こんばんわ。
横浜そごう美術館で開催されていた”111年目の中原淳一展”、重い腰を上げて(笑)、最終日に行ってきました。中原淳一というと”それいゆ”や”ひまわり”の表紙の少女の顔くらいしかイメージが湧かないし、これまで展覧会らしきものも一度も行ったことはなかった。でも、かって美人画家、竹久夢二も敬遠していたが、ある展覧会を見てびっくり。夢二は”七つの顔をもつ男”として、すなわち、画家、詩人、評論家、書家、デザイナー、プロデューサーなどの多彩な才能が紹介されていたのだ。
中原淳一も”七つの顔”を持っているのかもしれない、と興味をもち出掛けた。驚いた、少なくとも、美人画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家と幅広い分野で活動されていたことがわかった。いろいろの中原淳一を知れて、やはり、見てきてよかった。
本展は原則、写真撮影禁止だが、ファッション分野のみ撮影OKだった。どうしてもそちらの紹介が多くなると思うので、本ブログでは少しいびつな紹介になってしまうことを予めお断りしたい。
次の章立てになっている。各章の解説はちらしの文章を参考にしている。
第1章 ”新しい”少女のために
第2章 美しい暮らしのために
第3章 平和な時代の少女のために
第4章 中原淳一の原点と人形制作
第1章 新しい少女のために
戦前に発行されていた雑誌”少女の友”で中原の挿絵画家としての活動がはじまった。西洋的で大きな瞳と細長い手足をもった”新しい少女”像は熱狂的に支持された。のちの少女漫画に大きな影響を与えた。
挿絵作品の中に川端康成の本が数冊、あったのには驚いた。”乙女の港(1946)”、”女学生”、”花日記”など。康成と中原のタッグは”想定外”だった(笑)。吉屋信子のもいくつかあったが、それは想定内だったが。今度、図書館で見つけてみよう。ただ、”乙女の港”はまだ主婦作家だった中里恒子の草稿に師匠の川端が手を加えたもののようだ。
少女の友から
第2章 美しい暮らしのために
ファッション、美容からインテリア、手芸、音楽、美術に至るまで美の本質を追い求めた中原の思いを雑誌”それいゆ”での仕事を中心に紹介する。
ここが撮影許可されている。百聞は一見にしかず。
ファッション
中原デザインのスカートいろいろ
ひまわりゆかた
果物柄のアップリケの着物
女性の髪形いろいろ
こども服も。
中原デザインの家具いろいろ。小津安二郎が喜びそうな赤い容器類も。
インテリア。戦後すぐのもののない時代、少しでも豊かな気持ちになれるようにとデザイン。
”女の部屋”の創刊
長期療養を経て、中原は1970年に”明るく楽しくうつくしいくらしの本”をキャッチフレーズに”女の部屋”を創刊。ファッション記事や手芸、料理などの実用的記事のほか、女性の生き方に関するエッセイも載せた。体調不良により5号で廃刊となった。
表紙原画
女の部屋5号 秋
花の絵もいくつかある。チューリップ。
第3章 平和な時代の少女のために
戦争によって少女時代を奪われた女性たちのために、中原は1947年に雑誌ひまわりを創刊。「よき女性の人生は、よき少女時代を送った人に与えられるのではないか」と情熱をもって作られた。
ひまわり夏休み手帖(上)とジュニアそれいゆ表紙原画(下)
カーネーション 花の伝説(原画)
第4章 中原淳一の原点と人形制作
これをご覧下さい。
さすがに、中原淳一展となると女性客がほとんどだったが、男性客としても、美人画など楽しめた展覧会だった。また、中原淳一も夢二同様、七つの顔を持つ、万能の男ということがわかったことも収穫だった。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
憧れでした。
どこか異国の物語に思えて、着てみたい服装でした。
挿絵は、夢があり高級感も備えていて、ため息の出るデザインでした。
素敵な展覧会へお連れ下さり、ありがとうございます。
今夜の夢は、あの衣装を着てみましょう。
夕べは少しの余裕を持ってバッタボックスに入る準備をしていましたら、飛んで来た球が直球でもない、カーブでもない、正に見たこともないようなスイーパーを投げこまれて一球も振ることが出来ずにベンチに引き下がりました。111年目の中原淳一展のことです。
一晩寝ましたので、さてバットにかすりますことやら?(笑)
おっ、中原淳一さんの姪の中原美紗緒さん、テレビドラマ「バス通り裏」を唄っていた人ではないですか!
