あとだしなしよ

Japanese text only..
落書きブログです。
報道記事の全引用は元記事消去への対応です。m(__)m

衝動殺人 息子よ

2007年08月26日 | 木下恵介
衝動殺人 息子よ
1979年、昭和54年
監督:木下恵介
出演者:若山富三郎、高峰秀子、田中健、大竹しのぶ

映画の舞台になった京浜工業地帯の生麦は、わたしの実家の近所なので子供時代に見慣れて知っている風景が写り少し驚いた。汚らしい工場街だけれど…お墓のロケ地は三ツ沢の神大寺の近くの墓地であろうか…そんな都会で動機がはっきりしない刺殺事件が発生し、息子が殺されてしまう。このような刺殺事件は平成になってから多くなったような錯覚をうけるが、昭和40~50年代でも似たような事件が多発していたことがわかる。この映画での犯行者も未成年である。木下監督の映画界復帰以後の作品はほとんど見ていなかったのだが、この作品は社会派監督の面目躍如といった感じでした。キャストも高峰秀子さん(と田村高廣さん)以外は往年の木下映画に出ていた人は少ないように思えたが、吉永小百合さんを筆頭に日本映画の黄金時代のスター達が端役で大勢出演されていたのは木下監督の実力の賜物なのであろうか…殺人犯への判決時に動転する父親の心理を反映するようなたたみかける映像や、不合理な殺人現場の犯行シーンは、リアリズムや実験的な映像までこなす木下監督らしく、恐ろしさがひしひしと感じられた。ここでの女性をメッタ指しにする大地康雄さんは変態的でとても怖かった。吉永小百合さんの夫が集団リンチに合い殺されるシーンも、袋だたきにあい殴り殺される人の視線の加害者の影の映像が頭に残る…激しい時代を生き抜いた人生の終わりに、受け入れがたい現実に遭遇してしまった夫婦の一代記にも見えて、かつての「喜びも悲しみも幾く年月」などの大ヒット作を連想してしまった。

夕やけ雲

2007年08月25日 | 木下恵介
夕やけ雲
1956年、昭和31年
監督:木下恵介
出演:田中晋二、東野英治郎、望月優子、久我美子、菊沖典子

脚本は木下監督の妹の楠田芳子で、カメラの楠田浩之とご夫婦。
裕福ではない(ビンボーな…)魚屋の一家の物語。望月優子と東野英二郎が夫婦。主役の田中晋二はサッカーの平山選手にそっくり…終戦後のキビシイ日本の家庭を描写した「日本の悲劇」に「野菊のごとき君なりき」のナイーブな感じがプラスしたような映画だと思った…望月優子の疲れた感じのお母さん役がよかった。「わたしたち…働いてばっかりだったわね…」アップで写される汗ばんで張り付いた髪の毛や顔のしわが全てを物語る。病弱な東野英二郎のお父さんはイライラとしてこう吐く。。「あげくの果てに戦争なんか、始めやがって」とか、「せっかく手に入れた大通りの店を国が取り上げやがって…!」とグチる。(愚痴じゃないか…説明されてはいないが、おそらくヤミ市がルーツのお店と思われる。家屋疎開で町外れに強制的に移動させられたらしい。)小さい魚屋だがそれでもやって行くには大変な努力が必要なのだろう…魚を包むのに新聞紙を使っていたりして、私も知っているが昔はそうだったのを思い出す。今はなんでもかんでもビニール系でビニール文明全盛でヤになる。ムスコは「さかなクサイから魚屋なんてイヤダ」と言うが、優しい彼は家業を継ぐ…久我美子さんはお金が好きなイヤミな美人役でハマっていた感じであった。ときおりインサートされる役者のアップが人物の内面を映し出す…ナイーブな少年は市場に修行をし、刺身が捌ける町の魚屋になり、仕事の合間に広い町並みを眺めるのであった。。。とても切ない映画でした。。

