まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

近況

2014-10-28 20:32:45 | Weblog

遠ちゃんの死亡説を確認するがために、先週の月曜日にマンションを訪ね、「連絡下さい」というメモをポストに入れてきてもその後、息子さんから連絡が全くない。その間、仲間たちが物凄い捜索をし、どうにか息子さんのことを知る人と連絡を取ることができ、その結果、10月9日に息子さんが帰宅したら、遠ちゃんは既に息がなかったらしい。一応、角膜などは提供して、荼毘に付し、葬儀をせずに散骨するとのことがわかった。

それぢゃぁ、あまりにも淋しいので、偲ぶ会を仲間内でしようと、先週は皆のスケデュール調整等でバタバタする反面、ウチの母のことでもてんてこ舞いする一週間でした。

母は告知を受けた日に、まず腫瘍を小さくさせるための強力な薬を1ヶ月分処方された。

飲み始めた翌日より、下痢、ムカつき、胃痛、口内炎等の沢山の副作用に苦しめ始めた。

ムカつきや胃痛があるので、食欲が落ちたが、食べないと強い薬は飲めない。しかし、食べると口の中や喉元に複数できた大きな口内炎が痛み、数口食べると、神経的にやられ、食後にはお腹を壊し、あれよあれよという間に体力も落ちてしまった。そうなると食べることすらギブアップしたくなるようで、全くの悪循環

どんなに具合が悪くても食べることが大好きだった母も「地獄のようだわ」と弱音を吐く。

そこで、人と一緒に食べたら少しは気も紛れるかと思い、このところ殆ど麻布に来て過ごすようにした。

そして、なるべく口当たりの良い、柔らかいシチューとか、ポテトグラタンとかを一緒に食べるようにしている。そして、量が食べられないから、食間に人参、りんごとはちみつの自家製ジュースや、バナナジュースとか、甘酒に生姜をすりおろして、温めて飲ませるようにしているが、彼女が口に物を運ぶたびに、なるべく気にしないように心がけているものの、どうしても母の表情が気になる私。

私が、次から次へといろんな食べやすいものを考えては出し、顔色を見ると、母も副作用で苦しみながら「心配してくれるのはわかるがちとストレス」的な空気が家の中に充満する。でもそんな空気を醸し出さないように頑張っている母のオーラがプンプンに充満する。

あぁ~これからが正念場なのに、今からこんなぢゃどうなっちゃうのかな?と思わないでもないが、とにかく今はできることを一つづつやっていくしかないか…


遠ちゃん…

2014-10-20 15:26:07 | Weblog

最近、あまりブログはアップしてない…っていうか、母のことはなるべく頑張って動き回るようにしているのですが、他のことは自分から動くということをあまりしていない。

仕事も入ってきたものはちょこちょこやっているし、友達からお誘いがあればなるべく出かけるようにはしているが、母と一緒にいる時は殆ど携帯にも出ないし、家にいても、仕事のメールを見るとやらなきゃいけなくなるから、夜までPCを開くことは殆どしていない状態。

で、昨日は母の用事で、夕方、目黒に行き、ママシッターが終わった後で、テニスにだけは行き、帰宅したのは夜の11時半過ぎ。

帰宅後、一昨日の晩、あけたきりのメールをチェックした…

話はぶっ飛びますが、25年程前、学生の頃、アメリカの航空ショーのバイトで知り合ったカメラマンの遠ちゃんとは、それ以来、飲み仲間になった。20歳くらい年上だが、私のことはまりっぺ、まりっぺと可愛がってくれ、野球を見に行ったり、キャンプに一緒に行ったり、飲みに行ったりして、彼の飲み友達とも仲良くなった私だが、この数年、祖母や母のことで一緒に遊ぶことは少なくなったものの、数ヶ月に一度はメールや電話で話していた。

昨日の夜、メールを開けるとその飲み友の一人Sさんから「遠○カメラマンの件」というタイトルのメールが入っていた。

開けてみると「遠ちゃんが亡くなったって噂で聞いたんだけど、本当?何か知ってますか?」と書かれていた。

遠ちゃんは毎晩のように飲み歩き、数年前に末っ子の娘が私立を受けたいと言ったら、「受験料があったら一体、何杯、ビールが飲めると思ってるんだ?」と言い放った程の酒好きだったから、いつかは酔いつぶれて帰路に車でひき逃げされて死んじゃうんじゃないかとは思ってはいたものの、Sさんからの死亡説は初耳

