とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

小田急と国鉄→JR連絡線

2023-06-29 18:00:00 | 日記

 小田急と国鉄は新宿と新松田/松田と小田原で乗り入れてましたが戦時中は空襲で被災したときに車両を融通するのに登戸にも連絡線がありました。 建物の配置にその面影がありましたが、区画整理が進み姿を消しました。 小田急本線も登戸-向ケ丘遊園館は線路配置の変更でその面影は見られませんが、踏切のそばにその痕跡が見えます。 そしてその踏切もまもなく姿を消します。

 元々は貨物輸送をしてたので小田原駅で乗り入れしてたのですが、足柄駅の留置線が貨物ヤードでした。 今は新松田で直通特急の連絡のみとなりますが御殿場線のお天気で再々新松田打ち切りになります。 雨で遅延するのが小田急ではあたりまえになってますが「電車が紙でできてんの?」と思うことがあります。 小田急のペーパーキットを発売してた四谷の「みどりや」や「ロコモデル」も廃業して30年経ちました。

 東日本が客車列車を全廃するに伴い電気機関車の機関士が無くなると報道がされてました。 電車・気動車の牽引車が新造されたことに伴うものでしょう。 小田急ではメーカーで車両を新造・改造した場合新松田のJRの乗り入れ線で行いますが、松田-新松田間は小田急の運転士の担当になります。 その区間だけ運転を担当するのに機関車の運転資格を持ってる運転士がいます。 EF65の資格ですがEF65の全廃後はどの機関車に変わるのか興味があります。

 もう一つ、戦争の痕跡が世田谷代田-井の頭線新代田の連絡線ですが空中写真屋地図でその跡を見ることができます。 消えつつある戦争の跡、そこに何があった記憶にとどめたいものです。
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