あとだしなしよ

Japanese text only..
落書きブログです。
報道記事の全引用は元記事消去への対応です。m(__)m

嘘だらけのヨーロッパ製世界史

2007年05月31日 | 
嘘だらけのヨーロッパ製世界史
著者:岸田秀

アメリカ人の作家で今だと“ゲド戦記”が有名なアーシュラ・K.ル・グィンは
小説中の架空の惑星の語り部にこんなことをいわせている。
動物は言葉をもたない。
彼らには本能がある。わかるかね?
彼らはやり方を知っている。
どこへいけばよいか。どうやって行けばいいか。
本能で知っている。
だがわしらは本能を持たない動物だ。そうじゃないか?
本能をもたない動物だ。なんと奇妙な話。
我々はかわりものだ。
どうやっていくか。なにをやっていくか、
いちいち話あわねばならぬ。
それについて考えなければ、研究しなければ、
学ばなければならね。
そうじゃないか?

もしわれわれが世界を語らなければ、
世界のことはわからない。
そのなかで迷ってしまう。死んでしまう。
だがわれわれはそれをただしく語らなければならない。
真実を話せねばならない。
そうじゃないか。世話をし真実を語る。
われわれはそれを誤った。
コーポレーション・ステート(国家企業)が
支配する街で、彼らがウソを話し始めたときだ。
自分たちの他に真実を話せる者は
自分たち以外にいないと人々にいったので、
皆が彼らのいった同じウソを話さねばならなかった。
金のために人々を悪い方向に導いた。
ウソをついて富を得てひとに指図する。
世界が回るのを止めてしまい、
警察があとを引き継いだのも当然の話だ。

- 言の葉の樹 アーシュラ・K.ル・グィン

ほとんど岸田秀でびっくりします。
ル・グインは架空の星の話にしていますが、
この地球で“自分たちの他に真実を話せる者は自分たち以外にいない”
と言ったのはだれだろう。
奇蹟で海をまっぷたつにして海の底を歩ていったカミサマだろうか…

アメリカ人の作家、カート・ヴォネガットはこんなことを書いている。
わたしはこの文章を選挙前に書いているので、
ジョージ・W・ブッシュとジョン・F・ケリーのどちらが、
私達の新大統領になって…万事うまくいけば…
次の4年間を務めることになるのか、知ることが出来ない。
北欧系で貴族的な大金持ちであるこれら二人は、
言ってみれば双子のようなものであり、大方の人々と違って、
少々おかしな白子の双子と呼ばれるのがふさわしい。
しかし私にとってはこちらの事実が時宜に適う-
両候補共に、現在でもイエール大学の排他的な秘密結社
“スカル・アンド・ボーンズ”のメンバーであるという。
つまりこういうことだ…
どちらが勝利しようが、私達は
スカル・アンド・ボーンズ(骸骨と骨)大統領を迎えることになる…
地上や海、大気に毒を撒き散らしたおかげで、
全ての脊椎動物が…さあお立会い、
まさしく骸骨と骨だけに変わり果てようとしている時代にである。

なんと詩的な!

- 終末は近づいている(The End is Near)カート・ヴォネガット

アメリカ大統領のことをアルビノなんて痛快なことを言えたのはヴォネガットだけだろう。
“嘘だらけのヨーロッパ製世界史”で中心に検証されるのは
黒いアテナ”(ギリシャ文明は黒人のエジプトの植民地下で創られたか
エジプトの影響を多く受けているとする本らしい)で、
その他のユダヤ史や大日本帝国のことなど
色々とすごく興味深いことが書かれています。
私は岸田秀の日本兵に対する弔い合戦みたいにも思えました。
あの人たちをどうやって止めたら良いのでしょうか…
第一議

人間の思うことは皆妄想である
哲学でも宗教でも唯物思想でも何でも
人間文化は全部妄想の文化である
現代文化は第二議の文化である
この文もまた……である
自然物は皆第一議の文化の花を咲かし
人間ばかりは第二議の花を誇りとし
これがために第一義の真と美を犠牲にし
軽蔑している
汝が汝を支配するとき
汝は死物となる
支配せず
支配せらざる汝は
生きた汝である
自然の汝である。

夢野久作

横浜港は赤潮?

2007年05月31日 | さまざまなことを!

