再来週、関西の友達が泊まりに来るので片付けなければならない我が家。
いつから手もつけられぬ状態になってしまったのか?と思いを巡らせる。
去年の今頃は母の癌が見つかり母が抗がん剤を投与していた。とにかく祖母と母のことで精一杯だった。
家の片付けどころではなかった。
でもとりあえず年末とか、マンションの火災報知器の点検や排水口の清掃の際は取り繕う程度に片付けていた。
しかし、今回、友達が連泊するので、取り繕う程度では無理だ…
この際、母がいつでも帰ってこられるように大々的に片付けようかと思うも、それも無理…
色んなことを考えては、平日、母の病院の後、帰ってくるとついついうだうだと過ごしていたが、そろそろ本腰を入れないとヤバイ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
どこから手をつけて良いのかわからないと言っている場合ではないので、金曜の夜から、あらゆる所に散乱している書類などからまず始めた。
そうしたら、昨年末から祖母が入院していた病院の駐車場の領収書が山ほど出てきた。駐車料金が馬鹿にならないと言い、朝は歩いて行っていたけれど、お昼は母を迎えに行き、一緒に病院へ行って、祖母と時間を過ごした後、母を送りがてら買い物に行き、母を送ってから、また就寝前に祖母の顔を見に、午後は2回車で通っていた。つまり一日2回車で行っていた際の駐車料金の領収書が約2ヶ月分。
それから、祖母の転院を勧められた病院の資料…祖母の口腔ケア用品など、病院の売店で買った品々の領収証。それらを整理しながら、あぁ~この頃は私がインフルになったんだなぁ~とか、リハビリ病院に入れないで良かった。本当に恐ろしい病院ばかりだった…などと数ヶ月前の記憶が鮮明に蘇ってきた。
そして、祖母が自筆で「私はいつ家に帰れるの?」と書いたメモが出てきた。このメモを見て泣けてしょうがなかった。
それから、今度は恵比寿に帰ってきてから、私たち家族が祖母の点滴のルート処置をしなければならなくなり、必死で、先生たちからの指示を私がメモにしたものが出てくる。
そして、祖母の葬儀の際の色々な書類や領収書が出てきた。
祖母が亡くなるまではとにかく必死で、亡くなった後は母のことに集中しつつも、仕事をしたり、テニスで、寂しさやストレスをごまかし、我が家に散乱する書類の山は見て見ぬふりをしていたのです。
祖母が生きている頃は毎日、祖母の元に行って、うがい手洗いをした後、いの一番で祖母のベッドサイドに行って「おはよぉー(^_^)/」って声をかけ、祖母が「ご飯、頂戴」と答えてくれていたけど、この数ヶ月は、恵比寿に母を迎えに行くと、うがい手洗いをして、祖母の御仏壇に手を合わせる日々。お鈴を鳴らしても祖母が応えてくれることはなく、祖母が亡くなってから、母の手前殆ど泣くことはなかったけど…家の中の整理をしていて、祖母にまつわる書類の山を見て、今週末はとにかく泣けてしょうがない![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
この数ヶ月、全く片付ける気が起きなかったのは、これらの書類を見るのが辛かったから、無意識に見て見ぬふりをしてたんだ私。
泣いても祖母は戻ってこないし、大往生したのはわかっているけど、やっぱり家族の死は悲しいし、一人かけることがこんなに淋しいことだと初めて自分の気持ちと向き合った、週末でした。
思い出に浸りながら、今迄泣かなかった分、思い切り泣いて、祖母の死を現実として捉えなければならない時期にきっといるんだ、私…
泣きながらでもいいから再来週までに、取り敢えず、「まりっぺ旅館」の再開を目指して、片付けを頑張ろう
明日からまた母の病院だし、今週も2回テニスをしながら、少しづつ祖母のいない生活に直面しないといけないんだろうなぁ~