画祭で「親切なクムジャさん」を観た。私としてはストーリーがつながらない、いっぱい色々なことを詰め込みすぎ、従って、今一。

やっぱり私はドップリ韓流にははまりそうにないかも…

横浜 「外交官の家」

2005-10-30 00:26:33 | Weblog
昨日、知人が横浜重要文化財の「外交官の家」で、以前、習っていたフラワーアレンジメントを飾るというので、お手伝いに行ってきました。写真は私の知人のクラスメートの物ですが…この方はテーブルセッティングを本職とされている方のようで、お花も物凄くきれいにいけていらっしゃいました。その方は主に1階部分のテーブルセッティングとお花を担当。私の知人は1階の階段下に1箇所、そして2階の寝室および会議室に飾ってあります。私の担当はその2階に飾っているお花の下に敷いた敷き物!?

このテーブルセッティングとお花は
     10月30日~11月6日(10時から17時迄)
                      (*最終日のみ15時迄)
     外交官の家 神奈川県横浜市中区山手町16
                      (石川町駅下車5分)
                            に飾られています。

尚、入場は無料だそうです。

お酒

2005-10-29 12:05:29 | 家族
母がお酒を飲まない日は一年に何日あるだろうか。よっぽど、具合が悪い時、若しくは洋服を購入しに行く時は痩せようと思い、何日か前にお酒を絶つ。

そもそも母は若い頃、物凄い低血圧で、お医者さんに血圧を上げるのに毎日少しビールを飲みなさいと言われたらしい。当時は飲めなかったが、その内にどんどん飲めるようになってしまった。

楽しいお酒なら私も大歓迎だが、私はよく母のお酒に悩まされることがある。例えば、母はたいてい夕方、夕食を作る時に飲み始める。飲んでいる内に酔っ払ってしまい、自分が何を作っているのかわからなくなったり、何の調味料を入れたのか忘れたりする。

私が仕事から帰り、それらのよくわからない料理を頂き、その後、お風呂に入って出てくるとまた、同じ何だかわからない食事が食卓に並べられ、「さぁ、どうぞ」と言われる。「もうさっき食べたよ。」と言うと「えぇっ!食べてきちゃったの?だったら電話してくれたらいいのに!」と言う。下手に言い返すと怒られるので、また食べる羽目に…。本当にかないません。

相槌

2005-10-27 21:48:00 | 家族
母はいつでも適当に相槌を打っている。私が朝、仕事に行く身支度をしながら、「今日はこの格好でいいかな?」と台所にいる母に問い掛けると、必ず見もせずに「うん!」と答える。そして私がいざ出かけようと玄関で靴を履いていると、見送りに出てくれた母は突然、「何、その格好?あなたってっセンスないわねぇ~。」と言う。「だから、さっき聞いたじゃない。こんな出る間際じゃなくってもっと早く言ってくれたらいいのに!遅刻しちゃうじゃない!」と言い返すと、「こんな格好しているとは思いもしなかったし、あなたをよく見せたいから、忠告したのに、そんなこと言うなら、勝手にしなさい!」と怒る。

そして今日は、母と近所のスーパーマーケットに私の車で、買い物に行った。車できたこともあり、安売りの水を2ケース程、カートに入れた。そしてレジに行ったらレジの女の子が我々の荷物が多いのを見て、「ホーム・デリバリー・サービスをご利用されますか?」と聞いた。母はいつものごとく、適当に、「はい。」と答えた。私は「えっ?車で来てるんだから、届けてもらわなくてもいいんじゃないの?」と思わず言うと、母は「何が?」と聞き返す。私は「だから、ホーム・デリバリーって宅配のこと言っているのに、どうして何でもそうやって適当に返事するの?」というと、母はレジの女の子に対して「私は日本人です!何で、日本人の私に英語でものを言うんですか。日本人の私には英語は使わないで下さい!」とすごい剣幕で怒るので、いつものことながら、大変恥ずかしい思いをまたしたのでした。

ご祝儀

2005-10-26 21:19:49 | 家族
母はいつもお祝儀やお香典などを包む時、何度も何度もお金をちゃんと入れたかを、いやと言うほど確認する。それは以前、母の友人が踊りの会で踊るので、お祝いを渡した時の話にまつわるのだ。母は何をお祝いに差し上げたらよいのか考えても思い浮かばないので、直接その友人に「何がいい?」と聞いた。そうしたら、「現金」との答えが返ってきた。