これって赤潮?
海の水が赤みのある黒色で不気味です。
横浜港はきれいな海ではありませんが、これほど汚くはありません。
眺めていると世界が終わるみたいな気持ちになります。
いつもは魚が飛び跳ねるのが見えたりしますが、
今日は全然見えず、クラゲも死んでいるみたいでした。

- 横浜市環境創造局 赤潮の発生について
2006年6月の情報の上ページの写真とそっくりな感じです。

ちなみに明日から横浜開港祭ですがどうなんでしょうか…
花火大会はビームスペクタクルINハーバー の名前で土曜日のようです。
詳しくはこちら
イベント名 ビームスペクタクルINハーバー
イベント概要 光と音・水と花火のショー  横浜港を美しく彩ります。
開催日時
6月2日(土) 20:20~21:00
開催場所 臨港パーク前面洋上・メインステージ前

からゆきさん

2007年05月29日 | 日本映画
からゆきさん
1973年、昭和48年
監督:今村昌平
出演;今村昌平、善道菊代、福田庫八

からゆきさんと呼ばれる明治~昭和初期の東南アジアなどで
強制的に売春をさせられた女性達に対するインタビュー。

メインで出演されていたキクヨさんのしゃべりかたは、
落ち着いていてもの静かなかたのように見え、
卑しいところや、誰かを恨んでいる様子は全く感じなかった。
他の出演者のかたも、あっけらかんとした
明るい女性が多いように見えました。
しかし、その生活に耐えられずに
若くして亡くなったひともたくさんいらっしゃったようで、
やはり生活はきびしいものだったと推察され、
訪れる人も少ないたくさんの墓地が映し出さていた。
当時は、からゆきさんが先兵として
海外での日本人テリトリーを開拓し、
そのあとから日本企業が入っていったそうです。
また、彼女達の稼いだ外貨は
当時の日本の政府や経済界を多いに支えたそうです。
太平洋戦争時も積極的に金品を差し出したことも
あったようです。

当時は貧困が現在の視点では考えられないくらい大きく、
家族が生きていく為にはしかたがなかったこともあったようです。

追記:
からゆきさんとは大きくいえば、海外へ出稼ぎに行く人だったそうで、
男性の場合は“からゆきどん”と呼ばれていたそうです。
男性の場合も大変な目に合わされたそうです。

“福岡から沖縄までの人を集め、これに広島、和歌山の出身者など合計五百余人をのせてメキシコへ送った会社がある。メキシコの銅山募集に対して、坑夫を送るといつわって農民を送ったもので、やはり銅山では農民は受け入れてくれず、武力で追い散らされた。移民会社の責任者が逃げて、おおぜいのからゆきたちがさわいだためである。このとき十人あまりがジャングルに追われて生死不明になっている。
やむなくメキシコ政府によって送り返されることになり、やっと横浜に帰り着いた。ところが東洋移民会社となのるこの会社は、からゆき一同が損害を要求する気配があるというので、外務省を動かし水上警察をとおして、上陸禁止の処置をとった。船中では食料も水も不足して病人も死人もでていた。
「からゆきさん」 森崎和江より引用”

じぶんの舌がおいしい…

2007年05月29日 | さまざまなことを!
重曹と塩で歯を磨くようになってから、一週間ほど。
なんにも食べていない時に、

「なんだか、じぶんの舌が美味しいな…」

と感じるようになりました。
味覚細胞が再生してきたのか!?
ごはんを食べるときにも、
味覚がアップしたのが感じられます。
合成洗剤を使用した歯磨き粉だと、
味や匂いのせいで味が落ちるのではなく、
味覚細胞が溶けるのは本当だと思いました。

洗剤とか歯磨きの合成石油製品の改良は
進んでいると聞きますが、
なんかやっぱり怪しいと思います。
野菜を合成洗剤で洗う人がいるそうだが、
あれはギョウ虫だか回虫の対策で
日本政府が推奨して広まったのを聞いて
ビックリしましたが。。。

