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慟哭 小説・林郁夫裁判

2011年06月03日 15時30分27秒 | 社会・報道・警察・教育

佐木 隆三氏の著書。

佐木氏は1937年生まれ、八幡製鉄株式会社入社後1963年「ジヤンケンポン協定」で新日本文学賞を受賞、退社して作家生活に入り76年「復讐するはわれにあり」で直木賞、91年「身分帳」で伊藤整文学賞を受賞。 宮崎勤事件、オウム真理教事件、光市の母子殺害事件など世間を震撼させた事件の取材を精力的に行つてゐる。

本書は、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の実行犯、林郁夫に関するノンフィクションノベルである。

いくつかの小説を読んだところ、オウム真理教事件といふのは様々な小説に影響を及ぼしてゐることを感ぢだ・・・・・・

オウム真理教に関する本で図書館で見つけたのが本書である。

林郁夫は公証役場事務長拉致事件で指名手配を受けた実行犯の指紋を消し、整形手術を施すため、石川県の貸別荘に仲間とともにゐたが一緒にゐた二人が逮捕されたことを受けて、自転車で逃走を図つてゐたところを職務質問され、逮捕された。

林郁夫は、慶大医学部卒の心臓外科医で、3年ほどアメリカへ留学したことがあり国立療養所晴嵐荘病院(当時)の医局長を務めてゐたときに退職し、1990年に出家して「クリシュナナンダ師長」となつた。(P8)アメリカ留学中に慶大医学部卒の麻酔科医と結婚し長女と長男をもうけるが家族出家する。 (詳細はP35-37)

林郁夫は「元ピアニスト監禁事件」の監禁罪で逮捕状が出されてゐたのだが、この取り調べ中にサリンをまいたことを自白する。

その後の取り調べにより、麻原彰晃といふ人物を始めとしてオウム真理教といふものの全容が明らかになつていく。「小説」なので、取り調べの場面や裁判の場面を通じて明らかになるので、理解しやすい。

驚いたのは、「なぜこんなにオウム真理教、麻原を信じたのか?」といふことである。しかも、学歴が高い人たちが多い。麻原は、その人たちの「知識」等を利用するつもりだつたのだと林郁夫が裁判の証言の中で明らかにしていくのだが、この「信仰」「従属」の心理は当の本人でなければわからないことが多いだらう。

林郁夫は、医師といふ「患者の死」を体験するうちに「救えてゐない」といふ心理に陥り、自己に関して悩んでゐるところに「麻原が最終解脱を成し遂げた」といふ著書を読み、即座に魅かれてしまふ・・・・

言ふなれば、林郁夫は真剣に悩み救いを求めてゐたのであるが、麻原はさうした人たちの「信仰心」を利用し「お布施」の名の下に財産を巻き上げ、お布施を拒んだり反対してゐる家族がゐると「ポア」といふ言葉を「救つてあげること」として信者達に殺人を犯させてゐた。

この麻原の理論の組み立て方、様々な宗教から言葉を寄せ集め利用するやり方にはただただ感心する。生まれながらの詐欺師?といふ感ぢである。(奇しくもきのふ、「辞任」を曖昧にほのめかし、一夜明けたらそれを撤回しペテン師呼ばわりされてゐる内閣総理大臣といふ立場の人間がゐるが、似たやうなものである)

冷静な第三者の立場から、オウムの理論や言葉が要求する行動を聞くと吹き出すか驚くのだが、信者たちが「救われる」と信じて行動した背景に想像を越えるものがあり、Aと名称を変へて活動を続けてゐるのが、なんとなく、納得できるのである。

今も信仰を続けてゐる人たちは、林郁夫やその他の実行犯の証言をだう捉えてゐるのだらうか? それとも、逮捕当初の林郁夫のやうに「世間では犯罪かもしれないが尊師の教えでは救い」と未だにその論理を信仰としてゐるのだらうか?

林郁夫がサリン事件を自白したことで、この事件や他の事件などもオウム真理教が起こしたと判明し、裁判でそれぞれの実行犯の罪状の多さに驚く。

なぜこの集団が破防法適用されなかつたのか、ほんたうに理解が出来ない。 

麻原の裁判中および死刑確定までの行動は見苦しい。読んでゐる最中にも、きのふのバカンの言動がダブッて仕方がなかつた。

林郁夫は、地下鉄の職員2名が乗客を守るために自分たちの身の危険を顧みづサリンを乗客から遠ざけ、その結果亡くなつたことをしり「医師であり人を救う職業の自分が何をしたのか」と気付き自らの罪を悔いる。

そのやうすは、職員2名の夫人らが「極刑」を望んでゐた気持ちをも変へさせる・・・・ その場面まで読んでゐて、「残念だな・・・・」と思はづにゐられなかつた。信仰心が厚い人がこんな形で利用され、何人もの人が苦しみ当人も苦しむ・・・・・・

未だに逮捕されてゐない逃亡者が3名(?)ほどゐて交番に貼り出されてゐたり、一審・二審判決を不服として控訴してゐるさうだが、実行犯らは即座に自首し控訴取り下げし主犯の麻原の死刑も執行してもらひたい。



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