とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

49-4から50-3までのオロ11について(オロ11の終焉)①

2021-09-17 23:00:00 | 客車・貨車
 昭和49年4月に改正があり、その翌月の時刻表です。 日豊本線が宮崎まで電化されました。


 この当時、朝方東海道線を上る列車でひときわ目立つ列車がありました。 窓の大きなグリーン車を2両連結してた「日南1号です。 前年に末端区間でC57が引いて話題になった列車ですが、50-3改正で山陽筋の急行列車はほとんど整理されてしまいました。 

 スロ54やスロ62よりも新しいナロ10→オロ11が一番に淘汰されたのは冷房時に屋根を低くしたがために車体の老朽化が早まったと聞きます。 マロ55のように床下にクーラーを吊ってダクトで冷風を出せばいいと思いますが、12系以降の客車がすべてクーラーを屋根沖にしてることから、コストの点があったのでしょう。 



 表紙が見にくいですが昭和49年3月31日の配置表です。 この配置表によれば品川と竜華に各3両で定期運用を持たず団体用と思われます。 竜華のオロ11は臨時「きのくに」で運用されてたのでしょう。 そして長崎の4両は京都~長崎の「雲仙2号」、鹿児島の15両は「桜島」「高千穂」「かいもん」「みやざき」用で鹿児島配置の15両は複雑な運用で鹿児島→門司港→鹿児島→東京→鹿児島という運用でした。 民営化されてからでも「はやぶさ」「なは」の基本編成が鹿児島→大阪→鹿児島→東京→鹿児島で運用されてました。 「はやぶさ」で上京したオハネフ25の原型が新製配置が向日町でした。 都城配置の7両はあの「日南3/1」です。 このうち「日南3/1」がオロ11が2両連結されてますので「6両使用で1両予備」(編成3本)です。 鹿児島局に多く配置されてるのは線路規格が鹿児島本線八代以南や日豊本線の線路等級の関連でしょう。 またナハ10(11)も多く配置されてます。

 余談ですが生まれた時から昭和40年に宮崎県から兵庫県に引っ越すまで煙を出す車両の記憶しかありません。 また都会の人は「電車」と言うのですが。自分は「汽車」と言ってしまいます。 3年前に実家の墓参りに行ったときですが、そんなに高齢でない多分自分よりも年下のおばさんが「〇時の汽車に載るからよかね。」と話してました、



 時刻表末尾の編成表を見ますと、手持ちの昭和49年の7月号も編成の変化はなく、夏休み輸送も変化がなかったと思われます。 参考にしました時刻表は昭和49年が5月・7月・10月・12月、そして昭和50年が1月・2月です。 
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