まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

人生の果がここ?

2013-01-31 08:30:45 | Weblog

昨日は母に内緒で人の手を借りて大掃除計画をしていたため、最近サボっていた祖母に朝、会いにいくことを久々に決行。

腰も大分よくなったので、歩いて行こうと決めたら、昨日もまみみさんとレオ君に遭遇し、気持ちよく祖母の病室に行くことができました。しかし、病室に入ったら、祖母、まだ爆睡ちゅうだったため、起こさずに、帰ることに…

本当は少し話をしてきたかったのですが、起こしてしまうとやはり帰る時に後ろ髪を引かれる思いが生じ、だらだらとつい長居をしてしまう。昨日は大掃除は10時からスタートする予定だったのですが、9時に十番で一つ打ち合わせの予定があったので、看護師さんに「今日も、祖母のことよろしくお願いします!」と声をかけてかけてからその足で、十番に向かい、打ち合わせをしてから、速攻、家に帰宅。間もなくHさんが来てくれて、掃除を開始。

と言っても、私、殆ど見ているだけで、Hさんがどんどん床の上にあった洋服などを片付けてくれたのです。

そしてお昼に行って、Hさんが午後は適当に片付けておいてくれるというので、私は再び祖母のところへ向かいます。ちょうどN先生が点滴の新しいルートを確保してくれているところでした。そして衝撃の事実を打ち明けられる

「僕、明日でここが最後なんです。明後日から救急に移るんで、明日、改めてご挨拶に伺います」

えぇ~そんなぁ~(;_;)と思って私、慌てて、祖母のベッドサイドにある引き出しからノートを出して、カンペを作成し、祖母に見せます

祖母「N先生、大好き」

N先生「そんな心にもないことを…」

祖母「寂しい、悲しい(;_;)」

   「Please do not leave me!」(私を見捨てないで…)

   「I will miss you」(寂しくなります)

N先生「えっ…今まで千恵子さんに色々お孫さんが仕込んでいると思ったのに、その場で書いたローマ字を、しっかりとその場で読めるんだ…」と驚きつつも、しばらくしてからN先生、退室。

そして間もなくO先生が入室し「転院のことでケースワーカーがお話があるんですけど、今日、お母様は?」

私「今日も寝込んでいるので、私だけではダメですか?」

O先生「では、とりあえず、お孫さんだけにでもお話して、お母様とは改めて…」と言われ、ケースワーカーのMさんと、急遽、面談することに

Mさん「実は最適だと思われたF病院は胃瘻、もしくは高カロリーの点滴の患者さんではないと受け入れてくれないと言われてしまい、千恵子さんはその治療方針に適応しないので、F病院のすぐ側にあるN病院に問い合せたら、受け入れ態勢があるようなので、一度、見に行ってきてください。」

私「了解しました。一度、見に行ってきますが、母が今週寝込んで、来週にまた化学療法室での点滴があるので、今週は行けないかもしれないけど、早急に行ってきます。でもどこの病院に行ってもO先生以上の先生には絶対に会えないから、もう祖母はこのまま弱っていくしかないということですよね(;_;)」

O先生とMさん、無言

そこで、私、また祖母にカンペを書いて見せる

祖母「O先生大好き…見捨てないで。ここにおいて。Please let me stay here!(お願いだからここにおいて)」

二人共、言葉につまる

私「ところで、そちらの病院の費用はどのくらいで収まりますか?」

Mさん「個室で約一ヶ月48万、二人部屋で約30万」

私「ウチの都合は先生や病院に関係ないのは重々承知で、失礼を承知で言いますが、ここの特別病棟に祖母を移しても、もう少しおいていただくことはできませんか?母は経済的なことを心配していますが、私、どんなことをしてもここで二人を見ていただかないと母も余計に体を悪くするのではないかと、心配なんです。それに私も、体が持たない。」

Mさん「特別室も今いっぱいなので…」

私、転院という現実がじわじわと詰め寄ってきたことにパニくり、「ぢゃぁ、一体、どんなコネを使ったら、ここに置いていただけるの?」と訳のわからないことをMさんに言ってしまい、すぐさま、余計なことを言ってしまったと思って「あっ、余計なことを言ってすみません。とにかく、N病院見てきます」と取り繕う。

その間も祖母、私がカンペを引っ込めたにも関わらず「ここにおいて」と繰り返す。

そしてO先生とMさんが退室し、祖母も昼寝に突入したので、私、とりあえずHさんの待つ、家に帰宅。

すごい!あまりの散らかりように、物凄くきれいな状態とまでは行きませんでしたが、明日から確定申告の作業ができる!そしてちゃんと掃除機がかけられる状態に、感激する私。

その後少し、Hさんと転院の話をして、ご飯を食べてからHさんを送りがてら、古川橋にある祖母の転院先候補の外観をチェックしに行くことになったのです。

毎回、テニスに行くのに、抜けるこの道に病院なんかあったかしら?と思いながらN病院を探し当て、Hさんと私、絶句

まるで廃墟…というかどこかの被災地の遺体安置所?と思えるF病院

これで月30~50万って、ひどすぎると思うも、きっとこれが現実なのであろうと撃沈…

その後は、私、車の中で口をきく元気すらなくなり、Hさんを送り届けて、なんとか帰宅。

でも帰り道や家に帰ってから、あの廃墟が頭に浮かび、今までここまで祖母を見てきたのに最後はあそこに入れないといけないのか?と思い、涙がポロポロ溢れ出す…でも泣いても、日赤にはそうそう置いておけないから、何とかしないといけないなぁ~

でもN病院に移し、あそこで祖母に最後を迎えさせるくらいなら、無理くり家に連れて帰ってこようか?でも、恵比寿で母が今まで通り見るのは、母の体力的には無理だし、私と3人で恵比寿で過ごすのはスペース的には無理。では恵比寿ではなく、恵比寿より少し広い麻布で祖母と母と共に過ごせないか?いや、それよりも今から祖母の病室に行って、祖母の首を絞めてしまった方が皆、楽になるんぢゃなかろうか?と悪いことを考え始めたら、夕方から痛み始めていた胃が今度はムカムカしてきて、トイレに駆け込む。戻してからはまたキリキリと胃が痛み始めたので、「あっ、今、救急で日赤に駆け込んだら孫までが倒れてしまったと、何とかしてくれないか?」と頭をよぎるけど、すぐさま、そんなことは目先のことで、どちらにしても永遠には日赤ににはいられない…と思っては、あの廃墟病院が頭に浮かび…結局、昨日、一睡もできずに、今に至るのです。

