あとだしなしよ

Japanese text only..
落書きブログです。
報道記事の全引用は元記事消去への対応です。m(__)m

アルジェの戦い

2006年11月29日 | 外国映画
アルジェの戦い/ La Battaglia Di Algeri
1966年 イタリア、アルジェリア
監督:ジロ・ポンテコルヴォ

フランス植民地支配へのレジスタンンス運動をドキュメントタッチで描く。主人公アリは無学で字も読めないレジスタンス。組織のNo2。ボクサー、職工などの職歴。テロのシーンや銃の乱射、住民蜂起の映像など迫力、緊迫感満点で娯楽映画としても楽しめてしまう…イタリア映画でアルジェリアの全面協力の元、いわゆるネオリアリズムの手法で制作された。この映画を撮ったジロ・ポンテコルヴォ監督は今年他界された。

舞台:
フランス植民地、1950~1962年のアルジェリア。カスパと呼ばれるアラブ、先住民系居住区とヨーロッパ人が住む近代的な都市と別れている。当然だがカスパは貧困で、彼らはヨーロッパ人に差別もされている。死刑はギロチンで行う。

レジスタンス組織:
一つのコアにリーダ一が一人に部下二人で構成される。それぞれの部下にまた二人の部下がいる。その関係が下まで続く。指示は直属のリーダーからその部下だけに与えられ、全体で集まる事は無い。このシステムの利点は互いが顔を知らないことで、末端が捕まっても全体に与える影響は少ない。今だとテロ組織である。まだ少数の組織で民衆の運動には至っていない。
頭 -部下1-部下3
   |      -部下4
   |      
   |   
   -部下2-部下5
       -部下6

組織には女もいる。彼女らが検問を潜り爆弾を運んだり、武器を仲間に渡したりする。イスラム教?なので検閲官は女性に触れてはいけないので検問所の突破が可能。銃を街の中のゴミ箱や女の買い物かご等に隠し、仕事の後に元の場所に返す。爆弾テロを空港やダンスホール、カフェで実行。テロのシーンのリアリズムは特筆もの。かれらは民衆の奮起を促し、国際社会の関心を集める為にテロを行っている。爆弾テロを行うのは、彼らが大規模な兵器をもてないからだと言う。

フランス:
最初は現地の警察が対応していたが鎮静できず。遂に軍を派遣。軍は第2次世界大戦にも参加した理工系出身の指揮官が指揮をする。警察と軍の違いは警察は法を守るが、軍だと必ずしも守らなくとも良い。結果を得る為には手段を選ばないということだろう…だから殺しだって破壊だってする。カスパ住民がゼネストを行ったのを口実に、カスパへの強制捜査を強め、構成員を捕まえて拷問し追いつめて行く。映画でも拷問のシーンは描かれていたが、もっとひどい拷問があったとも聞く。彼らは言う…「道路を造ったのは我々だ。文明をもたらしたのは我々である」と…

壊滅:
レジスタンス組織はリーダも捕まり壊滅状態に。最後のメンバーのアリも仲間とともに爆破され死亡。レジスタンス運動は消滅する。

市民蜂起~アルジェリア革命:
きっかけは不明だが、カスパの民衆が自然蜂起。デモ状態から暴動へと発展。おんなたちのヒュー、ヒューという合唱がしだいにカスパにあふれていく。非武装の群衆がフランス軍に向かって突進する…蹴散らされるフランス軍。軍はついに民衆に向かって銃を乱射。しかし運動は収まらない。夜のカスパにおんな達の大合唱がこだまする。

独立運動はそれから2年続き、遂にアルジェリアはフランスから独立を果たす。

*
9.11以後の現在では絶対に作る事が出来ない感じの映画。屈辱と貧困の人生を歩まなければならないレジスタンスはテロリズムに訴えるしかなかったのか…アルジェリア民衆からみれば、レジスタンスの行為はテロリズムでは無いことは明らかであろう…日本でもテロ対策だといって、ジミントウは共謀罪という不気味な法案を通そうとしている。

第41回(1967年度)キネマ旬報ベストテン 第1位

MOONOVER the ROSEBUD

2006年11月27日 | music
MOONRIDERSツアー 『MOONOVER the ROSEBUD』
場所:CCレモンホール

 MOONRIDERSの演奏会に行く。CCレモンホオルとは、つい最近まで渋谷公会堂の名前で、皆々に親しまれていた場所である。私はついチイタアのあの歌を連想してしまい、これは困ったことである…席は二階でステエジが遠かつたこたもあり、音が下からきて音圧が足りない感じだけれども、これはしようがないことと諦めた…演奏は新譜からの選曲が多くほぼレコオドの音がそのまま再現されていると感心した。『琥珀色の骨』ではバイヲリニストの武川さんのマンドリンが大変良い演奏で感激した。最後の挨拶の時に氏のバイヲリンが落ちてしまつたけど破損などせずに大丈夫だつただろうか…サポオトメンバは『11月の晴れた午後には』のタイトなドラムが素晴らしかつたカアネエシヨンの矢部さんと、『砂丘』で伸びやかな美声を聴かせて下さつたRay Of LightのSachiさんでした。かしぶちさんはクラフトワアクぽいシンドラらしきものも叩いているようでしたが遠くてよく見えない…ステエジに卓(テエブル)を置き酒場のよふな雰囲気をだしていて、演劇舞台的デアル。歌詞の世界ともクロスして大正か昭和初期の港街のレンガ作りの酒場でバンドの生演奏を聴いているような…そんな連想をしていた。ライトが幻想的な光の世界を作り出し、とても美しかつた。工場(こうば)のガアン!ガアン!という音も使われていたが、最近はあんな音は聞かなくなつたなあなどと考えたりもした。
 踊る髑髏の映像が使われていたが、MOONRIDERSはまだまだ続くぞ、傑作はまだまだ作れるぞという感じが、夜の海に浮かぶ火山で硫黄の炎がメラメラと燃えるがごとく伝わつて来たのである。すばらしい夜であつた。