四谷怪談

2007年06月28日 | 木下恵介
四谷怪談
1949年、昭和24年松竹
監督:木下恵介
出演:上原謙、田中絹代、佐田啓二、滝沢修、加藤大介、杉村春子、宇野重吉

人間の心理劇がメインで、殺害後のお岩さんは幻覚として登場し、幽霊がでてくる怪談話では無かった。顔にやけどして、患部に毒を塗られ、さらに夫に毒を飲まされて、「クルシイ、クルシイ」と言いながら事切れてしまうお岩さんはとってもかわいそう。迫力がある冒頭の牢獄抜けや、お岩さん殺害のシーンでの佐田啓二の好演、本当の火災現場で撮影しているようなラストシーンの大迫力など、面白いです。ビデオで見たのですが、鎌倉シネマワールドのコマーシャルが入ったりして、廃墟感も感じられました。

喜びも悲しみも幾歳月

2007年04月23日 | 木下恵介
喜びも悲しみも幾歳月
1957年、昭和32年、松竹大船

監督、原作、脚本:木下恵介
出演:佐田啓二、高峰秀子、田村高広、桂木洋子、夏川静江

戦前の…
といえども、
すでに中国との戦争が始まっている太平洋戦争前、
灯台守としての人生を始めた夫婦の半生。
夫婦は住み込みで辺境の燈台に住み、働き、
子供を育て、年を重ねて行く。
印象に残ったシーン、、、

佐渡の弾崎燈台

太平洋戦争が始まっている。
ある晩、猛烈な台風で大荒れの海、
埠頭の燈台の光が消えてしまう。
埠頭への道は、嵐で通れない…
主人公は荒れる海の中、命がけで小船を出し燈台へ。
漕ぎ手も命を顧みず船を出す。
「僕はキリシタン?だ」と言って…
決死の作業で燈台の灯が再び点く。
「やった、あの光さえ点けば良いんだ!!」
と、疎開してきたらしい大金持ち風の盟主。
少しして、嵐の中で懐中電灯の光が回る、回る…
「よかった!生きている!!」
と、彼の家内。



夫が釣りをしている。
そこへ緊急の連絡が…走り去る夫。
夫が釣った魚から、必要なだけ魚を捕り、
余分な魚を海に戻す、妻。…なにげなく
夫が戻らないと分かると、その魚を道に投げ捨て、
穴を掘り、埋めてあげる。
…でも足でやる。…あたりまえのように。



敗色濃厚の中の夫婦の会話…

「敗色濃厚なら、早く止めれば良いんだわ。」
「そんなことは、できないよ。一億玉砕だから。」
 ~
「戦争って殺し合うんでしょ?
 でも、殺し合いもせず、殺される女子供ってなによ…」




こんど観音崎の燈台を見に行こうと思った。
日本最初の洋式燈台だそうだ…


NHK木下恵介特集番組

2006年11月06日 | 木下恵介
NHKで木下監督の特集番組が放映されるようです。明日の夜10時ですので、お見逃し無く!

NHKスペシャル|ラストメッセージ「愛と怒りと 映画監督・木下惠介」

ラストメッセージ(全6集)
第3集「愛と怒りと 映画監督・木下惠介」

戦後日本を代表する映画監督、木下惠介。「家族の愛」「弱きもののささやかな幸せ」に生涯こだわり続けた木下は、「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」などの作品によって戦後の大衆の圧倒的な共感を得た。現在その名が語られることの少ない木下だが、1998年に亡くなった時、愛弟子であった山田太一は弔辞でこう述べている。「あるとき木下作品がみるみる輝き始め、今まで目を向けなかったことをいぶかしむ時代がきっと来ると思います」
木下の原点は愛情あふれる家族と過ごした少年時代にあり、今回、木下が家族を撮影した戦前のフィルムを発掘した。彼自身の体験は作品の随所に反映され、「弱きものが美しい」社会とは何かを語りかける。高度経済成長・核家族化の時代の流れの中で映画を撮れなくなった木下は「衝動殺人 息子よ」で家族愛を描いて復活、晩年の「この子を残して」は戦争を庶民の幸せを壊すものと訴えて白鳥の歌となった。常に「庶民=弱きもの」に寄り添っていたその格闘の人生は、弱いものが切り捨てられ強者の論理に流れがちな現代社会に疑問を投げかける。木下の言葉と残された映画作品を通して、今の日本人が失っているものは何か、共に生きる社会とは何かを問う。

