年令と共に嗜好も変わっていくし、好きな季節も変わってくるように思う。
以前は、秋が好きで夕暮れのちょっと物悲しい時間が、
せつない言葉をいっぱい思い起こさせ、
続く夜長に幾多の終わりの来ない物語を綴らせた。
今に想えば、あのエネルギーは何処から生まれて来たのか、
誰彼となく相手を求め、よく手紙を書いた。
ずいぶんの手紙魔で、受け手も辟易するほどの量を認めた気がする。
中に大変几帳面な人がいて、
送りつけた手紙の全てをファイルしていてくれるお人などいて、
今に至って読み返せるというようなサプライズがないものか、
などと目を遠い空のかなたに置いて思ったりするのだが、
それはない。
逆の行為は私に少しだけあって、全てではないが2,3人の人の手紙など、
その方に繋がる文章を保存していたりする。
所望されればお見せ出来るが、
やりとりの頻繁にあったその頃の気持ちに留まっている方などいないだろうし、
時間の経過はそれぞれに変化を与えるのが常で、思い出に留まるに過ぎない。
今年の春をここにブログ投稿しても、
過行く時間がすぐさま、思い出の域に押しやることだろう。
だからと言って、空しいとも思えず、だからこその今も確かに感じていて、
ここ2,3日に私の目を楽しませた‶ 今年の春 ″のページが誕生するのである。
高齢になった今は、秋より春の季節がうんと好きになっているのも感じながら。