今朝は祖母に会いに行く元気が今はまだないけど、結局、今日も新しい一日が始まってしまった(´;ω;`)今日も何かしら動かないといけないよなぁ~と思いながら、朝からホットカーペットの上で、ブログに向かう私です。


恥を忍んで…

2013-01-30 00:24:07 | Weblog

今までにない程の負のループを下り始め、もうすぐどん底にたどり着く私。そこにイライラ感が加わり、もう自暴自棄。ゴミ屋敷ももう一人で片付ける気すら起きず、毎日、自分に腹が立ち、もう何もかも捨ててしまおうかと思い、昨夜は仕事の途中で、いらない物をゴミ袋に入れようと思い、床に散らばる一つ一つの物を手に取るとこれは「必要なものだ」と思ってはテーブルの上に積み上げる。

祖母のヘルパーHさん。彼女、前々から片付け大好きだからいつでも行くよ!と言ってくれていたのですが、あまりにもちらかった我が家、人を上げるには最低限床の上に歩く溝をつくらねばならない。今のジャングル状態では何かにつまづいたりして、怪我をする状態だからその内ね。と生返事をしていたのです。

しかし、昨夜、ひょんなことからウチのトイレを使いにHさんが我が家へやってきた(°д°)

とりあえず、玄関先とトイレは人が上がれる状態のため、トイレを貸してからお引き取り願おうと思っていたのですが、結局、興味津々で中まで上がってきたHさん。

「もっとひどいかと思ったけど、大丈夫!明日から片付けに来てあげるから!」とやる気満々で帰って行った。

それを電話で母に報告すると「あの散らかりよう、気が狂っているとしか思えない!そんなところを人様に見せ、その上、やってもらうなんて、言語道断です!」と怒りまくる母。

あまりの怒りっぷりに、昨夜イライラしていた私「はいはい、わかりました。断りますから」と電話を切ったけど…「このゴミ屋敷、いい加減どうにかしないともっと落ちるところまで落ちてしまう。この状態ではいい事など私のところにやってくるわけはない。」と恥を忍んで片付けを手伝ってもらうことにしました。

もうすぐ節分だから、旧正月迄には絶対に片付ける(*^^)vしかし、母に内緒で結構するため、Hさんがウチにいる間は絶対に母を麻布の家に来させてはならぬ。そして何よりも、Hさんに家のことを任せて私は祖母と母の偵察に行ってしまうのが心配なので、その点はどうやって切り抜けようか?


イライラ

2013-01-29 22:06:05 | Weblog

以前も書きましたが、ブログを始めてから徐々に訪問してくださる方が増え、平均IP数が100になった時点で、何故?誰が訪問してくれているのか?という疑問が私の頭の中で渦巻いています。

ブログを続けることによってブロガーのまみみさんとか甘栗さん、そしてブロガーではないけれどゴン太さんとか、まみみさんや甘栗さんのファンであるCeriさんなどにも広がり、IP数はいつの間にか平均150くらいに上がってきました。

この数字を目にすると「やっぱり今日も何かしら、書いてみよう」と思うけど、日々の愚痴をただただ書きなぐる私のくだらないブログ…文章も思いついたままをキーボードに打ち込んでいるだけのくだらないものなのに…何故?と思っているところに今週は2度もIP数が200を超えた(°д°)

 

 

訪問してくださっているであろう方々を私が思い浮かべられるのはせいぜい10数名なのに…残りの方々は一体、どんな方たちだろう?何故、こんな数字が増えたのだろう?と不思議でならない(?_?)

毎日、自分でも「こんなことほざいてもしょうがないからブログに書くのはやめようか?」と思うものの日々のIP数を見ては、ついついアップしてしまう…しかし、今日、思わぬところで、えぇ~あんたも私のブログ読んでたの?という人が現れ、つくづくネットの怖さを実感。こんな思いもしない人が読んでいるのなら、私、思い切り書きたいこともかけないじゃん と怒ってもしょうがないのですが…

さて、昨夜、仕事をしていると、数年ぶりに友人のEピーから仕事の打診の連絡を受けるも、この日中介護、そして夜家で仕事している状況では無理かなぁ~でも好きだけど不安定な仕事よりも安定職を選ぶべきかと悩む(ーー;)即答はしなかったけど、きっと自分の自由な時間に好きな仕事をする方がやりがいがあるのではないか?例えコンスタントに仕事が入らなくても時間急としては今の仕事の方がギャラも今の方が良いのではないか?でもコンスタントに入るとは限らないからフルタイムも捨てがたいと今日は一日頭を悩ませる。

そして今日はまず母の偵察に行ってきた。母、物凄く体調悪し…その後、祖母の顔を見に行くも、祖母もぐったり…病人の世話に明け暮れていると今日はやたらと携帯が鳴りまくる。先生とか、色んな人と大事な話をしている時にブルブルと鳴り続けるので、電話に出るとどうでもいい内容のことだったりで、とにかくイライラする一日。仕事も要領の悪いディレクターの指示で、堂々巡りで、今日は仕事先の新年会にも顔を出せずに、何だかしっくりこない一日でした。


母、誕生日

2013-01-28 19:10:28 | Weblog

きゃぁ~このところ落ち込んでいたからすっかり母の誕生日プレゼントを購入しに行けずにいた(;_;)

今朝、慌てて、Rose Galleryでプリザーブドフラワーを購入し、母を迎えに行ってから、ミッドタウンでランチ。そして祖母の病室に行こうかと思ったら、母が洋服を買いたいというので、付き合った。

今日はあっという間に祖母の3日分の入院費が飛んでいってしまいました/(-_-)\

でも、今年も母が誕生日を迎えられたから、まっいいかと思い直してから、祖母の病室へ

祖母、今日は車椅子に座って顔色もよく、ご機嫌でした。なのに、退院して在宅で看られないと言われると本当に辛いのよねぇ~

今日も病室からの夕日と富士山がきれいでした


心の声に耳を傾ける

2013-01-27 22:43:00 | Weblog

今回、危篤になってしまったY、昔から弱音を吐かずに、明るい性格でした。

大学を卒業してから、彼女はあまり同じ学部の同級生とは連絡をとっていなかったけれど、私とは卒業後もよく一緒に飲み歩いていた。アラサーだった頃、よく飲んでいたグループの一人と彼女は結婚。

