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気ままに

大船での気ままな生活日誌

大相撲秋場所予想結果は?

2011-09-26 13:25:40 | Weblog

ぼくの、初日段階での大相撲秋場所予想の結果を発表したいと思います。今回は、貴親方の場所前の発言”稀勢の里が優勝すれば大関にも”に、(ぼくが)すっかり有頂天になり、稀勢の里、優勝を軸に予想したもので、そのときのブログタイトルは”有頂天大相撲予想(9/12)”となっています(汗)。

本当のこと言うと、これはちょっと無理だと思いながらの予想だった。でも、蓋を開けてみると、稀勢があれよあれよと白星を重ね、初日から8連勝。ひょうたんから駒か、と本気になったとたんに3連敗。そして、またいつものように、崩れるかと思いきや、なんと、白鵬を破り、千秋楽まで白星を重ね、優勝争いに加わりつづけた。結局、あと一歩のところで、準優勝に終わったけれど、ほぼ予想が当たったといえる。

あと、日馬富士の横綱昇進、琴奨菊、鶴竜 の大関昇進はないだろうと予想したが、琴奨菊が頑張り、ぼくの予想をはずしてくれた。でも、2/3が当たったことになる。豊真将の勝ち越しは予想していたが、二桁勝利までいくとは思わなかった。嬉しい誤算である。今回は対象外だったが、豪栄道の二桁勝利もうれしい。稀勢の里、豊真将、豪栄道の三羽烏には是非、三役に定着してもらって活躍してもらい、最後は綱を張ってもらいたい。

さて、予想結果ですが、以下の通りです。いつものように、ぴたり賞◎と、一つはずれ〇までを勝ち星、他は黒星●とします。7勝7敗1分 でした。先場所よりはよかったですが、来場所はぜひ勝ち越し、それと稀勢の里の全勝優勝(早くも来場所の予想)をぴたり賞で当てたいと思います。

。。。。。

(左が予想成績、右が結果です)

稀勢の里 14勝1敗/12勝3敗●;白鵬13勝2敗/13勝2敗◎、日馬富士13勝2敗/8勝7敗●、把瑠都 10勝5敗/10勝5敗◎;豊ノ島9勝6敗/8勝7敗〇;琴奨菊 9勝6敗/12勝3敗●;鶴竜 9勝6敗/9勝6敗◎;豊真将 8勝7敗/10勝5敗●、琴欧洲 7勝8敗/途中休場△、栃煌山 7勝8敗/7勝8敗◎、隠岐の海 6勝9敗/8勝7敗●、阿覧6勝9敗/5勝10敗〇、若の里4勝11敗/4勝11敗◎、嘉風4勝11敗/6勝9敗●、豪風3勝12敗/5勝10敗●

結果は、7勝7敗1分ちょうど五分。△でした。

。。。。。

豊真将  場所入り



琴奨菊最後の場所入り(大関になると別のところから入る)



人気の隆の山

豪栄道

中入土俵入り

横綱土俵入り

立行司、35代木村庄之助最後の一番 長い間、御苦労さまでした。

 

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利休ゆかりの南宗寺 家康ミステリーも

2011-09-26 09:52:29 | Weblog

 お茶をやっている人には、堺の南宗寺(なんしゅうじ)を知らぬ人は少ないらしい。WIFEも表千家をやっているから、ぼくが堺に泊るときいて、ぜひ参拝してきてと言われた。ここには千利休の墓があり、同じ墓地内に表千家、裏千家、武者小路千家の家元の墓があるのだ。それだけではない。隣りの墓地には利休の師匠、武野紹鴎(じょうおう)の供養塔もある。また、別の塔頭だが、利休の高弟で、小田原攻めのとき秀吉に殺された、山上宗二の供養塔もある。これだけ揃えば、茶人ならば一度は訪れなくてならないだろう。

お墓だけではなく、利休遺愛の手水鉢(ちょうずばち)や、利休好みの茶室、実相庵あるし、古田織部の作といわれる国の名勝庭園、枯山水の庭もある。仏殿の天井には狩野信政筆”八方睨みの龍”が睨みをきかしている。ぼくは、幸運にも以上をボランティアガイドさんの説明つきで案内してもらった。司馬遼太郎ご一行が来られた時は、突然の訪問だったので、誰もおらず、雨の中を案内なしで回っている。津田宗及の墓地もあるが、司馬は、堺の茶人として名高い三人の富商は利休、今井宗久そして津田宗及であったが、信長に茶と貿易のすべてを指南した筆頭は宗及であったと述べている。このとき、司馬は徳川家康のお墓をみていなかったようだ。みていれば何らかの言及があったはずだ。ぼくはガイドさんから面白い話を聞いた。堺市の観光ガイドにも載っていたので、以下に示します。

大坂夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。しかし大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。家康はそのまま南宗寺で絶命。しかし死去はふせられ、家康の影武者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという」こんな伝説がまことしやかにささやかれる南宗寺。二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。それを裏付けるように、境内には徳川家康の墓があり、瓦には徳川家の「葵」の紋が。歴史の意外なミステリーに興味をそそられます

そういえば、家康は、早々と2年で、将軍職を秀忠に譲っている。司馬遼太郎説を聞きたかった。

なお南宗寺は、堺が最も繁栄した戦国初頭に建てられ、大阪の夏の陣で兵火にかかり焼け、江戸初期、沢庵和尚により再興された。先の大戦で難を逃れた仏殿、甘露門(山門)、唐門が国の重要文化財に指定されている。

以下、いくつかの写真を載せます。

千利休一族、三千家家元のお墓

方丈 枯山水庭園

実相庵

仏殿の天井の”「八方睨みの龍」”狩野信政筆

座雲亭(1623年7月秀忠8月家光が御成の板額がかかげられている)


家康の墓

ここからホテルまで40分もかかって歩いた。途中で会った親子象像。

 

 

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