気ままに

大船での気ままな生活日誌

鉄道博物館で時空を超えた旅 

2023-04-02 09:32:40 | Weblog

おはようございます。

3月の中頃、一泊で大宮に遊んだ。そのとき、大宮観光の一番人気と言われる”てっぱく”こと鉄道博物館に寄ってきた。電車の旅が好きで、ちょっと変わった車両を見つけるとカメラを向ける程度の鉄道ファンだが、なかなか面白かったので記録しておこうと思う。

大宮駅からニューシャトルに乗って鉄道博物館(大成)駅で下車。赤青黄の信号機のような天井の通路を進んで行くと、幼稚園生の集団が何かの前で記念撮影をしている。

そこには、”でごいち、D51”がいた。正門への通路脇に何気なく置いてある。実物とのこと。

その先に”てっぱく”の正門がある。入館料を払って入場。いきなり、なにやらゆかしい車両が。

”お召し列車”だそうだ。これは初めからお召し列車専用機として製造され、ロイヤルエンジンと呼ばれる。2001年まで90回使用されたとのこと。ぼくも走っているのを見たことがある。

そしてその横が”車両ステーション”。本ミュージアムのメイン展示場になる。その中に36両の歴史的な車両の実物が置かれている。以下、蒸気機関車、電気機関車、客車、電車、新幹線電車の順に紹介しよう。展示解説文も要約して載せた。

では、時空を超えた旅に出ましょう。

蒸気機関車

1号機関車(150形蒸気機関車)重要文化財 新橋~横浜間の鉄道開業時に、イギリスから輸入された蒸気機関車のうちの1両。1997(平成9)年に鉄道車両として初めて国の重要文化財に指定された。

弁慶号機関車(7100形蒸気機関車) 1880(明治13)年製造 北海道最初の鉄道・幌内鉄道の開業時から使用された蒸気機関車。北海道ゆかりの人物名「弁慶」を名乗る。カウキャッチャー、ダイヤモンドスタック煙突、警鐘などアメリカン・スタイルが特徴。

善光号機関車(1290形蒸気機関車) 1881(明治14)年製造 鉄道記念物 日本初の私設鉄道・日本鉄道会社の路線建設工事用に輸入。初めて埼玉県内を走行した蒸気機関車でインサイドシリンダー、サドルタンクなど独特の装備をもつ。各地で路線建設に使用。

C57形蒸気機関車 1940(昭和15)年製造 地方路線の旅客列車牽引用に登場。細身のボイラーと1,750㎜ボックス動輪からなるプロポーションのよさから“貴婦人”呼ばれる。135号機は1975(昭和50)年12月に国鉄最後の蒸気機関車による旅客列車を牽引した。

9850形蒸気機関車 1912(大正元)年製造 東海道本線の山北~沼津間、信越本線の長野~直江津間など幹線の急勾配区間用としてドイツから輸入。マレー式という複雑な構造のため早くに引退した。

電気機関車

EF55形電気機関車 1936(昭和11)年製造(準鉄道記念物)特急列車牽引機として流線形のデザインで登場。当初は東海道本線の特急「富士」「燕」の先頭に立って活躍したが、戦中・戦後は点検に邪魔な流線形カバーを外して東海道本線・高崎線などで使用。

ED75形電気機関車 1975(昭和50)年製 交流電化区間の標準形電気機関車として1963(昭和38)年に登場。安定した性能で北海道、東北、九州などの交流電化区間で旅客・貨物列車に使用。羽越・奥羽本線用に1971(同46)年から製造された700番代は、ED75形の最も完成された形態となる。

EF66形電気機関車 1968(昭和43)年製造 1960年代に台頭してきた自動車交通に対抗するため、東海道・山陽本線の高速貨物列車牽引用として登場。1,000tの貨物列車を100㎞/hで牽引するため国鉄最大の出力を誇った。1985(昭和60)年からは東京~下関間で寝台特急列車の先頭に立って活躍。

客車

創業期の客車(レプリカ)1号機関車に連結する展示用として1970(昭和45)年に製作。明治初期の下等客車を模して作られたもので、イギリス式の室内をいくつかの区分室に分け、区分室ごとに乗降扉を設ける構造。