旦那さんのTとY、そしてウチの母ともよく一緒に飲みにったり、ご飯を食べに行ったりしていた。

そして結婚して1年くらいしてから彼女に癌が見つかり、最初の頃は母もYやYのご両親を見舞いに行ったり、Tの慰労会ということで一緒に母と3人でよくご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりしていた。そんな時、彼も彼女の病気のことで相当精神的に弱っていたのか、女に走ろうと血迷ったことがあった。

私は激怒し、何とかそのハレンチな行動を食い止めました。Yが大変な時に血迷うTを許せなかった私、生来のきつい言葉で彼を罵った。そんな彼を許せなくて、私はTとはその後、あまり連絡を取らないようになり、Yとだけ連絡を取るようになったのですが、最初の癌から5年程して、再発したY…治療が辛くて、私にすら会いたくないとあまり連絡をしてこなくなってきた(;_;)

私は見守るしかないかな~と思っていた所に、先日、Yとサークルが一緒だったNからの連絡を受け、このところ二人で「どうしよう」と慌てふためいていたのです。

Nもこの数年家族の看病をし、去年、一昨年と立て続けに大事な家族を亡くした。私もブログに書いているようにダブル介護。弱っていく家族を看る辛さが身にしみてわかっているつもり。

心配してくださる皆様の気持ちが有難い反面、看病する者にとっては重荷になることも身にしみて実感していた。

それにNも家族の過酷な闘病生活を支え、二人も失った今、Yを見舞いに行くのは辛いという。

私も今の祖母と母の状況と重ね合わせて、変わりきったYを見舞いに行くのは辛すぎる(;_;)

けど…もし彼女が会いたいと言ってくれたなら…家族も会わせたいというのなら、私の「辛い」という感情だけで、危篤のことを聞かなかった振りをしていていいのだろうか…という気持ちが心に合ったので、今朝、思い切って旦那のTに連絡を入れたら「昏睡状態から意識は奇跡的に戻ったから今日、明日ということはない。できるなら僕としてはまりっぺに一目会ってほしい。」と即答。

私「とりあえず、Tの意向だけではなく、何よりもYやYのご両親の意向も確認して、考えてから皆の納得の行く結論を出して…皆にとってプラスになるのであれば私はいつでも飛んで行くから…ただ私が行くことで、周囲が気を使ったり、Yが私はそう長くないのではないか?と勘ぐったりして、マイナスになるのなら行かないから…その代わり、私ができることは、私のできる範囲でやるから遠慮なくいつでも連絡して…ちなみに私も今二人金のかかる家族を抱えているから金銭的なことはな~んもできないぞぉ~それ以外は何でもやるからさっ」と言ってから電話を切る。

あぁ~私、何で飛んで行くなんて言ってしまったのだろうか…最初は、彼女の変わり果てた姿を見てショックを受けるだろうけど、時間が解決するのではないか?と思うようにして、彼に電話を入れたけど、26年前の父の死に際、未だに鮮明に脳裏に焼きついているではないか…時間が経ってもあのショッキングな光景は目に焼きついているのに…

でも…今、祖母や母のことでどん底に向かっている過程の私…ここでYのショッキングな状況や姿を含め、目をそらさずにちゃんと向き合っておけば、将来、後悔しないだろう。その内に、あの時はママタンやママ、そしてYのことで本当に辛かった…忘れることはないにしても、少し自分で消化できる日が来るだろう。やるべきことをしないで、後悔するよりも、しっかりと現実を見つめて、やるべきことをやって行くべきではないかと、思う夜であります。

以上の優先度の高い事項が幾つかあるのに、頭の片隅では「あぁ~確定申告もしなきゃ~」とも考える私です…


なんだかねぇ~

2013-01-25 10:22:54 | Weblog

今回はかなり精神的にダメージが大きいようで、頭で色んなことを考えるが、体が伴わない(;_;)

えぇ~い、こんな時は気分転換しよう

ということで、昨日は午前中にプリウスを購入したディーラーに洗車に行ってきました。担当整備士のY氏「今日も無料洗車?

私「はい、祖母の入院費が高額のため、無料洗車でお願いします。それから飲み物はホットコーヒーでお願いします。」と図々しい私…

車が洗い上がるまで、コーヒーを頂きながら雑談

Y氏「そんなに入院費かかるの?」

私「普通に働いたんぢゃ稼げない。キャバ嬢になろうと思ってもこの年ぢゃ無理。かと言って錦糸町では働きたくないし、プリちゃんを下取りに出そうか、それとも家を売っ払って、プリちゃんの中で路上生活をしようかなぁ~」

と馬鹿なことを言いながら洗車してもらって、帰ろうかと思ったら、無料で洗車してもらって、暖をとり、コーヒーも頂いた上、お土産を頂きました。

私「有難う~これで3日は凌げるかもしれない。口に入れても直ぐに飲み込まずに、味がなくなるまで噛んでから飲み込もうたまに、お湯かなんかでふやかして、量を倍増して食べたりしたら1週間は食いつなげるかもしれない…」

本当に馬鹿だ私

洗車の後は家で祖母の寝巻きのアイロンをかけてからテニスへ病み上がりの私、先週、腰を痛めたということもあり、無謀に走らない…ラケットも思い切りふらず、最後のサーブ練習やゲームは棄権。何とも中途半端で、すっきりストレス発散することもなく、テニスの後はテニ友たちと軽く夕飯を食べてから、帰りに祖母の顔を見に行ってきた。

まだ19時なのに、祖母、爆睡していたので、そのまま起こさずに暫く祖母の気持ちよさそうな顔を眺めてから、帰ろうと部屋を出て、エレベーターを待っていたら、O先生が突然目の前に現れびっくり(゜o゜;;

エレベーターを待っている私の顔が相当思いつめているように見えたのか

O先生「お体大丈夫ですか?」と声をかけてくれました

私「はい、お陰さまで腰も大分良くなりました。」

O先生「あまりご無理なさらないでくださいね。おばあ様の様態は安定していて、今日は車椅子にも数日ぶりに座れたし、安心して下さい。」

私「有難うございます。祖母の転院のことでご迷惑をおかけして、先生をつらい立場に追いやってしまい、本当にごめんなさいm( __ __ )m」

O先生「全然、そんなことは気にしないでいいですから、とにかく任せて下さい。ご家族も呉呉もお気を付けて下さいね」と、患者のみならず、誰に対してもいつも暖かいO先生の言葉に思わず涙がこぼれそうになったら、絶妙のタイミングでエレベーターが来たので、慌ててエレベーターに乗り込む私。ドアが閉まったと同時にポロポロと涙が溢れてしまった

