世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

羽生先勝、第57期王将戦

2008-01-19 01:30:19 | 囲碁・将棋
 将棋の羽生善治王将(王座)に久保利明八段が挑戦する第57期王将戦の第1局は、96手で後手の羽生が先勝した。
 今期の王座戦でも対戦した二人だが、最近の成績では羽生が7連勝している[1]。ここ10試合の対戦成績も羽生の9勝1敗、通算でも羽生の22勝7敗、勝率0.7586だ[1]。圧倒的に羽生の方が勝っている。そろそろ久保八段の逆襲が始まるかもしれない。いずれにせよ、楽しみだ。

参考
[1]羽生-久保の対戦成績については"玲瓏:羽生善治(棋士)データベース(2008.1.18)"によった。

悪役3人組に勝利を!-ヤッターマン

2008-01-18 16:41:26 | スポーツ・芸能・文芸
 今週の月曜日からタイムボカンシリーズの人気作「ヤッターマン」の復活放送が始まった。「ヤッターマン」は1977年1月に最初の放送があったそうだから、実に31年ぶりの復活となる。子供向けのアニメであるし、30代の人たちが懐かしがってみるのを期待しているのかわからないが、懐かしのアニメということで多少はそのような効果もあるだろう。
 タイムボカンシリーズというと、やられ役の3人組が有名だと思う。彼らはタイムボカンシリーズを通してやられ役を演じているので印象が強い。タイムボカンシリーズというと、まず彼ら3人組を連想する人も多いと思う。主役よりも目立つ存在かもしれない。
 彼らはいつもやられてばかりいるが、たまには正義のヒーローに勝つ場面があると爽快でいいかもしれない。

クイズ!ヘキサゴンIIの珍解答について

2008-01-18 02:03:36 | スポーツ・芸能・文芸
 「クイズ!ヘキサゴンII」を見ると、解答者の珍解答にいい意味で笑わされよい気分になる。別に番組を批判するわけではないが、番組で起こる珍解答は少なからず、わざと珍解答をするものがあると思う。

例えば

問題「マネキンに"耳打ち"してください」→解答「マネキンに"峰打ち"する」

というのが昨日の放送であったが、本気の解答というより意図的なウケ狙いの解答という気がする。
 クイズ!ヘキサゴンIIでの珍解答はわざとウケを狙って解答していると思わされるものが多い。そのような解答の多さが、解答の意図的なウケ狙いを余計疑わせる。
 番組の趣旨は珍解答をすることで、視聴者の笑いを誘うことであろうから、本気の解答だろうとウケ狙いの意図的な解答だろうとどちらでもよい。ウケ狙いの珍解答をするのでも、本当に面白い解答をするのは難しい。別な意味で頭を使うクイズ番組かもしれない。
 思えば、志村けんや加藤茶もドリフで爆笑するコントをいくつもやっているが、すごい実力だ。本当に笑える演技をすることは難しいことだ。"バカ殿さま"、"変なおじさん"、"カトちゃんぺー"、"アイーン"、"だいじょうぶだぁ~"、など有名なお笑いがたくさんあるが、こうしたものを考え、演技するのは非常に難しい。そもそも、誰がこのようなネタを考えているのだろう。

佐藤康光ようやく1勝-将棋A級順位戦

2008-01-17 01:38:34 | 囲碁・将棋
 A級順位戦佐藤康光二冠-行方尚史八段の対戦は佐藤が勝利し、A級順位戦でようやく1勝をあげた。敗れた行方も佐藤と同じく1勝6敗である。
 佐藤はこれまで順位戦で安定した成績を残しており、昨年始めて順位戦で負け越し(4勝5敗)たくらいだ。それが、今期は6回戦まで全敗最下位で、依然として最下位の降級者争いを行っているのは少し意外だ。
 今期の佐藤は棋聖防衛、竜王挑戦など決して悪い調子ではないが、順位戦に限っていうと調子が悪い。もっとも、佐藤の順位は四位なので、2敗者等近差の棋士もいる現状を考えると今後勝ち星を重ねれば十分に残留の可能性はある。
 勝ち星を考えると、谷川(二位、2勝5敗)、佐藤(四位、1勝6敗)、久保(七位、2勝5敗)、行方(十位、1勝6敗)が降級者候補だ。やはり一番劣勢にたたされているのは順位と勝ち星が悪い行方である。谷川は順位と勝ち星で、この中では最も優位である。佐藤と久保は8回戦で対戦となるが、勝ち星一つの差なので佐藤としては自力で残留の可能性がある。久保も、A級順位戦では不調だが、今期は王座、王将の挑戦者となり好調だ。今後どうなっていくか注目だ。

