さまよう3羽の小鳥(2)
「マフィア」は饒舌であった。先の見えない不安感を忘れるために彼はひたすら喋りまくった。生まれ故郷ウクライナの農村での貧しかった時代。ソビエト連邦の崩壊をきっかけに新天地を求めてイスラエルに移住した一家。移住先で与えられた荒野の開拓地での父母の奮闘。一族の期待を背に空軍に入隊し優秀なパイロットとして頭角を現したこと。今回任務を完遂したことで無事帰還すれば名誉の勲章と昇格が待ち受けているに違いないこと等々-----
マフィアは「無事帰還すれば----」と言うと急に黙りこくってしまった。
「アブダラー」は二人とは対照的に終始寡黙であった。イラン領空を脱した直後から体に不調を感じ始めていたのである。2週間ばかり前、高熱を出し入院していた姪を見舞いに姉の嫁ぎ先近くの病院を訪れた。その後彼自身も微熱を出したが、幸い寝込むほどのことはなかった。ただそのことは仲間に伏せていた。もし体の不調を訴えればメンバーからはずされたに違いない。彼は3人のパイロットの一人に選ばれた栄誉を失いたくなかった。
アラブのミズラフィム出身である「アブダラー」は「エリート」のようなアシュケナジム出身者たちとは陰に陽に差別されてきた。そのため彼の友人の中には過激組織ハマスに身を投じる者も少なくなかったが、彼自身はイスラエル国民として生きる道を選んだ。「人は国家を選べない以上、国家とともに生きる。」それが彼の信念であった。そして軍隊に志願し忠実に義務を果たした結果、今回国家的使命を帯びたパイロットに選ばれた。そのため何としても今回の任務をやり遂げたかったのである。
彼はまだ独身である。両親は既に亡くなっている。彼の身内は姉とその娘のルルの3人だけである。それだけに彼と姉との結びつきは強い。そして姪のルルは彼によくなついていた。
そんなルルが数週間前に高熱を出し、「叔父ちゃん!叔父ちゃん!」とうわ言を言っていると姉が伝えてきた。彼はその週末に急いで病院に駆け付けた。幸いにも熱は引いており、ベッドに起き上がった姪に彼は絵本を読み聞かせてやった。姪は彼の腕を抱え込みうれしそうに聞き入っていた。付き添いの姉が「ルル!そんなにくっ付いちゃ叔父さんに風邪が移っちゃうよ。」と注意したが彼女は抱え込んだ腕を離そうとしなかった。
「アブダラー」はヘルメットを脱ぐと首にぶら下げたロケットを戦闘服の襟もとから取り出し蓋を開けた。そこには彼の唯一の肉親である姉と姪の写真が入っている。<週末にはまた姪に会いに行こう> 心の中で呟くと彼はいとおしむように写真を眺めた。
その時、喉の奥につかえを覚えた。<風邪は治ったはずなのに-------> 彼は数度咳き込んだ。それはまるで彼の意思とは無関係に何者かが体外に飛び出そうとするかのようであった。咳とともに喉の奥の飛沫が姉と姪の写真の上に飛び散った。「アブダラー」はそのままロケットの蓋を閉じ胸にしまい込むと、ヘルメットを装着し直した。
「どうしたんだ?」。
「エリート」の心配そうな問いかけが入った。膝に置いたヘルメットのマイクロフォンが咳き込む音を拾ったらしい。
「何でもありません。任務が終わって緊張が解けたためと思われます。」
実のところ「アブダラー」は緊張が解けた訳ではなかった。彼には気がかりなことが一つ残っていた。操縦する戦闘機の胴体に抱えている小型核ミサイル---------。
<これだけは無事に基地に持ち帰らなければ> 彼は心の中でそうつぶやいた。
ペルシャ湾上空をホルムズ海峡へと向かう戦闘機は母国からますます遠ざかるばかりである。彼は前方に拡がるペルシャ湾の紺碧の海と真青な空をただじっと凝視した。
(続く)
(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)
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