キューポラのある街

2006年11月22日 | 日本映画
キューポラのある街
1962年、昭和37年 日活
監督:浦山桐郎
原作:早船ちよ
脚本:今村昌平、浦山桐郎
出演:吉永小百合、東野英二郎、浜田光男
吉永小百合さん17歳の時の作品らしい。浜田光男が共演者だったのでいわゆる"青春&恋愛"ものかと思ったが、子供が主役の映画だった。とはいっても、子供向けではなく、社会派に属する映画だと感じた。吉永さんは進学を控えた中学生のリアルな少女の役。弟が伝書鳩に夢中なガキ大将のわんぱく小僧でもう一人の主役。荒川の上流の埼玉県川口市の鋳物と鉄鋼の街が舞台で、キューポラとは鉄の溶鉱炉のことらしい。彼らの家は長屋で、労災で足を悪くし初老でさらに失業中で飲んだくれてばかりいる昔気質の鋳物職人の東野英二郎のお父さんと母の杉山徳子さん(「渡る世間は鬼ばかり」の前田吟のお母さん役のかた)で、あかんぼうが生まれたばかりの正に火の車の家庭…「スーダラ節」が流れる川口の街で、子供を中心にまわりを描くと、当時の社会状況見えてくる…二人ともに在日コリアンのともだちがいて、現在まで引きずっている朝鮮問題が描かれる。帰国運動でホクセンに渡る為に新潟行きの列車に乗る彼らの家族と、日本に残る日本人の母親。北朝鮮の旗のもと民族の歌を歌いながら、駅に集まる人々。見送る人には学校の先生もいる。「今の生活より悪くなるわけねーや」といって母親と別れ、北朝鮮に渡る決心をする子分のハナタレの少年。ワルガキ団も解散…
進学費を稼ぐ為にパチンコ屋でバイトもしていた勉強家で頭の良い吉永さんは不安定な両親の生活状況も熟慮して

ひとりで十歩 進むより みんなで一歩 進むのが良いわ!

と言って自立した生活を目指し有名校への進学の道を捨て、就職し定時制高校への進学を決意するのでありました。経済的自立は大切だ…エライなあ。朝鮮、教育と労働問題と現在とほぼ同じ問題がテーマにありました。描かれている社会は、会社統合や労働組合の発達(労組は戦後から活発化)、所得倍増計画などが話に出て来て、高度成長直前の日本がみられる感じがした。
ちなみに帰国事業を始めた時の総理は安倍晋三のじいさまの岸信介だったそうです…

第36回(1962年度)キネマ旬報ベストテン 第2位

仏像 一木にこめられた祈り

2006年11月21日 | さまざまなことを!
東京国立博物館

東京国立博物館で「仏像 一木にこめられた祈り」を観た。土曜日の午後で混んでいるかなと思ったが、まあまあじっくり観ることができた。
飛鳥、平安時代に作られた古い仏像でしたがどれもスバラシイ。滋賀・向源寺蔵の「十一面観音菩薩立像」が一番人気のようで、周りは大にぎわい。この仏像、一見どシリアスでユーモアのカケラも無い感じなのだが、後ろの笑い顔が人間的で面白い。これを観ると大昔の人も現代人も同じような感情で笑っていたのが感じられる。


見事な国宝、十一面観音菩薩立像…身の丈は194cmあります
でも後ろでは…


暴悪大笑相(ぼうばくだいしょうめん)がおお笑い、悪を威圧スルノダ
ビートのタケちゃんみたい、ナハッ、ナハハ


他では「円空」の「善財童子立像」がとても良かった。

善財童子立像、江戸時代、174.6cm 岐阜・高賀神社蔵
実物はもっと、もっと良い

木喰も同じ印象だったのですが、重厚な仏像が江戸時代になると急にポップになった感じで、穏やかな微笑みが心に平安を訴えかけます。仏教が権力から離れて庶民たちの宗教になったのだろうか…円空という方は仏教の布教で東北や北海道を回られた方だったらしいので、そのせいもあってか仏像も先住民族的な仏像にも見えます。



