まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

伝えるポイントを押さえて話すこと

2006年06月14日 | にこにこ
 
 私の母は昭和6年生まれ。
小綺麗にはしていても、話し出せば典型的な大阪のおばちゃんですが、それでも一つだけ私が救いだと思っていたのは、ずっと仕事をしていたので、ぎょっとするようなトンチンカンなことは言ったりしない・・・ということでした
 しかし、最近とみに思うのです
残念ながらここ1年、母は「普通のどこにでもいるようなおばあちゃん」になってしまっていることに気づき始めました まあ、どんな人も、年齢には勝てないのでしょうねえ
 
 先日、母は行きつけのデパートで、父のスーツ用のベルトを購入しました。
父はまだ現役で、週に数回会社に出社していますが、今までにも何度も触れているとおり、父にはパーキンソン病という持病があり、すでに自分でパジャマからスーツに着替える、という行為は自力では出来ません。当然、母が着替えの手伝いをしますから、ベルトも「母が扱い易いもの」ということが、品物選びのポイントだったんですね
 しかし、母はあまり吟味せず、今まで使っていたものと同様に見えるものを安易に買いました。
 すると、実際にはとても使いにくく、金具からベルトを抜くためには、ぎゅーぎゅーと爪で押さえたり引っ張ったりしないと外すことが出来ず、爪の先が割れてしまった、と言うのです

 母はお掃除やお料理など、主婦業だけでいえば器用な人ですが、巧緻性や要領の面で言えば、かなり「トロい人」であることは否めません
 結局、デパートに持って行き、事情を話して、交換をしていただけるのであれば使い易いものに交換をしておらおう、ということになりました
 幸い、カード精算をしていたこともあり、タグははずしてしまっていたものの、レシート等は手元にありました。

 さあ、いざいざデパートへ
ということで、私も一緒について行きました。
 母は紳士用品のフロアを確かめ、男性の店員さんを見つけて、購入したベルトを箱から出して話し始めました

 「あのね、これなんですけどね、私、ここをぎゅっとしないと外れなくて・・・そしたらほら、爪がこんなでしょう?この間も主人は同じようなものをしてたので、これで大丈夫だわーと思って買って帰ったら、ちょっと違うみたいで・・・ほらあ、主人は自分で出来ませんでしょう?病気がありましてね、まあ、出来ることもあるんですの。いえいえ、それでね、とにかく私がしないといけないでしょう。そうなったら、ここんところがこう・・・固くて、うまく出来なくてね・・・ほら、ね、なかなか外れないでしょ・・・」

 私は、この様子を見ていて、卒倒しそうになりました
私のクラスの年少児でも、しっかりとした生徒さんであれば、もっともっと上手に話します
 もし、目の前で話しているのが母でなかったら
きっと私は、このおばあさん、半ボケさんかしら?いったい、何が言いたいの?何をしたいの?デパートの方に何をしてほしいの?わけわからなーいと思ったでしょう

 それでも・・・ ふん、ふん、とうなずき、母の相手をにこやかにしてくださっていた店員さんがあまりにお気の毒に思い、私はとうとう後ろから近づき、話しだしました

 「いえいえ、長い話で申し訳ございません じつは、母が先日、こちらでこのベルトをいただいて帰ったんですが、もし、交換をしていただけるようであれば、そうお願いしたいと思いまして。すでにタグはとってしまっているのですが、レシートは持っております。少し事情がございまして、父の衣服の脱ぎ着は母が手伝っておりますので、このベルトも、母自身が使い易いものでないといけないのですが、どうもこの金具の部分の扱い方がうまくいかずに困っております。もし、交換が無理なようでしたらこれはこれで頂戴して、新しい、母が扱い易いものを今日あらためていただこうと思っております・・・

 「そういうことでございますか。どうぞどうぞこちらに 奥様の扱い易いものを一緒にお探しいたします。交換もさせていただきますし、金額に差が出ましても、きちんと問題なく処理できますので」とお応えくださいました。