踊りの会の当日、母はご祝儀を友人に手渡した。しかし、後日、「あなただから、正直に言うけれど、あのご祝儀袋空だったわよ。」と打ち明けられたそうな。それ以来、母は何度も確認しなければ不安になるらしく、お通夜やお葬式の受付では、お香典を渡し、住所・氏名を記帳してから、必ず以前のご祝儀事件が頭をよぎる。記帳し終えてから受付の人に「すみません、ちょっと、今のお香典袋、返してください。」と言って、再度確認することは毎度のこと。

踊りの会と言えば、ある小唄の会ではこんなこともあった。父の知り合いが出演する小唄の会に母が招待された。しかし、母は大幅に遅刻してしまった。会場に入ると、廊下でばったり、小唄を歌うご当人に会ってしまった。母は既に、その方が歌ったと思い込み、とにかく褒めちぎった。そしたら、その方に、「前の方々が押していて、まだ歌っていません。」と言われてしまったこともあるそうだ。

旅行

2005-10-24 00:17:02 | Weblog
「旅行のためブログの掲載を4~5日お休みします」な~んて書いておいてあっという間に1週間以上経ってしまいました(^^;)

トラブル続きの旅行で、東京に戻る直前から胃痙攣を起こし、帰宅後は寝込んでしまいました回復したら、是非この旅行記も掲載したいと思いますが、今回は写真のみを掲載しておきます。

京都は紅葉にはまだ早すぎて、旅館の窓の外のもみじはまだ青々としていました。

生きてますか、死んでますか?

2005-10-14 00:23:25 | 家族
明日(15日)より、京都・伊勢に行ってきますので、4~5日ブログの更新をお休みします!休む前にもう一つだけ、母ネタを掲載しておきますね。

ある年の秋口から年末にかけて、私の仕事がものすごく忙しく、洋服の夏物・冬物の入れ替えができずにお正月を迎えてしまったことがあった。そして翌年の年始早々、我が家では洋服の入れ替えと大掃除を同時にすることになり、家の中は押入れから出した荷物などで、ごった返していた。そんな中、昔うちのお手伝いさんだった八重子さんから電話がかかった。私が電話を受けたので、一通り新年の挨拶をしてから母に受話器を渡した。

母に電話を変わった途端、八重子さんは泣き始めたらしく、母は、「どうしたの!?えっ?じゃぁ、すぐに行くから。落ち着きなさい。貴方がこんな時はしっかりしないと…わかった。わかった。」と言っている。

どうやら、ご主人が暮れから風邪をひいて寝込んでいたのが、様態が悪くなり、お正月になってから救急車で病院に運ばれたそうだ。母はすぐに板橋の病院へ向った。母が病院に着いてすぐに八重子さんは母と一緒に主治医に呼ばれ、「ご主人は拡張型肺炎になり、手遅れです。助からないので、会わせてあげたい方がいらしたら、呼んであげて下さい。奇跡はもうこの状態では起こることは絶対にありえません。」との説明を受けた。

母は夜遅くまで、病院に付き添ってあげていたが11時頃、「喪服の用意とかをしてくる。何かあったらすぐまた来るから。」と八重子さんに言って、帰ってきた。その夜、八重子さんからは何の連絡もなかったので、母は喪服の用意をしてから、床に就いた。

翌日、母は八重子さんから電話がないので、「どうしただろう?」と思い、病院に直接、電話を入れた。そして、いきなり「すみません。昨日、救急車で運ばれた南タモツさんは生きてますか?死んでますか。」と言った。その言葉を横で聞いていた私はびっくり。

どうやら、病院の交換台の人は、「そのようなことはお答えできません。」というような対応をされたのでしょう。母は「教えられないって、あなた私は今から病院に行くべきなのか、喪服を着てご自宅に伺うべきなのか知る必要があるのです。昨夜はお医者さんにもうだめだと言われたので、もう亡くなっているならご自宅に行くので、教えて下さい。麻布から行くので、時間がかかるから生きているのか、死んでいるのかだけを教えて下さい!」とすごい剣幕で言った。交換台の方はしぶしぶ、「まだ生きていらっしゃいます」と教えて下さったが、病院に「生きてますか?死んでますか?」なんて電話をかけてくる人はまずいないだろう。病院もさぞびっくりしたことだと思う。

ちなみに、助かる奇跡は起こらないと言われ、何日間も意識不明で、集中治療室に入っていた南のオジサンには奇跡が起こり、今はピンピンしている。

ただいま

2005-10-13 02:23:11 | 家族
今日は新宿3丁目でご飯→飲み→ゴールデン街へ行ってきました。もう眠くて瞼がくっつきそうですが、今日も一つ母ネタを掲載しようと思います。

