あとだしなしよ

Japanese text only..
落書きブログです。
報道記事の全引用は元記事消去への対応です。m(__)m

Eun-Ha Paek

2005年11月30日 | Art
Eun-Ha Paek→
韓国の女性映像作家。 Veda HillesのVideoクリップ作成でその名を知る。

http://www.eun-ha.com/

Flashで作ったと思われるアニメーションが見れます。The Residentsのビデオもあった。
日本の漫画・アニメーションの影響もあるみたい。

大曽根家の朝

2005年11月30日 | 木下恵介
1946年 昭和21年 松竹
監督:木下恵介
出演:杉村春子

太平洋戦争中の平和思想の夫の未亡人の裕福な家庭の話。この家庭は軍人の家系である。
冒頭はクリスマスのシーン。この一連のシーンで、長男は平和思考のため思想犯で逮捕され、続いて長女の婚約者も徴兵?で彼女から離れていく。次男は絵描きを目指すも徴兵された。
二人の息子がいなくなった家庭に、軍人の叔父が乗り込んでくる。この叔父は特攻、科学兵器の工場の管理者で戦争/侵略でかなり儲けていたよう。この叔父夫妻と母子3人の生活が主に描かれる。
娘は叔父の世話もあり軍事系の事務所で働き、三男は叔父の影響もあり志願兵となる。大戦中に次男は広島で病死する。
終戦の日の前夜、長女は叔父の配給横領を目にし我慢できずに家出をする。この直後、三男が特攻兵として殉死したニュースが母に入る。叔父は終戦後に米軍の配給も有利に得られる立場だったようで、米軍の配給をおかあさんに差し入れしたのがお母さんの激怒のきっかけとなる。
周りに合わせて生きてきた杉村おかあさんが目覚め、叔父を叱責する。これに平然な顔をして食事(ナイフとフォークでステーキ食ってる)をし、私は一介の軍人だと弁解をするが、おかあさんの「出て行け」の台詞には応えたようだがその後のシーンは描かれていない。(今の日本を動かしている人達はこういった人達の流れを汲んでいるのでしょうか…)
ラストは思想犯だった長男がGHQにより解放され、長女と婚約者と共に明日を夢見るとゆう、とってつけたようなラストであった。
戦後1年目にGHQの監視下におかれて作成されたようで、複雑な感想がある。

キネマ旬報で1位になった映画だそうです。

陸軍

2005年11月29日 | 木下恵介
「陸軍」  (1944年松竹)

監督 木下恵介,
出演者 田中絹代, 笠智衆, 杉村春子, 上原謙

話は西南戦争?の明治時代から。
爺さん(商人)→父さん(軍人)→子供(軍人)とゆう軍人系の家族の生活を追った話です。太平洋戦争中に軍の監視下で作られた映画なので、かなり軍国主義な映画です。(軍の検閲にひっかかり、オクラ入りになったとゆう話もあるそうな。)田中絹代のおかあさんが名演技。ひ弱だった男の子が、おかあさんに叱られながら軍隊に入り、出兵するまでの成長が描かれる。
ラストシーンはやはり群集シーンで、息子が居なくなって、家でぼ~~として抜け殻のような顔をしていたおかあさん(かなりの長回しでおかあさんを撮り続ける)は、ふっと軍隊の楽団の音を聞き、息子のパレードを見るために転びながらも駆けつける。街のみんなも駆けつける。お母さんは息子を見つけ、人波にもみくちゃにされながらも、息子の笑顔を見て、うんうんとうなずき、ただただ涙を流すのでした(このシーンは軍国ウンヌン関係なく感動的です。木下恵介ここにありといった感じなんでしょうか。*あんまり見ていないので。
この時代の風俗は、女性は日本髪に着物、男も着物を着ている人が多かったようです。日本髪が無くなったのはやはり、敗戦後なのでしょうか。

