あとだしなしよ

Japanese text only..
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教基法改正案、衆院で可決し参院へ

2006年11月16日 | 経済・政治・国際
教育基本法の改正案が衆議院で可決された。教育への介入の制限を取っ払って、もろに政府が教育現場に介入できるようにするのが、自民党の改正案のキモみたいですね。ああいやだ。日本の伝統って天皇制のこと?深層心理に働きかける童謡やオトギバナシなんてのを使って、ガキの頃からスリ込むんだろうな…学校だけの話ではなく、日の丸に敬意を示さないと反政府思想で強制収容所に送るなんてことが、極端にいくとありえるのかな…

しかし、電通とか使ってタウンミーティングをやって、そこでヤラセだとかサクラだとか使って民意だ!ってやってんだから、もう民主主義じゃないなあ。心ある人達が警告していたとおり、安倍晋三って危険人物だな。これにNOを言わないと、どんどんなしくずしになっちゃうと思うが… どーでしょーかー!?
ああ、いやだ、いやだ。



人生劇場 飛車角と吉良常

2006年11月16日 | 日本映画
人生劇場 飛車角と吉良常
1968年、昭和43年 東映
監督:内田吐夢
出演:鶴田浩二、辰巳柳太郎、高倉健、松方弘樹、藤純子

 人生劇場尾崎士郎の大正時代の長編大河小説が原作。小説では映画でも出てくる三文文士(松方弘樹)が主人公だそうだが、映画では渡世人の鶴田浩二が主役であった。吉良常(辰巳柳太郎)は文士を子供時代から知っている初老のバクチ打ち。任侠道ならなんでも知っているって感じのおやっさんであった。臨終の時に「俺のこの手は‥ 何をして来た‥ 殺しと‥ バクチだけだ… 」と言う。彼は鶴田を理解し助ける役回り。義理と人情というわりには、殺伐としてしまうヤクザ映画ですが、この辰巳柳太郎さんの存在が作品にあたたかい人情味を出しているのではないだろうか。
 さらに強調すべきは、日本らしい風景や江戸情緒が残る街並などの美しさ。この美しさは、時代劇にも現代劇にもなく、戦前を舞台にしたヤクザ映画だけにあるものだと思うのですが、なぜなんでしょうか?消え去ってしまったが故の消えゆく前の最後の輝きともいえるのだろうか。それはこの映画の最大の魅力の藤純子さんの美しさにも現れ、場末の芸者宿やヤクザが仕切っている遊女屋を転々としているのに、清らかで美しいという矛盾をも体現してしまう。この数年間の藤純子の美しさは、現代も含めて日本映画最高だったのではないかと個人的に思う。鶴田浩二と高倉健の二人から愛され、二人とも愛してしまう葛藤が彼女の演じどころ…この映画テイストは同年にスタートする『緋牡丹博徒』にも引き継がれ、彼女は頂点を迎える…
 ラストの殴り込みのシーンでは、内田吐夢監督が『宮本武蔵、一乗寺の決斗』でやったようなモノクロの色無しの殺陣となっていました。モノクロからカラーに変わると、赤い血がべっとりと浮き上がります。ラストのカラースモークなんてのも監督らしくて好きだなあと思ったしだいです。この作品の後、1970年の『真剣勝負』のロケ中に監督は倒れ、この作品が遺作となってしまった…数々の美しい映像は、明治生まれで大正~昭和初期に青春時代を過ごした監督だからこそ撮れたものかもしれない。

人生劇場 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲

やると思えば どこまでやるさ
それが男の 魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
解るものかと諦めた

時世時節は 変ろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情のこの世界


第42回(1968年度)キネマ旬報ベストテン 第9位