もう合成洗剤は使うのは止めようと
感じる今日この頃です。

シャンプーも変えたし、
頭の抜け毛も少なくなると良いな…

PCBとカネミ油症事件 - その後

2007年05月23日 | 経済・政治・国際
カネミ油症事件
昔、報道機関が騒ぎに騒いで有名だった食用油へのPCBの混入が原因とされた事件。小説家の有吉佐和子さんの「複合汚染」によると、”原因は米ヌカ油を熱処理して脱臭するため、PCBを加熱用のパイプを使って油の中を通していたのが、ピンホールから漏れていた”為に発生した事件。現在では原因はダイオキシン系だったことが解り、PCBの文字がニュースには無い。(ダイオキシンはPCB生成時の不純物なのかな…)
PCBは第二次世界大戦で燃えにくいことから兵器に大量に使われ、大戦後は電気を通しにくく、燃えにくく、壊れにくく、耐熱性に優れている夢の化合物と絶賛され、工業製品にじゃんじゃん使われ、自然環境にも多くばらまかれた 。アメリカでは初期の段階から製造工場での工員の健康被害からその危険性が指摘されていた。(同、「複合汚染」より要約)
*
昨日さんぽしていたらPCB保管庫の看板の古びた小屋を県か市の敷地内で見つけた。今は分解方法が確立されているが、未だに未解決の環境破壊問題のひとつのよう。なにをやってんだか…。PCB法なんてのもあるそうだ。

カネミ油症救済法案、民主も同調 今国会成立へ


2007年5月22日(火)12:35朝日新聞

ダイオキシンの摂食による世界初の食品公害事件とされるカネミ油症事件をめぐり、国が被害者側に返還を求めている仮払金をほぼ帳消しにする特例法案の今国会成立が確実になった。自民、公明両党がまとめた被害者救済策に対し、「不十分だ」として慎重姿勢をみせていた民主党が、超党派の議員連盟の設置などを条件に、応じる方針を固めたためだ。
民主党は、22日午後に開く農林水産部門カネミ油症対策プロジェクトチーム(PT)合同会議で対応を決め、23日の「次の内閣」会議で正式決定する。これを受け、与野党は24日にも、特例法案を衆院農林水産委員会に委員長提案する。民主党はこれまで事件発生時に食中毒の届け出をした約1万3000人を対象に一律300万円の特別給付金を支給する特例法案を衆院に提出している。
カネミ油症事件訴訟では、国の責任がいったん認められ、原告約830人に仮払金27億円が支払われた。しかし、その後企業側と和解し、国への訴えを取り下げたことから、仮払金を国に返さなくてはならなくなっている。
4月に開かれた与党側のPTでは、国が被害者側に返還を求めている仮払金を帳消しにする特例法案を今国会に提出する案をとりまとめた。加えて、患者側の医療費支給の要望に対し、約1300人の認定患者全員に「油症研究調査協力金」の名目で1人20万円を支給する方針も決めた。
この与党方針に慎重だった民主党が方針を転換したのは、超党派で議員連盟を結成し、特例法成立後も引き続き、油症の原因物質であるダイオキシン類の健康被害調査などに取り組むことで与党側とおおむね合意したためだ。
民主党は当初、救済策の対象が認定患者に限られ、支給額も少なすぎるとして、「仮払いなど早急な救済が必要なことは認識しているが、(与党の)対応には患者側から悲痛な声が出ている」(政調幹部)と慎重な構えだった。同党のカネミ油症対策PT座長の山田正彦衆院議員は「議連をつくることで、抜本的な解決に向かって話し合いができる」と、議連結成を前進と受け止めた。
今回の与野党での特例法案提出の合意で、民主党が衆院に提出している特例法案については取り下げる。


無法松故郷に帰る

2007年05月20日 | 日本映画
無法松故郷に帰る
1973年、昭和48年
監督:今村昌平
出演:今村昌平、藤田松吉、藤田フジ子、藤田藤男

太平洋戦争終了後もタイに残った日本兵の“無法松”こと藤田松吉さんの
帰国時の様子を記録したTVドキュメント。
無法松は戦死したとされ、死亡書類もあったが生きていた。
役所に提出された無法松の死亡時の書類は偽造されたものだったようだ。
タイでは日本の情報が入らず、日本に手紙を出したこともあったが返事がなく、
長崎出身の無法松は原爆で家族は全滅したと思っていた。

印象に残ったことば。

靖国神社にお参りした時…

“ここには戦死者の魂なんてない
 死んだやつの魂は、死んだ場所にある
 海で死んだやつは海に
 空で死んだやつは空に
 炎の中で死んだやつは炎のなかに”

皇居前で…

“天皇陛下万歳なんて言って死んだやつは俺の周りにはいない
 俺は天皇にだまされたんだ
 こんな豪勢なとこに住みやがって
 あんなやつぶっ殺してやりたい”

しかし共に命をかけて戦った中隊長との再会では
ふたりとも涙を流して抱き合っていた。
金と公害で汚れてしまった現代(1973年)のにっぽんに嫌気がさして
無法松はタイに戻っていった。

沖縄の市民運動に対する自衛隊活動

2007年05月20日 | 経済・政治・国際
以下、沖縄は辺野古の
今はまだエメラルド色の海からの情報です。
珊瑚礁の海を埋め立てて、
米軍の為の飛行場を作るか否かという瀬戸際の状況です。
市民の平和運動に自衛隊という名前の
日本の軍隊を派兵した事実があります。
(なにをしているのかは不明ですが)

***

辺野古の情報を転送します。
「素手で抗議する非暴力の住民に本当に何と言うことを」と思いますが、今この場でできることをやるしかないのだと思います。マスコミはもっと報道してください!!

