goo blog サービス終了のお知らせ 

ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

情けなや

2015年05月25日 | 日記(?)
まずは五月晴れの中、今日の阿蘇五岳。涅槃の姿がきれいです。
最近は噴火も収まり、このまま沈静化すればいいのですが。


尾籠な話だが、先週の金曜日から腹具合が悪くなり、
おう吐はたいしたことなかったが、下痢が酷かった。
その前の週の土曜日に、孫が突然発症して、どうやらそれに感染したらしい。

孫の母親である娘の話によれば、ロタウィルスだね、と。
吐き気があまりないので、それはいいのだが下痢は酷い。
発症してからは全く食事が摂れなくて、土曜日に病院で点滴を受ける。
ほぼ水分補給の点滴だから気休めにしかならないのだが。

実は2年前の2月に同じ症状で点滴を受けている。
このときはノロウィルスで嘔吐下痢とも酷くて、
食欲が戻る日はこないのじゃないかと悲観したほどだった。
今回も、酒を飲みたいと思う日は来るのだろうかと、一瞬ではあるが思ったものだ。

3日目に下痢は止まり、しかし十分な食欲は戻らず、今朝になってすっかり食欲は戻り、
冷蔵庫の扉にある日本酒を目にして、「飲みて~」と思うあたり完全復活である。
ま、浅ましいといえば浅ましい。それでもこれが酒飲みなのです。
酒を飲めないときは、本当に調子が悪いんですよ、奥さん。

病は気からというが、気は病からでもあります。
気力体力とも充実していないと、旅もできません。

今回の件で、一番情けなやと思ったのは、
2年前のノロウィルス感染も上の孫から感染したもので、
その体験が少しも学習されなかった自分のことであります。
娘と妻はあんなに孫に接していて感染していないのに、
私はいとも易々と感染してしまい、本当に情けないのでありますよ。

それとも、女は感染しないのかね。ちょっと鈍いんかなぁ?
前回も今回も、孫はどちらも男の子で、私も一応男だし、
男って結構デリケートなのかもしれないなぁ、なんて気慰めしている自分が
やはり一番情けないのでありますよ。

さて、ホテル角万の交差点から大観峰を奥に望む並木道。
日に日に緑が濃くなっていきます。

入院生活て、どう?  -番外-

2015年03月04日 | 日記(?)
先日、退院後初めてのCT検査に行った。
退院前との変化はなく、今後は月1の割合で、検査しましょうねということになった。

その後、入院中のことで、いくつか思い出したことがある。
まず、手術直前にCTを撮ったのだが、
胃の中のものを吐瀉したため、MRIの検査もしたのだった。
これは、くも膜下に異常がないかの検査だったらしい。
それが正常だと分かったので、手術ができたのだ。

阿蘇医療センターにおける手術が、どの範囲まで可能なのかは分からないが、
大がかりな手術は無理らしい。

一度外来患者さんのためにヘリコプターが来ますとの館内放送があった。
外来患者を迎え入れたのか、それとも他の病院に搬送したのか、多分後者だとは思うが・・・。
阿蘇郡市内の病院との連携、さらには熊本市内の大きな病院との連携を目指して、
緊急処置の必要な患者をスムーズに治療するというのが、
この阿蘇医療センターのコンセプトではないかと思う。

だから、私の疾患も手術に2人以上の医者や麻酔医が必要なものだったら、
きっと熊本市内の病院に搬送されていただろう。
そういう点では非常に運が良かったという他はない。

退院してよく言われたのが、「あら、頭は坊主じゃないんだ。」
手術の時は患部の髪の毛をほんの少し短くしたくらいで、ほぼそのままの状態だった。
元々短髪ということもあって、手術前とあまり変わりなく、
会う者のほとんどが、「あれ、どこ?」と不審げに頭に視線を向けるのだった。

入院しているとき、後半は傷口が癒えるのを待つだけの退屈の日々で、
1階まで階段を使って、よくコーヒーを買いに行っていた。
コーヒーは金を入れてから豆を挽いて抽出する方式なので、結構おいしかった。
一度物珍しさにバナナオレなるものを飲んだが、あまりに微妙すぎてコメントできない。

さてこれくらいで、入院生活の顛末には本当におさらばです。

入院生活て、どう?  -7-

2015年02月23日 | 日記(?)
さて、入院生活で感じたこといろいろ。
30数年近い昔、目の手術で入院したことはあるが、入院はそれ以来である。
物珍しいことや初体験もいろいろとあった。

まず、ナースコールについて。
看護師さんは大変だなぁと思わずにはいられない。
ナースコールが多いのは、時間帯があって、食事の前後に集中する。
朝早いときは、5:30くらいから7:00くらいまで、ひっきりなしになっている。

阿蘇医療センターのナースコールは、2種類の音楽で、
多分東側と西側という風に病室の位置で音楽の種類が分けてあるのだろうと思う。
看護師の数は限られているので、対応しきれずに30秒ほど鳴り続けていることもある。

高齢者が多いのも関係があるのかもしれない。
歳を取ると、こらえじょうね(熊本弁で、辛抱する気持ち)が無くなるのだ。
ちょっと待てができない。

最近のナースコールは音楽もさりながら、看護師さんの持っている携帯機器で止めることができるのだ。
進んでるなぁ。

次に男子用尿器。昔は溲瓶と言っていた。
手術後は、先に書いたように各種チューブ等で繋がれているので、寝たままの状態。
ということは、尿は尿器で取らねばならない。
まずは下半身だけ横向きになって、細君に頼んで、先っぽから半分くらいを尿器に差し込んでもらい、
その状態で尿をするのだが、最初はなかなか出ない。
そういう姿勢で出したことがないので、上手く力が伝わらないのだ。