案内役:国井雅比古アナウンサー

NHKのホームページの番組案内から引用させて頂きました。


2006年07月04日 | 木下恵介

1948年、昭和23年 松竹。
監督:木下恵介
出演:水戸光子、小沢栄太郎

犯罪者の逃亡者とその恋人の別れ話における心理描写が、映画の背景とリンクしているかのような作り…に見えました。出演者が二人しか出ないと知っていたのですが、ラストの熱海の火災シーンはなかなかスペクタクルで大仕掛けな内容でした。戦後3年目ということで、主人公の男が戦地帰りのカタワモノで(「我が恋せし乙女」の恋人役も脚が不自由でした…)それゆえか犯罪に手を染めてしまうという、当時の時代背景が否応なしに見えてきました。熱海の楽隊のシーンが異色で、ギター、アコーディオン、バイオリンの編成で皆さん無表情に歌を繰り返し歌います。木下忠治さんはこの手の曲は上手いですよね。戦後すぐの、「真鶴」や「熱海」の街並みや風景はノスタルジックで、まだ自然が沢山あるように見えました…小沢栄太郎さんは、「大曾根家の朝」のアメリカに寝返った、自分が儲かれば何でも良い腐った軍国野朗といい、この手の役はうまいっすね…

** 映画中の曲は木下忠治さんの曲では無いみたいです。岡晴夫さんの歌でヒットした曲みたいです…

*啼くな小鳩よ
作詞 高橋掬太郎
作曲 飯田 三郎

なくな こばとよ 心の妻よ
なまじ啼かれりゃ 未練が残る
たとえ 別りょと 互いの胸に
抱いて いようよ 面影を

旅は はるばる 果てないとても
呼べば 届くよ 夜ごとの 夢
思い出したら 祈ろうじゃないか
尽きぬ えにしを 身の さちを

さらば こばとよ 心の妻よ 
ひとみ 曇るな また会う 日まで
帽子 振り振り あと 振り向けば
明けの 野風が ただ寒い

*港シャンソン 昭和14年
作詞 内田つとむ
作曲 上原げんと

赤いランタン 夜霧にぬれて
ジャズがむせぶよ 埠頭の風に
明日は出船だ 七つの海だ
別れ煙草は ほろにがい

泣いてくれるな 可愛い瞳よ
どうせ船乗り 波風まかせ
明日はどこやら 鴎の仲間
青い海みて くらすのさ





楢山節考

2006年05月02日 | 木下恵介
楢山節考
昭和33年、1958年、松竹
監督:木下恵介
出演:田中絹代、高橋貞二、望月優子

70歳を超えた老人は山に"姥捨て(ウバステ)"される掟がある江戸時代?の村のお話です。主人公のお婆さんは姥捨て信仰の楢山さまを信じて自ら進んで"姥捨て"を望みます。
この老婆を演じた田中絹代さんは…すごすぎます。こんな女優の鬼みたいな人は二度と出ないかと思いました。この映画のために前歯を2本抜いたというエピソードは本当なのだろうか(映画をご覧になると、本当かどうか分かると思います…)
田舎の村を全てセットで作り、その中で生の舞台みたいな感じで映画が作られていました。映像も計算しつくされている感じで、製作スタッフの皆様の情熱が物凄く感じられました。楢山の雪の中のシーンも凄かった。クライマックスのシーンで田中絹代さんは一言もしゃべりません。「行け‥行け‥」と手で息子を返す仕草や、雪の中で運命を悟ったように座る姿はズンと響きました。この真面目で楢山の神様を信じるお婆さんと、それを泣く泣く行う息子とは対照的に、"姥捨て"を拒む隣の家のお爺さんも出てきました。このお爺さんは息子に邪魔者扱いされて、縄で縛られもがきながら無理やり山に捨てに連れて来られてしまいます…
最後は木下監督らしく当時の長野の「おばすて駅」の映像で終わりました。重い重い映画で、あの時代と木下、田中コンビでなければ作れなかったのではないのでしょうか…。
映画の元になった長野に伝わる"姥捨て伝説"では、姥捨てを命じたのは土地の殿様だったと書いてありました。封建制度だからとは言わず、権力とは恐ろしいものです…