ブラックホール蒸発理論、計算機実験で検証

2008-01-16 02:19:10 | 科学技術
 高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)の西村淳准教授らのチームが、スーパーコンピューターで計算機実験を行い、ブラックホールの蒸発を検証したという[1]。
 車椅子の天才科学者、ホーキング(イギリス、ケンブリッジ大学)が提唱した有名な理論の検証だが、時代が進んで計算機の検証がなされた。
 ブラックホールや初期宇宙、統一理論の世界の実験は今のところ現実には不可能である。遠い未来においてもできるかどうかわからない。この手の実験は、計算機によるシミュレーションでしかやれないのが現実的なのかもしれない。
 しかし、物理学において計算機によって検証された理論は状況証拠の一つでしかなく、最終的な確証は本当の実験によってのみなされる。もっとも、上記のような実験は無理だろうが、天体の観測結果等、ホーキング理論を支持する実験結果が出てくれば理論の信憑性も増してくるだろう。
 それにしても、朝日新聞の超弦理論の説明、「宇宙の成り立ちを説明する究極の素粒子理論「超弦(ちょうげん)理論」[用語]をもとに、・・・[1]」は間違った説明だ。正確に理解するなら、物理学辞典などを見るとよい。

参考
[1]ブラックホール蒸発の計算機実験による検証については"asahi.com(2008.1.16)"によった。

用語
[1]超弦理論:自然界に存在する4つの相互作用(重力、電磁気力、強い力、弱い力)の統一理論の候補。4つの相互作用の統一理論では4つの相互作用がすべて同じ相互作用として統一される。
 自然界の現象は根源的には、すべて素粒子とその間の相互作用によって生じ、これらを支配する法則がわかれば現象を理解できる。故に、4つの相互作用の統一理論は、その理論一つを元に基本的な自然現象が理解できると信じられているので、しばしば"万物の理論(Theory of Everything)"とよばれる。(朝日新聞で書かれている究極理論とは"万物の理論の一候補"と読み替えた方が正しい)超弦理論は現段階ではあくまで万物の理論の一候補であり、確立した理論ではない。
 以上は、一般の科学の本に書かれてある程度の説明で、多少誤解があるので重ねて説明しておく。仮に、万物の理論が完成しても、それで物理学、ひいては科学が終了するわけではない。万物理論の完成は自然の根源的な法則が得られたというにすぎない。自然は極めて多様的であり、根本法則が理解できたとしても、すべてをそこから理解することは不可能であり、自然の階層ごとに独自の研究が必要である。それは、量子力学が確立しても、物性、化学、生物の問題が解決せず、多体問題の考察や生物学独自の研究が必要なことを見れば明らかだろう。

羽生二冠が6勝目 将棋A級順位戦7回戦

2008-01-16 01:45:48 | 囲碁・将棋
 将棋A級順位戦7回戦、羽生二冠-丸山九段の対戦は羽生が勝利した。羽生二冠が98手で勝ってリーグ成績を6勝1敗とした。敗れた丸山九段は4勝3敗となった。
 これで1敗は羽生二冠と三浦八段の2人となった。こうなると羽生優位である。今年の名人挑戦者の最有力は羽生善治二冠だろう。

遺族感情だけが死刑判決増加の原因?

