とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

20年ぶりの広島 1日目

2015-10-27 23:30:00 | 日記
 長崎は修学旅行と昭和最後の年、そして「あかつき」廃止のときと3回行きました。 修学旅行はともかくあとの2回は「あさかぜ1号」「あかつき」絡みですが、それなりに滞在時間がとってあるので、「長崎原爆資料館」と「出島」は見学する機会がありました。 広島はこれまでに1回したことがいったことが無く、それも繁忙期だったので6時間しか滞在せずに次の目的地に向かったので、平和記念資料館と原爆ドームを見るにとどまり、「あさかぜ」で着いて13時の飛行機で鹿児島へ向かうという予定でした。 その日の夕方の「桜島」で新大阪に戻ったので、翌日の下り「あさかぜ」とすれ違うということです。

 便利な世の中になったもので、You TubeでNHKスペシャルの「きのこ雲の下でなにが起きていたのか」を見ることができました。 原爆投下3時間後の画像に写ってる女学生が動員学徒で父と同じ歳でした。 避難して御幸橋にたどり着いてそのときの状況を話されていました。 「一生忘れられない」ことが画像のまん中の赤ん坊を抱いた女の子で「起きて、起きて」と叫んでいたことです。 画像を解析したら、赤ん坊は黒こげで女の子も大火傷を負ってました。 「かわいそうで、かわいそうで、でもどうしてやることもできんかった。 一生忘れられない、死ぬまでもっていく。」という言葉が心に残りました。



 資料館も見て御幸橋にいきたいと思いお供と旅立つことにします。 町田で待ち合わせして博多行きの「のぞみ」で広島には10時過ぎに到着、雨でした。

 20年前に広島に来たときは賑やかで道路も広く「すごいまちだな」と感じました。 津や和歌山と同じように「地方都市」と当時は思っていましたが全然違う、「あさかぜ」で降りる準備をしていたら操車場がとても広い、駅も大きい。 町に出れば住んでる政令指定都市の中心地に路面電車が走ってる、それも京都と違いかなり速度を出している、そんな印象がありました。

 天候は資料館の見学に差し支えないので時間をかけてみてホテルにチェックイン、遅い昼食はお好み村です。 電車で広島に戻れば土砂降り、藤原模型店に向かいます。 タブレット時代に通販でお世話になった話をして資料を渡します。 雨は弱まらずタクシーでホテルに戻りお供は朝が早かったので夕寝、自分は温泉に出かけます。 夕食は広島名物の店、瀬戸内の魚と酒を堪能しホテルにもどり長い1日が終わります。
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