8月に「荒木町で流しそうめんやるから食いに行こうぜ」とメールは遠ちゃんからもらっていたが、ちょうど富士山に登る予定だったから断ったのが、遠ちゃんと最後に取った連絡だった。

Sさんのメールに「まさか…」と思い、遠ちゃんの携帯に電話をかけると呼び出し音はなるものの応答なし…この時点で、零時を回っていたから、もう寝てしまったのか?と思い、携帯にメールを打っても送信できない…

最後の頃、遠ちゃんは大分、お金に困っていたので、携帯の料金が支払えないのであれば、電話自体がつながらないはずだ…

8月まで通じていたメアドにメールを送信できないということはどういうことだろう?と思いながらSさんに連絡してみると、他の飲み友達が最近、荒木町で遠ちゃんを見かけないから、どうしたんだろう?と言っていたら、亡くなったらしいというあやふやな情報があったという。

今の時代、皆、携帯で個人のやりとりだから、遠ちゃんの飲み友達も連絡の取りようがないとのこと…

ふむ…

遠ちゃんはバツが3つか、4つついていて、最後の奥さんとは数年前から別居中。最後の奥さんとは十数年前に2~3回、私も会ったことがあるが、彼女の連絡先は知らない…

さて、どうしようか…と思って、とりあえず葉書を書いてみることにした。

「遠ちゃん、元気にしてますか?電話しても出ない、メールしても送信できない…酔っ払った勢いで、携帯失くしたんでしょ?とにかく、至急連絡せよ!」と書いて、今日、投函するつもりだった。

しかし、投函して、万が一、遠ちゃんが亡くなっていて、奥さんの所にはがきが転送されて、それから奥さんが私に連絡してくるまで、時間がかかるだろうと思い、私はそのハガキを持って、今朝、遠ちゃんちまで行ってみた。

管理人さんに「すみません。○○号室の遠ちゃんと連絡がとれないんですけど…」と切り出したら

「えっ…あの…息子さんはいらっしゃいますよ…」と何か口ごもった感じ

「息子さんではなくて、酔っ払い親父の方なんですが…亡くなったって、噂を聞いたんですけど、違うよね?」と詰め寄る私

管理人さん「息子さんはまだここに住まわれていますが、今日もお仕事に出られました。お父さんに関しては先週の日曜日に救急車が来て、病死みたいですが…それ以上は私の口から言えないので…」と言う。

仕方がないので、息子さんがこの葉書を見て、連絡くれるのを待つしかないかな…と遠ちゃんちのポストに葉書を投函して、帰宅した。

夜には連絡があるかな…と思っても、何か落ち着かない…そういえば遠ちゃんの昔からの友達に10年くらい前に会った時名刺をもらったことを思い出すも、彼の名前が思い出せない…この際、名刺の整理もしようと思い、名刺入れの整理を始めた

あった!Tさんだぁ~!と思って、彼の携帯に電話をしてみたら、「このところ、全然連絡取ってないけど、調べてみる…」とはたまた、遠ちゃんの死亡説の真相がわからない返答。

とりあえず、待つしかないなぁ~とわかっちゃいるが、突然すぎる彼の訃報が本当なら寂しすぎるなぁ~


あれから一週間

2014-10-17 22:58:47 | Weblog

母の再発が確定されてから、先生を信じ、二人でできるだけのことをやって頑張っていこうと、腹をくくったこの一週間。

母、先週の木曜から飲み始めた薬があまりにも強く、翌日にはお腹を壊し、この一週間は口内炎で食欲も落ち早速副作用が出たため、なるべく癌友や、幼馴染とごはんを食べる機会を作ってもらうように根回しをした。一人で食事をしていると口内炎の痛みにばかり気が行ってしまうが、誰かと食事をする方が気が紛れるだろう…それに私といつも一緒というのも関しされているようで嫌だろうし(ーー;)

私は家の整理を以前よりかは気合をいれてやりつつも、物凄く捨てているつもりでも、仕事関係の書類は捨ててもあまり捨てた感がなく、私の断捨離はめげそうになっては「本当に必要か?」と自分に問いただしては、「いらないけど、置いておいてもそう大した場所塞ぎではない」と思い、棚に戻す。