開拓使号客車(コトク5010形) 1880(明治13)年製造 鉄道記念物 北海道初の鉄道・幌内鉄道の開業に際して輸入された客車。前後にデッキ、車内は中央通路を持つアメリカ式のボギー客車で、当時としては先進的なミラー式自動連結器・空気制動機を装備した。一般営業には用いられず開拓使長官などの乗車用として使用。

人車 人の力で押して走った鉄道。1895年豆相人車鉄道(小田原ー熱海間)が開業。明治の終わり頃から大正にかけて関東・東北地方で使われた。この車は宮城県松山町で使われた。

マイテ39形客車 1930(昭和5)年製造 当時の国鉄を代表する特急「富士」用の1等展望車として製造。展望室は外国人の利用を見込んで、純和風の“桃山式”と呼ばれる豪華な内装となる。戦時中の特急廃止により使用を停止したが、戦後特急列車復活にあたって再整備され、「へいわ」(のちの「つばめ」)に使用された。

ナハネフ22形客車(20系客車) 1964(昭和39)年製造 夜行特急「あさかぜ」用に製造された寝台特急用客車。固定編成されて冷暖房を完備し、個室・開放式の2等寝台、3段式の3等寝台、座席車、食堂車などで編成され、当時としては豪華な設備で“走るホテル”と呼ばれた。ナハネフ22形は夜行特急をすべて寝台車化することになり製造されたもので、この頃から“ブルートレイン”とも呼ばれるようになる

電車

クモハ40形電車 1936(昭和11)年製造 省線電車の運転区間の拡大により製造された、20m車体に片側3ヶ所の乗降扉をもつ半鋼製車。車内はロングシートが並び、扉の開閉はが自動化されてスムーズな乗降を実現。多数が製造され戦前期の標準型通勤電車となり、戦後も1980年代まで使用された。よく乗りました。

クハ181形電車(181系電車) 1965(昭和40)年製造 101系を基本として1958(昭和33)年に登場し、東京~大阪・神戸間の「こだま」に使用され、その優れた性能と快適性で電車時代を切り拓いた、国鉄初の特急用電車151系の改良型。勾配線区でも使用可能なようにパワーアップし、上越線「とき」、信越本線「あさま」、中央本線「あずさ」などで活躍。

クハ481形電車(485系電車) 1965(昭和40)年製造 直流で電化された東京や大阪から、交流電化の各線へ直通運転可能な車両として、151系を基本に製造された交直流両用特急電車の先頭車。当初はボンネット形だったが、後年少しでも定員を増やすため貫通形・非貫通形へと変化しながら量産された。1500両以上が製造され、四国を除く全国の電化区間で使用。

修学旅行用電車(クハ167形)モックアップ 昭和42年に秋葉原にあった交通博物館での展示用に、国鉄大井工場と車両メーカーによって、実物と同様の部品を用いて製造されたもの。ぼくらの時代は”ひので”とか”きぼう”だった。

新幹線電車

気動車

キハ41300形気動車 1934(昭和9)年製造 ローカル線近代化のため、国鉄で初めて量産された気動車のグループ。当初はガソリンエンジン、機械式だったが、戦後にディーゼルエンジン・液体式へと改造された。非力なエンジンを補うため軽量化を徹底し、コロ軸受けを採用。キハ41307は1958年に国鉄で廃車後は、遠州鉄道、筑波鉄道など地方私鉄で使用された。

訪問者が1300万人超え。おめでとう!

懐かしい電車に出会ったり、歴史的な蒸気機関車を目の当たりにしたり、まるで時空を超えた旅をしてきたみたい。楽しいひとときを過ごさせてもらった。また、いつの日か。

。。。。。

今朝の大谷翔平

今朝5時、アスレチックス戦に「3番・DH」で先発。メジャーデビュー登板だった藤浪晋太郎投手と直接対決。3回に左翼フェンス直撃のタイムリーヒットを放つなど2打数1安打。先発した藤浪は3回に突然乱れ、2回3分の1を5安打8失点、3四球、4奪三振で黒星スタートとなった。大谷はさらにもう一安打のマルチ、2打点とした。

。。。。。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (4)
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