 母は、なぜか呆気にとられている様子 
店員さんがバックルームに行かれた間に母は私に言います。
「私、まだこの金具がどんなふうに使いにくいかは言ってないわよ?それに、こんなふうにしてたら、爪が、ほら、こうなっちゃいましたってことも説明してないし・・・私、まだ大事な話はしてないのに・・・ それなのに、どうしてこんなにあっさりと、話が終わってしまったのかしらねえ?そうだわ、もしかしたら、私がきちんと小綺麗な身なりをしているから、ちゃんと交換してくれる気になったのかしらねえ、ふふふ・・・

 呆気にとられるのは、今度は私のほうでした
おわかりいただけるでしょうか?
話し方って、大切ですね ましてや、それが「説明する」ことであると、たんに「話す」以上に、大変な作業です

 「話す、おしゃべりをする」は、あくまで自分が勝手に話すわけですから、万が一、相手が何も理解出来なかったとしても、誰にも迷惑はかかりません。
 よくありますよね。お年寄りが二人、にこやかに話しているから、さぞかし楽しい話題で盛り上がっているのだろうと思いきや、実際には自分の孫の自慢話で、それぞれがたんに自分の言いたいことを話しているだけ・・・「まあ」「それはそれは」などと相づちは打っていても、それはあくまで合いの手のようなもので、相手の言ったことに同意をしたわけでも、理解したわけでもない・・・敢えて言えば、はい、次は私が話す番ね!という意志表示のようなもの・・・

 しかし、「説明する」は全く意味が違います
話している相手が理解できなければ、その会話は意味がありません。
 要するに、私の母がデパートの店員さんを相手にしていたことは、「勝手な自分の話」であって、「いったい自分は何がして欲しいのか?何のためにここに来て話しているのか?」という意味を、厳密に言えば、きちんと理解できていない?

 私はここ数年、最近の子供達は、「言語の分野で遅れている」ということをよく指摘します。まさに、私の母状態、です。
 自分の勝手なことは話せても(たくさんの流行語を使って、です)、伝えようとすると、いっこうに先に進まない・・・あのね、そのー、とか、こんなふうに、とか、擬音や擬態語はたくさん登場しても、大切な要点は全く説明しきれない・・・

 「あのね、ここがね、ぎゅーってなってね、ちょっとほらあ、あの、あのね、ちょっとぼくのね、あの、ほら・・・」
みたいな言葉では、何も伝えられません。

 じつは、説明をするためには、「たくさんの語彙」が必要なのですが、その語彙が極端に少ないのも問題なのです
 
 たとえば、体調の不良を伝えるにも、実際にはたくさんの言葉が必要です。
痛い、痒い、だるい、重い、etc. そして、痛いには、ずきずき痛い、ぎゅーっと痛い、きりきり痛い、など、痛さを表すための多くの言葉も必要になってきます
 ここでは、この私の考えがいかに生活の上で大切なことなのかをご理解いただくために、敢えて「体調不良について」を例に出しましたが、実際には、子供達の世界でも、説明は重要な位置を占めているのですよ
 幼稚園や保育園生活でも、いかに自分の意志を伝えるかによって、相手に理解を得られるかどうかが決まってきます。それは自分のポジション、自分の居場所を決める行為でもありますから

 「○○ちゃんってね、ママ、何言ってるかわかんないんだよ!」
などと家で言ったりしませんか?こんなふうに言われている○○ちゃんは、きっと子供の世界の中でも「こまったちゃん」の扱いを受けているに違いないのです 
 子供の世界では、子供なりの力は必要なのであって、決して「子供なんだから・・・」ということはあり得ません。だって、まわりは全員子供なのですから

 さあ、しっかり、要領よく、相手に伝え、理解してもらう重要性をまずは意識させ、幼い頃から、自分の意志や物事を表現するために、一つでも多くの語彙を学ばせてあげましょうね

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