1958年度キネマ旬報ベストテン 第一位
1958年[ザ・20世紀]

日本の悲劇

2006年05月02日 | 木下恵介
日本の悲劇
昭和28年 1958年 松竹
監督:木下恵介
出演:望月優子、桂木洋子、田浦正巳、上原謙、高杉早苗

戦後の8年間の男女ふたりの子供をもつ戦争未亡人のおかあさんの家族の生活を描いた作品。
冒頭のたたみかけるニュース映像に圧倒されてしまった、激しい時代。この流れは学生運動で途切れたのだろうか‥おかあさんは、ヤミゴメの運び屋から伊豆の曖昧屋(娼婦を抱える旅館)の女中へと生活を支える為に仕事をした。そのプライドもへったくれも無いたいへんな生活がなんともリアルに描かれていきます。だけど子供たちは高学歴に育ったがゆえに母親を軽蔑するようになってしまう…娘さんも色々なことがあってひねくれてしまう。
戦後は大変だったと良く聞くが、どんなふうに大変だったかわかるような気がしました…

1953年度 キネマ旬報ベストテン 6位
1953年[ザ・20世紀]

木下恵介の遺言

2006年04月21日 | 木下恵介
WebマガジンのSlowTrainさんで木下恵介監督の木下恵介の遺言が紹介されていました。

「ボクは今、いわゆる芸術作品を作ったり、作家として自ら高めようなんて気はさらさらない。〔……〕日本映画が片隅の娯楽になってしまったのも、真面目な大衆の切実な問題を取り上げなかったからなんだ。作家というよりまともに生きている大衆のひとりとして、1年1年ひと月ひと月が貴重な年齢になってきてるし、言うだけのことを言わなくちゃ、自分自身これから生きていくことが虚しいもんな。映画という形を取るのは、たまたまボクが映画監督だったというに過ぎないさ」

コラム、映画は大衆の為に

社会派監督と評されることも多い木下監督の言葉は心に響きました。
私は未読なのですが、ぜひ読んでみたい本です。


新喜びも悲しみも幾歳月

2006年01月09日 | 木下恵介
新喜びも悲しみも幾歳月
1986年 昭和63年 松竹、東京放送、博報堂
監督 木下恵介
出演者 加藤剛, 大原麗子, 紺野美沙子, 植木等

加藤剛とその妻大原麗子、加藤の父親の植木等、加藤の3人の子供達の生活を描く。主役は植木等のじいさんか。
じいさんは小学校の元教師で転勤が多い息子の勤務先に旅行し写真に写すのが楽しみ。旅先で傷心の女紺野美沙子と出会う。自殺しようとしていた彼女だが、灯台の岬から飛び込むのが怖くなり、自殺はやめる。

経ヶ岬灯台・経ヶ岬レストハウス

彼女は加藤剛の部下の同じ燈台守の男と結婚する。彼が勤める海の上の小さな岩の島の水ノ子島灯台は凄いと思った。

水ノ子島灯台(水の子島灯台)・写真満載九州観光

じいさんは養子だったが、妻と上手くいかずに老年にして籍を抜く。彼は晩年を息子夫婦と過ごすことになる。夫婦の長女は海上保安庁のヘリコプターのパイロットと結婚する。ある日、家族や友人たちと久しぶりに食事会が開かれる。全員勢ぞろいしたところで、写真を写せと言うじいさん。じいさんは事あるごとにお嫁さんを褒めます。じいさんは『最後に見たかった安芸の宮島』を船の上から見て、この時は『写真は写すな』と言う。『最後に全員で撮った写真があるだろう』と。その後にあの世へと旅だつ。

