私がいつも学ばせていただいている
特別支援教育のメーリングリストで
福島県の浅見先生の投稿より・・・
浅見先生のご承認を得てご紹介させていただきます。
★(以下転載)
オバマ大統領の就任演説にもありましたが、
この時代をどう乗り越えていくのか、
一人一人の責任が問われている時代となりました。
地球環境の視点から一人一人の仕事の在り方、利益の追求の仕方を
考え直していかないと感じています。
当然、その社会構造の中には、
障がいのある人も等しい権利を与えられているはずです。
経済大国である日本の責任を果たしていかなければ、
日本の文化は崩壊していくのかもしれません。
話を特別支援教育へ移しますが、
特別支援教育が始まりまだまもないですが、
その基盤となる教育環境は、まさに「イースター島の悲劇」
(共有地の悲劇)http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/Easter_tragedy.htmと
同じ状況になっているように思います。
たとえば、
特別支援学校の在籍者数の増加は、予想を上回り、学級だけでなく、
当別教室をあたりまえに使用できない状況になってきています。
イースター島の住民が得意とする航海術を発揮するにも、
船になる木材を使い果たしてしまったような状況に似ていないでしょうか。
夕張市の行政破綻は、今、全国どこでもありうることです。
いま、崩壊を少しでも先に延ばし、根本的な解決をめざしていくような取り組みが
現場に求められていると思います。
システム論から言えば「今日の問題は、過去の対処療法的な解決が生んでいる」
ことが多いのです。
モアイ像は、信仰の対象でした。
食料が枯渇してきてもモアイ像作りは行われていました。
一番力を入れているところに、一番の落とし穴があったのです。
特別支援教育においても、モアイ像のような落ちし穴はないだろうかと、
考えています。
私自身の中にも、モアイ像があるのかもしれないです。
行政に何かを期待して待っていては遅いのです
(きちんと何が必要かを伝えるのは大切)。
公立の学校であるなら、その責任をしっかり果たすことが、
より強く求められていくでしょう。
社会経済と地球環境という土台を感じながら、
新しい教育をつくれるといいと思っています。
児童生徒の保護者の中にも、職を失っている方が出てきています。
痛みを分かち合う証として、自分が少しでも変わっていきたいと思っています。
「あの時代の人は、大きな試練でもあきらめずに闘っていた」と
後世の人に言われるように・・・