十二神将立像,江戸時代・17世紀/像高50cm前後


私のような仏教徒ではない人間でも、そのスバラシサは十二分に伝わって来たのでした。

教基法改正案、衆院で可決し参院へ

2006年11月16日 | 経済・政治・国際
教育基本法の改正案が衆議院で可決された。教育への介入の制限を取っ払って、もろに政府が教育現場に介入できるようにするのが、自民党の改正案のキモみたいですね。ああいやだ。日本の伝統って天皇制のこと?深層心理に働きかける童謡やオトギバナシなんてのを使って、ガキの頃からスリ込むんだろうな…学校だけの話ではなく、日の丸に敬意を示さないと反政府思想で強制収容所に送るなんてことが、極端にいくとありえるのかな…

しかし、電通とか使ってタウンミーティングをやって、そこでヤラセだとかサクラだとか使って民意だ!ってやってんだから、もう民主主義じゃないなあ。心ある人達が警告していたとおり、安倍晋三って危険人物だな。これにNOを言わないと、どんどんなしくずしになっちゃうと思うが… どーでしょーかー!?
ああ、いやだ、いやだ。



人生劇場 飛車角と吉良常

2006年11月16日 | 日本映画
人生劇場 飛車角と吉良常
1968年、昭和43年 東映
監督:内田吐夢
出演:鶴田浩二、辰巳柳太郎、高倉健、松方弘樹、藤純子

 人生劇場尾崎士郎の大正時代の長編大河小説が原作。小説では映画でも出てくる三文文士(松方弘樹)が主人公だそうだが、映画では渡世人の鶴田浩二が主役であった。吉良常(辰巳柳太郎)は文士を子供時代から知っている初老のバクチ打ち。任侠道ならなんでも知っているって感じのおやっさんであった。臨終の時に「俺のこの手は‥ 何をして来た‥ 殺しと‥ バクチだけだ… 」と言う。彼は鶴田を理解し助ける役回り。義理と人情というわりには、殺伐としてしまうヤクザ映画ですが、この辰巳柳太郎さんの存在が作品にあたたかい人情味を出しているのではないだろうか。
 さらに強調すべきは、日本らしい風景や江戸情緒が残る街並などの美しさ。この美しさは、時代劇にも現代劇にもなく、戦前を舞台にしたヤクザ映画だけにあるものだと思うのですが、なぜなんでしょうか?消え去ってしまったが故の消えゆく前の最後の輝きともいえるのだろうか。それはこの映画の最大の魅力の藤純子さんの美しさにも現れ、場末の芸者宿やヤクザが仕切っている遊女屋を転々としているのに、清らかで美しいという矛盾をも体現してしまう。この数年間の藤純子の美しさは、現代も含めて日本映画最高だったのではないかと個人的に思う。鶴田浩二と高倉健の二人から愛され、二人とも愛してしまう葛藤が彼女の演じどころ…この映画テイストは同年にスタートする『緋牡丹博徒』にも引き継がれ、彼女は頂点を迎える…
 ラストの殴り込みのシーンでは、内田吐夢監督が『宮本武蔵、一乗寺の決斗』でやったようなモノクロの色無しの殺陣となっていました。モノクロからカラーに変わると、赤い血がべっとりと浮き上がります。ラストのカラースモークなんてのも監督らしくて好きだなあと思ったしだいです。この作品の後、1970年の『真剣勝負』のロケ中に監督は倒れ、この作品が遺作となってしまった…数々の美しい映像は、明治生まれで大正~昭和初期に青春時代を過ごした監督だからこそ撮れたものかもしれない。

人生劇場 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲

やると思えば どこまでやるさ
それが男の 魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
解るものかと諦めた

時世時節は 変ろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情のこの世界


第42回(1968年度)キネマ旬報ベストテン 第9位

豚と軍艦

2006年11月14日 | 日本映画
豚と軍艦
1961年、昭和36年 日活
監督:今村昌平
出演:長門裕之、吉村実子、丹波哲郎

 セリフで「オメーなんか朝鮮戦争で死ねば良かったんだよ!」ってのがあったので、時代は朝鮮戦争(昭和25年)あたり。でも「自衛隊より凄いね!」との発言があるので昭和29年の自衛隊発足より後。横須賀の米軍港のクソったれな生活が描かれていました。ドブ板通りにはネオンサインが光り、ツレコミ宿はパンパンと水兵でごった返し、オンリーさんが小奇麗なかっこうでさっそうと歩き、ヤクザが弱きものたちからショバ代をかき集める…そんなかんじの映画だった。

 つい最近、横須賀に行ったのですが映画の演出もあってか昔の方が活気があったのかなと思ってしまいました…今の横須賀も街にはやはり外国人(つーか、アメリカ軍)が多くて、ガイジンの家族連れも頻繁に見かけた。彼らの住居は『思いやり予算』とかゆーもんで、専用のホテルみたいな宿泊施設で、居住区には娯楽施設から何から何でもあるって聞きます。今のドブ板は観光地ぽい雰囲気で、ヤクザが暗躍して売春が横行!!なんて雰囲気はまったくありませんでした。(昼間にぶらついただけなんですが…)ボウズアタマで帽子をかぶった海軍学校?の学生が店先のナイフのショーウインドウに群がっていたのが印象的でやんした…映画にでてきた横須賀線の列車はステンレス?になるの前のモデルでしたが、京浜急行は当時と同じ、赤に白の線の車両が走っていたみたいだった。猿島は変わらず猿島。横須賀軍港巡りという港をクルージングするやつがあって海軍施設をひととおり見たのですが、となりの市にすんでいながら、こんなもんがあったのかと少し驚きました。ちょうど訓練だか任務だか知りませんが空母などが引き払っていたので少し残念だったのですが、それでも生で軍艦や潜水艦をみると、かなりヤバイ雰囲気がヒシヒシと感じたのでありました。。船のアナウンスでは「空母は猿島と同じくらいデカイ」と説明されていました‥

