世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

林葉直子、LPSAの棋戦で復帰

2010-05-16 00:10:17 | 囲碁・将棋
林葉直子(42)が日本女子プロ将棋協会(LPSA)の公認棋戦「日レスインビテーションカップ」に主催者特別推薦で出場することが発表された。

林葉直子というと不倫、失踪、豊胸手術、ヘアヌードに自己破産等、数々のスキャンダルで世間を騒がせてきたことで有名だ。一番有名なのは1998年に中原誠十六世名人との不倫が公になり、中原の「突撃しま~す」という留守番電話の録音がセンセーショナルにワイドショーで取り上げられ世間の注目を集めたことだ。

上記のように林葉直子というと女流棋士の強豪というよりお騒がせ人物という感じで、日本将棋連盟を退会しているし、師匠の米長邦雄も林葉を破門にしているので、将棋連盟とは絶縁しているといってよいだろう。数々の迷惑行為から事実上将棋界から破門・追放されたといってもよい。

今回はLPSA主催の棋戦に参加するらしいが、もしLPSAが発足しなければ林葉が棋戦に参加することはなかっただろう。LPSAも世間の印象が悪い林葉を参加させなければならないとは、よほど状況が苦しいのだろう。

LPSAの棋戦とはいえ、林葉直子はよく棋戦に復帰できたと思う。

ブログ、ホームページ、次期参議院選から選挙期間中の更新解禁

2010-05-15 00:02:07 | 政治・行政
与野党は12日に「インターネットを使った選挙運動の解禁についての各党協議会」(座長・桜井充民主党参院政策審議会長)を国会内で開き、現在は禁止されているホームページとブログの選挙期間中の更新を、夏の参院選から解禁することで大筋合意した。

これからは選挙戦でブログやホームページがよく使われるだろう。私もアクセスすることがあると思うが、わかりやすい政策提示や説明を行ってほしい。

加藤一二三氏に餌やりの禁止と総額200万円の支払いを命じる判決

2010-05-14 00:32:16 | 社会
将棋の加藤一二三九段が野良ネコに餌づけしていると近所の住民が訴えた裁判で、東京地裁は加藤元名人に対し、餌やりの禁止と総額200万円の支払いを命じる判決を言い渡した。加藤一二三九段はクリスチャンで動物愛護の精神が強かったのだと思うが敗訴した。

この事件は前から注目していたが、加藤九段の性格ゆえなんとなく彼が敗訴すると思っていた。加藤九段の悪いところは一言で言うと、他人に気を配らないところだ。彼はアスペルガー症候群かもしれない。

私は将棋ファンで将棋棋士の中で加藤一二三九段を最も尊敬している。最も好きな将棋棋士は羽生善治でも、谷川浩司でもなく加藤一二三である。それは自分の道を突き進んで彼の最もよい将棋の実力を身につけたり、実績を出してきた姿に共感を覚えるからである。

加藤一二三九段は神武以来の天才と言われ、14歳(最年少記録)でプロ四段に昇段し、デビュー後一度も遅れる事無く最高位のA級八段に18歳(最年少記録)で昇級した。20歳での名人挑戦も最年少記録だ。最高位の名人にも在位経験があり、通算1200勝達成、歴代最多対局記録、60歳までA級棋士の座を維持するなど将棋の実績は抜群だ。

しかし、あまりにも将棋の事に集中するあまり周りに気を配る事が十分にできない。対局中に相手の後ろにまわって盤上の駒を眺め、加藤氏のネクタイの先が相手にぶつかってびっくりさせた等数々の加藤一二三伝説がある。彼の奇行は将棋ファンには有名だ。人気将棋漫画「月下の棋士」の加藤一二三の紹介にもあるように、加藤一二三氏は将棋界でもよい意味で一匹狼だが、悪く言えば自己中心的な性格だと思う。今回の事件はそれが悪い方向に出たのだろう。

しかし、私は加藤氏のそうした悪いところも含めて人間としての彼が好きである。人間は誰しも欠点はある。加藤九段のように周りの人を敵にまわす可能性が高い人物が、独自の道を貫いてとても大きな業績をあげるのは本当に大変な事だ。そうした事を成し遂げた加藤九段の素晴らしさはこんな事件で失われるものではない。


人気の大横綱、第35代横綱・双葉山定次

2010-05-12 00:50:17 | スポーツ・芸能・文芸
第35代横綱・双葉山定次は戦前に活躍した大横綱で、69連勝を達成し谷風が記録した63連勝を約150年ぶりに塗り替えたことで有名だ。優勝12回、全勝優勝8回、5場所連続全勝優勝など数々の記録を持つ。