◆      ◆

陸上での作業ヤード設置阻止の座り込みも皆疲れきっています。
夜は冷たい海風に震えながら、昼は曇っていても沖縄の日差しはきつく、蒸すような暑さです。
仕事などで一時帰ったりして人数が減ってしまい、わずか30人程度になってしまう時間もあります。
機動隊はバス4台で待機中です。
いつ強行されるかわからない状態です。


========以下転送です====【転送歓迎】

遅い時間の配信申し訳ありません。
今日一日のことを報告します。
これを読むだけでなく、傍観するのではなく、どうか辺野古に駆けつけてください。

明日、明後日も未明より作業が行われる可能性があります。
この2週間ほとんど休むことなく警戒を続け、今日も10時間以上海上で非暴力の座り込みを行ってきた仲間達は疲れ切っています。どうか、一緒にこの平和を求める活動に参加してください。

わたし達のほとんどは、皆さんと同じ、何にも所属していない一人の市民です。
特にカヌーに乗っている人の半数近くは定年退職者です。
わたし達は反対派でも妨害者、過激派でもなく、ましてや日本の軍隊が向き合うような「軍隊」とは天と地ほどの違いがあります。
これ以上沖縄を、ジュゴンの海を毀さないでください。
沖縄を、日本を、アメリカと一体となって世界中で無垢の市民を殺し続ける加害へと荷担させないでください。ベトナムでの、イラクで市民を殺戮した爆弾はわたし達の島から飛び立っているのです。

どうか辺野古へ駆けつけてください。
・ダイバーが足りません。無抵抗で海底の機器設置場所に座り込むわたし達のダイバーに対して、殴る蹴るの暴行が水中で行われています。多くの目撃者、カメラが集中することによってこのような命にかかわる危険な行為を止めさせることができます。
・カヌーに乗る方が足りません。もうみんなへとへとです。来ていただければ、時間を作って練習を行います。

以下報告です。
昨夜、午前0時には100人ほどの人たちが集まってくださり、交代で寝ながら監視行動を続けました。
午前4時、出航準備をしに外に出たところ、海の方からエンジンの音がゴウゴウと鳴り響いています。海上は海上保安庁の船で埋め尽くされていました。

午前5時半、汀間(ていま)漁港から阻止行動の船を出そうとした時に、海上保安庁は異例の船舶検査などを行ない出航時間を大幅に遅らせるという手段に出てきました。

午前7時、既に作業が強行されている海に出ると海上保安庁の大型巡視艇4隻、中型2隻、小型2隻と数えきれないほどのゴムボートが襲ってきました。結果として午前中3ヶ所については作業をさせず、午後もカヌー隊が向かったところでは、作業をやめさせることができました。
それでも多くのポイントに調査機器がおろされています。

わたし達は、小さなカヌーにのって6艇ずつが小船に曳かれて一日中走り回りました。
また、ダイバー達、シュノーケルの人たちも、海底に打たれる杭の切っ先に手を伏せてギリギリのところで止めるようなシーンもありました。
こちらのダイバーはその度に殴る蹴るの暴行を受けています。
浜に戻ったときは午後5時半でした。10時間以上海上にいたことになります。


ところで、わたしは子どもの頃父より「海上保安庁の人間には誇りがある、海上自衛隊は人を殺すためにあるが、彼らは人の命を救う仕事をしているのだから」と聞かされていました。
もちろん、多くの海上保安庁の方々は紳士的でしたが、とても残念な、酷い行為も今日一日でたくさん目撃しました。

例えば作業船にカヌー隊がしがみついていた時に船がバックを始め、雇われている漁民は安全を考えてゆっくり引き離そうとしていたようですが、海上保安庁のボートから「もっとスピードを出せ!」と怒鳴られ漁民の方は仕方なくスピードを上げました。その結果カヌー1艇が転覆しました。彼らは人の命を守るどころか、危険にさらしたのです。
海上保安庁の職員は、まるで防衛施設局の職員か業者のように漁民に指示し、危険行為、場合によっては生命の危険にある行為を行うよう命じました。

