気ままに

大船での気ままな生活日誌

”広重ぶるう”と”人物東海道”

2024-05-02 08:31:45 | Weblog

おはようございます。

先日、NHKで広重の生涯を描いたドラマ、”広重ぶるう”を見た。北斎の一生なら、おおよそ知っているが、広重となるとほとんど知らなかったので、とても面白かった。広重(阿部サダヲ)が火消し同心の仕事をしながら、絵を描いていたとは知らなかった。貧乏所帯をやりくりしながら広重を励まし続けていた妻、加代(優香)の存在もはじめて知った。まるで、”らんまん”の牧野富太郎夫妻のようだと思った。仕事一途で金銭には無頓着の夫を陰で支える妻。

質屋通いをしていた加代だが、ここで広重がブレークする糸口をみつけた。質屋の兄を手助けしていた竹内孫八(髙嶋政伸)が絵画好きで、加代の夫が絵師であることを知り、近づく。のちに孫八は版元、保栄堂を興こし、その看板絵師に広重を起用する。江戸では旅行ブームであったことから、浮世絵のテーマは”東海道五十三次”とする。広重は家業の火消同心を弟に譲るのだが、最後の役所仕事で、東海道を踏破していたのだ。そのときのスケッチが生きて、また高価な絵の具、ベロ藍を使わせてもらい、広重ブルーの空と海も描き、会心のシリーズが出来上がった。現在でも、この保栄堂版の”東海道五十三次”が最高の評価を受けている(広重の”東海道”は20作ほどある)。保栄堂店主の見込み通り、売れに売れ、広重は人気絵師になってゆく。

このドラマには北斎(長塚京三)と娘のお栄、同門の歌川国貞(吹越満)も出てきて、それぞれのせりふが面白い。北斎は、”錦絵は紙くずのように捨てられる、これからは肉筆画を中心に描くつもりだ”。国貞は”自分の描きたいものはなかなか描けない、売れるものを描く、それが絵師だ”。

目利きの保栄堂店主は、広重が通常は絵師が細かく指示する色のぼかし具合などを摺師に任せているのを見て、並の絵師とは違うとうなずく。広重ものが売れて、保栄堂は繁盛するが、兄の質屋がつぶれたのがきっかけで店を閉めることになる。

広重はようやく自分の描きたいものが見つかった矢先に最愛の妻、加代が倒れる。そして安政の大地震で江戸は壊滅状態に。失意のときを経て、広重は再び筆をとる。ベロ藍を武器に失われた江戸の風景を描いた”名所江戸百景”は、のちにゴッホが模写したり、世界の絵画に影響を与える名作となった。

このドラマを見て、広重の作品を見たくなり、探してみると、近くの藤沢浮世絵館で”広重の「人物東海道」に見る季節”展が開催されているではないか。早速、出掛けた。

広重の最初の保栄堂版”東海道五十三次”は宿場の風景が主で人物は小さく描かれているだけであったが、これは人物が主となっている。弘化4年ー嘉永5年(1847-1852)の作である。前述のように、広重は22作ほどの”東海道”を描いているが、これは12番目のもので、版元は村田屋市五郎である。ドラマにもあったが、広重は当初、人物を描くのが苦手であったが、ようやく思い通りに描けるようになったのだろう。

本展ではシリーズ56枚中38枚も展示されている。そのうち、いくつかをここに。

広重ブルーの空と海が描かれてるものが多い。

五十三次 神奈川 茶屋の二階から海を眺める女性。

五十三次 大津 茶屋の女性が旅人を呼び止めている。うしろに琵琶湖。版元の”村市”の看板も。

五十三次 小田原 酒匂川の渡し。

五十三次 藤枝 瀬戸川の歩行渡し

五十三次 京三条大橋

五十三次 石薬師 桜の木の下で女性が髪を結い直している。”五十三次名所図会(石薬師)”でも桜と田園風景を描いているが、こちらはゴッホが模写したことで知られる。

五十三次 藤沢 これは広重ブルーはなく雪景色。左に遊行寺橋の欄干。

広重の花鳥画。

藤に燕

菖蒲に翡翠(かわせみ)

ドラマと展覧会を併せて、楽しんだ。何度か見ているが、また保栄堂版の東海道五十三次や名所江戸百景を鑑賞してみたい。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (4)
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