ケアマネや周囲から見捨てられた感が強い中、O先生の存在が私たち家族には唯一の希望。

でも、それも病院にはいつまでもおいておけないから、時間の問題だろうなぁ~それに、お金がいつまで続くかなぁ~と家に向かう道すがらも悩む私。

まぁ~悩んでも、なるようにしかならない…

家に変えると、一昨日、アマゾンで購入した高校の同級生が出版した書籍が届いていました。

5450円也。ハードカバーとはいえ、高い!また無駄遣いをしてしまった…と思いつつも同級生のよしみで購入。

そういえば、先日、インフルの際、アマゾンで購入した渡辺淳一の「白き手の哀しみ」完璧外しました。

渡辺淳一が作家として活動した最初の頃の作品だと思い…「花埋み」のような作品に違いないと勝手に思い込んで、購入したのですが、最悪だった…

その反面、あまり期待せずに買った伊集院静氏の「大人の流儀」は彼の破天荒さが面白かったなぁ~

さぁ~今日も、体が動かないながらも、少しづつ片付けるべきことをやってしまおう


悩んだ結果

2013-01-24 00:00:00 | Weblog

大学の同期NからYの危篤を知らせる連絡があってから、果たして駆けつけようかどうか悩みまくりました。若かりし頃、楽しい青春を共に過ごし、卒業旅行も一緒に行ったY。最後に会いたいという気持ちはあるものの、数年にわたる闘病生活で、変わり果てたであろう彼女の姿を見る勇気がない(;_;)

最後に会ったのは5年程前の同窓会。その数年後、電話やメールでのやりとりで再発したことを知りました。癌になった当初(10年程前)はよく彼女を訪ねたのですが、再発してからは会いたくないという彼女。だから私たちの中では5年程前の同窓会の姿が思い出となっています。

だから今の彼女を見てしまったら、これから私は彼女の弱りきった姿が強烈過ぎて、きっと彼女を思い出す度に、その姿が鮮明に脳裏に焼き付けられてしまうのではないか…と思って、怖いのです。だから会いたいけど、会いたくないというのが正直な気持ち。

でも…もし彼女が会いたいと言ってくれたら、飛んでいくべきではないか?と別の私がささやきます。

では彼女の意思やご家族のご意向を確認するには家族に連絡すべきだろうと思い、ふと電話を手に取るが、連絡をくれたNはYの仕事関係の人から内密にYの状況を聞いたらしいことを思い出しました。

内密ということは彼女のことをあまり家族が周りに知らせていないということだろう

私自身、母が癌になった時、周りにあまり知らせようとは思わなかった。知らせる元気さえなかった。でも親しい極僅かの知り合いに知らせたら、瞬く間に母のことが皆に知れ渡り、沢山の方々が心配して連絡をしてきました。

心配して連絡してくれたのはよくわかるのですが、治療や今後のことでいっぱいいっぱいだった私や母は、正直、皆さんに何度も状況を説明するのが辛かった。それに何人もの電話で時間を取られるのもきつかった。それに母自身、弱った姿を見せたくないと言っていたし、私だって、日に日に痩せ、髪が抜ける母を人の目に晒すのは嫌だった。母が会いたいと言えば、別ですが…

そして心配して下さる皆さんが経過を知らせて欲しいと仰ってくださっていたけれど、一日を終え、疲れきって帰ってきてから、人に電話をすることがどれほどしんどいことだったか…

このような自分の状態とYのご家族を重ね合わせると、電話をするのは憚られる。

では、何も知らない振りして「Y,その後、調子はどうですか?暖かくなったら、気晴らしにご飯でも行こうね!」と彼女の携帯の留守電にでも入れようか?とも思った。そうしたら、家族がそれを聞いて連絡をくれるのではないか?と悩んでいたら、今年、彼女に年賀状を出したことを思いだします。

そして私が出した結論…

年末に彼女が救急搬送されたらしいとNは言っていた。

ならば、年明けの彼女宛の年賀状はご家族が目にしているはず。

ご両親にも、旦那さんにも何度も私はお目にかかっているので、私の年賀状を彼らが見て「あ~そういえばまりっぺにも知らせて、会わせたい」と思えば、私に連絡をくれるはず。

でも連絡がないということはそう思わなかったということであろう。

必要なら連絡があるはずだ。

だから、R同様、Yに関しても、ひたすら私は待つしかないんだと思う


ムカッ(--〆)

2013-01-23 00:00:00 | Weblog

体調が回復しているのに、このところ頭を抱えてしまう課題が絶えずに、気持ちが焦るだけで、もう何もする気力も体力もない(;_;)

そこへムッとするメールが来ました

家族ぐるみで付き合いのあったM子さんから突然「H郎(息子)がドライアイで、困っています。まりっぺなら色んな先生を知っているから、大至急、眼科を紹介してください。」という簡単なメールでした。

取り立てて怒ることもない普通のメールですが…

困った時だけいつもウチにやってくるこの親子、年末からの祖母の状況を知っているし、年明けから母が新しい療法を行うことを知っているのに「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」でもなきゃ、

「おばあ様やお母様の具合は如何ですか?」でもない

それに息子は30代半ばのいいおっさんなのだ 

いきなり上記の文言のメールに、疲れきった私はむっとしつつも、スルーしたら、

どうして連絡くれないのか?

と執拗に連絡が来る。

もうこんな時に、ドライアイがどーした!その辺の町医者、もしくは薬局に行かんかいヽ(`Д´)ノと思いつつ、ひたすら無視…

そしたら、今日、祖母の病室に入ったら、テーブルの上にメモが置かれていました。

どうやら祖母のケアマネが私のいない間に、祖母を訪ねてくれた模様。そのメモには

「お別れに参りました。」と一言書かれていました。

まぁー人間、もうこいつはダメだと思ったら、周囲の人が去っていくのはわかりますが…

「転院されるそうで、私はもう何もやることはありませんが、何かあったら相談に乗りますから」くらい言ってくれてもいいのではないか…

しかも衰弱した祖母と母を抱えているのに「お別れに…」って無神経すぎる…母がすっかり寝込んでしまった今は特に堪えた…

このケアマネ、祖母が具合が悪くなる度に「もうダメね…」とか、「千恵子さんもそう永くないわ」と言う…

でも、何かお願い事をすると直ぐに動いてくれるので、母は彼女を頼りにしていたのですが、母や私に電話をくれるわけでもなく、メモで一言「お別れに参りました」と置き手紙。高齢者相手に飯食っている人に、見捨てられた感いっぱいです。