違う場面ではゴムボート2艘でカヌーの隊列を挟み、執拗にカヌーを波で煽り、転覆させました。これも一つ間違えると波と船体に打ち付けられ命を奪いかねない行為でした。

また、少なくとも2ヵ所で海上保安庁のゴムボートが、白化現象から漸く回復しつつある貴重な浜珊瑚に船で激突しました。手前を走る海上保安庁のゴムボートが積む2機のエンジンがその衝撃で飛び上がるのを目撃しました。

海底にしがみついて非暴力で阻止行動をしているダイバーに対して、作業員もしくは海上自衛隊員たちは殴る蹴るの暴行を加えてきましたが、海上保安庁の隊員は見て見ぬふりです。

しかし国は「反対派」というレッテルを貼り、「妨害行為・暴力行為」をしているというネガティブキャンペーンを必ず展開するはずです。

作業を強行している業者の人も海上保安庁も、海上自衛隊も防衛「省」も国もきっと信じられないのだと思います。
金儲けのためでもなく、暴力を振るわれても振るうことなく、他者や自然の平和を守るために行動する人たちの心を彼らは信じられないのだと思います。
全て力でねじ伏せることが出来ると思っている人たちは、非暴力で立ち向かって来る一般市民が心底恐いのだと思います。
人の心を信じ、平和を信じ活動する市民たちがいることを心底否定したいがために暴力を持って望んで来るのだと思います。
平和を創るために体を張っている仲間たちは「暴力を振るう者が一番弱い」ということを知っているのです。
暴力の弱さを国に伝えるために、愛する日本には暴力に頼る国になって欲しくないという命をかけた訴えをしているだけなのです。
人間は自分にやましいところがあると他者に対して暴力的になるものです。海上自衛隊導入は「国の逆切れ」と理解していただいていいと思います。

これから国がありとあらゆる方法を用いて「辺野古の阻止行動」に対して張って来る「ネガティブキャンペーン」「マイナスイメージ宣伝作戦」に引きずられてはならないと思います。真実を伝えている仲間たちの声を信じてください。国が今回のことで墓穴を掘っていることに気付くまで、私たちは平和を求めて進むだけです。

ショーシャンクの空に

2007年05月19日 | 外国映画
ショーシャンクの空に - The Shawshank Redemption
1994年 アメリカ
監督:Frank Darabont フランク・ダラボン
出演:Tim Robbins ティム・ロビンス 、Morgan Freeman - モーガン・フリーマン

スティーブン・キングが原作の映画はけっこうみていて、
私にとって「キャリー」、「シャイング」、「グリーンマイル」に続いて
この映画で4作品めの作品となりました。

無実の罪で無期懲役の囚人になってしまった
主人公の刑務所でのムゴイ生活が描かれていました。
どういうふうに惨いかというと…

 楽しいお食事には、ウネウネするイモムシごはん
 看守に暴行され
 人間のクズ達に目を付けられて
 集団リンチされ、オカマも掘られたり
 所長の隠し資産を作ったり

など、堪え難い苦難をヤクザ映画みたいに積み重ねていきます。
主人公のキャラが音楽を愛し読書好きの
イギリス紳士系のインテリで、
人間的にもやさしく、囚人に高校の資格をとらせたり
図書館の予算を嘆願して、予算を確保したりと
清純なキャラで、そのひとがひどい虐待をうけるわけで
よけいに同情をさそう作りになっていました。
このなかでも、主人公を追い回す胸クソ悪くなる人間のクズのヤロウの
描写がうまくて「たのむから死んでくれ…」と
思えるような残虐で卑怯者で弱いものいじめをするヤツで
グリーンマイルにも少女を暴行して殺す人物が出てきましたが、
このへんがこの監督のうまいところなのかなと思えました。
この手の人物が戦争に行って人殺しをするのかなとも思え、
なんとも嫌な気持ちになります。
「もうがまんできねえ!」と殴り込みをかけるのが
ヤクザ映画ですが、この映画も殴り込みはしないけれど、
「やったね!」と握手するかんじの
爽快な逆襲劇の結末にしてくれました。
老いた黒人の老人とのあたたかい友情が
ヒューマンドラマにもなっていたり、
囚人服でさえ格好良く見えたりして、
カッコイイひとは何着ても似合うんだなとか思いました。
あと人生の大半を刑務所で過ごした老人が仮出所して、
「若い頃に車を見たことがある。でも一台か二台だ。
 こんなに沢山車があるなんて想像していなかった。」
変わった世間についていけず、友人も刑務所にしかいない彼が、
ひとりぼっちで首つり自殺をしてしまうエピソードも印象的でした。