世界文化遺産宮島

長男は海上保安庁の船員になる。海上保安庁のパレードに船員として参加した息子を見た母親は『戦争に行くんじゃなくて、良かった』とこぼします。
じいさんと同じ啄木好きの最年少の息子は、『少し変わったのがいたほうが、面白くて良いのよ』とお母さんに思われている。『啄木の良さが判るなら、これをお前に預ける。悲しい思い出になるから、わしが死んだら燃やしてくれ』と言われていたじいさんのアルバムをじいさんの言葉どおりに浜辺で焼こうとする。『これは僕のだ』と言って焼くのをやめる。このシーンで映画は終わります。

高度成長後の日本を映し出した木下監督74歳の作品。
しみじみと良いなあと思える作品でした。昭和を撮り続けた監督の作品は、過去から物語が始まり映画を作成した時点にたどり着いてラストシーンを迎えるものが多いようだ。初期の『陸軍』にしてもそうだし、老人の回想で語られる『野菊の如き君なりき』も。だからその時代を生きていない人が見ても、その時代の雰囲気が何となく理解できるのだろう。

香華

2006年01月08日 | 木下恵介
香華
1964年 昭和39年 松竹
監督 木下恵介,
出演者 岡田茉莉子, 乙羽信子, 加藤剛, 田中絹代, 三木のり平

芸者に身売りされた岡田茉莉子演ずる娘の人生。半玉というらしい。母親の乙羽信子は男にだらしなく、妻を務める辛抱も無いので女郎屋に売りつけられたりする。三回結婚した。娘は最初の夫との子供。娘は幼い頃に芸者家に売られ芸を仕込まれる。母親も女郎小屋に売られたりする。美人の娘は芸者として身請けされて東京へ。パトロンのおかげで経済的に安定するが、パトロンは彼女の三味線を聞くだけで肉体関係は無い。母親は娘の部屋に居候するがだらしないので娘は嫌がっている。また、陸軍学校の青年と付き合うようになる。母親のだらしない生活を見てきた彼女はストイック。好きになる男もストイックである。関東大震災で住んでいた家は壊れてしまう。ここで第一部完。
震災後にパトロンに宿屋を建ててもらい、女将として自立する生活を始める。この辺は芸者システムのいい所か。母親は娘に寄生していたが、尋ねてきたかつての芸者小屋?の男(三木のり平)と再婚し大阪に行く。娘が愛した軍人大学の男は彼女と結婚を望むが、興信所が彼女の母が女郎屋にいたことを突き止める。芸者はOKだが、女郎の娘はNGなので、彼女との結婚話はご破算となる。彼女は母親をいっそう憎むようになる。彼はその後に別の女と結婚して子供を作る。
太平洋戦争が勃発。短いシーンだが空襲のシーンの迫力と、破壊しつくされた街で焼け残った屋敷で、生き残ったお母さんと”お茶漬け”を食べるシーンは印象的。しばらく防空壕に住んでいたが、焼け残った値打ちものの食器で食べ物屋さんを商うことを思いつく。母親は尋ねてきた再婚相手と大阪に娘を残して行ってしまう。お店は成功して、大きな店を構える。このあたりはいかにも有吉の作品らしく、ちんけな言い方だが女性の経済的自立を描く。母親は大阪が嫌になりすぐに娘の家に戻って、あれこれとわがままを言う。終戦後、戦争犯罪者となったかつての恋人。彼女は面会をしようとするが、血縁者ではないので、なかなか会えない。ある日、面会者に欠員が出て彼女は、彼の家族の後ろから彼の姿を見て名乗り出る。そんな彼女を彼は全く無視する。その後、彼は銃殺。遺骨は米側で処理され、家族の元へは帰らなかった。彼女は大きな仏像を買い、仏間に奉納する。軍人の彼やなくなった彼女の母親の父違いの姉妹等を供養する。
ある日子宮ガンで倒れた彼女。彼女は子供を産めない体になってしまう。母親は彼女が倒れた時に、あわててかけつけようとしてジープに轢かれてついに死亡してしまう。
母の骨は母親の再婚相手と娘が半分ずつ引き取ることになる。彼女は母親が望んでいた最初の夫の墓に入れることを先方に頼みに行くが、無下に断られる。
彼女は養子を育てつつ、昭和39年を迎えてお話はお終いとなる。