 映画のヒーローは、街のチンピラで若き日の長門洋之。スカジャンをはおり水兵をポンビキして定食屋の地下にほりこむ。ヒロインの吉村実子さんは撮影当時17歳!その定食屋の娘でチンピラの女。親分株の丹波哲郎は背中に南無妙法蓮華経の入れ墨をして首からジュズをぶら下げている。(モデルがいるのかな…あれかな…)組は米軍のただ同然でもらった残飯をブタのエサにして、養豚会社で一儲けを企む…「キョウからアナタタチはリッパなキギョウケイエイシャ。もうけの1%を慈善団体に寄付してもらいます。」なんてなこと華僑だかハワイ出身だかの東洋人に言われて、ヤクザ系企業が設立スルノダ…
 『わたし、川崎に行くから あなたも一緒にいらっしゃいよ… あそこなら工場で働けるわよ』とチンピラの子を宿しているヒロインは言うが、チンピラが地道に働くわけがなく、次々と危ない橋を渡り組を抜けられなくなる…組を抜けるのも命がけで、組を抜けたやつがイビラれて首をくくっているのを見ている…そのうちヒロインも自暴自棄になって米兵と遊び、連れ込まれ、殴られ、犯され、まわされる…天井から全てを見ていた今村のキャメラもグルグル回る……
 ラストは夜のドブ板通りに豚があふれ、仲間に騙されたチンピラはヤケクソになりドブ板通りのど真ん中で機関銃をぶっぱなす。駆け落ちを約束したヒロインが待っているのに…結局、仲間に銃で撃たれ、警察に追われ、汚らしい便所に突っ伏して死んでしまう…ヤクザ連中はブタに押しつぶされ、圧縮トン死…死者まで出す大騒動のあと、担架で運ばれるチンピラを見つけたヒロインは「バカヤロー! バカヤロー!」と絶叫する…彼は永久に答えない…
 ヒロインは金回りの良いオンリーさんを母に勧められたが蹴る。彼女はゆかたも家族もクソッタレな街も捨て、川崎に働きに出る。列車が横須賀駅を出る。港には超巨大空母が入港し、水兵目当てのパンパンたちは横須賀の街に消えて行く‥


横須賀は2008年から原子力空母の母港となることが日米政府により合意された 横須賀出身の前総理は米国の要求に二つ返事で母港化を約束したようだ

第34回(1960年度)キネマ旬報ベストテン 第七位

我が戀は燃えぬ

2006年11月13日 | 日本映画
我が戀は燃えぬ
1949年 昭和24年 松竹京都
監督:溝口健二
出演:田中絹代、水戸光子、三宅邦子、菅井一郎、千田是也、東野英治郎、小澤栄太郎、松本克平、濱田寅彦、清水將夫、宇野重吉
場所:フィルムセンター 2006.11

明治時代の女性解放運動を志す岡山出身の女性、影山英子が主人公の歴史ものであった。物語は明治17年に始まり、まだ選挙も無く、人買いが親の同意で行われてるし、どこが近代国家ニッポンだんだよ…って感じでした。(四民平等とはいえ、天皇主権で政治の中心は貴族階級)この国初の政党である自由党が民衆である貧民達と結託し、各地で一揆が勃発した時代だったらしい。一揆のシーンも映像化され、蹶起する民衆の麻の布に毛筆での貧民の旗はカッコイイと思った…

オープニングは、岡山。旗を掲げた人々が東京の女性活動家を熱く迎えるシーン。この活動家の女性がバストアップになり主要人物なのかなと思ったら、お出迎えの女性が振り向き、田中絹代だったという出だし。。溝口オハコの船上シーンでの政治講演会が終ると、警察に囲まれて集会を解散させられる。田中は豪商の娘でインテリ。自由民権運動に参加している幼なじみの男(小沢栄太郎?)がいて、いつか東京へ行くことを思い抱いている…使用人の娘(水戸光子)が東京へ売られる。船着き場に人買いと娘。田中は活動家の男を見送りに来て彼女を見つける。娘を買い戻す為にお金を貰いに実家に戻るが、『ご奉公に行くことで、お金が入り親の生活は救われる。むしろ良いことなのだよ。』とかなんとか言われて拒まれる。…船着場に戻ったがもう船は出た後であった…