なんだかマイベストにあげるひとが多いので見てみたのでありました。
でも私は「シャイニング」のほうが好きだったりしますが、
ひとそれぞれということで…

第69回(1995年度)キネマ旬報ベストテン 第1位

ファンサイト:
ジワタネホ~ショーシャンクの空に

脂肪はなかなか燃焼しない… - 歩数計の話

2007年05月17日 | さまざまなことを!
歩数計を買いました。
買ったのはオムロンのWalking-style
いろいろ記録してくれるのが良いかとおもって買ったのでした。

今日は10989歩あるきまして、
"しっかり歩行"っていう
有酸素運動(毎分60歩以上かつ連続10分以上の歩行)の
歩数が9911歩で、これを94分、
消費カロリーが291キロカロリーで、
こんなに歩いたのに、18.3グラムしか脂肪が燃焼していない
ことがわかりました。
あと歩行距離も計算してくれるんだけれども、
ちゃんと歩幅を測っていないので
正確ではないのですが、6.58キロでした。

 …
 アフェリエイトしてないから、
 詳しく書いたってしょうがないんだけど…
 数字がならんでいると“オズマ”みたいだな。“巨人の星”の。。
 「米国型数値主義」+「星一徹のど根性」の最強ライバルに
 飛雄馬は勝てるのかっていう話だったっけかなあ。
 わすれちまったよ。
 …

万歩計だと山佐時計計器株式会社(YAMASA)の登録商標なんだそうですね。
なんだか「万歩計」だと、一万歩かないといかんみたいに思えますが、
普通の健康づくりなら有酸素運動の合計が20分でも良いみたいで、
やっぱり毎日続けたほうが良いって説明書に書いてありました。
買ってから一週間たっているのですが、
今までの最高歩数が18000歩でした。
この時のおさんぽコースは横浜駅から海沿いにランドマークタワーまでいって
また帰ってくるというコースでした。
これだけあるいて脂肪燃焼が29.6グラムなのが悲しい…
というか人間の燃費も良いのねというのもわかったりします。
日立式の活歩だと「1分間 に100歩」だから
18000歩だと180分で3時間くらい歩いたってことか。。
なんだか合ってるような気もする。。。

しかし、いつまで続くかな…
ってもダイエットしているわけではなくて、
わたしはBMI値が21で22の標準以下なので、
したら、なんで歩数計を買ったんだっけ……‥
ああ、いつもの散歩コースの歩数を調べたかったからだ!ったって
どうでも良いですね。。

昔は東海道五十三次とかありまして、日本橋から京都まで歩いたんだから
昔のひとはすごいなあと思ったり、
でも権太坂のような難所では行き倒れて死んだりしたそうで、
キビシイものだったのだろうと思ったり、
でも成し遂げたらその達成感はすばらしいと思ったりして、
なんだかうらやましい気持ちにもなったりしました。
最近あるくことが好きになりまして、
唯一の欠かさず見ているテレビ番組は
勅使川原郁恵さんの「街道てくてく旅」
だったりするのであった。
昔は甲州に金山があってのお、なんて話はまだでていないなあ。