腹が立つというか、無力になるとこうもあからさまに掌を返されることにまた凹む。もう怒る元気もない…でもこの弱者の現状をブログで訴えずにはいられない…本当に一昨日やっていた「NHKスペシャル 老人漂流社会」…ひどすぎるこの現状…


追い打ち…

2013-01-22 07:07:07 | Weblog

徐々に社会復帰をし、やることいっぱいなのに、何一つ片付けられずに、時間だけが無情にも過ぎて行く上、あまり寝てません。

Rが治療を受けているとお姉さんから連絡があった日の晩。

「詳細は説明できないが…」と言いつつ、数時間にわたり、Rの話をし、夜中に電話を切ってからもずぅっと色んなことを考えていたら、寝そびれた(;_;)

そして翌日の朝には、前夜に電話で散々お礼を言っていたお姉さんからまた御礼のメールをもらいました。

「いえいえ、お礼を言われるようなことはしてないし、これからも何のお役にも立てないと思いますが、私にできることはなるべく対応するからいつでも連絡してください。若輩者だし、ウチの状況で、あまり動けないから、あまり助けにはならないと思うけど、とにかくRの回復を心から願っています。ご両親とお姉さまもご心痛だと思いますし、あまり家族以外には相談したくないご事情もお有りだと存じます。従って、私の方からはあまり連絡せずに、見守るだけにします。必要な時はいつでも、そしていつまでも待機しているので、遠慮なくご連絡ください」と返事を書いたら…

毎日、Rのお姉さんからメールや電話がある…日中は流石に私も祖母や母のことをやっているとお察しのようで、メール。そして夜は電話で数時間、その対応に費やされる…

私がFBでRの異常を感じ取ってから、ひたすら彼女のことをどうしたらいいのかと、悩んで、思いつくあらゆる手段で行動をしていたら、「あまり深入りしない方がいい」とか、「そんなの放っておいたら?」と言う周りの人がいました。でも放っておけないんだな、私の性格としては…

「でも、もう病院に任せたらいいじゃないの」と言われますが、ご高齢のご両親と一回りも離れたお姉さん、相当動揺しているようで…どうしたらいいのかわからないらしく、警察に電話をして大事にした私に色んなことを相談してくるのです。

もうここまできたら、えぇ~い!乗りかかった船だ。できることはやってあげたい!

私自身、周りに真剣に私のことを心配してくれ、支えてくれる友人がいたからこそ、今の自分がいるし、私自身、孤独がどんなに辛いか、身にしみて感じたことがあるから、この生死に直面したRのことは放っておけない。だから、一部の人が「深入りするな」と言っても私は私なりできることをやらないと、気がすまないのだよ!と半ば意地になってRのことも誠心誠意対応していたら、追い討ちをかける知らせが入ります。

大学時代の友人Nから、同級生のYが危篤であるという電話が入りました。Yが10年ほど前、癌になり、闘病していた当初は私も母と一緒にお見舞いに行ったり、治療の合間にご飯を一緒に食べに行ったりはしていたのですが、再発してから彼女は周りと連絡を取ることを拒み始めました。

いつもどーしているかなぁ~とは気にしつつ、具合の悪い時に連絡してもつらいだろうと、たまに電話かメールで連絡をとり、後は年賀状とか、暑中見舞いのやりとりしかしていなかったのですが、年明けにまさか危篤状態に陥るほど悪かったとは、知らなかっ(;_;)

Nも、本人や家族から連絡をもらったわけではなく、人づてに彼女の病状を聞いたのでどうしようか?と、私に連絡をしてきたのです。

二人で「う~ん、直ぐに飛んでいきたいけど、ここ数年、見舞いを頑なに拒んでいたのに、突然、私たちが行ったら、Y自身、そして家族が戸惑うのではないか?果たして、他の同級生にも知らせるべきか?」ということになり、現在も、二人で悩み中。

Nも一昨年、お母様を癌で亡くされ、私も去年から癌の母を抱えている。だからこそ、ご家族の気持ちもよくわかる…それに突然、私たちが行ったら当の本人に、無用な疑問「私は、もう長くないの?」という気持ちを持たせてしまうのではないか?彼女は絶対、人に自分の弱いところを見せたくない人だった…だから、今の自分を数年会っていない人たちには見せたくないであろう。

年明け早々、どーしてこうも憂鬱なことが続くのかなっ…落ち込んではいられない!とにかく、できることを一つづつやらないといけない!と頭ではわかっているのですが、やっぱり凹みます(;_;)


なめんなよっ…

2013-01-21 07:07:07 | Weblog

昨日、祖母の病室に行って唖然としました。

祖母の病室に行くことを再開してから、常々、「あっ、看護師さんたち手を抜いている」と思っていました。

インフルに罹る前は私か母がなるべく病室にいたので、看護師さんたちも1時間おきくらいの頻度で、祖母の様子を見に来てくれていたのですが、私がインフルで顔を出さなくなってから、その頻度が極端に少なくなってきた。私が来ないことで完璧舐められている…と、母やヘルパーのHさんから聞いていました。

確かに、この数日、私が行くと、祖母の下の世話をしてくれた物がそっくりそのままむき出しで置き去りにされていたり、ベッドの柵に顔が当たったままで寝ていたり…そういったことが数え切れない程あったのです。でも最初は看護師さんも忙しいし、祖母はお荷物だからしょうがないか…と思ったのですが、今日の午後、部屋に入ったら、祖母のお下の後の品々がむき出しでまたベッドの上に放置されたまま、点滴は当に終わっている模様。そして祖母の布団がはだけたままで、肩がむき出し、しかも熱がある模様。そして何よりも腹が立ったのは朝食が手付かずのままテーブルの上に置かれた状態でした。私が病室に行ったのは午後2時半。

部屋に入ってから「何これ?ふざけるな…ママタンを殺す気か…」と思わず吐いて、ナースコールを押す。

大分、コールを鳴らした後に「伺います。」と言ったままずぅっと来ないので、私の怒りは沸々としてきて「マジで殺す気か、ふざけるな」と繰り返す私。

そんな私の苛立ちを知らない祖母はご機嫌で「How are you?」とニコニコしながら私に話しかける…

そこに看護師さんが「どーしました?」とやってくる…

祖母、看護師さんにも「How are you?」と話しかける

私「お忙しくて、祖母がお荷物なのはわかりますが、点滴ももうとっくに終わっているみたいだし、熱があるのに布団ははだけて肩丸出しだし、モノすごく冷たくなっている使用済み尿とりパッドはこんなところに放置したままだし、何よりもこの朝食はどういうことでしょう?」と不機嫌さを顕にすると