最初は失敗。多分もっと尿意が強くなれば出るだろうということで、
2時間後くらいにはうまくいった。
男の場合、自分のものは自分でつまんで用を足す、という習慣がついているので、
たとえ細君であってもひょいと摘まれて、尿器に誘導されるというのは微妙な感覚なのである。
それでも点滴をしているし、出るものは出る。諦めてお任せするしかないのだ。
こんなときは、俺は病人なんだからと開き直るのが精神的には一番いい。

次に看護師さん。
あんなによくしてくれたのに、もし辛口なところがあったらお許しを。悪気はありません。
看護師さんにもいろんな人がいて、そりゃあまあ、患者様もいろいろですから致し方ありません。
天使にも出会いましたが、もうちょいな天使もおりました。
寡黙で無愛想な天使(男ですけど)もいれば、饒舌でおしゃべり好きの天使もおります。
総体的に、旧中央病院の時よりは、病院の教育が行き届いたという感じで、
タメ口天使もほとんどいなくなって(時には勘違い屋さんが)います。

ただ入院して1日中病室で過ごしていると、看護師さんの仕事の大変さだけはよく分かります。
勤務時間もばらばらで、よく身体が保つなぁと感心してしまいます。
私なんぞは、気が弱いから、なるべくお手数かけまいと努力しておりましたが、
遠慮会釈無くお手数をかける患者様もいるのでして、
それでも小言一つ言わず、笑顔を絶やさず、対応してくれる(ない人も時にはおります)のです。

私の病状の進行状況も看護婦さんがいち早く先生に進言してくれて、おかげで早期の手術ができたのです。
感謝こそすれ、苦言を呈するようなことは何一つありません。
本当にお世話になりました。

これをもって、今回の入院生活の顛末を終わります。

入院生活て、どう?  -6-

2015年02月22日 | 日記(?)
さて、食欲もかなり回復し、動き回るのもOKということになって、
ホチキス針で留めた傷の回復待ちとなると、退屈きわまりない。

しかし、自治会の総会資料作りがある。
パソコンを持ってきてもらって、監査資料作りを先に済ませる。
予感でもあったのか、入院前にかなり作業が進んでいたので、苦労せずにできあがった。
来週は資料のすべてを作らないといけないが、一部を娘に頼み、後は自分で作成する。

資料ができるとすることが無くなる。
家から本を持ってきてもらっても、すぐ読んでしまい、図書館が休業中で本もままならない。
さすがに病院だからネットには繋がらない。
暇に任せて病室の絵など描いてみる。


妹尾河童氏に習って、414号室の俯瞰図らしき図。
左が出入り口、右の窓からは阿蘇山が間近に見える。
左上が洗面台で、隣のブースがシャワー室とトイレ。
右にベッドがあり、窓際にはもの入れとテレビ。
昨年8月の開院なので非常にきれいで快適だった。

毎日階段を使って、1階まで行き、自販機のコーヒーメーカーでコーヒーやココアを購入。
階段を上るのが日課になった。
足の筋肉の弱体化は顕著で、少しは歩かないと退院してからが困る。

10日にCTを撮って、先生が退院は11日の休日午後にしましょうということになった。
やっと家に帰れるが、後半は快適な入院生活だったので、
このままがいいなぁという気持ちもよぎる(笑い)。
阿蘇の冬はまだまだ寒いのだ。
山はまだ雪を抱き、平均23度の部屋で2週間過ごした身体は慣れるだろうか。
なーんて思ってしまうのだ。実際はなんてこと無く順応するのだが。

ということで2週間の入院生活は終わりました。
辛くて、痛くて、最後には快適で、一応何事もなく終わりました。
まだ、まだ経過観察が必需ですが、一応退院です。
先生、手術室の看護師さん、4階のナースの皆さん、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

入院生活て、どう?  -5-

2015年02月21日 | 日記(?)
傷口が塞がって、痛みもたいしたことなく、起き上がることができても、
食欲は全くない。まず、何か食べ物を頭の中に浮かべても、ムカムカ感の方が多い。
食事は普通食で提供されるが、ほとんど食べられず、細君の食事で消えて行く。

点滴を打っているので、栄養的には問題ないと言われるが、
やはり食事を取らないと痩せては行く。
術後2日目の夕方には起き上がれたが、チューブ等に両手を繋がれて、トイレに行くこともできない。
小便は、専用の小便器に寝た状態で取っていたのが、
起きるだけはできるので、出もよくなって楽になったが、やはり不便である。

夜には、我が儘を言って、1時間ごとに締め付けられる血圧計だけは外してもらった。
せっかくの睡眠剤も1時間ごとに締め付けられては、うっかり寝もできない。
これで、何とか眠ることができたが、両手が繋がれている関係で、寝返りも慎重になる。

さて、術後3日目も食欲はない。
細君も、いろいろ持ってきてくれるが、ご飯自体が食べられない。
昆布や海苔の佃煮で、何とか食いつなぐ状態である。
この日もまだ点滴と機器のチューブはとれず、しかし気分はまあまあではある。

術後4日目になると、少しは食欲が戻っている感じがする。
さらに看護師さんが先生に問い合わせて、バイタルチェックの機器が外される。
感謝。
これで点滴だけになり、自分でトイレに行けるようになる。
頼めば、点滴を外してシャワーを浴びることもできる。

と同時に食欲が出てきて、普通食のご飯230グラムの半分くらいは食べるようになった。
おかずも少しは食べるが、細君が持参した佃煮や梅カツオが美味い。

ずいぶん食べられるようになったからか、術後5日目に点滴が外された。
これで完全な自由の身である。
院内を歩いてもいいという許可も出る。
この1週間くらいでずいぶん足が弱っているのを実感する。
動けば食欲も復活するだろう。
後は傷口が癒えるのを待つだけである。