#しかしパソコンの日本語変換がおかしいな…
#“かった”を変換すると第一候補が“刈った”ってでたよ。
#なんじゃらほい。。



BLUEBEARD - 青ひげ

2007年05月15日 | 
BLUEBEARD - 青ひげ by Kurt Vonnegut 1987

「アルジャーノンに花束を」をなかなか文庫化しなかった早川書房が1989年2月28日に初版発行した。翻訳者は朝倉久志さん。

ハードカバーの定価1700円であったのを現在の所有者であるわたしが、古本屋で400円で購入したのに読まず、部屋の隅っこに放置され、紙の一部があかんぼのうんち色に変色していたのを、「整理整頓しなきゃっ…」と本棚の整理を始めたところ、発見され読まれることになり、表紙が汚れているので、浜辺に流れてきたゴミをひとつひとつ集めてきてキレイに拭いてシャンデリアにしたスチュワート・ヘイガーの作品を見つめるふたりの日本女性の写真が印刷されているフリーマガジン「Smack!」のページを本のカバーにして、時にはわたしの昼寝のまくらとされ(青い空を見た!)読まれた本である。。そのフリーマガジン「Smack!」が伝えるには北京に本格的なライブハウス、「星光現場」- The Star Liveが出来たそうであるがこれは去年のことで、住所は北京市東城区和平里西街79号「糖果」三階でURLは、http://www.thestarlive.comである。今すぐクリック!セイコウゲンバにアクセス!その、どこをどうやって来るのか分からないパケットのロードのノロさを体感しよう!さらに、DANCEするならIDA渋谷校!と印刷されているのも記録しておこうか…フリーマガジン「Smack!」はおそらくオンエアーウエストだったSHIBUYA-Oでもらったフリーマガジンだったはずだが今は休刊したようだ。

* * *
さて、
本の装幀は、ご夫人が料理教師としてテレビなどに出演され、
またある時はシャンソン歌手でもある平野レミさんである和田誠さん。
表紙には、
本来はじゃがいもの格納庫として建てられたが、
カラベキアン(人名)のアトリエにして、
主人公カラベキアン(画家)の二度目の結婚相手である
アメリカ貴族婦人との出会いの場所であるじゃがいもの納屋と地面と、
白いオパール型のパレットが描かれている。
そのパレットには左から、
広葉樹の濃いはっぱ色、新緑のはっぱ色、
美しいビーチに漂う藻の色、
れもん色、砂漠の砂の色、群青色、
あかんぼのうんち色、
共産主義の色の
絵の具が載っている。
次は背表紙で、これは勲章。
これは主人公カラベキアン(アメリカ人)がもらったもの。
どんな手柄の勲章か…
主人公カラベキアン(アルメニア系二世)は美術家で第二次世界大戦で
戦地で色々な偽装工作をし、ドイツ軍を混乱させた手柄である。
勲章はどんなデザイン?
メダルは、
鷲か鷹かコンドルか分からないが
スズメではないと断定できる鳥が
股を開いて手は(羽か…)万歳をしているデザインだ。想像しろ!
主人公カラベキアン(名はラボー)は戦争で片目を亡くしている。
実戦の戦う前に、飛んできた爆弾の破片に当たったからだ。

裏表紙はカーボーイ・ブーツ。あと地面。
このカーボーイ・ブーツは主人公カラベキアン(初老)がこどものころ、
彼の父親が作ったものだ。
その時の様子は以下のように描かれている。
ところが、いまになって父は、まるでトランス状態にでもあるように、ごく簡単な道具を使って、すばらしく美しいカウボーイ・ブーツをこしらえ、それをドアからドアへうりあるきはじめたのだ。そのブーツの丈夫ではき心地がいいだけではなかった。男らしい足とふくらはぎを飾るため、まばゆいほどの装飾がくっついていた。平たくのばしたブリキ管や瓶の王冠からきりぬいた金銀の星や、鷹や、花や、跳ねまわる野生の馬が、きらきら輝いていた。

父親は、今から見ると前世紀である
二十世紀に幾度か発生した虐殺の
一番始めの事件であるトルコ人による
アルメニア人虐殺のなか、
村で生き残ったただひとりの青年だった。
彼はどうやって九死に一生を得たのか?
便所の中に逃げ込み、ふんにょうに身を沈め
虐殺の夜、彼以外に生きている人間は
ひとっこひとりいない村の静寂に耐えたのである。
こういう描写を描かせたら、
カート・ヴォネガットの右に出るものはいない。

母親もアルメニア人で、
彼女もたくさんの屍骸の中で死んだふりをして生き残った。
あたり一面にころがった、たくさんの死体。そして、いちばん近くには、十六、七の美しい娘の顔がある。彼女は男の死体の下敷きになっているが、まだ生きていて、自分の顔から十センチたらずしか離れていない、死んだ老婆の口の中をのぞきこんでいる。その歯のない口からは、ダイヤやエメラルドやルビーが下にこぼれている。

こういう描写を描かせたら、
カート・ヴォネガットの右に出るものはいない。

母親は老婆がこぼした宝石を拾い逃亡先で父親と出会い、
ペテン師に宝石の大部分をだまし取られながらも
アメリカに渡る。

* * *

『BLUEBEARD - 青ひげ』は、
彼らアルメニア系アメリカ人の息子の
架空の主人公カラベキアン(今は抜け殻のような平和な老人)の
一代記である。
おもしろかった。