2008-01-15 15:47:46 | 社会
 昨年死刑判決を受けた人は46人にのぼり、1980年以降もっとも多かったことがわかった[1]。これまで2006年度の44人が最多だったが、2年連続の更新。裁判所のデータが1980年以降しかないので、正確な数値は80年以降のものしかわからないが、死刑判決は97年あたりから増えている。死刑執行も、1993~2000年まで他の年より多く、2001~2005年まで少し落着いたが、06より増加している。
 光市母子殺害事件の本村氏の影響等、遺族の処罰感情に基づいた厳罰化が影響していると見られる。80年以前の統計がないのでなんともいえないが、同様の事件は80年以前もあったわけで、どうして近年になって遺族の処罰感情に基づく厳罰化が進んできたのか原因がよくわからない。遺族の処罰感情が大きいのは間違いないだろうが、80年以前はあまり遺族が処罰を大きく望んでいなかったのだろうか。どうも、同じ境遇なのに80年以前だけ特別処罰を望んでいないのはおかしい気がする。統計が無いので憶測でしか判断できないが、肉親を殺された苦しみや悲しみは時代に関らず普遍的なものであると思う。死刑判決が増加し始めた97年以降だけ特別というものではないだろう。死刑判決が増え始めた97以降とそれ以前で、何が変わったのかもう少し深く考察する必要があるのではないか。遺族の悲しみは時代によらず普遍的なはずだ。それなのに、死刑判決増加の原因が単に遺族の処罰感情重視によるというだけでは、不十分な分析であると思う。遺族感情があるのは間違いないだろうが、もっと別の原因や遺族感情を重視させる間接的な要因が背後に潜んでいるような気がしてならない。
 死刑判決の増加原因をもう少し詳しく考察すれば、新しい側面が見えてくるかもしれない。
 
参考
[1]死刑判決を受けた人の統計等は"47NEWS(2008.1.13)"によった。

自分らしく、幸せな生き方とは?

2008-01-14 01:08:30 | 社会
 自分らしく生きることや幸せであることが何かと考えることがある。それは自分のやりたい事をやることではないかと思う。音楽が好きな人は音楽をやること、将棋の好きな人は将棋をやることが幸せなのだと思う。
 それが一番本質的なことであり、多数か少数かは重要なことではない。例えば、若者で将棋を好む人は流行の音楽やファッションを好む人に比べれば少ないだろう。遊びとして行っている人も少ないと思う。多くの若者は将棋を好まないし、やらない。流行の音楽やファッションばかりで、それをしないことが損なことであると考えている人も少なくない。確かにそれはそれでいい。
 しかし、若手の将棋棋士にとってはどうだろうか。彼らは音楽等にも興味があるだろうが、一番熱心なのは将棋である。彼らが将棋を指せないことはこの上なく不幸である。決して、将棋に多くの時間をとられているからといって不幸ではない。全く逆であって、彼らにとって将棋を指すことは最も幸福である。
 多くの人間がやっているからといって、自分のやりたいことをまげてそれらに取り組むことは不幸なことだ。勿論面白いと思えたり、やりたいと思える可能性を見て取り組むことはよい。しかし、どうしてもやりたいと思えないのに続けることは不幸なことだ。そのように生きるのは自分らしい生き方ではない。
 多数か少数かは関係なく、自分がやりたいことをやることが幸せであり、また自分らしい生き方ではないかと思う。世の中もまた、多数か少数かは関係なく多様な価値観を認めるようになっていけばよいと思う。

内閣支持率41%、6%増

2008-01-13 19:09:13 | 政治・行政
 共同通信社が行った全国緊急電話世論調査で12月調査に比べて6.1ポイント上昇し、41.4%となった。不支持は支持を上回り42.8%[1]。
 テロ対策特措法の問題が片付いたことや、薬害肝炎救済法が成立し、世論に応えたことが影響したと見られる。薬害肝炎の問題を解決したのは評価できる。
 しかし、若干支持率が上がったとはいえまだまだ十分ではない。年金問題に対する対応も依然として厳しい批判を受けているのが現状だ。自民党にも民主党にもいえることは、財政が極めて厳しい中でそれを改善する政策の実現可能性がいまいち伝わってこない。年内に衆議院の解散総選挙があるだろうが、そのときにはきちんと説明をしてほしい。

参考
[1]内閣支持率等については"47NEWS(2008.1.12)"によった。

薬害肝炎救済法が成立

2008-01-11 22:45:51 | 政治・行政
 本日薬害肝炎救済法が成立した。前文に国の責任が明記され、感染者等に救済金が給付される[1]。5年にわたり、感染者の被害を訴えてきた方々にはよかったことと思う。