東京に出て来た彼女。スクリーンには松竹美術スタッフ入魂の明治の街並が映し出される。照明はまだランプ。田中は自由党の中心人物の男、重井憲太郎と知り合いになる。幼なじみの男は青春や権力へのの挫折ですっかり人が変わり、さらに政府側のスパイとなり自由党に潜入していた。重井にスパイを見破られた彼は復讐の言葉を吐き自由党を去って行く…
政府の弾圧が強くなる中、世相も乱れ各地で一揆が乱発。田中も重井のお供である村の集会に参加。"貧民"の旗を掲げ団結する彼ら。一揆とは言いかえれば市民革命のことか…彼らはすでに怒りの頂点に達して、直ぐにでも奴隷工場を襲撃する勢い!「暴力はいかん!」と言う重井に対し、「話して分る奴らじゃない!!」と村人。まず田中がその工場を偵察に出かけることになる…。
奴隷工場。売られて来た女工達が泣いている…女が縄で吊るされ、男が鞭でしばく…拷問だ!!床にもスマキにされた女が転がっている…ここは平安時代の山椒太夫の奴隷荘園か!?おびえた女達のなか「いい加減にしやがれ!」と男に突っかかる女が…それは岡山から売られて来た水戸光子であった。男に別室に連れ込まれた水戸は犯される…辛い経験は彼女を逞しく変えていた…ぶち切れた彼女はランプを倒し、工場に火を付ける。ざまーみやがれ!とケタケタ笑う彼女を偵察に来た田中が見つける。工場はパニック状態に。たちのぼる火炎の中、騒ぎに駆けつけた警察が踏み込む、、田中と水戸と重井は一揆の発起人として逮捕されてしまうのであった…
刑務所。「俺と寝れば、自由にしてやる」と持ちかられ応じる水戸だがそれも罠。水戸はさらに重罪に。「この私が自由主義の活動家だってよ!」とは水戸が吐く…犯罪者の生活は過酷だ…受刑者は奴隷作業をする。真上に近い位置からのカメラで奴隷作業が写される。鎖で足をつながれた二人は石を運ぶ。藁作りの顔まで隠す三角帽子で作業。奴隷だから顔など要らぬということか。フラフラになり鞭を打たれる二人…水戸の打ち明け話…岡山を出たあと、あの人買いの男に処女を奪われる。しかしそんなロクデナシの男に女は惚れてしまう。「だって私を初めて女にした男だよ…」…そんなムショ暮らしは数年続いたようだが、やがて恩赦にて解放。

解放された3人は自由党に戻る。出所祝いが終わり、取り巻きが消えた後は田中と重井の二人の時間…お固い田中も重井を許してしまい二人はムフフの関係に…時は大日本帝国憲法公布後の初めての選挙。田中は立候補した重井をサポート。ヤクザの嫌がらせやあの幼なじみの男の嫌がらせにも負けず当選を目指す。そんな中、ひょんなことから重井が水戸に手を出していたことが、田中に発覚!!詰め寄る田中に、すずしい顔で『ありゃー妾にするよ。君への愛とは別だよ…』と言う重井。しょせん男社会に生きる奴はこんなものか…と田中の理想がガラガラと崩れて行く…
重井は当選。この日本最初の選挙は『満25歳以上の男性で国税15円以上を納めている者に選挙ヲ権付スル』でそれは総人口の1%にすぎないブルジョアジー達の選挙であったそうだ…一般選挙の衆議院とは別の特権階級の貴族院もある。
重井の当選にも田中は失意し離党、ひとり古郷の岡山に帰る。最後のシーンは機関車の客室…立ちこめる蒸気機関車の煙の中、水戸が田中の前に現れる。田中を追って来たのだ。女にも学問が必要だと女学校を作る計画を水戸に話し、水戸も同意。田中は水戸を抱きながら古郷へ帰る列車の中で眠るのであった…



この映画の企画を松竹に持ち込んだのは溝口監督だったが、出来上がった脚本を見た時にはもう熱が冷めていて『こんなのは、木下か??(名前失念、スミマセン)にやらせろ』と言ったとの逸話が残っているそうです。民衆へ民主主義の宣伝もあったのかなとは思いながら、プロの職人監督の仕事を感じた。公開時の日本はGHQ統治下。武士や公家や軍族だった貴族階級も成金の財閥も占領地も解体。天皇陛下も人間宣言をさせられた日本。戦争にでも負けないとこんな改革は出来ませんよね…民主、人権、平和を唱った先進的な憲法を手に、待望の女性選挙権も獲得。マッカーサーにガキ扱いされたのも仕方ないか…と思いつつ、たゆまなく戦争を続けるあの国を横目に、なんだかんだ60年間も戦争をせずに今日に至る我が国なのであった。。。

夜の女たち

2006年11月12日 | 日本映画
夜の女たち
1948年、昭和23年、松竹
監督:溝口健二
出演:田中絹代、高杉早苗、角田富江、藤井貢
場所:フィルムセンター

 終戦後3年の大阪を舞台にした映画。ロケシーンも多かったようで、まだガレキが残るスラムみたいな街並が見られる。幸せな結婚をし子供にも恵まれた普通の女性が、戦争、敗戦、混乱の後にパンスケ(街娼)にまで落ち、その中で人間性を失ったような生活を続けて行く様が描かれていた。松竹ホームドラマから滑り落ちていく女達。娼婦の収容所や無法地帯の女達の描写などが生々しく描かれていた…

 空襲で焼けだされ、朝鮮に行っていた夫を無くし、貧困の為に子供も病死させてしまった女(田中絹代)。それとは知らずアヘンの売人に囲われていた彼女は、実の妹と男との関係を見て、ヤケクソになり夜の街に立つ女になる決心をする…パンスケになってしまった彼女は以前と別人。シマのアネゴみたいな存在になっていた。彼女は怒鳴る。『世の中の男という男と寝て、病気をうつしまくって、そいつの鼻を落として、日本中をXXXな男にして、世の中をメチャクチャにしてやる!』