「若い頃は神田神保町で夢二の本を買い集めた~」
「戦後は女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になってほしいとの理想に燃え、自分の雑誌『それいゆ』(1946年)や『ひまわり』(1947年)や『ジュニアそれいゆ』(1954年)、『女の部屋』(1970年)を相次いで創刊」
なるほどなるほど。
球種が少しわかってきました(笑)
>驚いた、少なくとも、美人画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家と幅広い分野で活動されていたことがわかった。
やっとバットが振れそうな気になってきました。
>康成と中原のタッグは”想定外”だった(笑)。
へ~っ!そう言えば「加賀まりこ、川端康成に口説かれる」話をテレビでやってましたね。
中原の絵と加賀まりこは似てる気がしてきました!
>中原デザインのスカートいろいろ
私には姉が3人居ましたので、子供心にそんな会話も耳にしていましたね。
>ひまわりゆかた
こんなレデイを見かけたら見とれていたと思います。
姉たちが読んでいた回覧雑誌で(笑)、「平凡」「明星」「スクリーン」「映画の友」も見ていましたのでこのへんの球種?にも親しんでいたようです。
うんうん。祖母や1908年生まれの母も着物を着ていることが多かったことを思い出しますね。
>女性の髪形いろいろ
ひゃーっ、いいですね~。
姉たちの髪形はもっと野暮ったかったような(笑)
>こども服も。
これは西洋直輸入のフィーリングでしょう。
小学校のクラスで一人か二人くらいこんな格好していたらとても目立っていましたね。
ふと、毛沢東時代の中国の若い女の子が、皆紅衛兵の恰好していたのに、現在は一挙に日本の「コスプレ」ファッションで得意げに写真を撮っている様子をイメージしました。
>小津安二郎が喜びそうな赤い容器類も。
へ~っ、感性が豊なんですね。
>インテリア。戦後すぐのもののない時代、少しでも豊かな気持ちになれるようにとデザイン。
うんうんでも「ちゃぶ台」がまだありますね。
>”女の部屋”の創刊
加賀まりこさんが登場しましたね(笑)
>表紙原画
なんとなくフランスをイメージしてしまいます。
>女の部屋5号 秋
「ポエムですね~♪メルヘンですね~♪」って誰かの決まり文句でしたね。
ジュニアそれいゆ表紙原画の娘さん、口紅つけてます。
当時の女の子は憧れたでしょう!
>カーネーション 花の伝説(原画)
この絵を描いて宝塚スターに憧れたか?嫁さん(葦原邦子)の方が先だったか?
>中原淳一の原点と人形制作
たぶん、相撲、柔道、柔剣道とは違う方向を向いていたんでしょうね。
>さすがに、中原淳一展となると女性客がほとんどだったが、
うわ、私もそんな会場を歩きたいですが、着て行く服がウォーキングスタイルしかありません(泣)
最後にまた加賀まりこさんが!(汗)
結果、ファールか内野ゴロくらい打てましたかね?(笑)
有難うございました。
強打者トラウト級の小父さんにはスイーパーで振らせ、三振を奪うしかないと渾身の一球を投げましたが、見事に打ち返されました。
”川端康成が加賀まりこ好みで、それで挿絵に中原淳一を起用したのでは”との高度の打撃技術に負けました。女の部屋5号の秋が「ポエムですね~♪メルヘンですね~♪」でぴたりと合わせ、打球がセンター方向へ。あっ、しまったと思ったら、”最後にまた加賀まりこさんが!”でボールは柵越え。ホームランをかっ飛ばされてしまいました。
今日は作戦を変え、160キロ直球で勝負します。初場所がはじまりますね。優勝力士は誰か、で勝負。
クリスマスになると兄が「ジュニアの日記」を毎年プレゼントしてくれました。
月ごとに挿入されるこの絵が好きで肝心な日記は何を書いたのやら全く覚えておりません。
今、懐かしさに震えていますよ。
最後の絵はどこか浅丘ルリ子さんに似ている様な???
この淳一展は近ければ私も観てみたいです。
目がぱっちりで細見の身体、浅丘ルリ子さんにそっくりだとぼくも思っていました。
横浜の淳一展は終了しましたが、またどこかで開催されると思いますよ。
ありがとうございました。