花咲く港

2005年11月28日 | 木下恵介
「花咲く港」  (1943年松竹)
監督:木下恵介
出演:小沢栄太郎、上原謙、水戸光子、笠智衆、東野英治郎

木下恵介監督のデビュー作の映画です。(*ネタばれあり)
時代は太平洋戦争の開戦前です。
舞台になった島がどこだかわからなくて日本の植民地かと思っていたら、九州のどこかの島らしい。ペテン師と純朴な島民との物語で、このペテン師は造船関係の社長のペテン師で、出資金を募って持ち逃げをしようと企んだ。が、まわりの人があまりにもいい人達なのと、国への忠誠心に負けてぐずぐずしている間に、本当に船を作ってしまい、最後はお縄となってジエンドでした。
太平洋戦争開戦時の高揚感と、後の反撃されて被害を受けた時の人々のあわてぶりの対比が印象深く、みんな(群集)が一つの所を目指してかけて行くシーンがクライマックスになるのは、この時代の映画の特徴なのでしょうか。東野英治郎扮する出資を渋っていた人の心変わりもそうなのか。
このペテン師さんが、東宝のサラリーマンシリーズに出てきそうな人で良かったです。

追記))
舞台になった島は島原の天草とのことでした。
 木下恵介のデビュー作。戦時下の天草が舞台です。ペナンから”唐くだり”して旅館を営むおかの、同じくペナン帰りながら子はあるのに文無しのおゆき、太平洋戦争の始まりでバタビアから志半ばで戻ってきたせつ代、この3人のからゆきさんが登場します。

からゆきさんの小部屋より引用させて頂いています。

この文章を初めて書いた時は古い日本映画のことなど何も知りませんでしたが、大スターの競演だったのですね。

横浜浅野防空壕跡

2005年11月28日 | 気まぐれ徘徊記(デジカメ)
  • 場所:神奈川県、横浜市、神奈川区

    横浜浅野防空壕跡。 写真をクリックすると、説明文がご覧いただけます。

    新子安の駅の近くに、埋立地を指差している銅像がある浅野の山があるのですが、そこにありました。これと同じものが10個位あります。(横浜マリノスの練習場のすぐ近くです。) 幼いころから、たまにここを通ることもあったのですが、今で全く気が付きませんでした。ここのあたりも大変な事態であったことを知る。 なんだか、とても生々しい。



八景島

2005年11月19日 | 気まぐれ徘徊記(デジカメ)
・八景島シーパラダイス、横浜



前日、母親宅に泊まり、引き続き姉と母と八景島シーパラダイスに行く。ここは人工の砂浜。横浜には自然の浜辺は無いそうだ。貝殻とかを拾った。遊園地のあるほうと逆側のルートをお散歩する。途中でケータイの電池が切れたので写真は少ないです。昼食はステーキと海老のグラタン。ステーキのタレは美味しかった。定番の水族館でクラゲやイルカショーなどを見て帰る。母から床の間に飾ってある色紙の由来などを聞き勉強になった。11時過ぎに部屋に帰る。

六本木

2005年11月18日 | 気まぐれ徘徊記(デジカメ)
・場所:六本木、東京都、日本



帰省している姉のお供で六本木ヒルズに行く。東京シティビューで夜景を見たり、展覧会でアートを見たあと、ヒルズ周辺を散歩。東京の夜の主役はやはり東京タワーですね。昼間に来た時は海も見えてそれも良かったです。夕食のトンカツは美味でした。そのまま母親の家に帰り、写真などを見て過ごした

北斎展

2005年11月13日 | 気まぐれ徘徊記(デジカメ)
  • 場所:上野公園、東京都、日本




    北斎展(東京国立博物館)に行ってきました。
    うわさどうり凄い混みようで、ゆっくり見ることは出来ませんでしたが、空いている絵はじっくり間近に見れたので良かったです。江戸文化でも十分豊かに、楽しそうに暮らせている思いました。(最後の輝きにも思えますが…)