その他相撲道を極めようとしたことでも有名で、「われ未だ木鶏たりえず」 「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」など名言がよく知られている。現在の横綱・白鵬も双葉山を敬愛しているように、双葉山の人気は非常に高く、横綱の模範となる事が多い。江戸時代の谷風、明治の常陸山とともに歴代横綱の中で品格・力量ともにすぐれた名横綱である。

双葉山はたまに史上最強の力士と呼ばれることがある。史上最強というと谷風、雷電、太刀山など他にも候補は何人かいるが、双葉山は最強力士を論じる場合に必ず出る名といってもよいだろう。年6場所で1場所15日制の現在では双葉山の5場所連続全勝優勝を破ることは非常に難しく、今後更新されない可能性も高いが、双葉山という人は人気の高さから多少過大に評価され、実際の強さ以上に強いと言われることが多いと思うが、昭和以降でも最も強い力士の一人であることは間違いないと思う。

谷亮子、次期参議院選、民主党比例で出馬へ

2010-05-11 00:42:51 | 政治・行政
女子柔道で有名な谷亮子が次期参議院選で民主党の比例候補として出馬するらしい。私はこういう立候補が嫌いだ。谷亮子なんて政治家能力あるのだろうか?知名度とか人気だけで票を獲得するために立候補するのを見るのは非常に嫌だ。

最近知名度だけで投票する国民のいいかげんな選挙について記事を書いたが、次の選挙もそういういいかげんな投票がなされないとよい[1]。

参考
[1]世界変動展望 著者:"国民の選挙のいいかげんさについて" 世界変動展望 2010.5.3

期限の定めのない債務

2010-05-06 00:00:20 | 法律
A「100万円貸してくれないか?」
B「わかった。いつでもいいから返してね。」
A「ありがとう。助かるよ。」

(3日後)
B「この間貸した100万円だけど、5日後までに貸してくれる?」
A「え?いつでもいいっていったじゃないか。お金はつかっちゃってすぐに返せないよ。」
B「確かにいつでもいいっていったよ。5日後でもね。」

たまにこういう金銭貸借のトラブルがあるかもしれない。民法で俗にいう「期限の定めのない債務」というやつだ。

民法412条3項 「債務の履行について期限を定めなかったときは、債務者は、履行の請求を受けた時から遅滞の責任を負う。」

つまり、「返してね。」といわれた時から相当期間(返すための準備をする期間、私見ですが1日か2日程度でしょう。)経過後に返済しないといけないわけです。上記の例ではBは5日後に返済を請求しているわけですから、Aは100万円を5日後に返さなければならない責任が生じます。返さない場合は履行遅滞による債務不履行責任をAが負うことになります。

お金を借りるときはきちんと返済期を決めておきましょう。

経済学の予測について

2010-05-05 00:00:00 | 社会
物理学と経済学はどちらも面白い学問で、両者とも対象とする現象が起きる理由を説明できることに感動を覚えた。物理学と経済学は似ているところがあるが、よく考えるとかなり違った学問だと思う。

物理学と経済学はどちらも対象を数式で表現して現象を説明しようとするところで共通している。物理学と経済学はどちらも現象を説明するために非現実的な仮定を立てる。例えば物理学の場合、物体の大きさが無限小で重さだけあるという質点という仮想の物体を考え、落体の法則を説明する。経済学では消費者は財を使って得られる効用と労働による負の効用を合わせたネットの効用を予算制約のもとで最大化するように活動すると仮定して、消費者の行動を説明する。要するに消費者はできるだけ働かないで物やお金を消費するように行動するというわけだ。どちらも非現実的だ。

しかし、物理学と経済学は対象とするものの性質が決定的に違い、両者の様々な性質の違いを生み出す原因となっている。物理学が対象とするものは物体の運動とか熱、光、電気といったものだが、これらは無生物で単純な性質のものである。だから、数式という抽象的な記号で表現することが容易で、現象を精密に説明する事が可能となる。

一方、経済学の対象は消費者や生産者といったそれ自体非常に複雑な性質のものであり、そもそもそれらの行動を数式を使って表現すること自体に内在的な限界を抱えるため、精密な説明ができない。上記の例のように、消費者はできるだけ働かないで物やお金を使うように行動するという仮定は、ボランティアや福祉で働く人、仕事を生きがいとする人など様々な性質を持つ私達の社会ではあまりにも粗すぎる仮定であり、数式で扱うこと自体に無理がありそうにさえ思える。