日本の前近代がどういうものだったのか、なんとなく判るような気がする内容でした。結局孤独のまま一生を終える話になってしまうのは、実世界の反映なのか。いまや男も女も同じ様な悩みを持つ。

キネマ旬報 1964年度 第3位

笛吹川

2006年01月05日 | 木下恵介
笛吹川

1960年 昭和35年 松竹大船
監督、木下惠介
出演、高峰秀子 田村高廣 市川染五郎 岩下志麻 川津祐介 田中晋二 中村萬之助 加藤嘉 井川邦子 小林トシ子

戦国時代の戦(イクサ)の様子を農民夫婦の人生を通して描く。戦国時代なのでショッチュウ戦をしています。田村高廣、高峰秀子の夫婦は彼の父親の代から戦国武将武田信玄(おやかた様)の治める土地の川沿いのホッタテ小屋で生活をしている。彼ら一族は領主のおやかた様から色々無慈悲な仕打ちをうけるが、彼らの息子達は『おやかた様にお世話になっているだ』と言い、夫婦の『昔から、オレたちはおやかた様に酷い目に合わされ続けてきただ。』の問いただしも聞かず、逆におやかた様を尊敬してついていってしまう。息子達はたび重ねて戦に参戦し、娘も城勤めに取られてしまう。戦はおやかた様側の負け戦となり、終に夫婦の子供は戦や処刑(坊主と一緒に焼き殺される)で全員死亡。お母さんは息子達を連れ戻すために逃走中の軍に着いて来たが、孫も戦に巻き込まれて惨殺されてしまう。生き残りは年老いた田村高廣さんが一人で、川で米を研いでいるシーンで幕となる。
戦国時代の『陸軍』といった感じの作品でした。戦国武将なんて所詮こんな奴等なんじゃないの?美味しい汁を吸おうとして貢献しても、いいように使われちまうんじゃないの?と言っている。皆様もお気をつけあそばせ。アップのシーンが極端に少なく、TVだと役者の顔がよく解からず。岩下志麻さんのデビュー作らしい。

キネマ旬報1960年度 第4位

女の園

2006年01月04日 | 木下恵介
女の園

1954年 昭和29年、松竹
監督 木下恵介
出演者 高峰三枝子, 高峰秀子, 岸恵子, 久我美子

昭和29年あたりの京都の女子大学の学生vs大学側の闘争を描く。これ以前にも京都大学で警官ともみあうなどの事件も有ったらしい。この段階では後の学生運動とは異なり政治色は薄くまだ学園ドラマの感もある。

あらすじ

主な舞台は女子寮。高峰三枝子さんが厳格な寮母。高峰秀子さんは少し勉強についていけない女学生、岸恵子さんは普通の娘さん、久我美子さんは財閥の娘、あと今一人女学生のリーダー的な人物が登場するが女優さんの名前は解りませんでした。秀子さんは銀行に勤めたあと事情があって大学に入っている。ブランクの為勉強が遅れ気味。彼女には愛し合っている恋人が東京にいるが手紙を検閲されるなどの妨害あり。親の進める相手を拒んで、その理由付けで大学に通わせて貰っている所もある。恵子さんはまあ普通の学生さんで、おきがるに恋愛をしたりする役。美子さんは財閥の娘で、親が学校に寄付をしたりしているので、優遇されている。頭でっかちだが一生懸命である。彼女から『戦争の後でもうまくやって、家は結構儲けたのよ』とか、ラストの近くで、『当時の再軍備の為には平和運動は邪魔。平和運動は良い悪いは別にして、潰しにかかるのよ。』などの財閥令嬢の視点の重要な台詞がある。戦前戦後共通でアカは差別の対象のよう。財閥令嬢ゆえに皆から認められない面もある。

