工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

もうひとつの「特急さくら」

2020年05月14日 | 鉄道・鉄道模型
 前回のブログで東海道を走っていた茶色い客車時代の「特急さくら」を紹介しましたが、ここにたどりつくまでにもう一つの客車編成がありまして、それが本日ご紹介するものです。
 ここで40年ほど(我ながらその年月に驚いています)時計を戻しましょう。私は父が買ってきた入門用の車輛からNゲージの世界に触れましたが、そろそろ編成ものも欲しいなあとなりました。その頃、関水金属(現在のブランド名のカトーではなく、この時代ですから関水と呼んだ方がいいでしょう)がC62とスハ44系の「つばめ」(もちろん茶色い客車です)編成などを発売していました。今どきの車輛ではなく、既に本線上では見られなくなった編成の方に私たちは興味があったのか、C62の「つばめ」は父が、EF58の青大将編成は兄(今もバリバリの鉄道趣味人です)が買い「はと」のマークをつけていました。では次男の私は、となりますが「スハ43が新製品で出たし、スハ43系で組める編成にしてみよう」となったわけです。戦後の「さくら」がスハ43系を使用していた時期があったということで私の編成は「さくら」を名乗ることになりました。ただし、客車については既に茶色い客車の編成もありましたので青15号となり、「さくら」とは言っておりましたが史実とは全く異なる編成となりました。
 関水金属のスハ44系は茶色だけでなく、青大将(現在の製品の淡緑色とは違い、白緑色という感じです)、青15号のバリエーションがありました(さすがに展望車は茶色と青大将だけだと思います)。こうしてスハフ42、スハ43、マシ35、スロ60、スハフ42を青い客車で揃えることになりました。今日のように特定日の特定編成が発売されているわけではなかったですので、モデラーは時に妥協したり、想像力を今以上にふくらませて楽しんでいたわけで「まあ、模型の世界だから」ということで何の疑いもなく、史実と違う色の客車編成が出来上がりました。
 
青のスロ60です。そもそも青く塗られていたことがあったのか、ということになりますが・・・

マシ35の青色はこのタイプではなく、GMキットに見られる資材搬入口がついたタイプが正しいです。

スハ43については、客扉が原型を保っており、現行の製品とは異なります。

 これらの客車を牽引したのは関水のEF57でした。勢力としては少数派の機関車ではありましたが、EF57はその頃引退したばかりで、製品化されたのもファンから注目されていたということがあったからでしょう。私もこの機関車の無骨なスタイルが好きで、交友社の「EF57ものがたり」を買ったくらいでした(今も私の書架にあります)。それにしても小学生でEF65-1000番台ではなくEF57が好き、というのも我ながら相当変わっていますね。模型のEF57ですが、末期の東北本線の姿ですので、東海道時代でもありません。ますますこの「さくら号」は時と場所を超えた列車になってしまいました。それでもお小遣いを貯めて、当時高田馬場にあった関水金属のショールームに買いに行ったこれらの車輛達は、少年時代の私にとっては特別な存在だったのです。

 時は流れて私も大人になり、C62の「つばめ」も、EF58の青大将も自分で購入しましたし、EF57はワールド工芸から東海道時代の完成品が発売されており、私のコレクションに加わりました。だからといって子供の頃に買ったこの客車たちの価値がなくなったのかと言えばそんなことはありません。例えば、マイクロエースから発売の試作ディーゼル機関車DF90に牽かせると意外に似合うのです。


 もともとの編成が架空のものですから、こういった試作機が牽くとなんとも言えない味があります。DF90は当初常磐線での運用にあたり、後に秋田地区にいたということですが、ここでは再び常磐線と東北本線に来ていただき、気動車時代の「はつかり」を補完する臨時列車といった設定で楽しんでいます。

 前回の茶色い「さくら」や青大将色時代の「さくら」ですが、ほとんどの形式が既存の製品で再現可能となっています。特定編成を特別企画品でリリースされているカトーさんが発売してもおかしくなさそうですが・・・。そのときはぜひEF57も東海道時代で製品化していただきたいです。茶色い「つばめ」や「はと」の先頭にも立ってましたからね。
(この記事は令和2年5月15日に一部加筆しました)

 
 
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