結局、少量しか処分できないから、こんなんじゃ一生片付かないよなぁ~と思っては「これはママが生きるのに必要なものか?」と質問を変え、「ママが生き延びるには全然関係ない」と思って捨てるようにしている。

マンションの大規模修繕工事で足場が組まれ、窓は愚か、カーテンさえも開けられない暗い部屋で、こんなことばかりしていては私の気も滅入ってしまうので、土曜日は母校の学園祭に幼稚園からの同級生と行き、帰りにお茶をして数年のブランクを埋めるがごとく二人で近況報告をした。私は祖母や母のこと…彼女は妹が今年、白血病になってしまったこと…

月曜日はあるテレビ局の大型番組でチームを組んだ仕事仲間と久々の再会。

火曜日は母の用事で一日アッシー。

水曜日、母、食欲がなく、あまり食べられずにみるみる内に痩せたからクロレラとかアガリクスとか色々試そうかと思うと弱気になっているので、「まぁ~それも悪くはないけど、そういうサプリ系は弱みに漬け込む悪徳商法が多いから、なるべく普通の食材で、緑黄色野菜やしいたけ類を食べるようにして、それでも足りない分はちゃんとした製薬会社のものを購入した方がいいと思うよ」とアドバイスをする。

木曜日はテニス。

そして今日、母がとあるブランドのファミリーセールに行きたいと言うので、再びアッシーをするはずが…

買い物に行きたいと言っていた母よりも私の方が買い物しまくったΣ(|||▽||| )

買い物中、母、「これを買っても、来年の夏、着られるかしら?」とか、私が夏物を買ったら「来年、これを着るあなたを見ることができるかしら?」などと弱気な発言をするので、「長くないと思っている人がそもそもセールに行こうなんて思わないでしょ…」と突っ込む私。

買い物の後は、オークラで明朝のごはんを調達

その後、麻布に二人で戻り

野田岩のうなぎで栄養補給し、さっき母を恵比寿に送り届けてきました。とりあえず、セールにも行ける体力はまだ残っているし、今日は外で気分転換もできたし、夜は口内炎にも良いであろう鰻で栄養が取れたから、母と私にとってはなかなか良い一日でした。


さぁ~これから再び…

2014-10-09 20:06:35 | Weblog

10日前の母の三ヶ月検診…しこりの採取を行った後、二人で「来週は現実を冷静に受け止めましょうね。」と言いながら、二人で妙に冷静を装って大門の

 

麻婆豆腐と小龍包でランチをして、母を送り、帰宅し、暗い気持ちでいたら、翌日は友人が

栄養を付けて元気を出してと鉄板焼きをご馳走してくれた。

そして昨日、ドンドン欠けていく月を見ながら

母の命もこうやってあっという間に消えて行ってしまうのだろうかと月を見ながら涙した。

そして今日、9時からのCT検査と先週の組織の検査結果を母が一人で聞きに行くというので、悶々としながら一晩過ごし、朝8時に「しっかりと先生の言うことを聞いてきてね。」と言おうと思い、恵比寿に電話をしてみたら、なかなか電話に出ない。

9時から検査だからこの時間にシャワーとかを浴びているはずはない…

どうしたんだろうか…と思っていたらやっと15回目くらいのコールで電話を取った母。

あまりにも電話を取らなかったので「どーしたの?」と聞くと

「寝てたzzzあなたこそどうしたの?」と答える母

「えっ…あの…もう8時なんですけど…」と告げると絶句する母。

急いで支度して、病院に行くと言う。

急いで転ばれでもしたら大事だから、45分後に迎えに行くからと言って、電話を切り、私も急いで着替え、迎えに行き、病院へ送って行った。

病院の玄関先で「せっかく送ってきたんだから、私も先生の話一緒に聞こうかなぁ」と申し出るも「いい」の一言を残し、一人でサッサと院内に入って行ってしまったので、一旦、家に車を置いて、並びの氷川様に行って来た。

このところ母は「神も、仏もいない」と言っていたけれど、私は藁をも掴む想いでこの数日、毎朝、お参りに行き「どうか、なんでもありませんように…」と願っていました。

でも、今朝のお参りでは…首にしこりがあるのは明らかだから、なんでもないわけない…と思い「とにかく、母をお助けください」とお願いして、帰宅。

家に帰っても、何も手につかず、2時間も母から連絡がない…

11時を過ぎてやっと「今、終わりました」と連絡が入ったので、「迎えに行くから」と、何も状況は聞かずに、電話を切って、病院で母をピックアップし、近くの中華屋さんに入った。

