気ままに

大船での気ままな生活日誌

城の崎にて

2017-05-13 10:27:11 | Weblog

おはようございます。

入院中の楽しみのひとつは、下の売店で新聞を買い、ひまな時間に病室で読むこと。心に残ったある記事について、書き留めておきたい。それは、読売新聞の日曜版の”名言巡礼”。

その日の名言は、生きている事と死んでしまっている事と、それは両極ではなかった

その名言の下には、見覚えのある城の崎温泉の写真。これで、志賀直哉の”城の崎にて”の中に出てくる名言だとピンときた。ぼくは、学生時代、白樺派のフアンで志賀や実篤の著作の多くに目を通している。その中でも、”城の崎にて”は、その緻密な描写力や深い精神性が感じられることから、好きな作品の一つである。

志賀は山手線の線路沿いを歩いているときに、電車にはねられ怪我をし、その後養生に兵庫県の城の崎温泉を訪れる。そのときの体験を短編に著わしたものである。一匹の蜂の死骸に静かな死への親しみを感じる。ある日、小川の石の上にイモリがいた。自分が何気なく投げた小石があたり、イモリは死んでしまった。自分は事故にあったが、偶然死なかった。でも、イモリは偶然、死んでしまった。偶然が生死を分ける現実に、生きている事と死んでしまっている事と、それは両極ではなかった、という死生観に至る。

療養中の我が身に照らし、この言葉は、心に沁みた。

就職して、最初の地方への出張が兵庫県で、その宿泊地が城の崎温泉だった。風情のある素晴らしい温泉地で、是非、家内と一緒に再訪したいと思っていた。しかし、京都駅からさらに、二、三時間も電車に乗らなくてはならず、つい、今日まで実現していない。これも”第三の人生”の中で実現したいものだと願っている。

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