声に出していいましょう。

『ヴォネガットさん、ありがとう』

辺野古岬

2007年05月13日 | さまざまなことを!
辺野古の美しい浜辺とサンゴ礁が、
例の普天間基地の移転先となるため
コンクリートで埋められるようだ…
(今はまだ調査段階のよう。。)
やっぱりこれは、止めた方が良いんじゃないの??
しかし普天間基地って市街地のど真ん中なんですね…
知りませんでした…これも酷い…
でも普天間の軍隊はグアムに行くそうだから
辺野古の新規基地ってなによ。。



▲ 辺野古航空写真(撮影:目崎茂和さん/1980年)
日本自然保護協会辺野古ジャングサウオッチより



画像は外務省 再編実施のための日米のロードマップ(仮訳)より
日米政府の計画も上記サイトで読めます。
V字型ってのがなんだか、、、
単なるデザインかな…


ヘノコの海のかわいい海藻
(写真は、上記日本自然保護協会様サイトより)

* * *
しかし自衛隊の船が辺野古に向かったって、何をするつもりなんだろう…
まさかとは思いますが…

米軍再編ってどうよ?(あつこばのブログ)

第3回IUCN世界自然保護会議にて 「日本のジュゴン、ノグチゲラ、ヤンバルクイナの保全」勧告が採択される :お知らせ/WWFジャパン


ポーツマス・シンフォニア

2007年05月05日 | music
唐突ですが、ポーツマス・シンフォニアって楽団をご存知ですか?

あのブライアン・イーノも在籍し、
その音楽に多大なる影響を与えたという、
偉大なる楽団でございます。
この楽団は、楽器がヘタでも入団を許可するというもので、
仮にテクニシャンが入団しても「あーそー」と
あまり歓迎されないという下克上なものらしいです。
この「ツァラトゥストラはかく語りき」は絶品だと
思われませんか…



タイトル違ってて、Portsmouth Sinfonia : "Also sprach Zarathustra"だとおもうけど。。

You Tube
My Space

観音崎公園

2007年05月02日 | 気まぐれ徘徊記(デジカメ)
場所:横須賀市、観音崎自然公園


たたら浜

初代ゴジラが最初に上陸したのが、たたら浜だったそうだ。


その時の足跡

ゴジラといえば、リメイクされたシリアス版のゴジラで、ゴジラが原発と対峙するシーンがあったが、もともとの初代ゴジラでは、ゴジラそのものが放射能を吐き出す原子力汚染された存在だった。つまりゴジラが通ったあとは、街の破壊だけでなく放射能汚染されてしまうという恐ろしい怪物だったのである。さらにゴジラは浦賀から現れているわけで、黒船来襲と原爆という日本人にとってのダブルショックを意識していると思われる。
観音崎一帯は大日本帝国の東京湾要塞地帯の最前線で、明治14年から太平洋戦争終結(1945年)まで、一般人の立ち入りは禁止され、海軍の演習もおこなわれていたそうだ。


観音崎灯台

ここも映画ゆかりの建物。木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」で灯台守の若夫婦が最初に赴任してきたのがここでした。上の展望台に登ると見た目よりも高くて、怖いです。この日はモヤっていたので対岸の千葉県が見えなくて残念でしたが、浦賀水道は狭くて夜は特にキケンなため、横浜の開港から10年後の明治2年にフランス人の設計で作られたそうです。このフランス人のレオンス・ウェルニーは徳川幕府に雇われて、横須賀の製鉄所もこの人が作ったそうです。開港や工業化などの近代化の土台部分は明治政府ではなく、江戸幕府が行ったというのはとても重要なことのような気がします。今は灯台守はいなく、機械で自動運転とのことでした。


横須賀市美術館
できたばかりの内部が白がベースの建物で、青森県立美術館と少し似た印象でした。
ヤノベケンジさんの作品で、ガイガーカウンターを搭載し放射能を検出すると少しずつ動くという「トらやん」が面白かった。ゴジラが来たら彼は狂気乱舞するであろう。。あとジャイアント、トらやんなんてのもあって、(火吹くんですか?)、青森のおっきいスヌーピーのやつもミョーでしたが、でっかいサブカル系オブジェ?って流行っているのかなあ。常時展示品では明治以降の日本の画家の作品が主みたいでした。

私は京浜急行の浦賀駅から京急バスで観音崎駅まで行きまして、片道210円で行けると思います。京急バスは後ろ乗り、乗車時に回数券タイプで、料金後払いでしたわよ。バス恐怖症の皆様…