「あっ、今から召し上がってもらいましょう。飲み込めないでしょうけど…」

私「今からってこれ朝食って書いてあって、今3時ですよね?皆さんの間に、彼女はもう飲み込めないという意識があるから、もう最初から食べさせようとはしないのですか?O先生や私がいないところで、こうあからさまに態度に出すことはないと思うんですけど…祖母が病院と看護師さんたちにとってはお荷物だから追い出しにかかっているのはわかるけど、こういうやり方ってないでしょう?」と言ったら、

「別にそういうつもりはないんです。本当にすみません。」と平謝りする看護師さん。

そこへ祖母、信じられない言葉を発します

「殺す気かっ!?ふざけるなっ!!!」

私が看護師さんが来るまでの間に口にした言葉を、絶妙のタイミングでそのまま復唱

それがあまりにもおかしかったので、思わず吹き出してしまい、昨日はそれ以上、ことを荒立てずに帰宅しました。

しかし…明日もまた同じような対応だったら、明日こそは「師長さん、呼んでいただけます?」と言ってやるんだ、絶対に!といきり立ちながら、昨日の「NHKスペシャル 老人漂流社会」を見て、何とも切なく、悲しい思い…そして私にとっては切実な問題…そんな番組を見てしまったものだから、(他にも寝られない要素はあったのですが)結局、今日も寝不足…でも頑張って、今日もママタンの顔を見に行って来よう!


どうにか社会復帰、そしてRの結末

2013-01-20 07:07:07 | Weblog

長い2週間でした…一昨日まではまだ痛みもあり、歩くのもしんどかったのですが、お陰さまで昨日あたりから、少しは痛みが残ってはいるものの、何とか外出できる程になりました。

この思わぬ休養期間、本当に直ぐに飛んできてくれた約10名程の友人・知人に感謝。皆さんのお陰で、普段以上に我が家の冷蔵庫は豊富でした。毎日、数人が入れ替わり、立ち代り差し入れをしてくれ、中には毎日、来てくれる人もいた為、私ってもしかして働かないでも食っていけるのでは!?と勘違いする程

でもいつまでも甘えている訳にも行かずに、昨日、皆さんにお礼参りをしてきました。

一昨日、ネットで頼んだブランカのマドレーヌと

かやのやさんの生姜ごはんの素等々

ミッドタウンのかやのやに買い物に行き、皆のところへ届けただけで、病み上がりの私、相当疲れましたが、午前中は体調が悪く、臥せていた母が私と一緒に祖母の所に行きたいというので、その足で、母を迎えに行き、祖母の病院へ

病室に入るとヘルパーのHさんが来てくれていました。

祖母、相変わらずぐったり…

Hさんと母の話によると、祖母、私が不在になってから急激に衰弱し、全く話さなくなったというのですが…

一昨日も、昨日も、祖母は私の顔を見る度に「じゃんけんぽん!グー・チョキ・パー。おまけにクルクルパー」と声を出す…

で昨日は、ノートに「2+3=」と書いて見せると

「ツー・プラス・スリー・イコール・ファイブ」と英語で答えてくれる

試しに「10-5=」と書くと、「テン・マイナス・ファイブ・イコール・ファイブ」と言う

一昨日は、12日振りに祖母と母を見たら、マジで、二人共、そう長くないかも…と思ったのですが、昨日の調子では「もしかして、祖母、また奇跡を起こしてくれる力が少し残っているのでは?」と思ったので

ノートに「家に帰りたい…先生、見捨てないで…治るまでここに置いて…お願い…」と書いてみると、それを声に出して読む祖母

私「そう、その調子。とにかくこれを覚えて、先生が来たら、このセリフを言うのよ。そして帰ったら、本当に教祖になって働いてもらいますからね。でないと、普通の仕事してもここの入院費は稼げないんだから、頼むよ、ママタン」と言い聞かせると、ウンウンと頷く祖母

そのやりとりを横で見ていたHさんと母「こんなにしゃべれる力がまだ残っているとは思わなかった…」と笑う

その後、1時間程で祖母が寝てしまったので、私たちは病室から退散。母を送ってから、私も麻布へ帰ってきました。本来なら、母を落としてからもう一度、祖母の顔を見に病院へよるのですが、この治りかけで調子こくと危険な為、泣く泣く帰宅(;_;)

そして夜、22時頃、そろそろ睡眠導入剤を飲んで、早く寝ようと思っていたら、Rの携帯からメールが入ります。

水曜日の午後までまた変な書き込みを数分毎にFBにあげていたR…水曜日の午後を最後にぱたっと投稿が失くなった…これって落ち着いたのか?それとも何かあったのか?と気にはなっていたのですが、とにかく社会復帰をしたら、衰弱しきった祖母と母を見て、危機感を感じてしまったし、Rもとりあえず警察が自宅に行ったことで、ご両親にただ事ではないことは伝わったはず。だからご両親が目を光らせてくれるであろうと思っていたのです。

そんな矢先にRの携帯からメールが入ったので、見てみると「Rの姉です。今から、私の○×○×というアドレスからメールを送ります。知らない人のメールだと思われるといけないので、取り急ぎ、Rの携帯からご連絡しました。」という内容のメールだったので、ドキッとする私。とうとうやらかしてしまったか?と焦る(◎-◎;)!!

