古い模型ばかりなんです。 久しぶりに「あさかぜ1号」を走らせようと思えば車輪が老化して外れたので交換しました。 ACEカプラーも古くなると頭が折れるので定期的に交換してます。 組み立て済みなのがありがたいところです。 老舗ですから。
「妙高」で運用されてたオハ352601は近代化改造されてましたが茶色Hゴムという個性的な車両でした。 信越線の運用なので電気暖房付きですが電気暖房のトランスの位置が丸屋根客車は中央の梁についてた記憶があります。 地元にスハ422047があるので休みの日に見に行こうと思います。
模型の製品化は原図を基本にしてます。 スハ43のドアでプレスのタイプはほとんど見たことがなく 九州に多い木製そして画像の鋼板製がほとんどでした。 カトーの「近代化」が一番近い姿です。
状態の悪いオハ35を購入しました。
解体しました、室内灯をこうしたい気持ちがわかります。
状態がよくありません。 テスリは金属製に交換し再塗装します。
近代化仕様にします。
縁なのか吉祥寺の古書店で購入しました。 裾が絞られてない3000系です。 アンチクライマーがついてるのはステンレスの車体の修理が大変だからでしょうか。
先日、先輩に「EF61の茶色はあさかぜを引いてたんだよね。」と聞いたのでこの画像。 奄美屋のキットを組み立てたのがあるから、久しぶりに走らせよう。
本日発売分です。
「サンライズ出雲」が伯備線を走る画像です、 桜咲く4月は日が高いですね。 6月に乗ったときは夏至の後でしたので京都を過ぎれば夜が明けて阪神間は懐かしい景色が広がってました。 22時ごろに東京を出発しスーパーで求めた総菜と焼酎で酒盛りし多摩川を越え川崎横浜で神奈川県を越えた記憶なく、米原の駅名を見て「西日本」エリアに入ってました。 繁忙期に出かけたのでよく眠れました。 動画サイトを見てると「サンライズ」は女性の投稿が多く個室寝台の画像はよく見るので自分はノビノビ座席でした。 こんなオヤジ襲っても仕方ないし空いてたし。 今から思えばノビノビ座席は青函連絡船の2等座敷に似ていました。 チューリッヒからハンブルグまで寝台車に乗りましたが、欧州の寝台列車に連結される座席車はゆりかごのような形でした。 椅子の文化、畳の文化の違いですね。 サンライズにはまた乗りたいですが、今度は寝台車かな。
甲子園、荒れてるだろうな。
鋼板ドアを木製のドアに交換したタイプです。 スハ43 593と違うタイプのドァです。最終配置(国鉄時代)は鳥栖、昭和49年3月31日の配置表では門司でした。 元はスハ43 407で昭和29年、日立製で長崎配置です。 1963年オハ47に改造。 1986年10月、鹿児島本線原田駅で撮影しました。 改造時期からするとTR47をオハネ17に召し上げられたのでしょう。
窓ガラスは裏から白を吹きます。 車体周りの工作はスハ43593と同じで洋白のドアを貼り付けてテスリを真鍮に交換しました。
時間ができたので部屋の模様替えをやってます。 冬場は暖房はほとんど使わないのでエアコンのついてない部屋で寝起きしてます。 真ん中の部屋は窓がなくエアコンがつけられるようになってますが、夏場は物置となってます。 今の部屋はパソコン作業をやって飲み食いの部屋になります。 寝てるのがソファーベットなのでもう一つの居間というところでしょうか。
寝場所を作るのにベットの上に積んでる荷物(模型)を置くのに棚を作ります。 2400mmのアングルを部屋にあわせて2000mmに切断します。 建築材料は300mm単位で発売されてます。 一端をクランプで押さえてます。
切断面は砥石でしあげます。 工具は秋葉原や東急ハンズ、ホームセンターでで購入しますが、この砥石は30年以上前に浅草で購入しました。 国際通り沿いの店で「といしや」ですが、グーグルのストリートビューで見ることができます。 久しぶりにデンキブランとモツ煮でも食べに浅草に行こうかな。
鋼板ドアを木製のドアに交換したタイプです。 最終配置(国鉄時代)は熊本、昭和49年3月31日の配置表では都城でした。 昭和29年、日立製です。 「日南3/1」のも運用されたと思いますが、換算が0.5増えます。 1988年5月、鹿児島本線瀬高駅で撮影しました。
フジモデルの部品を使います。 このままですと交換できないので、大きいやすりでバリ取りをして、細かいやすりで整形します。
いい感じです。 テスリはエコーモデルに交換します。 接着剤が乾くまで一晩おきます。
120号で完結のようなので60号は道半ばです。 本日発売分です。 明日が祭日なので繰り上げです。
7年前「あけぼの」に乗りましたが高崎線・上越線経由でしたので通った液です。 国鉄時代に原田から上京したオハネ1229を見に行ったのが最初です。
画像は1986年10月、原田駅で「ながさき」の廃止から2年半以上留置されてました。 しばらくして2両のオハニ36と共に東上しました。
高崎駅は新前橋駅と共に「客車が見れる液」です。 オハニ36や12系客車が見れます。 久しぶりに碓井鉄道文化村と共に行きたくなりました。