 

点心と酢豚を食べながら、母より説明を受けた…

組織検査ではリンパのしこりは私たち親子が恐れていた通り、陽性。

これからの治療はまず投薬で、しこりが小さくなるかを見てから放射線治療をしようという見解だという、母の短い説明は1~2分程度のものでした。

「ステージは?」と聞いても「先生は言わなかった」と言う。

「腫瘍はどのくらいの大きさなの?」と聞いても、「知らない」と言う。

「だから、そういう大事なところもちゃんと聞いてきてほしかったのに!」という気持ちを抑えたら、母も空気を読み「先生に1年くらいは生きていられますか?って聞いたら、大丈夫って言われたから、多分、大丈夫なんじゃない?」と言う。

このところ母は「自分にはもう時間がない」と言っては身辺整理をしたり、私にどう生きて行って欲しいということばかり話していたし、癌ができた場所が場所だけに、余命宣告が一ヶ月とか、三ヶ月だったらどうしようと心配していたが、診察後の彼女の表情や食欲を見ても「けっして楽観出来る状態ではないけれど、とりあえず最悪な状態ではないからこれから余命のことは考えずに真剣に良くなるための治療のことを考えねばならない」と思い、少しだけホッとしたと同時に、気が引き締まる思いがした。

そんなことを考えていたら、母が「この1週間、あなたは本当に心を入れ替えて、なんでもママの言うことを聞くからなんてしおらしく言っていたけど、これで、また徐々にろくでもない娘になっていくんでしょうね。」と憎まれ口をきく。

まぁ、どんな憎まれ口を聞いても、もう少し、元気で過ごしてくれるならいいか…

ママタンの介護が終わって、これから晩年を楽しんでもらいたかったのに、新たな発病はショックではあるものの、前向きに頑張ってくれるなら、私も頑張ってサポートするからね、ママ\(*⌒0⌒)♪


明日は待機

2014-10-08 11:37:19 | Weblog

当マンション、が大規模改修工事をしているので、マンションの周りには足場が組まれ、朝8時過ぎから人がベランダを右往左往している。

母との同居も急がなきゃいけないから家の中のものを本腰入れて片付けないといけないのに、窓は開けられない、人がベランダにいるからカーテンも締めっきりの暗がり…しかも騒音の中での一日家にいると気が狂いそうになる。

この1週間、母のことが気がかりでしょうがないが検査結果が出るまでは、心配してもしょうがないとわかりつつ、あまり考えないようにしても家の整理、同居、母の病状や治療など今後のことが頭の中をぐるぐる周わるし、母は毎日「どんな結果が出ても、私は受け入れようと思うからあなたもしっかりしてね。」と言われ、何とも言えない気持ちで、私は何も順調に進まない。

明日、母はCTを撮った後、先週採取された組織の結果を聞きに病院に行くので、私もついていくと行っているのに、母は頑なに拒否する。

「ママは大事なところを聞き逃すから、頼むから一緒に行かせて」と言っても「一人の方が気が楽だから」という。

私も数週間前カウンセリングを受けようと思った時、母は慌てふためき、「一緒に行く」と言うのを物凄く強い口調で断ってしまった為、それ以上、私も母を説得することができないので、今朝、母の癌友にどう思う?と相談の電話をしてみたら、

「ママがそういうなら明日は一人で行かせれば?治療とかが始まる時に家族は改めて呼ばれると思うし」とのアドバイスだったので明日はやきもきしながら麻布で待つことにしました。

冷静に考えても、先週、先生が触診と組織を採取し、検査に出して、あまりにも大変な状況だったら、私の方にすぐに連絡があるはずだし、一週間私の方に連絡がないということは大丈夫なのだろうと自分に言い聞かせる。

そんな一週間を過ごしていいる中、先日、仕事のオファーが来ました。しかもこの仕事6月頃に大至急人を探しているからと言われ、いろんな書類を直ぐに送ってと言われ、せっつかれたのに、その後4ヶ月も連絡がなかったとある語学学校。

非常勤でいいという仕事のオファーでしたが、4ヶ月音沙汰がなかった上、いきなりすぐ来てと、このタイミングで言われても、今は到底、仕事を受ける気になれず、ちょっと考えさせてくださいと電話を切った。

この仕事の返事も明日の母の結果を聞いてからじっくり考えようかと思う。


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