この違いが両者の予測の正確さに違いをもたらすといえる。物理学の場合は、確立された分野なら正確な予測をする。例えば、ロケットや人工衛星がきちんと飛ばせるのは力学によって軌道がきちんと正確に計算でき、実際もその通りになるからだろう。日食などの予測は非常に正確だ。物理学は精密科学である。

それに対して経済学の予測は物理学に比べて精密とはとても言えない。不正確といわざるを得ず、私には経済現象をきちんと反映していると思えない。

2009年2月に経済学者の岡川梓氏がダブリン大学チームの研究に対して述べたコメントの中に「政策作成者が適切な政策判断ができるようにするため、モデル分析者は現実的な政策研究、信頼性のある結果創出、シミュレーションモデルの評価、研究者間のテクニカルタームの共通定義をすべきである。[1][2]」といった助言があった。

私はこの助言が非常に不思議でなぜこんな当たり前の事を専門家が討論者として述べているのかよくわからなかった。信頼性のある結果を出すとかシミュレーションモデルの正当性の評価といった事は科学に携わるものとしては非常に当たり前の事で、わざわざ助言するまでもないことだと思う。

当たり前だが、信頼性のない結果など誰も信用しないし、ある科学者が何かシミュレーションして結果を発表しても検証が行われ、正当性が証明されなければ多くの科学者には受け入れられない。これは科学では非常に基本的な事である。科学は確実に正しい結果の積み重ねで発展していくものだ。

しかし、岡川梓氏が助言した内容を素直に読むと、経済学の分野ではしばしば信頼性のない研究結果が発表され、ある研究者がシミュレーション結果を発表しても誰もそれを検証することなく、ほったらかしになっていると思えてしまう。

こうした事が本当に経済学界の現状だとして、その理由はいったい何なのかと考えると、はっきりとした理由はよくわからない。ただ、正しいかどうか全く確証はないが推測する理由はある。上述のように経済学は対象の複雑さゆえにそもそも内在的に予測の限界を抱えているし、その他の原因もあり不正確な分析しかできないので、世の中の人たちは経済学の予測をたいして期待していないのかもしれない。

不正確な予測しかできないから、はずれても「そもそも不正確なものだから。」と言い分けできるし、当たっても「そんなのただの偶然でしょ。」といわれて、たいして賞賛されないのかもしれない。だから経済学者は信頼性のある結果を出すことに責任がなくてもよく、他の研究者が出した結果を検証すらしないのかもしれない。推測をスタートさせると非常に怖い記述になってしまったが、私の推測は間違いで実際の経済学界はもっと違うと思う。

ただ、経済学者が経済学の分析の信頼性や正確さを少しでも上げたいと思っているなら、不正確な分析となる原因を突き止めてそれを改善していけば少しずつても正確なものになるだろうし、分析結果に対して世間から信頼や期待が寄せられるだろう。人間や企業は数式で表すにはあまりにも複雑すぎるから、正確さを追求しても限界があるに違いないが、できるところから改善を始めて予測の正確さを上げていくことは長く時間はかかってもきっと価値のあることだと思う。

1000年後も「分析の正確性を上げるべきだ。」と主張する経済学者はいるだろうが。

参考
[1]世界変動展望 著者:"「ダブリン大学チームによるレポートへのコメント」について" 世界変動展望 2009.4.15
[2]Azusa OKAGAWA:"Comment on the report by the Team University College Dublin" 経済社会総合研究所での報告 2009.2

goo恋人探しについて

2010-05-04 00:00:00 | Weblog
gooブログの管理画面や記事投稿後の画面に「goo恋人探し」の宣伝広告が表示される。かなり前から表示されるのだが、あんまり見たくない。こういうサービスは儲かるのだろうか。NTTという大手会社までこんなサービスを始めるなんて、世の流れというものだろうか。

国民の選挙のいいかげんさについて

2010-05-03 00:00:10 | 政治・行政
選挙を見ていると、たいして政治能力がないような人物が知名度だけで当選することがある。中には明らかに政治能力がないのに知名度だけで当選する人物もいる。そういう選挙を見ていると、国民はどういう理由で投票しているのか疑問に思えてくることがある。

投票するからにはよい政治をやってもらいたいと誰でも思うだろう。しかし、投票した人物は明らかに政治能力ない。人気があるだけでなぜそんな人物に投票するのか。選挙というより人気投票だ。