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日本原住民と被差別部落 菊池山哉考古民俗学傑作選

2011年05月26日 13時10分53秒 | 社会・報道・警察・教育

前田 速夫氏の著書(編集)。

前田氏は1944年福井県生まれ、東京大学文学部英米文学科卒業後新潮社に入社、雑誌「新潮」編集長などを務められましたが退社後法政大学ほかで教鞭を取られてゐる民俗研究者であられる。

今回、前田氏がその著書を傑作選編集といふ形で発行された「菊池山哉」氏であるが、1890年東京府中生まれ。工手(工学院の前身)土木科卒業後東京府の技手判任官を経て、東京市役所港湾課勤務。多麻史談会設立、「多麻史談」発刊。郷土史、民俗学、考古学を研究されいくつかの著書を残した。1966年逝去。

本書は、菊池山哉氏が残した著書を編集したものである。

菊池氏は民俗学、考古学等は所謂「素人」なのであるが、実際に自分の足で現地を歩き、史料を検収し一つ一つ紐解いていくといふ作業をした方で、発禁となつた「(エタ)族に関する研究」を始めとしていくつかの著書を発表されてゐる。驚いたのは著名な学者「先生」の説でも史料や実際の地理的特色など事実に合はないと思はれたことに対し反論してゐることである。(P74-83,「乗潴駅(ノリヌマエキ)に対する坂本博士の所論について」)

(エタ)族の研究に関してはP84-142に収録されてゐる。また、ご自身が東京府の役人として測量に向かつた地に於いて川の魚を獲つてくれた人夫について、他の人が「筋が悪い」として差別してゐることを知る。菊池氏自身はそのことを考察し、付近を歩いて「」といふ地域を歩き回るが、「何が違ふのかわからない」と思ふ。その観点で書いたためなのか否かは不明だが、自分も本書の内容を読んで「何が違ふ」のかわからなかつた。

「」といふ言葉が頻繁に出てくるのであるが、この時代は人口も少なく交通網も発達してゐなかつたことから、「村」に満たない集落がいくつか点々と存在してゐたことが考えられ、「村」に代はる呼称として「」を使つたものではないかと推察する。ただ、「特殊」といふ言葉は別に出てきて論述がある。

と呼ばれた人たちに関しP84から記述されてゐる。昔は身分により、就く仕事と就かない仕事がはつきりしてをり、それゆえ「」の区別があつたやうであるが、江戸時代になると賤視観念の傾向は明らかに認められるるものの、既に差別の絆から放たれてしまつたものがあり、明治維新まで残つたものはその大部分が「長史(ちょうり)」をしてゐた人々とその曲輪(くるわ)だけであるとして、「長史」に多く割いてゐる。

また、東国と近畿において「特殊の始原」が全く事情が異なつてゐるとしP92-102に東国の特殊について記述されてゐる。

「俘囚」といふ存在がゐたことがP103-P104にかけて書かれてゐるが、この人たちは強盗・放火・暴力行為を行なひ、移配されたことが記述されてゐる。この人たちがその後どこにどのやうに生活してゐたのか不明なやうだ。 ただ「別所の特異性」として「諸国すべて普通民と異なるところはありませんが、近畿だけは差別の影を残し、退転するものも多く、紀州では「別所別(べつ)どこ、エタ所(どころ)などの俗謡を伴なつてゐる」ことが記述されてゐる。(P105)

結局、自分には「被差別」とされる地域やそこに住む人たちの何が違ふのか全然わからなかつた。 「俘囚」と呼ばれた人たちの行動で恐れられ、忌み嫌はれてしまつた結果出来てしまつたものなのか否かも不明だ。近畿以外では普通民とされてゐたわけだから・・・・

菊池氏は学者ではないけれども、事実調査に関しての熱意がすごい。この人の論述を念頭に別の本も読んでみやうかと思ふ。 



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