そこで、「メールではなく、電話ください」と即レス

間もなく一回り離れたお姉さんから電話が入り「Rが入院しました。」というので、

あちゃ~やっぱりやってしまったか…と思ったら

「まりっぺが警察に連絡してくれたことで、両親が異変に気づき、水曜日に無理やりRを病院に連れて行くことができた。有難う」とのこと

何かある前に気付けて良かったぁ~

とにかく、最低でも1ヶ月入院し、治療をするということらしいです。

あぁ~本当に、良かったヽ(;▽;)ノこれで一安心(^ω^)

さぁ、今日も、後で祖母の顔を見に行ってこようでもあまり長く居たり、日に何度も顔を出すと、私が復活したと思われ、転院の話をせっつかれそうなので、当分は、先生方となるべくバッティングしないように、行く頻度と時間を控えよっ…

O先生、ごめんねぇ~でも、本当に今の母の状態で、祖母を転院させたら、母が本当に死んでしまう…それにまだまだ寒いから、祖母を今の熱のある状態で動かすのは祖母をも殺しかねない…私がまともな決断をできる状態になるまで、もう少しだけ、待って下さいなっ、そして、R早く元気になってね、と心で念じる私です。

しかし、FBで繋がっているRの友達は何故、誰一人、反応しなかったのだろうか(?_?)と未だに謎なのだ…


生活保護

2013-01-19 07:07:07 | Weblog

祖母の今後を考えると終わりの見えないこの状況、一体どれだけ面倒を見られるのかと不安でいっぱいになります。それに母の年明けから始まった現在の治療も一年以上のスパンで継続する予定(3週間に一度の点滴を18クール)だし…その間、祖母を転院させないといけないという現実…6年間、母と頑張ってきたのに…悔しい…だからこそ転院先も妥協はしたくない…でも現実問題として祖母をおいてくれる理想的な病院は(日赤以外)そうそうない…勿論、お金を沢山もっていれば別なのでしょうが…神様のような存在であるO先生も病院との間に入って頑張ってくれているから余計辛い/(-_-)\

でも12月の入院費用は、普段祖母にかかる1ヶ月分(約50万)の諸費用をたかだか2週間で簡単に超えてしまった…このままでは一体どのくらいの期間、我が家は財政的に耐えられるのだろうか…勿論、あのボルネオの夕日を思い出しながら頑張って働けばいいのですが…それにしても2週間で66万(6.6万の間違いではないか?と未だに考えるが、悲しいことにどんなにレシートを見ても、どこにも小数点はないのです(;_;))という金額の入院費ともなると、幾ら働いても追いつかないだろう…

この歳で、キャバ嬢にはなれないし(゜д゜lll)かと言って、テニスを辞めたり、他を切り詰めてもたかが知れている。車も今、手放すのはきつい。私だけの足なら、交通費を浮かすためにも徒歩で頑張るのですが、母の日々の送り迎えがある…しかも、今回の母の治療は心臓に相当負担のかかる副作用があるため、寒い中の彼女の外出にはリスクがあり、怖すぎるΣ(|||▽||| )

そんな風に頭を抱えていると友人の一人が「癪だけど、こういう時って生活保護を受けている人たちが強いのよね」と言います。

そう、私の軽蔑する生活保護受給者は病院や医療費のことは何ら心配することがない

勿論、皆がそうだとは思わないけど、大多数が解せない人ばかり(--〆)

その大多数の最低な人たちのお陰で、本当に必要としている人には恩恵が一切、行き渡らない…世の中、理不尽だなぁ~

でも生活保護の申請をすれば、病院の悩みも大分、軽減されるという悲しい現実にぶち当たる。

しかし、ウチはこの先、家を失っても絶対に、そのようなことはしない

それが例え祖母や母を結果的に「殺す」ことに繋がっても、私は絶対にしない(ーー゛)

それが私たち三世代のプライドだと、思う…

プライドの高い祖母と母に「生活保護受給者」というレッテルは絶対に貼らない

そんなレッテルを彼女たちに貼るくらいなら「ごめんね、ママタン(祖母)も、ママもお願いだから死んでください」ときっと私は彼女たちに面と向かって言い放つでしょう。

誇り高く生き抜いてきた彼女たちの尊厳は絶対に私が守ろう…とにかく、私は私なりにできるこるとを一つ一つこなして、今日も一日、頑張ろう(*^^)vとりあえず、ママタンとママさえ無事、見送ることさえできれば後は何とかなるさ、と思う今日この頃…

朝からなんか重たいアップになりましたが(母の遺産を読んだせいかしら?)、今日もこれから祖母の所に行ってきます。

祖母、今週に入り尿管が取れたものの、喜んだのも束の間…肺炎の次は尿管を取ってからまた腎臓に炎症が起きてしまい、昨日は38度の発熱…一瞬、私のインフルが移ったのかとヒヤッとしましたが、腎臓らしいです…本当に百年物の骨董品の管理は難しいわぁ~本当に一難去って、また一難(>o<)

こんな状態で、この寒い時期に祖母を他の病院に移動させたら、一気にもっと弱るのではないかと、やっぱり転院という制度には納得が行かない、私ですヽ(`Д´)ノ


久々の外出

2013-01-18 07:07:07 | Weblog

昨日は12日振りに外出しました。祖母の病院のケースワーカーと今後のことでのミーティングが予定されており、母だけでは心配だったので、コルセットを巻いて、ソロリソロリと外出。

まず、祖母の部屋に行くと

私がインフルになったことは病棟で周知のことのようで、いきなりこんな張り紙がドア前に貼られていました。

部屋に入って、2週間近く振りに祖母と母に会うも、二人共、相当、衰弱していた…これ、マジで共倒れになるんぢゃないの?ここで、祖母が転院させられて、母とは別の病院となると、祖母も、母も、そして私もそう長いこと体が持たないと思いながら、母と二人でケースワーカーの元へ

病院側が追い出しにかかっているのは重々承知しているので、転院先を探してもらうのに、「母も2月の初めに第二クールの治療があるので、できればもう少しこちらに祖母を置いていただきたいのですが、そうも行かないのはわかっています。そこで一つ、ST(speech therapist) がいる病院への転院がこちらの希望です。」とケースワーカーに伝えると、彼女の顔色が曇ります

「STがいる病院って、殆どないに等しいんです」

私「でも、祖母の嚥下のリハビリをさせたいので、その条件は譲れない。どうしても祖母にはまた口から食べてもらいたいんです。それが彼女の楽しみですから」

「わかりました。一応、探してみます」と言って面談終了。

STを条件に出したのは、殆どそんな病院見つからないことをわかって、条件として出しました。

これで少し、時間稼ぎができるかも…という私なりの無駄な抵抗。

面談の後は祖母の12月分の入院費の支払いをしてきました。最初の数日は45、000円の個室、その後30、000円弱の個室に移してもらったものの、12月分だけで…

12月はたかだか2週間くらいなのに、この金額は痛い…私の体力も財力も衰弱するのみです☆⌒(>。≪)

あぁ~これから我が家はどうなるのだろうと新年早々、気が滅入りますΣ(゜д゜lll)


