気ままに

大船での気ままな生活日誌

一葉”にごりえ” 清方挿絵

2010-05-11 14:36:59 | Weblog
鏑木清方記念館で”鏑木清方、日本画家をめざして/烏合会時代の作品を中心に”展が開かれたとき、メイン展示ではなかったが、和服ダンス(笑)のような引き出しに、興味ある清方の挿絵があった。それは、樋口一葉の”にごりえ”の”挿絵”だが、本に直接描かれたものではなく、清方が勝手に、にごりえの物語に合わせて描いたものである。

清方は樋口一葉が少年のころから好きで、”たけくらべ”や”にごりえ”は暗礁するくらいだったという。実際、会ったことはなかったが、試しに描いた一葉図が、鏡花によく似ていると言われ、一葉の妹さんを参考にしながら、本格的に描いたのが下の絵だ。それくらい、一葉を敬愛していた。


記念館にその挿絵が7枚一組で売っていたので、買っておいた。その場面には、簡単な説明文が書いてある。実はぼくは、恥ずかしながら、一葉の本を読んだことがない。これを機会に、清方が敬愛する一葉の本を読んでみようと、図書館で借りてきた。読み始めると、区切りのない文章で読みずらいが、なれてくると、独特なリズム感が心地よく感じるようになってきた。


。。。。。
以下、その”挿絵”と説明文(原文ではないが)を紹介する。本を読んでいない方でも、おおよそのストーリーは分かると思うが、いたってシンプルである。でも、実際、原文を読んでみると、清方が感じたように、何度も読んでみたいような気持になる本である。

主人公は銘酒屋”菊の井”の、一枚看板のお力。中肉のすらりとした背格好。天燃の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸をはだけ、立ち膝、長キセルで煙草をすぱすぱの不作法を咎める人はいない。


男ぶりも気前もいい三十男の結城朝之助(とものすけ)と知り合い、お力は三日も来なければ手紙を出すほどになっていた。ある日、二人はしめやかに、話していると、源七が来たと耳打ちされる。


源七は町内では少しは幅の聞いた布団屋であったが、お力に会い身をもちくずし、今はみる影もない。お力は源七に会おうとせず、結城を夢みるようになった。


貧しい出生、身内の不幸など己の哀れを思い、さ迷い歩くお力をみつけた朝之助と”菊の井”に戻る。お力は大湯呑で息もつかず、二三杯酒を飲み、代えがたい人として朝之助に身の上を明かす。

お力の話を聞くうち、宵もかなり更けたため、帰ろうとする朝之助を引き留めるお力、雨戸を閉ざせば、ともし火の影も消えて、軒下を行く夜行の巡査の靴音のみが響いていた。

太吉郎は大袋を手に”母さん、母さん”とにっこり家に駆け込む。みれば高級なカステラである。源七の妻、お初がこんあ良いものをどうしたのと尋ねると、菊の井の鬼の姉さんがくれたという。お前の父さんを怠け者にしたのも家をなくしたのも鬼のせい、とお初はカステラを投げ捨てるが、源七の怒りを買い、我が子を連れ家を出ることとなった。

お盆に入り数日後、湯屋の帰りにお力は源七に会った。振り切って逃げることもできなかったろうか、女ものぼせていた男に義理もあったろうとか、噂するものもあったが、女は背後から切られ、また突き傷等いろいろあり、男は見事な切腹で死に花を飾ったという。

。。。

樋口一葉は明治29年(1896年)に24歳の若さで夭折しましたが、もっと長生きして、清方とのコラボの作品をつくってほしかったですね。
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