色々あって、ついに寮則の改善を求め学生と学校は全面対決となるのだが、それで数人が停学などの処分になる。恋や闘争、勉強や親からの仕打ちに神経をすり減らせてノイローゼ気味の秀子さんは終に自殺をしてしまい、学生たちはいっそう盛り上がる。

*

全編シリアスで、前半は学園ドラマ、途中から高峰秀子、田村高廣主演の恋愛映画になる。姫路城と蒸気機関車からハンカチを振り合う別れのシーンは見入ってしまう。
高峰三枝子さんの寮母は、若い頃に不倫した経験もあるが彼女からは『普通に人を好きになっただけ』とゆう主張もある。悪役の感じでは無く、一人身ゆえの規則を守る職業女性をまっとうしているだけの感もあるが女学生に対しサディステックな感じもある。横溝正史 や江戸川乱歩に出てきそうな女人である。彼女は亡くなった秀子さんと恋人の悲劇的な再開に泣き出し、久我美子さんに『ウソ泣き!』と一方的に攻められてしまうのですが、それも酷な感じがした。これも木下監督ならではの視点の置き方ゆえ感じられたのだと思います。

キネマ旬報1954年度 第2位(1位は同じ木下監督の「二十四の瞳」)

カルメン純情す

2005年12月09日 | 木下恵介
1952年、昭和27年 松竹
監督:木下恵介
主演:高峰秀子
カルメンの続編は白黒映画でしたが、映画の画面はそれまでの松竹-小津安二郎的なタッチ(でもないか…)とは異なりとても実験的で、カメラは殆どの場面で登場人物達を斜めに映し出します。
東京に戻ったカルメンは浅草のストリップ劇場で踊っています。相棒の女性は既に子持ちで、女剣劇師として九州とかを回った経験がありますが、途中で男に逃げられてしまいます。長屋のような集合住宅で二人は暮らしていますが、赤ん坊の泣き声がうるさいなどの苦情を受けて、子育てにうんざりしてしまいます。この彼女たちの住んでいる部屋での会話シーンのカメラアングルもへんなアングルが多く、斜め、ベットの下から寝転がったカルメンを写す等構図等、ほとんどヘンです。
結局、彼女達は国会議事堂の近くで、目覚まし時計付きで子供を捨ててしまいます。目覚まし時計が鳴り出し、捨てた場所の前の家の人に直ぐに拾ってもらいますが、この家が変な家で、息子は前衛芸術家(キュービズムぽい)でアトリエはヘンなオブジェがたくさんあり、流れる音楽も前衛音楽をバカにしたようにヘンテコです。お手伝いさん(原爆で身内を亡くしている原爆恐怖症の人)やお母さんといった女性陣の家族達はホルスタイン模様のヘンな服を着ています。心改めた母親は赤ん坊を連れ戻しにこの家を訪問し、赤ん坊を育てる決意をするのですが、カルメンはその前衛芸術家に恋心を抱いてしまします。芸術家のほうは心の中ではカルメンを馬鹿にしています。
この芸術家には婚約者がいるのですが、この三好榮子さん演じる婚約者の母親(熊子)が日本映画史上最強かとも思える強烈なキャラクターです。陸軍大尉かなんかの未亡人の女性で、口と顎にちょび髭を生やし、胸に日の丸を付けて君が代を歌い、衆議院選挙に立候補する政治家の設定です。彼女の登場後はカルメンも彼女に食われてしまう印象がありました。婚約者の娘は男遊びがひどく、芸術家のほうも彼女の資産が目当てで彼女と結婚することに決めているようです。彼には子供を生ませた別の女もいます。
カルメンは彼の絵のモデルになったりして彼に恋をしてしまいますが、やがて彼の絵のモデルやストリップショーで裸になることが恥ずかしくて出来なくなってしまいます。ある日ストリップ小屋で裸にならず、舞台をメチャクチャにしてしまいクビになってしまいますが、カルメンはバレエの練習を初級クラスの子供達と一緒にしたりして、真の芸術家をめざします。収入が無くなったカルメンは『とにかく生きていくしかないよ』と生活の為に仕事をしますが『パイパンだけはやらない。あれは女の屑だ』と言います。
稼いだお金で彼にプレゼントをあげたりするカルメンですが、熊子に説得されて彼から身を引く決意をします。熊子はカルメンを芸術家の子を生んで彼に付きまとっている女と勘違いをして、手切れ金を払うなどと言いますが、もともと純なカルメンはそれを拒みます。カルメンも「芸術家も私のことが好きだが事情があって私とは一緒にはなれない」と勘違いをして、一人で恋物語の中にいます。
ある日カルメンは、日本の再軍備を主張する熊子の選挙演説に、バイト中のカエル?のヌイグルミ姿で引っ張り出されてしまいます。熊子の応援演説をいい加減にしてして野次られシドロモドロになっていた芸術家を、彼女は『ステキな人です』と弁護したりします。
結局、熊子は衆議院に当選してしまいますが、カルメンは相変わらずヌイグルミ姿で街を歩いていて、熊子に首にされた芸術家の家のお手伝いさんに『あなたなにやっているのよ!』と突っ込まれた所で映画は突然『第2部完』『カルメンがんばれ!』のテロップと共に終わってしまいました。
『野菊の如き君なりき』などの文芸作品とは180度違うドタバタコメディーで、軍部、GHQに縛られずに自由に映画を作成出来るようになって、遊んでいる感じがします。『戦中、戦前から完全に脱却してやる!』の決意があるかのような。考えすぎかもしれませんが、画面が斜めなのは、『戦争が終わったのに、我々はこんなことをしていて良いのか?、おかしいぞ。』と製作者が首をかしげているかのようにも思えます。『相変わらずバカなことをやっている奴等がいるぞ。』みたいな。
この作品の続編は大変残念ながら作られなかったそうですが、発表当時観客に受けたのかなど、知りたくなってしまいました。