 その実の妹(高杉早苗)。終戦を外地(朝鮮)で迎えた彼女は引き上げ時にひどい目に会ったと語る。帰国後は日本でダンサーに。姉の男と関係を持ってしまった彼女は彼の子を宿す。男にはあっさり下ろせと言われる。彼女は出産を望むが、早産とバイドクの為に流産してしまう。

 死んだ夫の妹(角田富江)。まだ若く素直な少女だった彼女も悲惨な道へ。華やかなダンサーの義姉にあこがれ、家の有り金を掴んで家出する。大阪駅で声をかけられた男に連れ込まれ、酒を無理矢理飲まされ金を奪われ強姦される。さらに男の仲間のチンピラ女達に身ぐるみ剥がれ、大阪の街に放り出される…

 よく“戦後の混乱”と一言で片付けられているがこういった実態もあったのか…ラストシーンで同業者の女達にリンチを受けながら田中絹代は観客席に向かって叫ぶ。『もう、私のような女を出すな!二度と私たちのような不幸な女を出すな!…」闇に消える声…戦争の地獄を経てもまだ苦しみは終わらない。
 乙女の純潔を訴える女が出て来たのだが、娼婦達の彼女に対する圧倒的な罵声が印象的。田中絹代が映画の鬼と化すのはこのあたりからなのだろうか…アバズレのパンスケのアネゴで、収容所から塀を乗り越え有刺鉄線をかき分け脱走したりします。溝口監督が題材にしてきた、伝統的な花街や遊郭などとテーマは同じなのだろうが、バイオレンスでした。効果音で汽車の音(踏切)の演出があったことを、見た後に知りました…

第22回(1948年度)キネマ旬報ベストテン 第3位



黒い雨

2006年11月09日 | 日本映画
黒い雨
1989年、昭和64年/平成元年 東映
監督:今村昌平
出演:田中好子、北村和夫、市原悦子、原ひさ子、沢たまき
場所:東急Bunkamura ル・シネマ2 2006.10

 昭和二十年八月六日。冒頭…叔父さん(北村和夫)が市街電車に乗っているシーン。と、いきなりの爆風。原爆で体が飛ばされる。気がつくと、あたりは滅茶苦茶の地獄絵図。その時、スーちゃん(田中好子さん)は叔父に会う為に船に乗っていた。広島方面に湧き上がるキノコ雲を見る。「なんじゃー!ありゃー!」。その後に黒い雨が降る。ベチャ、ベチャ。頬に雨が当たる…そして、叔父に会う為、被爆直後の広島市内へ。スーちゃんは叔父、叔母(市原悦子)と爆風でメチャクチャになった建物や死体の山や大やけどで皮がめくれたの人たちであふれた広島市内を歩く。…全身焼けどの子供がいた。彼は兄と再会するが兄は弟の姿が分らない…叔父の勤めていた工場に辿り着くために市内を歩き続けるスーちゃん達…川には黒こげになった死体が浮かんでいる。ようやく市内を抜けた彼らは命からがら、工場に辿り着き一命を取り留める…川辺に積まれた死体の山、念仏をあげる坊主も葬儀屋もいない為、しょうがなく念仏を唱える叔父さん。そして川原で死体を焼く。スーちゃんは川で水浴び…彼女の頬にススが付く…
 やがて、戦争終結…物語は終戦後5年後へと移る。
外見はなんともない、スーちゃん、叔母さん、叔父さんだが、原爆病(放射線障害)が忍び寄る…医者にはなるべくビタミンを取るようにと言われているよう。アロエが良いとか鯉の生き血が良いとか…スーちゃんは年頃で、縁談もあるよう。だが、ピカにあった娘の噂から、縁談はまとまらない。スーちゃん達は田舎の村に住んでいる。叔父さんは自分の土地を売って生活費にしているよう…村には、陸軍帰りの元兵隊がいる。彼は、普段は石の地蔵を彫っているが、自動車等のエンジン音が戦車の音に聞こえて、バスが停車するたびに地雷(枕)でタイヤを爆破する為に自動車に突っ込む…笑えるユーモラスなシーンなのだがホントは恐ろしい…そして、叔父さんはスーちゃんが原爆病でないことを証明する為に、彼女の日記を清書する。(この日記が原作で、井伏鱒二がこの事実を小説化したよう)しかし努力も虚しく縁談は上手く行かない。スーちゃんの鏡台の前のシーン。彼女のおしりには、戦後5年経っても未だに直らないおできがある…
 その後、村にいる顔見知りのヒバクシャ達が次々と命を落として行く…叔母さんも、体力、気力を失い初め、怪しい宗教に傾倒したりしている。アロエを隠れて食べるスーちゃんも遂に発病してしまう。お風呂に入るスーちゃんの若々しい体とはアンバランスに彼女の髪の毛は『ズルリ』と抜ける…伯母さんがそれを見て周囲にもスーちゃんの病気が知れる。
 叔父さんの釣りを見ているスーちゃん。池の主を見たスーちゃんはなぜか興奮する。幻聴、幻覚を見る彼女…ヤマイが進むスーちゃん。彼女の元に地蔵を届ける元兵隊。二人は心を繋いでいく。さらに病が進み、やがてスーちゃんは危篤状態に…元兵隊は彼女を抱えて、救急車に乗り込む。取り残される叔父、叔母…車は山道に消えて行く…バックには大きな山と青い空…



