18年総括の「映画」篇、21傑の第3章。
きょうの発表は10位から06位まで。
ここからはもう、誰にとっても観る価値が「おおいに」ある映画が並んでいます。
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第10位『シェイプ・オブ・ウォーター』
怪獣とロボットをこよなく愛するオタク監督の映画が、オスカー作品賞に輝く。
下馬評どおりかもしれないが、快挙であることにかわりはない、20年ちかく作品賞発表を生中継で観てきて、胸が熱くなったのは初めてのことだった。(そう、わが神スコセッシの受賞でさえ冷静だったのに!!)
ときは60年代―米ソ冷戦下の米国で展開される、聾唖の掃除婦と半魚人(?)の恋のゆくえをユーモアとエロスとスリラーをまぶして描く。
60年代では「あるが」、聾唖では「あるが」、
自慰もするし雇い主に盾突くこともするし愛するものを守ろうとするし、彼女の意志は強く、それはまるで『ピアノ・レッスン』のエイダのよう。
そんな「自立した」ヒロインをサリー・ホーキンスが大熱演、
ギレルモ・デル・トロの監督作としては「最高傑作といえない」のは認めるけれど、実際にこんな女子が居たとしたら「間違いなく口説いている」と思うから、つべこべいわずにこの映画を称賛したい。
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第09位『勝手にふるえてろ』…トップ画像
恋愛経験「ゼロ」、24歳のオタク女子・ヨシカによる、10年間も脳内で展開された片思いのゆくえとは・・・。
綿矢りさの人気小説を松岡茉優の主演、大九明子の演出で映画化。
異論はあるだろうが、個人的には「原作超え」を果たしていると評価出来る快作。
ヒロインの日常と妄想が―とくに歌い始めてから―バツグンに面白く、ずっとずっと観ていたいという気にさせてくれる。
「こじらせキャラ」を主人公とした映画で、ここまで狙い通りにいくケースはじつは稀、レネー・ゼルウィガーが主演した『ベティ・サイズモア』を想起したのは自分だけではないだろう、
ネットの高評価と口コミによりじわじわと動員を増やし、気づけばなかなかのロングラン。
近年で最も出来のいい「カルト映画」だと思う。
ワタクシゴトだが、こういう映画を愛でる女子と仲良くしたいものです。
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第08位『ラッカは静かに虐殺されている』
シリア内戦を扱った、現代的な、あまりに現代的な戦慄のドキュメンタリー。
2014年―イスラム国(IS)が北部ラッカを制圧、ISの首都と定める。
処刑に怯える地獄のような日常を国際社会に伝えるため、市民ジャーナリスト集団「Raqqa is Being Slaughtered Silently」(=これが邦題)はSNSで世界配信を始める―。
原題は『幽霊の街』(CITY OF GHOSTS)、
暴力には暴力を、ではなく、かといってペンでもなく、知性とネットで対抗していくという発想。
しかし。
そんなジャーナリスト魂がラッカに平和をもたらしたのかというと、そんなことはなく・・・。
戦争とメディアの関係性に二歩も三歩も迫ったこの映画の後味は、ただひたすらに苦かった。
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第07位『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』
1864年、バージニア州。
女子だけの寄宿学園に現れたひとりの負傷兵により、均衡が保たれていたはずの「住人たち」に亀裂が生じ始め・・・。
イーストウッドが主演した名作サスペンス『白い肌の異常な夜』の再映画化、
ニコール・キッドマン、キルステン・ダンスト、エル・ファニング、そして「逆」紅一点をコリン・ファレルが演じ、
演出を担当したソフィア・コッポラはカンヌで監督賞を受賞。
日本でのウケはよかったとはいえないが、イーストウッド版では男の視点で紡がれていた物語を女の視点で捉え直すことにより「見えなかったもの」まで「見えるようにしている」ソフィアの演出は鮮やかで監督賞も納得。
女優たちの演技合戦という意味では、エル・ファニングの独り勝ちであろう。
キャラクターで得をしている感もあるが、トシゴロ女子の邪心と好奇心を巧みに演じ、彼女に触れることが出来るのであれば「より深い傷」を負うことになったとしても、負傷兵だって悪くない―とまで思わせてくれた。
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第06位『斬、』
農家の手伝いをして暮らす浪人・杢之進は、村の市助に剣術を教えつつ、ひとがひとを斬る(=殺す)ことに意味を見いだせず、煩悶としていた―。
『野火』からセカンドステージに突入した塚本晋也が、初めて時代劇に挑戦した野心作。
インディペンデントの雄らしく、時代劇でも大作感はない。
胸のすく殺陣もない。
90分にも満たぬ小規模な物語だが、テーマは現代と、そして未来をも照らす。
思索的な構造は小林正樹の『切腹』やイーストウッドの『許されざる者』と似たところがあり、かつてサイバーパンクを描いていたアナーキーな映画監督の成熟を思うと感慨深い。
ヒトコトでいえば、暴力を否定して生きることの困難さを描いている。
森の深い緑が無常観を際立たせていて素晴らしいが、いっぽうでこの映画は、塚本作品を音楽面から支えた石川忠への鎮魂歌にもなっている。
石川は作曲の途中で急逝、塚本は自宅に残された「散り散りの音源」を映像に貼り合わせることでサウンドトラックを完成させた―そこにふたりの友愛を見て、涙した映画小僧なのだった。
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明日のコラムは・・・
『知らなくていいこと、なんてない。 その四 ~2018総括(10)~』
きょうの発表は10位から06位まで。
ここからはもう、誰にとっても観る価値が「おおいに」ある映画が並んでいます。
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第10位『シェイプ・オブ・ウォーター』
怪獣とロボットをこよなく愛するオタク監督の映画が、オスカー作品賞に輝く。
下馬評どおりかもしれないが、快挙であることにかわりはない、20年ちかく作品賞発表を生中継で観てきて、胸が熱くなったのは初めてのことだった。(そう、わが神スコセッシの受賞でさえ冷静だったのに!!)