昨年の4月下旬に私は仕事が立てこみ、ゴールデンウィークは毎日、仕事に出かけることに…ゴールデンウィーク後半にもなると疲労がたまり、毎晩、家にたどり着くとため息の連発。やっとの思いで母に、「ただいま。」と言い、無言でご飯を食べ、お風呂に入って、寝る。その間、口から出るのはため息ばかり。

朝は目覚ましが鳴り、ベッドから這い出るまで、「う~ぅ。」とか、「あ~ぁ。」とうめき声の連発。死にそうな顔でやっとのことで用意をし、かの泣くような声で「行って参ります。」と言って、家を出る。

こんな日が何日か続いたある朝、私を元気付けようとしたのか、母は「昔の人は年に1回しか休みがなかったのよ。」と言った。

私が「盆と暮れの2回でしょ。」と言い返すと、母は「暮れは大掃除で、年が明けるとお元日から挨拶回りをするから、お盆に1回しか休めない。」と言う。

私も単純だから、「そうなんだ。この程度で、私はへこたれてられないね。」と納得して、家を出た。しかし、駅に向って歩きながら、「待てよ。一体、ママはどのくらい昔の話をしていたのだろう?今どき、そんな話、通用しないよなぁ~。」と思いながらも、仕事に行ったのでした。

文明の利器

2005-10-12 00:34:37 | 家族
祖母が90歳を迎えた数年前に、祖母が急に体調を崩したりなど、何かあった時に備えて、お互い直ぐに連絡がつくようにと、母に携帯電話を持たせることにした。ドコモの中高年向けの携帯電話、「らくらくフォン」を買い、電話機の表面にある3つのワンタッチ・ダイアル・ボタンに自宅、祖母の家と私の携帯電話の番号を登録して、使い方を教えてから母に渡した。

それから何日かして母がとある喫茶店で仕事の打ち合わせをしていた時に、母の経営している店に電話で確認しなければならないことが出てきた。母は「私の携帯電話は3箇所にしか電話がかけられないものだから公衆電話でかけてきます。」と、言い席を立とうとした。打ち合わせの相手は、「へぇ~そんな携帯があるのですか。どうぞ私の(電話)をお使い下さい。」と言って、母に携帯電話を貸して下さったそうだ。3箇所限定の、ダイヤルのない電話なんてある訳ないのに~ぃ…

また、自宅に初めてファクシミリを購入した時も、母に使い方を教えた。ある日、母はファクシミリを自分で送信してみようと思ったのだが、できないと言う。「何で?この間、教えたでしょ?」と言うと、「送った紙が戻ってきちゃうのよ。」と言う。どうやら、母は電話機から実際の原稿が瞬時にして、電話線を通り、送り先へ送られるのだと思っていたようである。

注目の的

2005-10-11 00:04:48 | 家族
母はよく人に注目されることがある。以前、友達との待ち合わせ場所に行く途中、母とすれ違う人々が皆、母の顔を覗き込むので、母は「私ってそんなにきれいかしら?」と思いながら、歩いていた。待ち合わせ場所に着いたら、友人が「あら、あなたどうしたの?」と怪訝そうな顔で言ったのだが、母は意味がわからない。「そのサングラスよ!」と言われたので、サングラスをはずしてみると、レンズが片方外れたものをずぅっとかけて街中を歩いていたそうである。

イアリングも片方だけして外出し、出先で、「片方ない!落とした!どうしよう!」と大騒ぎしたこともあった。どこを探してもなく、あきらめて帰宅すると、ちゃんと鏡台の引出しに片方、入っているなんてことはお茶の子さいさい。

それからある日、外出中に突然の雨が降りだし、母は持っていた折り畳みの傘をさして、歩いていると、またもや道行く人々に、注目されている気配を感じた。そこで普通は、「今度は何だろう?」と思うはずなのに、母はまた、「私ってそんなにきれいなのかしら?」と思ったらしい。大分、経ってから、その注目の原因は自分のさしている傘がオチョコになっていたことがわかったそうだ。

親子喧嘩

2005-10-10 00:21:26 | 家族
私が高校生の時に父が亡くなってから、母との喧嘩が多くなった。父が生きていた頃は父がいつも間に入ってワンクッションとなっていたようだが、その父がいなくなってからは、母との喧嘩が絶えない。

私が大学生の頃、私の門限は10時だった。そんな頃、母と夜に大喧嘩をした。(喧嘩の理由はよく覚えていない。)最終的に母は「もうてめぇなんかは親でも、子でもない!出て行け!」と怒鳴った。私は売り言葉に買い言葉で、「あぁ、そうですか。長い間、お世話になりました。本当に親不孝な娘で、すみませんでしたねっ!」と荷物をまとめ始めた。私が本気で出て行くと思った母は、「ちょっと待ちなさい!門限を過ぎてから出て行く娘がどこにいますか!出て行くなら明日の朝でもいいじゃない。ねっ、そうしなさい。もう今日は遅いから、明日にしなさい。」と私をなだめたのです。