 初の今村映画。原爆の被害とこの手の放射線障害を真正面から見つめたメジャーな映画が作れるのは日本だけなのではないだろうか。生きながら肉体が朽ちて行くのは悲惨すぎる。今村昌平監督もいままで見たいと思いつつ見逃して来た監督だった。米軍と自衛隊の軍港、横須賀のアングラ世界を描いた「豚と軍艦」など見てみたいものが多く、少しずつ見て行こうと思った。

ご参考>
ザ・スクープ 日本の原爆開発と人体実験
原爆と峠三吉の詩 下関原爆展パネル長周新聞

NHK木下恵介特集番組

2006年11月06日 | 木下恵介
NHKで木下監督の特集番組が放映されるようです。明日の夜10時ですので、お見逃し無く!

NHKスペシャル|ラストメッセージ「愛と怒りと 映画監督・木下惠介」

ラストメッセージ(全6集)
第3集「愛と怒りと 映画監督・木下惠介」

戦後日本を代表する映画監督、木下惠介。「家族の愛」「弱きもののささやかな幸せ」に生涯こだわり続けた木下は、「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」などの作品によって戦後の大衆の圧倒的な共感を得た。現在その名が語られることの少ない木下だが、1998年に亡くなった時、愛弟子であった山田太一は弔辞でこう述べている。「あるとき木下作品がみるみる輝き始め、今まで目を向けなかったことをいぶかしむ時代がきっと来ると思います」
木下の原点は愛情あふれる家族と過ごした少年時代にあり、今回、木下が家族を撮影した戦前のフィルムを発掘した。彼自身の体験は作品の随所に反映され、「弱きものが美しい」社会とは何かを語りかける。高度経済成長・核家族化の時代の流れの中で映画を撮れなくなった木下は「衝動殺人 息子よ」で家族愛を描いて復活、晩年の「この子を残して」は戦争を庶民の幸せを壊すものと訴えて白鳥の歌となった。常に「庶民=弱きもの」に寄り添っていたその格闘の人生は、弱いものが切り捨てられ強者の論理に流れがちな現代社会に疑問を投げかける。木下の言葉と残された映画作品を通して、今の日本人が失っているものは何か、共に生きる社会とは何かを問う。

案内役:国井雅比古アナウンサー

NHKのホームページの番組案内から引用させて頂きました。


女性の勝利

2006年11月06日 | 日本映画
女性の勝利
1946年、昭和21年 松竹大船
監督:溝口健二
出演:田中絹代、桑野通子、三浦光子、徳大寺伸
場所:フィルムセンター

田中絹代演じるの女弁護士の話。この時代の弁護士の服装はちょっと異様な感じである。
冒頭、終戦直後の焼け跡の道を田中絹代が歩くシーンがある。焼け野原をヒールを履いて歩く田中がミスマッチで、道沿いには店舗というものが無く、道ばたでそれこそミカン箱の上で卵を売ったりしていた。
田中には戦争中の体制に反対して牢獄に幽閉された恋人がいた。彼は田中が弁護士になる上での恩人の河野検事に牢屋にぶちこまれたのだが、出獄後は足腰が立たなくなっていた。見舞いに来た田中に希望をかたる彼…

ある日、田中の家に乳飲み子を抱えた女が肉を売りにきた。その女は田中の同級生であったが、それを思い出した母親が田中を呼ぶと、彼女は逃げてしまった。ある日、その彼女の夫が病気で死んでしまう。残された彼女は発作的に赤子を抱きしめ続けて子供を窒息死させてしまう。田中は生活に負けてしまったと彼女を非難し、彼女に自首を進め、彼女もそれに従う。

この事件の公判の検事として選ばれたのは河野検事。田中は彼女の弁護に立ち、彼と対決することになる。河野検事の妻は田中の実姉であるが、彼女は前時代的な夫にそれでも仕えている。彼は田中に自分の出世話を話したり、彼女を弁護士にした恩義を彼女に売り、暗に公判に負けろとほのめかす。彼女の姉も河野検事の女性軽視に次第に反発を感じるが、行動に移せない…

裁判当日、病床の男は危篤に。枕元に田中駆けつけたが、危篤の彼を残し裁判に向かい、河野検事と対決をする。精神錯乱などなく計画的に赤ん坊を殺したと主張する河野検事。田中弁護士は無罪だと主張する。『そもそもの原因は日本を戦争に巻き込み、日本を滅茶苦茶にした人達である。被告の夫も軍事工場で酷使されたのが原因で死亡した。その責任を追及せず、彼女を攻めるのは不当だ!』