*GHQアメリカ軍占領:1945年敗戦後~1952年4月28日
http://ja.wikipedia.org/wiki/GHQ

キネマ旬報 1952年度 5位

カルメン故郷へ帰る

2005年12月07日 | 木下恵介
1951年昭和二十六年 松竹
監督:木下惠介
出演: 高峰秀子

戦後6年目の日本初のカラー作品の映画らしい。松竹30周年記念作品とある。
田舎(軽井沢)に東京で芸術舞踏家(本当はストリップ)をしているあっけらかんとしたハイカラ娘達が帰ってくる。父親はこの娘を許せない。娘の一人は村の青年に恋をしているが、思いは伝えられないといったシャイな一面もある。めしいの貧乏芸術家が登場人物の一人で、この人を悪気は無いが娘達は傷つけてしまう。
この頃の軽井沢は別荘・リゾート地とゆう雰囲気ではなく牧畜業が主な産業だったよう。そのかわり、地元の開発者(鉄道リゾート業)・政治家らしい人物が出てくる。(堤一族がモデルか?)
この人物は娘達に田舎でストリップショーをさせ一儲けする。このストリップショーのシーンはコミカルでおもしろく、全く悪びれずに娘さんたちは明るく踊ります。
風俗はモンペははいているが、和服の人はおばあゃん以外出てこない。娘達はショーで得たお金をお父さんに全額あげてしまう。そしてお父さんはそのお金を学校に寄付。校長先生はそのお金をめしいのひとの借金返済などに充てる。
戦前の映画のスタイルだが、色が着くことで新しい印象がある。この時代の都会のカラー映画も見てみたい。 

オールロケロケシーンが多い理由は以下が詳しい。

Wikipedia

キネマ旬報1951年度 4位