ときは60年代―米ソ冷戦下の米国で展開される、聾唖の掃除婦と半魚人(?)の恋のゆくえをユーモアとエロスとスリラーをまぶして描く。
60年代では「あるが」、聾唖では「あるが」、
自慰もするし雇い主に盾突くこともするし愛するものを守ろうとするし、彼女の意志は強く、それはまるで『ピアノ・レッスン』のエイダのよう。
そんな「自立した」ヒロインをサリー・ホーキンスが大熱演、
ギレルモ・デル・トロの監督作としては「最高傑作といえない」のは認めるけれど、実際にこんな女子が居たとしたら「間違いなく口説いている」と思うから、つべこべいわずにこの映画を称賛したい。
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第09位『勝手にふるえてろ』…トップ画像
恋愛経験「ゼロ」、24歳のオタク女子・ヨシカによる、10年間も脳内で展開された片思いのゆくえとは・・・。
綿矢りさの人気小説を松岡茉優の主演、大九明子の演出で映画化。
異論はあるだろうが、個人的には「原作超え」を果たしていると評価出来る快作。
ヒロインの日常と妄想が―とくに歌い始めてから―バツグンに面白く、ずっとずっと観ていたいという気にさせてくれる。
「こじらせキャラ」を主人公とした映画で、ここまで狙い通りにいくケースはじつは稀、レネー・ゼルウィガーが主演した『ベティ・サイズモア』を想起したのは自分だけではないだろう、
ネットの高評価と口コミによりじわじわと動員を増やし、気づけばなかなかのロングラン。
近年で最も出来のいい「カルト映画」だと思う。
ワタクシゴトだが、こういう映画を愛でる女子と仲良くしたいものです。
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第08位『ラッカは静かに虐殺されている』
シリア内戦を扱った、現代的な、あまりに現代的な戦慄のドキュメンタリー。
2014年―イスラム国(IS)が北部ラッカを制圧、ISの首都と定める。
処刑に怯える地獄のような日常を国際社会に伝えるため、市民ジャーナリスト集団「Raqqa is Being Slaughtered Silently」(=これが邦題)はSNSで世界配信を始める―。
原題は『幽霊の街』(CITY OF GHOSTS)、
暴力には暴力を、ではなく、かといってペンでもなく、知性とネットで対抗していくという発想。
しかし。
そんなジャーナリスト魂がラッカに平和をもたらしたのかというと、そんなことはなく・・・。
戦争とメディアの関係性に二歩も三歩も迫ったこの映画の後味は、ただひたすらに苦かった。
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第07位『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』
1864年、バージニア州。
女子だけの寄宿学園に現れたひとりの負傷兵により、均衡が保たれていたはずの「住人たち」に亀裂が生じ始め・・・。
イーストウッドが主演した名作サスペンス『白い肌の異常な夜』の再映画化、
ニコール・キッドマン、キルステン・ダンスト、エル・ファニング、そして「逆」紅一点をコリン・ファレルが演じ、
演出を担当したソフィア・コッポラはカンヌで監督賞を受賞。
日本でのウケはよかったとはいえないが、イーストウッド版では男の視点で紡がれていた物語を女の視点で捉え直すことにより「見えなかったもの」まで「見えるようにしている」ソフィアの演出は鮮やかで監督賞も納得。
女優たちの演技合戦という意味では、エル・ファニングの独り勝ちであろう。
キャラクターで得をしている感もあるが、トシゴロ女子の邪心と好奇心を巧みに演じ、彼女に触れることが出来るのであれば「より深い傷」を負うことになったとしても、負傷兵だって悪くない―とまで思わせてくれた。
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第06位『斬、』
農家の手伝いをして暮らす浪人・杢之進は、村の市助に剣術を教えつつ、ひとがひとを斬る(=殺す)ことに意味を見いだせず、煩悶としていた―。
『野火』からセカンドステージに突入した塚本晋也が、初めて時代劇に挑戦した野心作。
インディペンデントの雄らしく、時代劇でも大作感はない。
胸のすく殺陣もない。
90分にも満たぬ小規模な物語だが、テーマは現代と、そして未来をも照らす。
思索的な構造は小林正樹の『切腹』やイーストウッドの『許されざる者』と似たところがあり、かつてサイバーパンクを描いていたアナーキーな映画監督の成熟を思うと感慨深い。
ヒトコトでいえば、暴力を否定して生きることの困難さを描いている。
森の深い緑が無常観を際立たせていて素晴らしいが、いっぽうでこの映画は、塚本作品を音楽面から支えた石川忠への鎮魂歌にもなっている。
石川は作曲の途中で急逝、塚本は自宅に残された「散り散りの音源」を映像に貼り合わせることでサウンドトラックを完成させた―そこにふたりの友愛を見て、涙した映画小僧なのだった。
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明日のコラムは・・・
『知らなくていいこと、なんてない。 その四 ~2018総括(10)~』
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