摩訶不思議

2013-01-17 07:07:07 | Weblog

漸く少しづつ痛みも和らいで来て、何とか動けるようになりました。とはいえ寝起きの時と夜中の寝返りはまだ痛いし(+。+)じっとしていればいいのですが、動く時はまだ少し痛む。相変わらず痛み止めは夜のみの服用で、昨日も祖母や母のことが気になりつつも、雪が多少残っている道路をこの状態で歩くのは危険だと判断し、後一日、養生しようと決め、昨日も読書とRのFB観察。

Rに対してもう連絡は当分差し控えると決めたのですが、やはり気になる。そしてその懸念は昨日あたりの掲載から再び増長されます。

なんと、日本語で始めはアップし、次は英語でとにかくわけのわからないことを書き始め、今度はフランス語でアップし始めました。

Rちゃん、一体、あなたはどこへ行ってしまったのだ?と思うも、これ以上は深追いしない。これからもFBを見守るくらいしか、私にはできません(´;ω;`)

さて話は変わり、一つ不思議な現象が起こりました。

私がインフルエンザを発症して、数日経ってから、毎日、友達が入れ替わり立ち代り、差し入れをしてくれます。お陰様で、食うことには困らず、未だに夕方、必ず何かしらが玄関に置かれているのです。

で、3日程前、ふと変なことに気づきました。玄関のドアノブに、私のプリウス君につけていたお正月のお飾りがかかっている。

ん?これはきっと誰かが差し入れの際「もう外しなさい」と思って、プリウスから「交通安全」と書かれたお飾りを外して、食料と共に玄関に持ってきてくれたのでしょう。

しかし、新たな疑問が…

玄関のドアにかけてあったお飾りがないのです。

これはどういうことだ?

玄関用のお飾りがない代わりに、車の交通安全のお飾りがドアノブにかかっている

私の元からRちゃんがどこか手の届かない所へ行ってしまい、玄関用のお飾りも消えた

怖いです、これ☆彡

さて、今日は少しだけ活動してみます。2槽式の洗濯機で溜まった洗濯をする勇気はない。そして、この腰痛が取れ切らない中、テニスに行く勇気もないため、ちょっとだけ、今日は祖母の顔を久しぶりに見に行ってこようかと思っています。

O先生にも会えるかなぁと淡い想いを抱いて行ってこよう


Rよ、ごめん…余計なことをしましたっ

2013-01-16 07:07:07 | Weblog

Rに最後のメールを打ったら、間を開けて「ありがとう」という言葉だけを連発するレスが届いた。レスがあったことにホッとしつつ…もう彼女とはかかわらないとブログに書きつつも、ぎっくり腰の痛みと戦いながら、RのFBから目が離せない…相変わらず、数分おきに、長文の意味不明なことをアップして、昨日の午後

長文の末尾に「私の人生、もう生きるのも嫌になりそう」という一言。

それ以来、アップがないこの数日、数分ごとにずぅっとつぶやいていたのに、プツッと何もアップされないのです。

慌ててRの携帯に電話するもまた留守電で、何度かけても出てくれない。メールで「お願いだから電話に出て!」と書いても、まったく電話に出てくれない。

ふと、おうちにもう一度かけてみようかと思うものの、ご高齢のご両親に無用な心配をかけるのは憚られる…私だったら、私の問題なのに、何故、高齢の両親に心配をかけるような余計なことをするのか!?と思うし…でもこのまま放置してはならない

誰に相談しよう?一昨日から同級生のHにも数回電話してもHも出ない…

他のインターの頃の友達は大半が海外にいる…

では区役所の福祉課みたいなところに電話しようか?それとも保健所?でも、こんな相談たらい回しにされるのでは?何かあってからでは遅いのでは?と悩んだ挙句、Rの住む街の警察署の防犯課にこういう場合はどこにどう相談すればいいの?と電話を入れたら、電話口に出てくれたK氏が、「今から様子を見に行ってくる。後で報告します。」とおっしゃってくださいました。

私「いや、でもそんな警察がいきなり行ったら、うちの母よりも年齢の高いご両親、腰を抜かすだろうし…本来なら、私が彼女を訪ねるべきなんだけど、悲しいことにぎっくり腰を患ってまして動けない…」と口ごもると

K氏「でもネットでそんな真剣に信号を発信しているなら、私が今すぐ見に行くから心配しないで。それにしてもお若いのにぎっくり腰とは…アハハハハっ…笑っちゃ失礼だけど、とにかくおウチで安静にしていて下さい。僕が様子を見に行って、後で報告しますから」と電話を切られる。

電話の後、あぁ~やっぱり直接、私がご両親に電話を入れて事情を話すべきではないのか?

でも私がRだったら、親に言ってほしくないだろう…両親には言えないからFBという手段を利用しているんだ…かと言って、警察沙汰という大事にしてしまったことで、警察がいきなり家に来たら、ご両親も腰を抜かすだろう…果たして私の選択はよかったのか…と考えれば考える程、また胃が(腰ではない…)痛み始め、頓服を飲む私。

そして長い1時間程の時間が経ってからK氏より電話が入ります。

「やはりRさん、とっても思いつめているようでした。でもある程度、お話を伺ったら少し落ち着かれたようだったので、ご両親には何か異変があったら、迷わず110番、もしくは119番にすぐ連絡を入れるように、そしてご本人には周りに相談したくないのなら一人で悩まず、警察にストレス発散くらいの気持ちで話をしにおいで、いつでも、どんな話でも聞いてあげるからと言ったら、本人も「はい、有難うございました」と言っていたから、まりっぺさんは安心して、ぎっくり腰治して下さいね。」

あぁ~なんていい人なんだこの警察官彼の報告を聞いて、体の力が一気に抜けて、ただでさえ立ったり座ったりができない私、もう床から全く立つことができなくなってしまった。

でも本当に大事にならないで良かったと、泣きならがRに余計なことしてごめん。とメールをしようと思ったら、彼女の方からチャットが入った

「ごめんね、まり、警察まで電話してくれたんだって、ありがとうね。心配かけちゃって。でも本当にうれしかった。まりはいつもやさしくてね。いつも有難うね。感謝してます。」

で、私は「本当に心配したんだからねぇ~もういい加減にしろよぉ~もう腰が抜けたから、今日はもうふて寝してやるヽ(`Д´)ノ今度、埋め合わせをしろぉ~その日を楽しみに待ってるからなっ(*^^)v」とレスを打ってから、再びFBにアクセスすると、また始まった…Rの訳わからない数分ごとの長文のつぶやきが…

あぁ~本当にもう知らんよ、私は…私はやるだけのことをやったから、今日から絶対にRのFBは気にしないことにした。


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