参考
[1]薬害肝炎救済法第6条(給付金の額) 給付金の額は、次の各号に掲げる特定C型肝炎ウイルス感染者の区分に応じ、当該各号に定める額とする。
一 慢性C型肝炎が進行して、肝硬変もしくは肝がんに罹患(りかん)し、または死亡した者 4000万円
二 慢性C型肝炎に罹患した者 2000万円
三 前2号に掲げる者以外の者 1200万円

補給支援特別措置法案、今日成立へ

2008-01-11 02:33:08 | 政治・行政
 福田内閣が重要法案と位置づける補給支援特別措置法案が参議院で否決され、衆議院の2/3の賛成で再可決される見通しとなった[1]。同法案は民主党が継続審議する方針だったが、他の野党から反対され参議院否決に方向転換することになったため、今日の衆議院再議決が確実となった。
 結局、補給支援法案は可決されることになってしまったが、これで本当によかったのだろうか。今の国際社会ではテロを取り締まりで協力することが一つの重要課題だから仕方ないのかもしれないが、どうも日本の意思がアメリカに迎合しすぎている点が前から気にかかる点だ。

参考
[1]補給支援特別措置法案成立に関しては"asahi.com(2008.1.9)"によった。

危険運転致死傷罪は殺人ではない!

2008-01-10 07:05:50 | 社会
 3児死亡事故の地裁判決を受けて危険運転致死傷罪の不適用批判が多い。朝日新聞の社説においても批判されており、同社説の中で危険運転致死傷罪が"故意犯"とされている[1]。これは少なくとも通説の立場では厳密ではなく、危険運転致死傷罪は「故意犯+過失犯」である[4]。特に注意したいのは、死の結果に対しては"故意"ではなく、悪く評価しても過失、又は過失すらないという点だ。危険運転致死傷罪の故意にあたる実行行為は意図的に人を殺すこと(殺人)ではない。
 3児死亡事故だけでなく、井上郁美氏ら交通死亡事故被害者・遺族の働きかけにより、マスコミを通じて「飲酒運転による死亡事故は殺人」と間違った認識が世間に訴えられ、「危険運転致死傷罪は危険運転による死を殺人の故意犯と同視した罪」と勘違いする危険がある。井上郁美氏ら交通死亡事故の遺族が考えるような、「飲酒運転による死亡事故は殺人」というものでは決して無い。
 法律を知る人間ならすぐにわかるだろうが、罪名が危険運転"致死傷"罪となっているように、故意で"危険運転"を行い、その行為の"過失又は過失すらなく死傷の結果を出した"ことで成立する罪である[4]。傷害致死罪と同じだ。危険運転致死傷罪の故意とは「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させること」に対するものであり、「人を死傷させたこと」は故意の対象となった行為の過失又は過失すらなく生じたものである[2][4]。(勿論、故意で人を死なせれば殺人罪である。)
 井上郁美氏ら交通死亡事故被害者・遺族の働きかけにより、マスコミを通じて「飲酒運転による死亡事故は殺人」と世間に訴えられている認識は間違っており、改めるべきだ。なぜなら、危険運転致死傷罪の立法制定をめぐっては井上郁美氏ら交通死亡事故被害者・遺族らの意見を考慮した上で国会で十分に審議・討論された結果、それでも危険運転によってもたらされる死の結果については故意が否定されたからだ。つまり、危険運転による死の結果を故意と法的に評価できず、"悪く評価しても"過失とするのが妥当だからだ[3][4]。
 交通被害者・遺族としても言いたいことを十分主張し、多くの人たちで審議・討論した上で殺人ではなく"悪くても"過失致死と評価されたのだから、その結果を交通被害者・遺族は受けいれるべきだ。殺人でないものを殺人というべきではない。危険運転であるにしろ、"悪く評価しても"過失でしか死に至らしめていないのに、意図的に殺しているように言われたのではたまったものではない[4]。しかも、判例では死の結果に過失すらない場合がありえるのだ。"悪く評価しても"過失でしか人を死に至らしめていない罪、又は死の結果に対して過失すらない罪と殺人では全然評価が異なる。それを交通被害者・遺族は知るべきだ。