「出て行け!」と言ったかと思うと、「門限過ぎてから出て行く娘がどこにいますか!」と言う…支離滅裂だなぁ~と思いながらも思わず私は噴出しちゃいました。

自由が丘にて

2005-10-09 00:30:49 | 家族
昨日の予告通り母の話です。

私が中学生の頃、私の家族と友人の家族との二家族で、自由が丘のお寿司屋さんにご飯を食べに行った。ご飯が終わりそうになった頃、お店の外に何台もの救急車の物凄いサイレンの音が聞こえてきたので、私たちは早々にお寿司屋さんを出て、サイレンのする方へと向った。

どうやら四月という季節柄、大学の歓迎コンパをしていた学生達が何人も急性アルコール中毒になったらしく、自由が丘の商店街の路上のあちらこちらに倒れていた。

突然、私のすぐ側に止まっていた救急車の隊員が、「オォ~イ!こっちにもいるぞ~ぉ!」と大声で怒鳴り、私の方へと指を差した。私が彼の指差している方向を振り返って見てみると、母がすぐ近くで倒れている。「あれ?どうしたのだろう?」と思っていると、母は救急隊員に抱き起こされ、救急車の中に運ばれた!?

母はどうやら、歩道と車道の境目でつまずき、転んでしまい、痛くて動けなくなっていたところ、救急隊員に発見された。そして、ちゃっかりと救急車の中で擦り傷と打撲の処置をして頂いて、そのまま帰路についたのである。

娘と私の部屋(佐藤愛子著)

2005-10-08 21:27:35 | My Book Review
30年近く引っ越していない我が家は荷物であふれかえっている。あまりにもひどい状態で、必要な時に必要なものがみつからない…仕事の暇な今の時期に思い切って使わぬものを処分しようと整理し始めた。まずは、本棚の整理…私が中学の頃に読んでいた佐藤愛子さんの「娘と私の…」シリーズが何冊か出てきた。懐かしい…

そういえば当時、テレビ東京で子供がミステリーを解く番組があり、そのオーディションに友達の万由子と行った時、「愛読書は?」と審査員のオジサンに聞かれ、私は大きな声で「佐藤愛子さんの娘と私のアホ旅行です!」と答えた。オーディションが終わって帰宅し、母に「どうだった?」と聞かれ、私は愛読書のことを伝えた。母はあきれて「中学生だったら、夏目漱石の「坊ちゃん」とか、太宰治の「走れメロス」とか普通は答えるのに、あなたは娘と私のアホ旅行なの。」とため息をついていたっけ。(オーディションは落ちました。)

そんなことを思い出しながら、私は整理していることも忘れ、娘と私のシリーズを読み始めた。今、読み直しても面白く、ついつい読みながらにんまりしているところへ母の友人のまさ子おば様がみえたので一冊、お貸しした。

後日、その本を読み終えた、まさ子おば様が「ねぇ、佐藤愛子さんって、まりっぺの母上に似ていない?」と言う。確かに私も「娘と私のシリーズ」を読み返していてなんとなく、そんな気がしていた。

私の母もよく怒っているし、ドジなのだ。それなら、私もおこがましいが佐藤先生みたいなエッセーが書けるのではと思った。従って、今後、母のエピソードを少しづつ掲載していこうと思います。

人間の証明 21st Century(森村誠一著)

2005-10-06 21:48:22 | My Book Review
 昔、ドラマ化された「人間の証明」が去年(?)リメイクされ放送された。そちらの作品と同じく、この作品の中では登場人物の持っていた詩集が鍵を握っている。

 やはり、最初の人間の証明の方が断然、面白かった…というのも、最初の人間の証明の方が人間のドラマが現実味があったけれど、こちらの方はアクションタッチで書かれているとはいえ、あまりスリルが無かったような気がする。

スロー・グッドバイ(石田衣良著)

2005-10-05 14:16:51 | My Book Review
テレビのコメンテーターで様々な局に出演している石田衣良氏、以前、読売新聞にもエッセーを掲載されていました。とてもやさしそうで、あくも強くなく、いつもいい感じの方だなぁ~と思っていました。彼の文体は人柄のごとく、ゆったりとした、ほのぼのとしたもの。

今回、初めて石田氏の恋愛短編小説をよみました。恋愛小説としてはちとものたりない、普通過ぎると私は感じました。20代などの若者には共感される作品なのかな…

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