第一回の公判の後、同僚から病床の彼の死亡を告げられた彼女。彼女の姉は河野検事との別居を決意する。様々な思いを胸に彼女は第二回の公判へと向かうのであった。



戦後1年目の作品で、戦時中の情報局の後は今度はGHQの監視下で作成されているので、どこまでが溝口監督の本意なのかは分らないが、戦争に対する女子供や社会的弱者への素直な謝罪ともとれた。うがった見方かもしれないが、GHQの極東裁判へ民意を作る目的もあったのだろうかとも思える…溝口監督が自由に映画を作られるようになるにはまだ数年かかるようだ…

必勝歌

2006年11月06日 | 日本映画
必勝歌
1945年、昭和20年 松竹/情報局
監督:溝口健二、清水宏、田坂具隆、マキノ正博
出演:佐野周二、大矢市次郎、沢村貞子、嶋田照夫、小杉勇、三井秀男、斎藤達雄、高田浩吉、沢村アキヲ、河村黎吉、高峰三枝子、轟夕起子、田中絹代、上原謙
場所:フィルムセンター

冒頭は南方戦線の佐野周二隊長が率いる一個小隊のシーンから。部下にふるさとを思い出せと言い、ボールを受けた兵隊さんが次々にその思い出を語っていく。全員で目をつむり、ふるさとの日本をを思い出す隊員たち~
雪国の農村のシーン。田舎の子供達も大きくなったら兵隊になる~などと話ている。その村で蒸気機関車が雪で立ち往生。村民全体で雪かきをし、機関車を助ける出す。(これが溝口監督の作品らしい)
隣組か消防団の監視員がコミカルに描かれる…兜を腰に着け、弁当を忘れないようにとか言いつつ、街の防火水を見回ったり、防空壕がちゃんと出来ているか~とかいいつつ、体重をかけ穴に落っこちるおじさん。。
満員電車で疲れてふらふらの兵隊さんをやさしく抱いてあげる見ず知らずの兵隊さん。。
竹細工の飛行機作りが大好きな少年は、空軍に志願する。その父親は立派なパイロットになって敵に体当たりしろ!とか笑顔で話す。息子と父親の話が決まって、朗らかに微笑むその母親。。。
赤十字の看護婦の話…負傷者を載せた船が敵軍の攻撃に遭い、看護婦が負傷者もろとも海に沈んだ。タールの海の底から看護婦達の清らかな歌声が聞こえてきた…という話を澱みなく絵物語のように話す。。。美化することの恐ろしさよ…
宴会で酒を飲む男達。靖国で会おう~とかご満悦で歌を歌う。
田舎の少年達が踊るミュージカル風の映像。
招集がかかった見合い相手の男性との結婚を予定通りに進めてくれと願う高峰三枝子さん…夫の足がなくなろうとも添い遂げますと語る。
などなど…
ラストは瞑想を終えた、佐野周二率いる小隊が作戦を遂行するために出撃して行く…

オールスターキャストで送る、終戦の年の戦いへの宣伝映画。冬場のシーンが多いので空襲前の撮影が多いようだが空襲のシーンも少しだけあった。公開は2月20日とある。各地での地上戦や空襲や原爆投下と地獄に向かう日本。"体当たり"という言葉が何回も何回も出てくるが、命を失うことへの現実感や惨たらしさが全く無く、娯楽映画を見ているみたいな感覚だった。やはり戦時中の作品は見ていて辛い。(眠い…)田中絹代が出ていたのだが、どんなシーンだったか思い出せず。

名刀美女丸

2006年11月06日 | 日本映画
名刀美女丸
1945年、昭和20年 松竹京都/情報局
監督:溝口健二
出演:花柳章太郎、伊志井寛、柳永二郎、大矢市次郎、山田五十鈴
場所:フィルムセンター

真面目な刀鍛冶、清音と山田五十鈴さんとの恋の物語。
刀鍛冶の清音が鍛えた刀を使ってくれた恩人が、主君の警護の最中に賊に襲われる。交戦中に清音の刀が折れてしまう。主君と恩人は無事だったが、恩人は武士の魂ともいえる刀が折れた為に糾弾され没落してしまう。最後は怨敵に殺されて命を落とす。その恩人の娘を山田五十鈴が演じる。娘は仇討ちに使う刀を作るよう、清音に依頼する。静音は兜をも斬れる剣を作ろうと相棒と必死に鍛冶仕事をするが何回やっても失敗する。気力も原料の鋼も尽きる最後の刀の作成でその思いが通じてか、父を殺された山田五十鈴の幻影とともについに打ち出された刀。その刀は遂に“エイヤー!コチン!”と兜をまっ二つにする。その刀で山田五十鈴とともに仇討ちを果たした。
一生刀鍛冶を続けて行くと誓う静音に、「私も側に置いてよ」と言う山田五十鈴のセリフで終。

敗戦の年にこれまた情報局の監視下で作られた映画だそうで、仇討ちの話であった。刀は兵器がシンボライズされたものであろうか。それを作る軍需産業も仕事に必死で打ち込み、戦死者の仇を討つのだと言いたいようだ。いくら溝口映画でも見ていてしんどかった。竹刀で静音の頭をコツンと叩いたりする山田五十鈴さんのコミカルな演技と、静音の純朴で少し情けない感じの役所が救いか。芸道もの刀鍛冶編といった感じなのか、謙虚な主人公は近松物語に少し似た感じに思えた。