参考
[1]「業務上過失致死傷罪が文字通り「過失犯」であるのに対し、01年に新設された危険運転致死傷罪は「故意犯」だからである。飲酒運転などによる悲惨な事故が後を絶たないため、飲酒や著しい速度違反などの危険運転を暴行や傷害と同じような犯罪に位置づけた。」asahi.com (2008.1.9)より引用。
[2](危険運転致死傷罪)刑法208条の2第1項:「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。」
[3]もっとも、未必の故意のように死の結果を故意と評価できるなら危険運転致死傷罪でなく殺人罪で処断すべきである。それは事件の事情を個別具体的にきちんと審理して判断すべきである。
 ただ、非常に酷い飲酒運転でも殺人罪として処断していない判例を考えれば、危険運転を殺人の故意と法的に評価できないとするのが裁判所の立場であろう。
 故意とは犯罪の実行行為に対する反対動機を形成可能であったにも関らずに実行行為を行おうとする意思である。また殺人罪における未必の故意とは「実行行為で死ぬかもしれないが、死んでもかまわない。」と思って行為を行うことである。
 それを一般の飲酒運転事故について考えると、運転者は誰しも人を殺してはいけないと思っており、反対動機を形成している。さらに、酩酊状態にあるといっても「死んでもかまわない」と思っていないのが通常であるから未必の故意も認められない。
 従って、事件を個別具体的に審理した結果、故意や未必の故意が認められる特段の事情がない限り、殺人罪の適用を否定する裁判所の判断は妥当である。
[4]危険運転致死傷罪や傷害致死罪のように構成要件の該当行為を行って、さらに重い結果を出すことで成立する罪を結果的加重犯という。加重結果について過失が必要かどうかは争いがあり、通説では過失が必要としているが、判例では不要としている。いずれにせよ、死傷の加重結果について故意が無いことについては争いはない。本記事では通説と判例の両方の立場を考慮している。判例の立場では死傷の結果に過失がなくても危険運転致死傷罪や傷害致死罪になることもあるため、死傷の結果に過失すらなく責任が低い加害者がいることにも配慮し、本記事では危険運転致死傷罪の死傷結果に対しては"悪く評価しても過失犯"、"死傷の結果に過失すらない"等の文言を用いて違いを強調している。

傷害致死罪、危険運転致死傷罪に対する通説、判例の帰結の違いは、

●通説
傷害(故意)+ 死亡(過失なし) = 傷害罪
傷害(故意)+ 死亡(過失あり) = 傷害致死罪
危険運転(故意) + 死傷(過失なし) = 道交法違反 (注)
危険運転(故意) + 死傷(過失あり) = 危険運転致死傷罪

(注)責任主義の立場から、たとえ死傷結果があっても、故意・過失がなければ罪にとうことはできない。

●判例
傷害(故意)+ 死亡(過失なし) = 傷害致死罪
傷害(故意)+ 死亡(過失あり) = 傷害致死罪
危険運転(故意) + 死傷(過失なし) = 危険運転致死傷罪
危険運転(故意) + 死傷(過失あり) = 危険運転致死傷罪

となる。このように死傷結果に過失がなくても危険運転致死傷罪となるのが判例の立場である。危険運転致死傷罪を評価する場合は死の過失について、きちんと審理してから、加害者に対して評価を考えるべきである。危険運転はあるが、死亡結果に対して過失がないものに過失者と同様の大きな非難をすべきではない。

危険運転致死傷罪の場合は、通説では死傷結果に過失があるかないかで量刑に大きな差があるため、特に厳格に審査する必要がある。刑罰の本質が責任にあることを考えれば、判例よりも通説の立場が妥当である。量刑にも大きな差があることを併せて考えれば、裁判所は結果的加重犯の主観的構成要件についてよく検討をする必要がある。
 もっとも、実際の事件では、ほとんど過失が認められるので判例と通説の違いはあまり問題にならないかもしれない。しかし、万一無過失の死傷結果が出たとしたら、責任主義の観点から通説で処断するのが妥当である。